JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略 ver.1,01
1つのシンプルな料理も、多くの要素からなっていて、ひとつの要素を変えるだけで、その味に大きな変化が生じる。完全にレシピ化して、量や時間を計れば別だが、通常目分量で作られる料理は毎回味が微妙に異なり、試行錯誤の連続である。
そんな試行錯誤を、思いつく限り行い、それぞれの料理の最適値を探りあてようとするのが、土屋敦の『男の〜道』シリーズである。『男のパスタ道』『男のハンバーグ道』に続き、この『男のチャーハン道』で第三作目にあたる。「男の」とあるが、経験と勘よりも、理論と実験にこだわるアプローチの特異性へのラベリングと理解したい。
パスタの種類をペペロンチーノに、具材をニンニクとトウガラシに限定した『男のパスタ道』同様、『男のチャーハン道』でも、チャーハンの具材は卵とネギに限定されている。それだけで、どう変化が可能かと思うのだが、実際には無限のバリエーションが可能である。
まずどのような鍋で調理するのか。中華鍋、フライパン、スキレットのどれがよいのか。サイズはどのくらいがベストなのか。
そして、火の強さは何度が適当なのか。
卵はいつ入れるのか、ご飯の前なのか、後なのか、それとも同時なのか。
卵は冷蔵のままなのか、常温なのか、温めるのか。
ご飯にはどんな米を使い、どのような状態で出すのか。炊き立てご飯なのか、冷ご飯なのか、それとも冷ご飯を温め直すのか、冷凍したご飯を解凍するのか。一度に何グラム入れるのが適当なのか。
油は何を使うのか。サラダ油なのか、胡麻油なのか、ラードなのか、さらにピーナッツ油やココナッツ油はどうなのか。
ネギはどのネギをどのように切ればよいのか。ワケギではダメなのか。そして、どのくらいの量を入れればよいのか。
著者の脳裏に呪縛となって浮かぶのは、『美味しんぼ』の、中華街の大物料理人周懐徳の娘と恋仲になった料理人王士秀が課題のチャーハンを作らされるシーンだ。
「はっ?チャーハンですか?」とキョトンとする王。一方、試験に立ち会った主人公の山岡士郎は「しまった!」と、なにか気にかかる様子。
できあがったチャーハンをひとくち食べた周は、「ふん、馬脚をあらわしたなっ」と王を罵倒する。
「全然パラッとしてない。ペタペタして食べられた物じゃない」
p5
それを見た山岡士郎は、代わりに再挑戦のチャンスを与えるよう頼んだ上で、王に諭すのである。
王は気が弱く、自信がない。そして、いまだ使用人根性が抜けていない。王の心にこそ、おいしいチャーハンが作れない原因があるのだと指摘する。
「あんたはこの強力な炎を御し切っていない、炎の主人になり切っていないんだ!」
p6
そこでは、強い火力とご飯を宙に舞わせる鍋使いが、美味いチャーハンを作る上での、至上の価値とされていた。だが、そもそも業務用のコンロの強い火力が、家庭用のコンロで可能なのか。そして、ご飯は宙を舞う必要があるのか。
めざす美味いチャーハンの条件として著者が掲げるのは、
・パラパラである
・アツアツである
・香りがいい
・油っぽくない
p94
の四条件をクリアすることだ。
そのプロセスで、アイデアとして浮かぶ油コーティング、卵コーティングの技術。さらには、秘技「鳥の巣卵」…その中で、ファイナルアンサーとして残るものは?さらに土壇場で、どんでん返しが生じる。その技術とは?
すべては、まるで犯人と完全犯罪のトリックを暴く探偵小説のように、あるいは隠された財宝を探す冒険小説のように進んでゆく。そして、その過程で、私たちは次第にさまざまな技術や知識を習得してゆく。それは単にチャーハンだけでなく他の料理にも応用可能な汎用性のあるものだ。
たとえば、なぜ油をひかない鍋は焦げつくのかの科学的説明。
金属と水は結合しやすい。油をひかない中華鍋に食材を入れると、まずは食材の抱える水分が鍋肌の鉄に結合してくっつく。この水分はタンパク質やデンプンなどと一緒に存在しているため、それらまで一緒に鉄に張りついてしまう。そして、このタンパク質やデンプンが焦げるのだ。p106
あるいは、なぜ卵を入れるとご飯が固まりにくいのか。
卵に含まれる水分子がご飯のデンプンを糊のように粘らせる前に、ご飯を外から包み込んだ卵のタンパク質が固まる。固まった卵に粘着力はないので、卵でコーティングされた飯粒同士は、再びくっつきあうことはない。p90
本を開き理想のチャーハンの条件を知るのが第一の冒険とすれば、読者にはさらに第二の冒険が厨房で待っている。そう、本書で学んだ様々な知識や技術を応用して、自分好みの上手いチャーハンを作るという冒険が。確かなことは、あなたのつくるチャーハンが確実に進化し、美味しくなるだろうということだ。
たかがチャーハン、されどチャーハン。『男のチャーハン道』は、男女を問わず、チャーハンの奥深さを教え、チャーハンの味覚の可能性を最大限広げてくれる最良の基本書である。
Kindle版
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