つぶやきコミューン

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『漫画家読本vol.6 あだち充本』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略                     ver.1.1
 

 

あだち充ほど、作風の変化しない漫画家もいない。そう一般的には考えられている。同じような顔をした男女を主人公に、高校野球に代表される青春のドラマを、ラブコメテイストで、十年一日のごとくどころか、二十年、三十年にわたって描いてきた。『タッチ』から30年、それから30年後の明青学園を描いたのが『MIX』なのだから。

 

しかし、あだち充が広く認められる『陽当たり良好』や『みゆき』以前に、さまざまな漫画家の作風に似た数多くの作品があだち充によって生み出され、発表されてきたのであり、その道のりは決して単純なものではなかった。そこには自分の作風をつかみとるまでのあだち充の苦闘の跡がうかがわれる。いったん『少年サンデー』から要らない子だとされたあだち充が、いかにして『Mr.少年サンデー』となったのか。

 

『漫画家読本 vol.6 あだち充本』(小学館)は、兄勉ともども群馬の安達兄弟と呼ばれた時代の短編から、『タッチ』『ラフ』『H2』を経て『MIX』に至るまでのあだち充作品のすべてを、20時間にわたるロングインタビューで自ら語り尽くした、空前絶後のあだち充本である。

 

解説がほんの数行で終わる掌編もあれば、『タッチ』のように、十数ページにわたるものもある。そして、それと並行して収められるのが、それぞれの時期を担当した編集者が語るあだち作品の舞台裏である。たとえば、初期の原作付き漫画、少女漫画を担当した武井俊樹

 

 あだちの絵を見た瞬間、武居は思った。いや、決めた。

「こいつだよ。こいつが『サンデー』のエースになる!」

 ただ漫画を描かせようとすると、困ったことがあった。

「煙みたいなヤツで、しゃべらない。ちょっと、とっぽいアシスタントは、編集者が来たら売り込みに来た。『こんなの描いたんです』って。あだち君はアシスタント時代、ネームを見せないどころか、ずっと文庫本を読んでて、ひと言もしゃべらなかった。その後も、俺は担当者なのに、これを描きたいとか、これ見てくださいとか言われたことは一回もなかった(笑)」

 武居は「それなら」と、佐々木守、滝沢解、やまざき十三らを原作者につけ、あだちに読み切りを描かせ続けた。野球ものが多かったのには理由がある。

「『巨人の星』に対抗させようと。だって、エースにしようと思ってるんだから」

p19

 

基本的には同じ事実を語っているものの、あだち自身の見方と編集者の見方では、そのとらえ方に微妙な違いがある。そこから立体的に真実が立ち上がってくるのである。

 

これらの編集者の名前の多くは、実は『タッチ』の最終回に登場する甲子園の優勝皿の右側に並んでいる(中央に学校関係者の名前、左に上杉達也ら選手の名前がある)。あだちと編集者の絆の強さを物語るエピソードだ。

 

そして、そうした本人や編集者の解説とシンクロするように挿入される名作の名ページの数々。

 

あだち史上最高と言われた『ラフ』のラストシーンや、あだちが描きたくなかった『タッチ』のあのシーンなどの真髄が、当時の編集者のコメントとともにピックアップされるのである。

 

やはりそうだったのかと思うシーンもあれば、なるほどそんな意味があったのかという発見もある。

 

中でも、読者が一番知りたいと思うのは、上杉克也の死がいつ誰によって決まっていたかということだろう。

 

早い時期にあだち充はそう決めていた。それでなくては物語は進んでゆかないと。そして上杉克也の死は、編集者の申し送り事項になっていたが、編集部はなんとか克也を生かそうと画策し続けた。その修羅場がひしひしと伝わってくるのである。

 

   高校1年の夏、地区大会決勝戦の当日に和也が死ぬということは、早い段階から決めてました。

   担当編集以外、ほとんどの人間が反対でしたよ。でも、今さら引き返せない。この漫画はそこから始まると、最初から思ってたんで。p128

 

そして、編集部の意向を無視した編集者に課せられたのは、なんと読者の電話に出ることだったのだ。

 

異色の作品である『虹色とうがらし』のあだち本人にとっての重要な意味や、『KATSU!』であだちが直面した壁、そしてどんな場面でもそれをサポートし続けた編集者の気概など、知られざる作者の心の軌跡も鮮やかに浮かび上がってくるのである。

 

「虹色とうがらし」はピッチングフォームをガラリと変えて投げています。「ラフ」のまま投げていたらきっと肩を壊したし、セイン心的にも参っちゃったでしょう。このあとに「H2」という最長連載をやれる蓄積ができたのは、確実に「虹色とうがらし」があったからです。p162

 

さらに、喫茶店のイメージの原型となったのが、西武線中井駅前のある喫茶店だったというエピソードも心に残る。

 

(…)僕の漫画に出てくる喫茶店の雰囲気は、基本、「ダン」のイメージです。

 のちに「タッチ」の中で、ダンの前の中井駅の踏切を描きましたよ。p46

 

本書の冒頭を飾るのは、浅倉南や、若松みゆき、二ノ宮亜美、古賀春香、雨宮 、立花音美といったあだち作品のヒロインたちのカラーイラスト集だ。その多くは、水着だったり、入浴シーンだったりするが、編集者亀井修が「おまえには、持って生まれた線の綺麗さがある。おまえの絵はあまりに健康的だから、エロにならない!」と言ったあだちの画力を堪能することができる。またあだちの長年のファンである伊集院光、大泉洋、菊池亜希子との対談も、インタビューの間に挿入される。さらに巻末には、やはりカラーで「あだち充全オリジナル単行本 1975-2018」表紙のコレクションと「あだち充完全年表/全単行本・文庫目録」が収録されている。

 

あだち充ファンにとっては、あるいはファンというほどではなくとも、惰性的にあだち作品に接し続けてきた読者にとっても、これほど幸せな本はないだろう。ほんの数行、数ページの解説が、何十何百ページという作品の記憶を呼び起こす。そして、それは同時にその時代を生きた自分の記憶をも同時に呼び起こすかもしれない。喫茶店や食堂で読んだ少年サンデーの記憶、コンビニで立ち読みした少年サンデーの記憶、単行本の新刊を発売日に買った日の記憶、そしてブックオフで過去の作品を大人買いした日の記憶、さらにはテレビアニメや映画版アニメの視聴に至るまで、無限にふくれあがるあだち作品の記憶を思い出し続けることになるのだから。

 

そして、知るのはまだまだ読んでいないあだち作品が数多く存在するという事実だ。それら幻の作品をーたとえば川内康野範原作ああだち充画の『レインボーマン』を、私たちが目にすることがあるのだろうか。

 

『漫画家読本vol.6 あだち充本』は、私たちのあだち充体験を総括し、さらに向こうへと誘う史上最強のあだち充クロニクルである。

 

関連ページ:

あだち充『MIX 12』

あだち充『MIX 11』

あだち充『MIX 9』
あだち充『MIX 8』
あだち充『MIX 7』
あだち充『MIX 6』
あだち充『MIX 5』
あだち充『MIX 4』
あだち充『MIX 3』

 

ポール・ウェイド『プリズナートレーニング 圧倒的な強さを手に入れる究極の自重筋トレ』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略

 

 

ポール・ウェイド『プリズナートレーニング 圧倒的な強さを手に入れる究極の自重筋トレ』(CCCメディアハウス)は、バーベル、ダンベルや様々なマシン、プロテインなどに代表される筋トレの「近代」批判の書である。そして、キャリステニクス(Calithtenics) という自重トレーニングの集大成の本である。

 

キャリステニクスとは何か? 

 

キャリステニクスは、少なくとも19世紀から使われてきた英語だが、語源はとても古い。古代ギリシアの「美」を意味するkalosと「強さ」を意味するsthenosを組み合わせたものだ。p28

 

それは、「美容体操」や「徒手体操」など、さまざまに訳され、誤ったイメージを与えてきたが、本来のキャリステニクスは、古代ギリシアの時代以前より自重を利用した筋力トレーニングとして発達してきた。その最古の記録の一つは、ヘロドトスまで遡るものだと著者は言う。

 

 キャリステニクスのもっとも初期の記録のひとつに、歴史家ヘロドトスによるものがある。テルモピュライの戦い(紀元前480年)前夜の話だ。神の王クセルクセスが、レオニダス率いるスパルタ軍がいる谷に偵察隊を送った時のこと。戻ってきた偵察隊の報告がクセルクセスを驚かせることになる。スパルタの戦士たちがキャリステニクスで激しいトレーニングをしているという内容だったからだ。p29

 

自重トレーニングであるキャリステニクスで鍛えた300名の兵士は、ペルシア軍12万を、他のギリシア勢が合流するまで食い止め、後世までの語り草となった。

 

 ギリシア人には、キャリステニクスを使えば、体がもともと持っている潜在的な力が最大限に引き出されることがわかっていた。今日のボディビルダーのように醜くふくらませるのではなく、彼らが目指したのは、均整がとれた自然美だ。それを体そのものをウエイトにすることで実現していた。軽すぎもせず、重すぎもしないウエイトは、母なる自然が作り出す完璧な”抵抗”だ。ギリシア人はキャリステニクスが強さと運動能力だけでなく、優美な動作と、美しい体をもたらすことを理解していた。p30

 

しかし、キャリステニクスはやがてダンベルやバーベルなどを用いた近代的なトレーニングによって、とって代わられる。だが、それが伝承され、進化し続けた場所があった。監獄という、器具が手に入らない場所である。著者がキャリステニクスという技術と出会い、それによって自らの身体を鍛え上げ、それを集大成することとなったのも、まさにこの監獄においてであった。

 

 わたしの名はポール・ウェイド。悲しいことにわたしは鉄格子の後ろの人生について知っている。初めての犯罪。1979年のそれでサン・クエンティン州立刑務所に入り、その後の23年間のうちの19年間を、地獄のアルカトラズにとって代わったアンゴラ(別名ザ・ファーム)やマリオン(ザ・ヘルホール)など、アメリカでもっともタフな監獄の中で暮らしてきた。p21

 

弱肉強食の世界である監獄において、他の囚人の餌食にならない唯一の手段は、兵士、体操選手、武道家など周囲の様々なキャリアの持ち主より学びながら、短期間で屈強な身体をつくりあげることだった。いわば、キャリステニクスは、サバイバルの技術として習得され、練り上げられたものであった。

 

 その結果、6か月で大きな体とパワーをつくることができ、1年が経つと、ホールに集まる囚人の中で、もっとも身体能力がある一人になっていた。すべてキャリステニクスのおかげだった。キャリステニクスは監獄の外では死んでしまっていたが、監獄内では、世代を超えて受け継がれていた。監獄という環境でのみこの知識が生き残ったのは、トレーニングする上での選択肢が他にあまりないからだ。p23

 

キャリステニクスの技術を極限まで磨き上げ、身につけることができるなら、ボディビルダーやパワーリフターにも負けない強さを身につけることができると著者は一貫して主張する。しかし、プッシュアップ(腕立て伏せ)にしても、スクワット(膝の屈伸運動)にしても、いたずらに回数をこなすようなやり方ではそれは実現できない。重要なのは、持久力ではなく、強度であるからだ。そのため、著者がまとめ上げたキャリステニクスの総合メニューであるコンビクトコンディショニングでは、50回を上限として、負荷を段階的に高める仕組みとなっている。

 

コンビクトコンディショニングでは、ビッグ6と呼ばれる6種類の運動は、それぞれ10段階にわかれて、一段ずつステップアップする仕組みになっている。

 

ビッグ6とは何か。ザ・プッシュアップ(腕立て伏せ)、ザ・スクワット(膝の屈伸運動)、ザ・プルアップ(懸垂)、ザ・レッグレイズ(足上げによる腹筋運動)、ザ・ブリッジ(上体を後ろに反らし両腕と両足で支える)、ザ・ハンドスタンド・プッシュアップ(倒立腕立て伏せ)の6種類である。

 

特徴的なのは、誰でもメニューのスタートが可能なように、10段階の最初は非常に簡単な運動になっていることである。たとえば、ザ・プッシュアップでは、通常の腕立てであるフル・プッシュアップは10段階の5に位置し、それまではウォール・プッシュアップ(壁に向かっての腕立て)、インクライン・プッシュアップ(机に向かっての腕立て)、二―リング・プッシュアップ(膝をついての腕立て)、ハーフ・プッシュアップ(途中までの腕立て)と4つの負荷の低い運動が並んでいるので、初心者でも挫折を味わうことが少ない仕組みになっている。スクワットでも、通常のスクワットは10段階中の5段階、ザ・プルアップやザ・レッグレイズでも同様だ。

 

しかし、体重は体重を超える負荷をかけることはできない。それを補うのが、片手や片足での運動だ。ザ・プッシュアップでは、最後の10段階目がワンアームプッシュアップ(片手での腕立て)、ザ・スクワットでは10段階目にワンレッグ・スクワット(片足での屈伸運動)が来る。ザ・プルアップでは、9段階目が『ロッキー』の中でスタローンがやっていたアシステッド・ワン・アーム・プルアップ(もう一つの手で手首をつかんでの片手懸垂)で、10段階目がもう一方の手をそえない完全なワン・アーム・プルアップになる。さらに、最後を飾るザ・ハンドスタンド・プッシュアップでは、ハンドスタンド・プッシュアップ(両手による倒立腕立て)が5段階目で、10段階目にワンアーム・ハンドスタンド・プッシュアップ(片手による倒立腕立て)という常識外れの運動が来る(だが、一貫して壁から離れるレベルまで求められることはない)。

 

ビッグ6で、10段階目のマスターステップまで進むと『空手バカ一代』か、『プロレススーパースター列伝 タイガーマスク編』の世界、ブルース・リーの 截拳道(ジークンドー)の世界である。

 

しかし、一見超人的なステップである片手での腕立てや、懸垂、倒立腕立て、片足での屈伸運動なども、その前段階が細かく区切られているので、いきなり両手から片手にステップアップが求められるオール・オア・ナッシングの発想に陥らずに済む。たとえば倒立腕立てから、片手の倒立腕立てに至るまでに、クローズ・ハンドスタンド・プッシュアップ(腕の幅を狭める)、アンイーブン・ハンドスタンド・プッシュアップ(片手をバスケットボールにのせる)、ハーフ・ワンアーム・ハンドスタンド・プッシュアップ(半分だけ腕を曲げる)、レバー・ハンドスタンド・プッシュアップ(片手は前に出し床に触れる)の4段階があるので超人的な運動にもステップバイステップで肉迫できるのである(著者は、確実に前の段階をクリアした上で次に進むよう強調する)。

 

合理的なメソッドに従って、時間をかければ、誰でもゴールに到達できるというのが本書の売りなのだ。

 

それぞれの項目については一般的に行われている類似の運動の長短も述べられていて、参考になる。

 

CHAPTER5 ザ・プッシュアップの項では、手のひらを標準とし、拳を使うのは手首を痛めた人のみ、指先による腕立ては補助程度の位置づけ、それ以上指の数を減らすのは推奨しないスタンスをとっている。

 

 それではもの足りないと言う人もいるだろう。しかし、使う指を減らしたいという誘惑に乗ってはいけない。両手の指先を使ってステップを進み、そのまま指先だけのワンアーム・プッシュアップをマスターする。そのほうが安全だ。p69

 

CHAPTER6 ザ・スクワットの項では、バーベルスクワットの弊害について警告した後、ワンレッグ・スクワットに代えるメリットを訴えている。

 

 重いウエイトを背中の上部に置くと、脊柱にすさまじい圧力がかかる。脊椎を圧迫し、腰痛、筋肉の緊張、座骨神経痛、椎間板ヘルニアなどにつながっていく。p107

体を上下に動作させながらのワンレッグ・スクワットは、バランスを取るために、筋肉を協働的に動作させるエクササイズであり、バランス力を鍛える。ワンレッグ・スクワットは、機能的な脚をつくる上でもバーベル・スクワットにまさっている。自然に行うほとんどの動作(蹴る、何かにぴょんと跳び乗る、登るなど)には片脚になる瞬間が含まれている。そのため、外部荷重を使うバーベル・スクワットと比べて、片脚になるワンレッグ・スクワットは、はるかに自然に近い動作になり、セッション間の回復も速い。p108

 

CHAPTER9 ザ・ブリッジでは、「世界でもっとも大切な運動はブリッジ」とまで言い切っている。

 

 もし世界中でもっとも大切なエクササイズはなにかと問われたら、ブリッジだと答えるだろう。どんなエクササイズもブリッジには及ばない。p215

メッセージはシンプルだ。ブリッジは背中や腰の痛みをなくし、その人をより健康的に、より強く、より速く、より機敏にする。持久力も増やす。p220

 

本書の随所には、ジムでのバーベルやマシンを使ったトレーニングの問題点がこれでもかと指摘してあるので、ジム通いの人はうんざりするかもしれないが、最終的には著者もハイブリッドトレーニングを許容し、ウェイトリフターにとっても、キャリステニクスを行うメリットまで力説するに至るので、そのコンセプトを紹介しているPART1はとりあえずPART4のコンビクトコンディショニング以外をスキップして、(だが危険防止のために欠かすことができない)PART3 セルフコーチになるにはを読んでから、PART2のビッグ6実践編に移るのがよいだろう。
 

注意の基本は、必ずステップを経て段階的に進むこと、正しい姿勢で行うこと、弾みをつけないでゆっくり行うことの三つだ。

 

ビッグ6のうち、ザ・プルアップの最初の2つを除く8つの運動と、ザ・レッグレイズの後半5つの運動については、鉄棒のようにぶら下がる場所が必要だが、それ以外に関しては、どこでも可能で、しかもジムのようにお金がかからず、間違いなくトップアスリート並の筋力に近づけることができる方法であることは確かである。
 

腕立て、腹筋、スクワットに関しては、どのスポーツでも基礎トレーニングとして取り入れているところが多いが、懸垂や、倒立、ブリッジの三つはシンプルな割に、行われることが少ない運動だ。どんなスポーツに従事していようと、あるいはまったくスポーツから離れた生活を送っている人も、それぞれのニーズやレベルに合わせたトレーニングメニューを組む上で、大いに参考になる本である。

 

『プリズナートレーニング』は、どこでも、誰でも可能で、初心者からトップアスリートまで、信じられないほど幅広いレベルをカバーできる自重トレーニングのバイブルと言える名著である。

 

 Kindle版

 本書の構成:

まえがき

おことわり

PART1 準備

 CHAPTER1 イントロダクション

 CHAPTER2 いにしえのキャリステニクス

 CHAPTER3 監獄アスリートのマニフェスト

 CHAPTER4 コンビクト・コンディショニング

PART2 自重力で筋力をつくる

 CHAPTER5 ザ・プッシュアップ

 CHAPTER6 ザ・スクワット

 CHAPTER7 ザ・プルアップ

 CHAPTER8 ザ・レッグレイズ

 CHAPTER9 ザ・ブリッジ

 CHAPTER10 ザ・ハンドスタンド・プッシュアップ

PART3 セルフコーチになるには

 CHAPTER11 体を鍛える時の知恵

 CHAPTER12 ルーチン

謝辞

関根虎洸 『遊郭に泊まる』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略

 

 

60年前の赤線禁止令でこの世から姿を消し、金沢の茶屋街や、飛田新地でかろうじて生きながらえていると思われた遊郭。その遊郭に泊まるというのはどういうことだろうか。実は遊郭建築の中には、そのまま旅館へ転業し、今日まで往時の姿をとどめているものも少なくない。このような宿を、転業旅館という。

 

関根虎洸『遊郭に泊まる』(新潮社)は、北は青森から南や山口まで全国に点在するこのような転業旅館を巡り歩き、宿泊する中で、その内外の姿や歴史をまとめた一冊である。

 

本書では3年の間に訪ねた14か所の転業旅館と、番外編として、遊郭から転業した飲食店や中国に残る転業旅館など、計20か所の元遊郭を収録している。p8

 

かつては遊郭であったという建物の出自を封印することも多かったが、今日では建築愛好家や外国人観光客などの固定客も増え、1〜2ヶ月先まで予約が埋まるほど転業旅館は人気が高くなっているため、ここで紹介された宿は堂々と利用することができる。

 

中でも圧巻は、番外として紹介されている、国指定登録有形文化財の飛田新地「鯛よし百番」の、安土桃山風の絢爛豪華な外観と内装である。京都太秦の映画村の遊郭街がいかにもみすぼらしく見えてしまう。このような建物が今日もそのままの姿をとどめているのは、奇跡としか言いようがない。

 

テレビで何度か扱われた、伊勢市の「麻吉旅館」の懸崖造りの五階建ての建築も素晴らしい。大きな高低差ある石段を二つの建物ではさみながら、渡り廊下でつないでいる。必要以上に手の込んだ木造建築の細部の質感が圧倒的なのである。緑青屋根の破風が重厚な京都五条の「宿や平岩」や、「本家三友」も訪ねてみたい建物の一つだ。

 

遊郭建築が魅力的なのは、それがかつて栄えた時代の記憶をとどめ、想像力の中でその歴史を解凍することができるからである。そして街の成り立ちを知る有力な手がかりとなる。経済人類学者栗本慎一郎の「光の都市、闇の都市」の理論で語ったように、遊郭は寺社仏閣とともに、いわば一種の異界として、闇の都市の側に位置していた。そして、官庁や商業地のある光の都市との間には、しばしば境となる川や水路が存在したのである。

 

大谷川に面して立つ京都府八幡市の「多津美旅館」や、生駒山宝山寺参道の旅館、水路沿いにある山口県萩市の「芳和荘」などは、建物だけでなく、そのロケーションによって、多くのことを語らずにはおかないだろう。

 

一連の遊郭建築の概観が目に焼きつくと、歩きながら、街を読みとく感覚が鋭くなる。本書で紹介されたよりもずっと多く、旅館へと転業せず、住宅や飲食店などとして街中にひっそりと生きながらえているかつての赤線、青線の建物が、まだまだ存在するのである。

 

観光目的の旅行なら、いたずらに高級で豪華なホテルや、旅館よりも、それ自体が歴史的文化財であるような旅館の方がずっと面白い。本書は、旅に新たなスタイルを加える一冊でもある。

 

関連ページ:

井上理津子『さいごの色街 飛田』

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