つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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手塚るみ子『定本 オサムシに伝えて』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略  ver.1.01

 

 

手塚るみ子『定本 オサムシに伝えて』(立東舎文庫)は、「マンガの神様」手塚治虫と手塚家の風景を、長女の視点から綴ったエッセイ集である。『オサムシに伝えて』は1994年に太田出版から刊行、2003年に光文社より文庫化、今回(2017年2月)の文庫化で三度目の出版となる。

 

虫プロが倒産するまでは当時のハイテク機器を備えた魔法の城のような豪邸に住んでいた日々の数々の想い出、週に何本もの締切をかかえなる超多忙な生活の中でも、手塚治虫がいかに家族サービスに徹しようとしたかその涙ぐましいまでの努力が語られる。また、「北風」と名乗る写真家で若い女の子にモテモテであった手塚の父親(著者の祖父)やビートルズを聞き、赤玉ポートワインを飲み、ピアノやギター、アコーデオンまで奏でる先進的な母親(同じく祖母)の人となりを知るにつけ、やはり普通ではない環境であったことを知るのである。

 

いくつものエピソードの中でも、特に印象に残るのは、家中に散乱した画材を使って、幼い著者が絵を描くエピソードだ。それはいつしか漫画へと進化してゆく。

 

 小学校に入って、私はますます絵を描くことの好きな子供になっていった。学校の自由帳にたくさんの絵を描きまくった。最初のうちは他愛もない落書きだったが、いつの間にかそこに物語をもたせるようになり、それが一枚の絵に納まらず二枚三枚と続きものになる。そのうちノートの各ページにわたって展開され、ついにはページに上下のコマ枠をつけて描くようになっていった。それはすでに、稚拙ながらも漫画の域に達するものだった。(「蛙の子は蛙」p23)

 

著者にアルバイトの相談を受けた手塚が自分の仕事場の掃除を依頼するエピソードも面白い。日々漫画を描く戦場の生々しい姿が、克明に描写され、シャーロックホームズのような怜悧な目で観察、分析される。

 

 父の仕事机が置かれたリビングは、原稿やら資料やら道具やらがところかまわず散乱していた。くしゃくしゃの書き損じた紙や鼻紙も落ちている。くず箱はそんなものでいっぱいだ。消しゴムのカスや折れたエンピツが机の隅に押しやられ山となり、食べかけのチョコレートやクッキーの缶がほっぽってある。そしてそれぞれの上には埃と塵が。机の横に置かれたステレオ、たぶん父は音楽を聴きながら仕事を進めるのだろうか、次々に棚から取り出されたレコードとジャケットが無造作に積み重ねられていた。

「ああ、なんだこれは」

 父の仕事の凄まじさを物語るような光景にゲンナリした。そしてここがそんな状態であるなら、いったい他の部屋はどうなのか、私は大きな不安で胸がズーンと重くなるのを感じた。(「初めてのアルバイト」p162)

 

さらに、ふだんは変なものばかりで外しっぱなしの手塚の家庭へのプレゼントの最大のヒットが、写楽呆介の歩くプラスチック製の人形であったこと。それも一体ではなく、次から次へと袋の中から出てくるのである。

 

「へえ、まだあるの?」

「うん、たくさん貰ったんだ」

 それから出てくるわ出てくるわ、全部で十五体ほどの写楽がテーブルの上に整列した。まるで玩具の行商のようだ。父は一個一個のゼンマイをすばやく巻き、「そーれ」とばかりに一斉に歩かせた。

ジャゴジャゴジャゴ。

 十五人の写楽たちはポケットに手を突っ込み、両肩を怒らせたつっぱり野郎のような格好で徒党を組んで前進した。なかなか壮観な光景だ。

「きゃあ、おもしろーい!」

「どうだ。すごいだろう!わははは!」

 私も妹も笑い転げたが、何よりも父が自分のしたことに自分ではしゃいでいた。

(「父のいる食卓」pp143-144)

