JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略 ver.1.01
NHKの朝ドラ『エール』のモデルでもある作曲家古関裕而は、戦前から戦中へ、そして戦後の高度経済成長期に至るまで、多くの国民に口ずさまれる名曲の数々を生み、ヒットさせ続けた唯一無二の存在である。
「六甲颪」(1936)「露営の歌」(1937)「若鷲の歌」(1943)「栄冠は君に輝く」(1948)「高原列車は行く」(1954)「モスラの歌」(1961)「巨人軍の歌(闘魂込めて)」(1963)「オリンピック・マーチ」(1964)…。
歌謡曲から軍歌、行進曲、映画音楽、校歌、社歌など、生涯にわたって作られた曲は5千曲以上と言われる。
辻田真佐憲『古関裕而の昭和史 国民を背負った作曲家』(文春新書)は、その作曲家としての足跡を、激動の昭和史の中で浮き彫りにした、評伝的ドキュメンタリーである。
福島に生まれ、福島を愛し続けた 古関裕而(本名、古関裕二)は、小学校のころよりピアノの伴奏をしたり作曲したりと、その音楽の才を発揮し、やむなく進んだ商業学校時代に貪欲にクラシック音楽の知識を吸収し、作曲の才能に磨きをかけるも、音楽家としての道は親の望むものではなかった。
銀行に就職しながらも、音楽への想いやみがたく、やがて曲を送った英国音楽協会より賞金を与えられ、それが大きく報道される。ファンとなった女性内山金子と大恋愛ののち、結婚し、上京する。山田耕作の後押しもあって、コロンビア専属の作曲家として、200円という当時としては破格の月給を得るも、ヒット曲には恵まれず、降給の憂き目にあった。しかし、「利根の舟唄」「船頭可愛いや」のヒット以降、確固たる地位を築き上げるようになる。
太平洋戦争が勃発すると、軍歌の分野でも、大きなヒットを飛ばし、その地位は不動のものとなる。とはいえ、軍の要請で、中国まや南方まで赴き、九死に一生を得るなど、波乱の時代を何とか生き延びたのだった。
戦後も、その戦中の仕事を咎められることは少なく、次々とヒット曲を飛ばし続け、さまざまな分野の多くの名曲を世に送り出し続け、その勢いは長年連れ添った恋女房である金子の死まで続くのであった。
多くの人びとが、時代の変わり目で淘汰され、表舞台から姿を消す中で、古関は、その勢いを失うことなく、日本の歌謡史に君臨し輝き続けた。その音楽は、勇壮でありながら、哀愁があり、どこか懐かしさの漂うものであり、それこそがまさに日本人の心性にマッチしたものであった。このことは、若い兵士たちに長調と短調二つのバージョンを作った「若鷲の歌」のいずれかを選ばせるか場面に端的に現れている。
「いま二曲を歌ってもらうから、いいと思う曲に手をあげろ」
波平は、はじめ長調、つぎに短調の曲を歌った。
「前の歌がいいと思うもの!」
隊長の声に、一〇人ほどの生徒が手をあげた。
「あとの曲がいいと思うもの!」
ふたたび隊長が問うと、こんどは生徒のほとんどがこぶしを高くあげた。
「よし、あとの曲に決める」
こうして生徒の意見により、短調のメロディーに決まった。そしてそれこそ、「哀調を帯びながらもまた勇ましく、しかも何ともいへず望郷の念をそそる音律」という、ヒットした古関軍歌の特色をすべて備えたものだった。
pp177-178
『古関裕而の昭和史』は、これまでの辻田の著作とは異なり、単に豊富な資料やデータによって古関の音楽家としての歴史的足跡を明らかにするだけでなく、古関の人生の物語をも同時に明らかにする。それは、音楽を通した将来の妻金子との熱愛ぶりや、命からがら逃げかえった戦地への慰問、さらには戦後のクレイジーな仕事ぶりの場面に現れている。
四月に入ると、ふたりは互いの恋愛感情を吐露した。金子が「私は貴方が好きです。私は大好きです。好きで好きで(原文は踊り字使用)たまらないのです」(三日)と書けば、裕而も負けずに「最も愛する(こんな文字を用ふるのをお許し下さい。この文字以外に、自分の胸中を表現する字は無いのです。)内山金子さん」(四日)と書く始末。
pp49-50
菊田一夫とコンビを組んだラジオドラマ「金の鳴る丘」では、菊田の台本が上がらないままに、古関が放送本番を即興演奏でつなぐこともあった。
あるとき、どうしても菊田の台本があがってこないことがあった。放送時間が近づいてくるので、古関は手ぶらで、ナレーターの巌金四郎とともにスタジオに入れられた。ハモンド・オルガンのまえで待っていると、紙が回ってきた。これまでのあらすじに、「音楽は中断せずにつづけて演奏」」と書いてあるだけだった。
これではなにがなんだかわからない。古関はやむなく、ナレーションを聞きながら、即興で演奏を行った。横目で副調整室をみると、菊田が夢中で原稿を書いている。とはいえ、その内容がわかるはずもなかった。
ナレーションを聞きながらとっさに音色を変え、演奏しながらレジストレーションを組み立てておく。そのスリ ルに胸が震えた。(『鐘よ鳴り響け』)
pp212-213
激動の昭和を生きるということの意味が、古関の生の活力が、どの場面からもひしひしと伝わってくるのである。
『古関裕而の昭和史』は、辻田真佐憲が伝記文学という新機軸へと一歩を踏み出した名著である。本書を読むだけで、数々の名曲とともに、日本の近現代史の知られざる裏面の数々が深く心の中に刻まれるだろう。
関連ページ: