つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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pen 2018 3/1号 No.446 [生誕90周年 マンガの神様 手塚治虫の仕事。]

  文中敬称略

 

 

雑誌『pen 2018年 3/1号 No.446』では、[生誕90周年 マンガの神様 手塚治虫の仕事(クリエイション]と題し、24pから121pまで約100ページにわたる大特集、手塚治虫ファンだけでなく、マンガやアニメのディープなファンには垂涎の内容となっている。

 

 

基本的に手塚治虫のマンガの収録や、古い白黒写真を除いてすべてカラーなのである。

 

 

手塚作品の原点となった戦争とアメリカのアニメから始めて、手塚マンガの基本的な手法、漫画家や編集者の目から見た手塚作品の真骨頂、そして多くの作品の解説が次から次へと続く、

 

さらにいくつかの作品を取り上げ、SF作品、社会問題や不条理もの、変身ものといったテーマを掘り下げてゆく。

 

手塚治虫の場合には、コミックにとどまらずアニメの世界も、1960年の「西遊記」から始めて1987年の「森の伝説」に至るまで一つの歴史をなす。

 

さらに同業者や編集者、アニメーターなどの人間関係の紹介が行われる。

 

手塚の原点となっているのは、単に戦争やディズニーのアニメーションだけではない。藤子不二雄石ノ森章太郎らが集まったトキワ荘、幼い頃から歌劇に入り浸る一方で、昆虫の宝庫でもあった宝塚、人生の選択に迷った医学部など、手塚作品に不可欠な作品の源泉もクローズアップされるのだ。

 

51年には卒業を迎え、インターンを経て医師国家試験に合格。試験の前日ギリギリまでマンガを描いて、その晩から一夜漬けせ勉強して合格したという逸話もある。p62

 

100pの特集の中でも大きな地位を占めているのが、自伝的マンガの「がちゃぽい一代記」(pp65-108)。終戦直後の闇市の時代から、売れっ子漫画としての活躍、アニメの作成、渡米に至るまで、1970年に至るまで手塚の足跡がコンパクトにまとめた名作だ。

 

Kindle版の『紙の砦』にも収録されていてKindleの月替わりセールの対象になったこともあるので読んだ人も多いと思うが、雑誌と同じ大きさで読む「がちゃぽい一代記」はまったく別の味わいがある。別冊付録ということで、一応取り外しも可能になっている。

 

特に、都会の通りをキャラクターたちとともに歩く手塚の後姿は、いつまでも心に残る名シーンである。

 

そして、最後をしめくくるのが、長男の手塚眞や長女手塚るみ子ら手塚家のメンバーによる対談、横尾忠則など親しい人々の証言、そして新座に今も残る手塚治虫最後の仕事場の篠山紀信による撮り下ろし写真である。

 

中でも手塚眞の次の言葉は印象的だ。

 

最近まで早く亡くなったのは無茶をしすぎたせいなんだとずっと思っていた。でも、いま改めて思い返してみると、よくぞ60歳まで頑張ったなあって、……。あれだけの仕事をしていたら40歳で倒れてもおかしくはない。倒れないだけのエネルギーがあったんです。p113

 

改めて、作品の一つ一つを読んでゆけば、同じ気持ちにならずにはいられないのだ。

 

余りに広大な広がりを持った多作家であるために見失いがちな巨匠の輪郭を直感できるベストの一冊なのである。

 

 

畠山理仁『黙殺 報じられない”無頼系独立候補”たちの戦い』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略 ver.1.01

 

 

選挙に出馬するために同じ金額の供託金を払ったとしても、すべての候補者がマスメディアによって同じ扱いをされるわけではない。与野党を問わず政党や労組など、大きな後ろ立てのある候補者、タレントやスポーツ選手など知名度の高い候補者のみが、選択的にニュースで報じられ、他の候補者は「泡沫」としてただその氏名と顔写真が伝えられるのみである。

 

売れてなんぼの人気歌手のヒットチャートならそれもよいだろう。だが、税金を用いた公的な選挙においてそれが許されるのだろうか。何よりもおかしいのは、メディアが大きく伝えることによって、選挙の結果は大きく変わるのに、あたかもメディアに左右されない選挙結果があるかのように、新聞やテレビなど大手メディアは報じ続けることである。海外のメディアのように、形式的になってもよいから、法の下での平等、機会均均等を一貫すべきではないのか。