 

多くのページは、手塚タッチで描かれたドタバタギャグマンガのように、小気味よいテンポで進んでゆき、つい手塚治虫ならこんな風に描いただろうなあというカットを想像してしまう。著者の文章には、同じストーリーテラーのセンスが宿っているのである。

 

ページをめくりながら輝かしい宝石のような手塚家の思い出を、読者は追体験し、とても幸福な想いに浸る。

 

しかし、著者が大人になり、男性と交際するあたりから、しだいに不安の影が入り込むようになる。

 

著者の男性との交際を反対する母親、それを面として咎めることなく黙認するような父親。娘は家を出て一人暮らしをしたいと考える。そんな矢先の手塚の入院。胃潰瘍だと伝えられたが、実は胃癌だった。

 

なんとか男性との交際を父親にはっきりと言葉にして認めてもらおうとする著者。だが、病状は悪化する。意識のない状態で、一人きり病院で付き添うことの恐怖。そして、エンドレスに続く呼吸器の音の中で悟る生命の尊さ。ここから先はもう涙なしで読めない。

 

「ああ、そうかぁ。息をするって、生きるための作業なんだ」

 すごく納得させられた。そしてなんだかドキドキしてきた。

 父は今こうして「生きよう」としている。それは自分の意志でしているのかしら。それとも父の本能なのかしら。どちらにしても、意識もない父でも最低限生きるシステムをこなしている。たったわずかなエネルギーで、ほんの最後のエネルギーで……。

 私は胸がぎゅうっと締めつけられた。父は寝ながらにして、なんだかすごい生命の営みを私に見せてくれているように思えて、たまらない気持ちになった。(「長い夜」p307)

 

日々悪化し、やせこけた姿になる手塚を前に、家族が、そして親戚も友人も、みんなが一丸となって手塚治虫の復活を応援しようとする。そして、それは死のその刻まで続いたのだった。

 

父親を心から愛しながらも、「手塚治虫の娘」として見られることを嫌い、それゆえに幼いころ大好きだった絵を描き続けることも、何十万円もの高い楽器を買ってもらいながら音楽の道も選ぶことがなかった著者が、父親の死を契機に何とかそのメッセージを広く世の中に伝えようと決心するところで、本書は終わってる。

 

 何ができるかわからない。それでも父の娘として生まれた自分の存在証明をしてみたかった。父を知りたい。父に触れたい。父に関わりたい。これが、無気力にしゃがみ込んでいた私の、藁をも掴むような生き方になった。一生かかるかもしれない。それでも私は、父の軌跡をたどりつつ、自分の生まれてきた意味や生きる価値を導き出していこうと思った。父が亡くなって、ようやく一年が経っての決意だった。(「オサムシに伝えて」p374)

 

それから二十数年、手塚るみ子の現在は今もその途上にある。

 

『定本 オサムシによろしく』は、二十三年経っても本書の内容はいささかも古びることなく、生ける手塚治虫の姿を鮮やかに蘇らせる。手塚治虫は最高の語り部を得たのである。

 

関連ページ:

田中圭一『ペンと箸 〜漫画家の好物〜』

書評 | 00:42 | comments(0) | - | - |
辻田真佐憲『文部省の研究 「理想の日本人」を求めた百五十年』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略

 

 

辻田真佐憲『文部省の研究 「理想の日本人」を求めた百五十年』(文春新書)は、文部省(2001年以降文部科学省)の百五十年の歴史を二百数十ページの新書に圧縮したきわめて情報密度の高い力作である。そこでのテーマは、文部省の方針の中に盛り込まれた「理想の日本人像」である。時代のニーズや内外のさまざまな圧力にさらされながら、「理想の日本人像」は常にグローバリズムとナショナリズムの間で揺れ動いていたことが明らかにされる。

 

辻田は、文部省の歴史を6つの時代に分け章立てし、それぞれの時代に要約的なテーマを与えている。その流れをおおまかにまとめると次のようになる。

 

