JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略
信じるべきもの。
それは「本能」だ。
生き延びようとする、
静物としての「強い本能」だ。
誰かに縛られることなんてない。
現代人は、動物としての
「本能」が死んでいる。
「本能」が働かなければ、
誰かの犠牲になって終わるだけ。
さあ、今こそ本能を呼び覚ませ。
『ストロング本能 人生を後悔しない「自分だけのものさし」』(KADOKAWA)は、格闘家青木真也の人生哲学をまとめた本である。前著の『空気を読んではいけない』よりは格段にロジックに磨きがかかり、進化した一種の自己啓発書だが、その内容は多くの自己啓発書とは真逆の内容になっている。
それは単に、自己啓発書や意識高い系の人間が主張する、見境のないプラス思考の「これ絶対嘘じゃね?」と言う点に、しっかりと「それ、絶対嘘じゃん」とツッコミを入れる点ばかりではない。
多くの自己啓発書の特徴は、他者志向的であり、うまくいった自分と同じようにすれば、あなたも同じように成功するという共通のフォーマーットを持っている。しかし、これは嘘である。人間が、別の人間と同じことをやっても、その人にはなれないのだ。
必要なのは自分を基準とすること、それも自分の本能や身体を基準として生きることだ。
だが、どのようにして本能を呼び覚ませばよいのだろう。
恐怖心を覚えたりすれば、人は恐怖心を覚えないような強い心の持ち主になりたいと思う。だが、この考えは誤りだと、青木真也は言う。みな同じように、怖いし、恐怖心の中には、進歩の材料が隠れている。恐れている事態が起きないようにするためにはどうすればよいのか。一つずつ潰す中で強くなってゆくのだ。
実はメンタルは全員同じです。心がもともと強い人や弱い人がいるわけではない、というのが僕の考えです。人間であれば、誰でも傷つくし、誰でも動じます。
羞恥心も同じだ。みっともない試合をして、恥ずかしいと思わなくなったら、それ以上の進歩はない。人の目を気にするからこそ、
よいものが生まれる可能性もあるのだ。
しかし、僕はこうも思うわけです。
「人の目を気にすることができるからこそ、人の気持ちがわかるからこそ、いい企画やコンテンツ、作品などを生み出すことができる」と。
スランプに陥ると、人は何かを変えたがる。原因を変えることで、結果も変えることができると信じているのだ。だが、原因は実は他のところにあるとは考えない。安定した現在のスタイルで結果が出ない場合、あえて変えない方がよいと青木真也は言う。自分以外のところ、運に原因があることを考慮に入れないと、かえって自縄自縛になってしまうのだ。
大きく負けたときや調子が悪いときは、つい何かを大きく変えたくなりますし、まわりも「変えろ」と言ってきます。仕事でも、成果が出ないと、上から「やり方が間違ってるんじゃないか」と言われるようになります。
しかし、そこで「あえて変えない」という姿勢が実は大事なのです。
好きを仕事にすることのブームに対しても、好きなものは見つけようとしても見つかるものではなく、むしろやりたくないことをやっているうちに見つかるものだとする。憧れや洗脳で、人はなりたいものにはなることができず、知らず知らずのうちに、他のことができないためになっているものなのである。
この考え方は「無能無芸にしてこの道に通ず」という松尾芭蕉の考え方と同じものだろう。
世の中のプラス思考、意識高い系、憧れ商売といったものに対して、青木新也は徹底して警戒的である。
それらは、本能からかけ離れた次元に成立するものであり、多くの幻想、イリュージョンをともなっている。そうしたイリュージョンを取り除き、シンプルなやり方で、本能に近づいてゆく。猿はサプリを食うだろうか。食えるもの、毒以外なら何でも食うだろう。現地の人間が普通に飲み食いしているものを、水が悪いだの、清潔でないだのの理由で食わないのは甘えである。すべては慣れなのだ。
まして、インスタ映えに惑わされて、美味くもない食べ物を、美味いなどと盛ってはいけない。
運動も、10を20に変えようとするのは、身体や本能ではなく、頭から来た発想だ。毎日五分間運動するだけで身体は目覚める。そうやって10の力を保ち続けることの方がずっと重要である。
このように、『ストロング本能』では、単に格闘技に限らず、仕事一般や日常的な生活が、再検討される。
何が自分にとって内発的で、何が外からの教育や洗脳で、行われているのかのふるいにかけられるのだ。
有名であればよいのだろうか。いや、生活の邪魔になるような有名さなどクソくらえだ。
僕に「大義」はないし、大金持ちになろうとも思っていません。「このくらいでいいかな」というラインが自分の中にあるのです。
そして、有名にはなりたくありません。有名になることで失うものが大きいと感じるからです。
気軽に外を歩けなくなるとか、時間がなくなるとか、気軽に電車に乗れなくなるとか……そうしたかけがえのない日常と「トレード」してまで有名になりたくはないのです。
金はあればあるほどよいのだろうか。何十億、何百億という高額なギャラをもらい、負ければどん底まで転落するリスクを冒してまで、大金を手に入れようとするのは、無理があると思わないだろうか。
「稼げば稼ぐだけ幸せになれる」「有名になればなるだけ幸せになれる」というのは、単純に世の中の仕組みをわかっていないだけです。
文明化された健康法の数々も、スポーツの理論も、金も、知名度も、本能と身体の光のもとで、すべてが相対化される。
すべては、自らの身体に宿る本能、サバイバル能力に忠実にならんとするためだ。
『ストロング本能 人生を後悔しない「自分だけのものさし」』が説くのは、身体性のリアリズムの原理、野生の思考への回帰なのである。
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