 

このような問題意識のもとで書かれたのが、フリーランスライター畠山理仁『黙殺 報じられない”無頼系独立候補”たちの戦い』(集英社)である。

 

冒頭を飾る候補者は、エキセントリックなパフォーマンスで定評のあるマック赤坂、本名戸並誠。その正体は、京大農学部卒、伊藤忠出身の起業家であり、レアアースでは年商50億をあげたこともあれば、東日本大震災で億単位の寄付をしたこともある。最初は真面目に普通の選挙演説を行ったが、結果は惨憺たるもの。何とか多くの人間に振り向いてもらおうと現在のパフォーマンス路線へとたどりついた。

 

マック赤坂の行くところ、つねに波乱あり。取材にあたる著者も油断は禁物だ。股間にバナナをあてて、10度20度30度とやるのはまだかわいいもので、気を緩めるとパンツを下して一物を露出しかねない。都庁前でのことだった。

 

マックは私の姿を見つけると、マイクを通して声はかけないものの、明らかに私のカメラを意識して踊った。

「参議院選挙に立候補しているマック赤坂です。政治家に隠しことはいけません。そして、私は隠すことは何もありません!」

  マックがカメラの方を向いたので、嫌な予感がした。

  そしてその予感はすぐに的中した。マックはこの言葉に続き、大きな声で叫びながら、勢いよくパンツの股間脇部分を斜めにぐいっと引っぱり、股間のものを出したのだ。p37

 

NHKの政見放送の収録でも同じ行為を行おうとしたが、プロデューサーが美人の女性だったために、実行できなかったという。

 

  マックはひどく後悔していた。途中までは本気で出すつもりだったのに土壇場でひるんでしまったことを。p33

 

マックのパフォーマンスを描く著者の筆致は冴え渡っている。前著『記者会見ゲリラ戦記』やtwitterなどで著者の文章は読み慣れていても、本書を開くまではこれほどまでに文章が上手い人とは思わなかった。本書の冒頭は、書店で立ち読みしていても、思わず唸り、レジまで持ってゆきたくなるほど魅力的である。

 

 男は今日も踊っていた。

 1日に300万人以上が利用する首都・東京のターミナル駅、渋谷。JR、京王、東急、東京メトロの4社9路線が乗り入れる駅前の広場には、誰もが知っている待ち合わせの名所・忠犬ハチ公像がある。多くの人が思い思いに誰かを待つこの場所で、男は今日も一人で踊っていた。

 男は特定の「誰か」を待っているわけではない。目の前を通り過ぎるすべての人の意識が、自分に集まるのを待っていた。男の両手には夜でも多くの人の目を引けるよう、工事現場の交通誘導員が使う赤い誘導灯が握られていた。

 おれを見ろ―――。

 誘導灯を振り回しながら踊る男の口角は、不自然なほど吊り上がっていた。傍目には笑っているようにも見える。しかし、通りすぎる人々を追いかける男の目は笑っていなかった。大きく見開かれた目は、必死に人々を追いかけ、強く叫んでいるように見えた。

p14

 

音声が全くないにもかかわらず、マック赤坂の存在感が鮮やかに浮かび上がる。卓越した表現力は、ちいさな表情の変化を逃さない鋭い観察眼に裏づけられている。


もちろん、取り上げられるのは マック赤坂だけではない。かつての労働大臣の山口敏夫や、サラ金に借金をして、都知事選への供託金を準備した関口安弘、立候補締め切りの午後5時0分に届けを出した内藤久遠、ステージ4の癌にもかかわらず出馬した金子博など、個性豊かな多くの候補者の様子が描かれる。理不尽さへの怒りも、燃え尽きることなき政治の情熱もマックと変わることはない。有力候補者と同じ行為を行いながらも、「泡沫候補」扱いされてしまい、票の数もなかなか伸びない。真面目に公約を訴えても、なかなか伝わらない。彼らの姿には、どこかしら哀愁が漂う。そして、その人間的な、あまりに人間的な姿に読者はつい微笑んでしまうのである。

 

 

著者畠山理仁は、フリーランスのライター。2010年には順調に扶桑社新書より『記者会見ゲリラ戦記』を出版、その後上杉隆を暫定代表とする自由報道協会に参加するが、上杉の代表辞任後、空中分解寸前の自由報道協会の残務処理を一身に引き受ける羽目となった。メルマガを出しても上杉ほどの読者数は得られず、資金的にも行き詰まる。その後数年間は単著の執筆もなく本の構成などの編集的な仕事や、さまざまなアルバイトを行うなど取材費の捻出にも苦労した。その一部は本文中にも書かれている。

 

  当時、私はライターの収入だけでは家族の生活が支えられず、アルバイトをするなどしてなんとか生活をやりくりしていた。金銭的に余裕がなかった私は、これ以上の調査を断念した。p172

 

どのような苦労をしようと、それが文章につながらなければライターとして意味はないが、畠山理仁の場合にはそれがよい形で文章に現れている。どこかで重なり合う著者と候補者の姿。こちらもゲリラなら、向こうもまたゲリラであり、無頼系独立候補の選挙活動の記録はまさにゲリラ戦記だ。『黙殺』の最大の魅力は、その共感力あふれる文章である。

 

特定の候補者への肩入れは、公正さを欠くゆえにできないという建前を貫こうとしながらも、忘れ物を選挙管理委員会に連絡したり、身寄りのない候補者について警察からの問い合わせの連絡を受けたりと、何かと世話をやく立場に置かれてしまう。非常識な候補者に迷惑をかけられながらも、付き合うことをやめず、忍耐強く取材を続ける著者のまなざしに温かいものを感じずにはいられないのだ。

 

ただ、個性豊かな人間像、小説より奇なりのドラマの連続という読み物としての面白さゆえに、これからどうすべきなのかという政治的な問題提起力が弱くなったようにも感じられる。選挙に関しては、有力候補とその他の候補で格差報道を行っている元凶の新聞社でさえ、本書に高評価の書評を載せてしまうところにこの国の自由さと同時に救いがたさもある。それによって新聞社の社説や、テレビ番組のキャスターが、ではわれわれだけでも、政党などの後ろ盾のある有力候補や著名人候補と「泡沫」と呼ばれてきた無名の候補を、徹底した公平さのもとで報じようではないかと宣言したり、記者クラブ全体に呼びかけたりような事態は、今のところ生じていない。

 

『黙殺』で開高健ノンフィクション賞を得た賞金も、著者はここ数年の取材のための借金の返済で消えてしまったという。『黙殺』は、メディアでも、書店でも大きく扱われるようになったが、理不尽な社会の仕組みに疑問を投げかけながら、読者に訴えかける中で少しずつ世の中を変えてゆく、そんなライター本来の役割を果たすことができるスタートラインに、畠山理仁はようやく立ったばかりなのである。

 

 Kindle版

 

千葉雅也『メイキング・オブ・勉強の哲学』PART3 (制作論としての『勉強の哲学』)

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略  ver.1.01

 

 

『勉強の哲学』と『メイキング・オブ・勉強の哲学』のあいだに

 

この1月に出版された千葉雅也『メイキング・オブ・勉強の哲学』(文藝春秋)は、先に電子書籍として発行された『メイキング・オブ・勉強の哲学』(文春e-book)に新たに「第四章 欠如のページをめくること」と巻末の「資料篇」を加えたいわば完全版です。

 

この二つが加わることで、単に『勉強の哲学』の注釈の域をはるかに超えて、別の世界へと踏み込んだチャレンジングな企画となりました。すなわち、勉強論の方法がそのまま論文や書物といった成果へとつながるような制作論です。

 

まず、『勉強の哲学』とはどのような内容だったのでしょうか。実は『勉強の哲学』の「結論」で6ページにわたるまとめがあるのですが、それでも長く全体が見渡すのは困難なので、さらに大ざっぱに第一章から第三章までのあらすじをまとめると次のようになります。

 

勉強とは変身自己破壊である。本物の勉強とは恐るべきものである。

 

勉強とは、日常とは異なる言語操作の体系をまるごと受け入れることなのだから。

 

勉強することによって、その場のノリに合わない、浮いた存在になる。

 

しかし、そのままでとどまるのではなく、さらに勉強することで、日常の世界と勉強の世界を自由に切り替え、行き来できるような存在となる。これが来たるべきバカである。

 

勉強を進める上で、二つの方法がある。ツッコミに相当するアイロニーと、ボケに相当するユーモアである

 

いずれの場合も、やりだすとキリがなくなる。しかし、どのような勉強もどこかでとりあえずの完成が必要である。

 

どこかでキリをつけなくてはならないのだ。

 

そのための有限化の技術が必要となってくる。根拠のないままに決着をつける決断主義は悪しき方法である。

 

決断主義に代わるベターな方法は、享楽的こだわりである。享楽的こだわりは個人の生活史の中で、出来事の影響と無意識の選択の結果生まれたものである。だから、自らの享楽的こだわりを発見するには、欲望年表が有効な手段となりうるのだ。

 

享楽的こだわりによって、有限化し、作業を完了させ、仮の結論を出す。しかし、そこで終わることはなく、また絶えず比較を続けながら、次の仮措定へと移行する終わりなき作業が勉強なのである。

 

『勉強の哲学』の実作過程である『メイキング・オブ・勉強の哲学』につながるのは、まず上の中の言語操作の部分です。『勉強の哲学』の「結論」では、「特定の環境における用法から解放され、別の用法を与え直す可能性に開かれた言語のあり方」を「器官なき言語」と呼びながら次のように要約しています。

 

 器官なき言語で遊ぶこと――――レゴ・ブロックのピースを組み合わせるように、言葉を自由に組み合わせる言葉遊びこそが、生の可能性を豊かに想像することだ。このような「玩具的な言語使用」こそが、あらゆる勉強において根本的である。

 深い勉強、ラディカル・ラーニングとは、ある環境に癒着していたこれまでの自分を、玩具的な言語使用の意識化によって自己破壊し、可能性の空間に身を置くことである。(『勉強の哲学』pp216-217)

 

そして、この「玩具的な言語使用」の具体的な方法が書かれたのが、四章の後半にまとめられた「ノート術 勉強のタイムライン」であり「書く技術 横断的に発想する」そして「アウトライナーと有限性」なのです。

 

「結論」では、これらのページが以下のように要約されています。

 

  勉強を継続する=生活のなかで勉強のタイムラインを維持する。そのために便利なのがノートアプリである。複数のノートブック(フォルダ)を作成し、複数の勉強を同時並行的に進め、それらのあいだで相乗効果が起きることを期待する。アプリを拠点にしていれば、しばらく勉強から離れたとしても、また戻ることができる。

 書く技術は、「書くことで考える」習慣によって向上することだろう。自由連想的に書いていくフリーライティングを勧めたい。そのためにはアウトライナーが便利だろう。アウトライナーでの箇条書きも、勉強の有限化である。思考を短く切り出し、仮固定で操作する。長く書こうとすると構えてしまうならば、仮固定の思考を積み重ねていく書き方を基本とするのがよい。(『勉強の哲学』p221)

 

『メイキング・オブ・勉強の哲学』への導線としては、この二つの部分を押さえておけば大丈夫でしょう。「資料編」の中におさめられたアウトライナーやツイッター、手書きのメモ類は、具体的にこの作業がどのようなものであるかを教えてくれます。

 

『メイキング・オブ・勉強の哲学』では、まず「第一章 なぜ勉強を語るか 駒場講演」『勉強の哲学』のコンセプトや成立事情がどのようなものであるかを駒場での講演の場で明らかにしています。「来たるべきバカ」の定義もよりわかりやすくなっています。

 

 アイロニーとユーモアの言語技術を自覚して、最終的には、そのギアを自由に入れたり入れなかったりできるようになる。場に応じて浮く/浮かないのスイッチング、複数のノリの行き来をできるようになること。それこそが、サブタイトルにある「来たるべきバカ」なのです。

(『メイキング・オブ・勉強の哲学』p23)

 

また「千葉雅也の欲望年表」という形で、千葉が接したり、影響を受けたりした文化的レイヤーを時系列で記述していることで自らの研究の素地を明らかにしています。

 

さらに「第二章 メイキング・オブ・勉強の哲学」では佐々木敦との対談の中で、ノートやアウトライナーを引用しながら、その作成のプロセスに解説を加えています。

 

まずはバラバラな思いつきを箇条書きにして、それを整理する。さらに自らツッコミを入れることで、問題点をより鮮明にさせながら、問いと答えの応酬の中で、変形させてゆく。明らかにされるのは、必ずしも当初の計画と本とは同じ結論ではなかったということです。特に、「享楽的こだわり」が導入される前には、決断主義が結論だったという部分は重要です。いったん伸びた枝を途中で切断し、別の枝を接木するプロセスが明らかにされるのです。

 

  実は、当初は「決断主義」だったんですよ。ところが最終的に、『勉強の哲学』では決断主義を批判することになりました。だから、考えの根本的なところが、語り下ろしの時点からは変わっているのです。

(『メイキング・オブ・勉強の哲学』p107)

 

「第三章 別のエコノミーへ」では、第一章で提示された「欲望年表」との関連づけで『勉強の哲学』の解説が行われます。『勉強の哲学』の原点が子供時代の遊びにあったとする冒頭の記述は、幼少時の工作や絵、自作したゲームがそのまま現在の建築や絵画の創作活動、さらには新政府の活動へとつながっているとする坂口恭平の『独立国家のつくりかた』を連想させます(さらに135pでは坂口恭平との類似性が言及されます)。千葉雅也もまた幼少時の欲望の対象であるモノのコレクション、さらにはモノの名前のコレクションがそのまま現在につながっていると語るのです。

 

 オリジナルのカードゲームにしても、友達も同じようなことをやっていて、お互いの作ったカードを交換し合ったりしていました。この話でのカードや王冠というのは、いわば仮想通貨、地域通貨みたいなものです。つまり僕らは小学校時代、別のエコノミーを、別の体系を作る遊びをずっとやっていた。いま、僕が自分なりの新たな概念を作り、それでもってひとつの哲学システムを構築することをしているのも、そうした遊びに遠くつながっているのかもしれません。

(『メイキング・オブ・勉強の哲学』pp131-132)

 

「欠如のページをめくること」

 

しかし、さらに重要なのは「第四章 欠如のページをめくること」で、これはサルトルの『存在と無』やモーリス・ブランショの批評を想起させる誘惑的な素晴らしい文章です。ここでは書くことの哲学的意味が考察されています。フリーライティングを勧めるのはなぜか、それは書くこと、言語化することによって、頭の中のカオスとなった状態を整理し、悩みに決着をつけるためなのです。

 

  カウンセリングでは人間=他者に話すわけですが、広い意味で言えば、ノートというのも自分にとって他者です。ノートに書くというのも、自分の思考にいくらか他者性を介入させることであり、僕はそれによってカウンセリングに似た効果を得ることができると考えています。(『メイキング・オブ・勉強の哲学』p142)

 

対象を理性的に考察するために必要なのは、距離です。著者は、ここでジジェクが『斜めから見る』で抽出したラカンの欠如の概念を導入しながら、欠如を介在させることで、対象に距離をとり、不安を解消させることを提案するのです。

 

 ラカンの精神分析理論によれば、人間にとって欠如とは悪いものではなく、むしろ欠如が維持されている状態が必要なのです。欠如があれば人は不安にはならない。人は対象に近づきすぎて不安になる。近づきすぎて、息苦しくなり、不安になる。(『メイキング・オブ・勉強の哲学』p143)

 

そして考えに距離を置くためのノートの空白こそが、その欠如であるとするのです。

 

  欠如があるということは、いま自分の置かれている状況の、さらにその先があることを意味しています。いま自分が置かれている状況であっぷあっぷなのではなくて、まだその先に余地がある。その余地に向けて、新たなことを継ぎ足したくなる。ラカン的にはそれが「欲望」なのです。(『メイキング・オブ・勉強の哲学』p144)

 

けれども、広大な空白が目の前に広がっているだけでは、これもまた不安につながります。そこで、A4の紙一枚に区切る必要がでてきます。

 

欠如がなくなれば、欲望もなくなる。だから、どのように欠如を維持するかが、勉強のユートピアである現代の課題ということになります。

 