第一章 文部省の誕生と理想の百科争鳴(1868〜1891年)

1869年に設置された大学校(翌年大学に改称)は最高学府と教育行政機関を兼ねていたが、国学派と儒学派、洋学派が対立していた。1871年の文部省の設置により洋学派が主流となる。この文部省の基礎を固めたのは佐賀藩出身の江藤新平と大木喬任であった。初めての教育法令である1972年の「学制前文」では、『学問のすすめ』などの影響もあり、牧歌的に個人の独立が国家の富強に結びつけられ、1879年の「教育令」も同様だったが、同年に出された「教学聖旨」は儒学派からの反撃であり、1880年には「改正教育令」が出され、自由主義から干渉主義への転換がはかられた。1890年に「教育勅語」が出され、自由主義でも干渉主義でもない「第三の道」が模索されることになる。

 

第二章 転落する文部省 動揺する「教育勅語」(1892〜1926年)

1890年に発布された「教育勅語」は、上からの国体主義によって、近代化途上の国家にふさわしい「理想の日本人像」を示すものであったが、あくまで弱小国の日本に合わせたものであったため、国力が増すにつれ「古すぎる」との批判にさらされることになる。また、勅令主義と内務省への隷属によりしだいに文部省は弱体化する。日清戦争のころ世界主義を唱えた西園寺君望の考えは広く受け入れられるものではなかったが、当時の第一次国定教科書はかなり開明的でリベラルであった。日露戦争後「忠君愛国」を説く国家主義への転換がはかられ、1910年の第二期国定教科書にも反映される。第一次世界大戦後、高等教育が拡充し、大正デモクラシーや普通選挙運動が花開く一方で、関東大震災や内外の動乱もあり、1923年の「国民生活作興詔書」は一層国家主義の色彩を強める。ただ、第三期国定教科書は、国家主義一辺倒ではなく、国際主義のニーズも反映しながら、多方面の意見をくんだものであった。

 

第三章 思想官庁の反撃と蹉跌(1926〜1945年)

大正から昭和に時代が変わると、文部省は思想的、経済的な国難に対応する「思想官庁」としての役割が求められ、組織はめまぐるしく変化することになる。1929年には「教化総動員運動」が開始され、1931年には国民精神文化研究所が設置、「国体主義」「日本精神」を推進するイデオロギーの牙城となる。1933年より使用された第四期の国定教科書は第二期以上に「忠君愛国」の傾向を深めることになる。1935年の天皇機関説事件を機に、一気に異端思想に対する取り締まりが強化されてゆく。「天皇に無条件で奉仕する臣民」を、この時代の「理想の日本人像」としたのが、1937年の『国体の本義』だが、それは国民だけでなく、文部省自身をも縛るものだった。1939年には「青少年学徒ニ賜リタル勅語」、1940年には『臣民の道』が出され、普遍主義が否定され、共同体主義が称揚される。1941年より国家主義一辺倒の第五期国定教科書が使用開始となるが、戦局の悪化にともない、文部省も縮小を余儀なくされ、1945年の敗戦を迎えるのである

 

第四章 文部省の独立と高すぎた理想(1945〜1956年)

GHQは軍国主義のみならず修身・歴史教育の排除を指示してきたが、文部省は面従腹背しながらも戦前よりの懸案となっていた教育改革に着手しようとしていた。GHQは新しい「教育勅語」を構想したが、実現には至らなかった。1946年には天皇の「人間宣言」が出されるが、それは天皇の神格を否定すると同時に敗戦後の国民に指針を示すものであった。GHQの肝入りで、1947年の「教育基本法」「学校教育法」の発布、「学習指導要領」の公表、「教育委員会法」の発布など、数々の教育改革が進められる。「教育基本法」では、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間」としての理想の日本人像が提示され、「教育勅語」に置き換わった。しかし、東西冷戦時代の始まりとともに、戦後教育の転換が始まる。同時に、それは日教組との対決の歴史でもあった。それを積極的に推し進めたのが第五次吉田内閣の文部大臣大達茂雄であり、大達の剛腕により文部省はサービス官庁から監督官庁へとカムバックを果たす。1955年に自由民主党が発足、いわゆる「五五年体制」のもと、文部省は中央集権的な機能を取り戻すことになる。

 

第五章 企業戦士育成の光と影(1956〜1990年)

日本が高度成長期に入ると、文部省は文教族や経済界との関係を深めるようになる。勤務評定の実施や道徳の特設、学力テストの実施などにより、日教組に対し優位に立ったが、これは多分に日教組の自滅の面もあった。この時期の理想の日本人を示す中教審の「期待される人間像」の中には「職業の尊さを知り、勤労の徳を身に付けた社会人」の項が盛り込まれる。空前の盛り上がりを見せた安保紛争と大学紛争もやがて沈静化し、学生運動の闘士は企業戦士へと鞍替えし、理想の日本人像は達成されたのだった。1970年代後半から80年代にかけては、高校・大学の進学率も急上昇し、文部省も「ゆとり教育」へと向かう一方で、国歌国旗問題や教科書問題が争点となる。1983年の中曽根内閣による臨教審の設置は文部省に危機感をもたらす。そこでの理想の日本人像は、日本人としての枠をはめられた上での、個性や創造性の重視であった。文部省は日教組との戦いには勝利したものの、これ以降自由化を求める民間勢力と対峙を迫られることになる。

 

第六章 グローバリズムとナショナリズムの狭間で(1991〜2017年)

1990年以降、ソ連崩壊、バブル崩壊、自民党の下野と激変する世の中で、日本の教育はグローバリズムとナショナリズムの間をさまようようになる。「国歌国旗法」は本来の意図とは別の統制的な方向に向かい、2000年の「教育改革国民会議」の方向性と「ゆとり教育」の実施は、エリートへの資源の集中投下を意味し、国民の間に分断を生むものだった。2001年には省庁再編で、文部科学省が誕生、2006年に始まる教育再生会議では「ゆとり教育」が見直される。同年の教育基本法でも普遍的な価値に加え、「伝統」などの共同体的価値の強調された。それ以降2009年の民主党政権下でも、第二次安倍内閣下でも、ナショナリズムへの対応とグローバリズムへの対応の双方はつねに求められ続けているのである。

 

過去の歴史を扱いながらも、本書の内容はきわめてビビッドで、時事的な話題に直結する、本書の面白さは三つの点に要約される。

1)明治期の文部省の開設以来、言葉こそ変えながらも、グローバリズムとナショナリズムの二曲という現在とも共通した同じテーマの間の逡巡を繰り返している。

2)文部省自体の内的な論理によってではなく、内外の諸勢力の圧力・要請によって、その時期ごとに最適解が決定されるため、文部省の方向性は、そのまま時代の意識やニーズをダイレクトに反映している。

3)私たち自身がどのような教育を受け、育ったかという時代背景も明らかになり、自分の意識自体を客観視し、相対化する座標軸を設定することが可能になる。

 

さらに著者の『日本の軍歌 国民的音楽の歴史』『ふしぎな君が代』『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』といった明治以降の日本を扱った歴史的著作の背景を説明するだけでなく、それらを相互に結びつけ、補完し合う働きさえするものと言えよう。本書を読めば、『教育勅語』をめぐる今日の議論もまったく新しい光のもとで見ることができるであろうし、過去繰り返された多くの議論を踏まえた上で、実装可能な新しい教育方針を模索することも可能になるだろう。

 

『文部省の研究』は、いったん私たちを取り巻く社会状況から距離を置き、歴史の俯瞰的視座のもとで日本の教育を透視することを可能にする良書である。

 

関連ページ:

『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』
『たのしいプロパガンダ』
『ふしぎな君が代』
『日本の軍歌 国民的音楽の歴史』