  ノートを使ってみましょう。アウトライナーでアイデアを箇条書きにしてみましょう、というのは、欲望を広げるための手段の提示なのです。欲望が、区切られた空白のページをめくることによって延長されていく。 

 現代においては、現代社会と直結した接続過剰的なツールと、そこから逃れるためのツールを区別して使いこなすのがいいと考えています。

(『メイキング・オブ・勉強の哲学』p146)

 

さらに、第四章では単機能のディバイスである紙の本のすばらしさ、カードと占いの関係などが展開されています。一枚のカードをつくること、それは日常とは切り離された世界をつくりあげることです。そして、そのカードを操作することによって生まれる占いも、あらゆる創造的な行為と同様に、現実から切り離された余白、欠如の提示であり、それゆえ1枚の白紙同様、欲望し続けることを可能にするものであるというビジョンが、「制作論」の究極の言葉が最後に語られるのです。

 

 占いもまた、日々ノートに何かを書いてはページをめくること、アウトライナーの箇条書きを少しずつ増やすことと、本質的に同じ「製作」なのです。欲望し続けるために、欠如のページをめくる。それがノート術の本質でもあり、占いの本質でもあり、芸術の本質でもあるのです。(『メイキング・オブ・勉強の哲学』p154)

 

結論:享楽的こだわりの重要性について

 

『勉強の哲学』という本の隠れた面白さは、フーコーやドゥルース、デリダが他の哲学者や、他の時代の思想の研究から得た成果を、自己啓発書という擬態のもとに、言語による主体化の実践的な方法として提示し直したことです。とりわけ、「享楽的こだわり」の概念は、ポストモダン思想の核心とも言えるものです。つまり哲学という理性的、論理的な行為の下で起こっていることは、感性的、非理性的、無意識的な別の原理による陰の支配が存在するということ。たとえば、デリダの脱構築は、キーワードの多義性に注目しながら、論理の下に潜む「享楽的こだわり」を明らかにする行為とも言えるでしょう。「享楽的こだわり」は、別の言葉で表すなら、主体の内在的原理であり、個人における志向性の傾向、快感原則の傾向にほかなりません。

 

また、ツッコミ(アイロニー)とボケ(ユーモア)も、哲学の二つの流れということができるでしょう。たとえば、根拠を、根拠の根拠を問い続けたフッサールは、ツッコミの巨匠ですし、デリダの脱=構築も彼一流のツッコミ芸ということができます。逆に、各時代の有名無名の無数の文献まで踏破しながら、言語の規則性から、その時代の視座を語ろうとしたフーコーは究極のボケの巨匠ということができるでしょう。彼が『言葉と物』の序文で語ったボルヘスの支那の百科辞典の笑いとは、私たちの日常から遊離した言語のキモさからくる笑いであり、要するにフーコーの本音は「ボルヘスはん、おもろいボケかましてまんな、ほなわてもいっちょ古典主義時代をネタにしてボケかましてみまひょか」ということなのです。そして、ユーモアとアイロニーを語ったドゥルーズはというと、ボケとツッコミの双方に通じた二刀流の達人ということができます。エンドレスなツッコミに、ボケを掛け合わせて、有限化するという千葉雅也の手法自体、きわめてドゥルーズ的なのです。


学問という論理的な行為の下でも、無意識的、感性的、情念的な衝動が支配するのは回避できないとしたら、むしろ「享楽的こだわり」こそが私たちの文章を私たちのものとするものであるならば、それを積極的に技術として活用しようというコペルニクス的転換が、『勉強の哲学』の中には、存在します。

 

形式化された方法論をどんなに詳細に論じても、何かを主張する論文を生み出す方法はできあがりません。具体的な主題を選んで文章を書かせる力は、衝動は、つねに論理の外部からやってきます。何かを勉強し、何かを書きあげるモチベーションこそが、「享楽的こだわり」であり、それはアイロニーとユーモアが臨界点に達した時に、有限化の方法としてはじめて登場するどころか、主題の選択の瞬間からつねにすでにそこにあったと言うことができるのです。

 

「享楽的こだわり」を語ることによって、『勉強の哲学』は、血の通わない、骨組みだけの形式的方法論を超えて、読者がそれぞれに主体的に起源を見つけ、生成させ、カスタマイズ可能な方法へと進化したのです。

 

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