書評 | 18:52 | comments(0) | - | - |
新川直司『さよなら私のクラマー』1〜3

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Kindle版

 

新川直司『さよなら私のクラマー』は、埼玉県の高校を舞台とした女子サッカー漫画。中学時代の恩田希(のぞみ)を主人公にした新川の前作『さよならフットボール』の後日談にあたる。

 

中学時代女子サッカーでライバル関係にあった周防(すおう)すみれ曽志崎緑。突出した才能が周囲の力不足で埋もれるのを見た緑はいつかすみれと同じチームでプレイしたいと思っていた。二人で見に行った蕨青南と浦和邦成の試合で、孤軍奮闘している蕨青南の田勢を見て、緑に「あの人あんたに似てるわ」と言われたすみれはその言葉がきっかけで蕨青南に、そして緑も浦和邦成への誘いを振りきり蕨青南に進学したのだった。

 

すみれがいる以外外れくじかと思われた蕨青南には、一年生ながらシザースなど高度なテクニックを実戦で使いこなす恩田希がいた。中学時代、男子に交じって練習していたため、女子サッカーの世界では恩田は無名だったのだ。

 

さらにコーチとして、蕨青南の卒業生で、日本女子サッカー界のレジェンドとされる能見奈緒子が加わることで、弱小チームにすぎなかった蕨青南は大きく変貌をとげてゆくのだった。

 

その能見が最初の練習相手に選んだのはなんと高校女子サッカー日本一の久乃木学園だった。はたして、緑、すみれ、希のプレイは彼らに通じるのか?

 

弱小チームが二三人のスタープレイヤーが加わることによりケミストリーが生じ、次第に強豪校へと変わってゆくというスポ根ものの鉄板の設定に加え、それまでのチームメイトが敵味方に分かれたり、逆にライバルがチームメイトとしてプレイするという女同士の仁義なき戦いは、読者の心を思わずかきたてずにはおかない。

 

第1巻が新チームの結成と久乃木学園との練習試合までを描き、第二巻ではユニフォームの自腹で新調するため、フットサルの試合に賞金稼ぎに出たり、男子との合同練習を実現をはかろうとする。人数不足を補うために、久乃木学園のエースプレーヤー佃真央井藤春名と合流し、ゴールデンチームを結成するという萌え萌え展開のおまけつきだ。そして第三巻では、埼玉県での予選での蕨青南の奮戦ぶりを描く。はたして蕨青南は、昨年の優勝チーム、浦和邦成との対戦にまでこぎつけることができるのか。浦和邦成には、緑の先輩で中学時代のチームメイト、チカこと桐島千花がいるのだった。

 

前作の『さよならフットボール』と比べると、女子選手の数が少なく目立つ『さよならフットボール』の方が、女子選手を、ユニフォーム姿、制服姿とも格好良く理想化して描いてあり、江口寿史を思わせる見事なカットも多かった。多くの女子が登場する『さよならクラマー』は、女子選手を格好よく描くより、より生活に密着してそれぞれの個性を描き分けようとしている。羽海野チカ風に、シリアスなタッチとギャグタッチを交互に使い分けるのは新川の最近の作風だが、ギャグタッチの絵の混入率も、若干アップしている感じで、中学時代の恩田希の方が凛としてスタイリッシュだった点はちょっと残念な部分だ。

 

2巻ものの『さよならフットボール』は、フィジカル面で成長著しい男子の中に一人女子が混じってプレイするというハンディ克服ドラマゆえの密度の高さがあったが、『さよなら私のクラマー』はトーナメントを勝ち上がる長丁場の長編もののせいか、比較的ゆったりとした展開で、ボルテージが上がるのはこれからだ。どこまで、これからテンションが高まるのか、対浦和邦成戦の火蓋が切って落とされる第4巻が楽しみだ。

 

関連ページ:

新川直司『四月は君の嘘』1〜11

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