つぶやきコミューン

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三浦瑠麗『「トランプ時代」の新世界秩序』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略

 

 

トランプ政権の誕生は、ヒラリー・クリントンの勝利を当然のことと考えていたアメリカのメディアの多く、そして日本のメディアにも大きな衝撃を与えた。けれども、それらはアメリカ国民の置かれている実態からは大きく遊離した認識の産物であり、この結果は当然予想できたことであった。国際政治学者三浦瑠麗『「トランプ時代」の新世界秩序』(潮新書)は、このような立場からの、トランプの政権の誕生の背景とその実態を分析し、そして今後の世界の変化を予測した著作である。

 

トランプ政権がなぜ誕生したのか。政策論争ではなく人格攻撃に終始したヒラリー陣営の選挙対策の誤り、トランプ陣営のSNSを含めたメディア対策の巧みさも当然あるだろうが、端的に言えば、アメリカのシステム、民主党・共和党を含めた従来のアメリカの政治制度が機能不全に陥ってしまい、貧困化する国民の多くの意識から懸け離れた、エスタブリッシュメントの利害によって決定されるようになったためである。美しい民主主義の建前を謳う民主党は、LGBTの人権に対しては意欲的に制度変更に取り組んでも、ここ数十年わだかっている黒人差別の実態が改善されることはなく、警官によって簡単に黒人が射殺される事態が続いている。

 

  思えば、ニューヨークでデモのマイクを長いこと握って、時に怒りで舌がもつれるほど激高していた黒人青年は、こんなことを私に言っていました。「黒人たちは四〇〇年間戦ってきた。LGBTを見てみろ。彼らはたったの四年間で同性婚を認めてもらったんだ。でも俺たちはほとんど変わらないところに立っている。」p58

 

分断が生じたのは、民主党支持者と共和党支持者の間にではなく、ヒラリー・クリントンや、クルーズ、ルビオなど他の大統領候補たちと、トランプ支持者やサンダース支持者の間に生じた分断なのである。

 

そうした分断に対して、鈍感であり続けたアメリカのメディアも、それを追随する日本のメディアもこの大きな変化を予測することができなかったのである。

 

 トランプ氏のやり方は、アメリカ政治の分断の本質をリベラルな政治的言説と、保守的な政治的言説に求める発想です。分断しているのは言説であって、政策ではないと。右派的な言説によって、中道の経済政策を売り込む余地があるのではないかということです。p120

 

トランプ政権がもたらす最大の変化は、パックスアメリカーナ、アメリカの帝国支配からの撤退である。つまり、アメリカは「世界の警察官」であることをやめ、「普通の大国」となるということ。それは短期的にはアメリカ経済に繁栄をもたらすことであろう。だが、同時に中国やロシア、中東の様々な勢力に対する歯止めが失われ、世界情勢のさらなる不安定化を招くことも意味する。トランプのアメリカ第一主義は、アメリカの国益の再定義であり、これまでアメリカが堅持してきた従来の勢力均衡の考えそのものを放棄するものであるからだ。

 

このような時代の変化に日本はどのように対応すべきかといった点まで本書は踏み込んでいる。

 

また、従来指摘されてきたサブプライム・ローンに加え、「小さな政府」へと舵をとる共和党の政策転換であるギングリッチ革命や「二〇年間の変化(1995-2015)」などトランプ現象の背景もとりあげ、考える材料を多く提供してくれる本である。

 

  それは、公民権運動以来のアメリカ政治のリベラル化が、連邦政府によって主導されたことに対する拒否反応でした。「連邦政府はリベラルであり、すなわち敵である」という発想から「小さな政府」が求められたのです。それは、グローバリゼーションにより白人中産階級の相対的な地位低下が密かに進行している中で起きました。p112

 

特に、なぜFBIがあのようなタイミング(2016年10月28日)で、ヒラリーに対する捜査を再開したのか、そこまでトランプの息がかかっていたのか疑問に思っていたが、その疑問も氷解した。

 

メール問題を徹底的に追及せず、「ヒラリー候補を擁護した」とみなされれば、トランプ氏が大統領になった暁に、FBIの組織そのものが捜査の対象となります。そうなれば、幹部は粛清の対象となり、FBIの組織そのものが潰されるかもしれないわけです。

  ヒラリー氏の捜査再開は「FBIの組織防衛のロジック(論理)で行われた」と見るべきと思っています。p90

 

大筋の部分で、著者の予測の多くは的中し、一層その主張が裏付けられた部分も多いが、同時に政権誕生以来の出来事によって、予測できなかった事態も多く生じている。その多くは、トランプの政治的な人材不足、経験不足から来るもののように思われる。ゼロベースで、政治・経済・外交をやり直すには、登用可能な優秀な人材も、ノウハウの蓄積も少なすぎるために、大統領直接の交渉ではブラッフの効果があるものの、事務レベルになると主として無知による多くの譲歩を行ってしまい、それが世界の不安定要素につながるのではないかということである。

 

こうしたトランプの大統領就任以降の変化を踏まえた上での、メディアで引く手あまたな著者の今後の発言からも目を離せない。

 

大今良時『不滅のあなたへ 1』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略

 

 

それは地球上の存在ではない。

それは宇宙からやってきた。

それは決まった形を持たない。

それは遭遇したものの形を模倣する。

傷ついたもののかたちを模倣するとき、それは死んでしまうが、じきに再生する。

それはあるものから別のものへとかたちを変える。

それは無生物から生物へとかたちを変え、動物から人間へと姿を変えることもできる。

けれども、いきなり人間のように行動はできない。

もともと別の生命であって、人間のたましいを持たないからだ。

それは記憶を持っていて、必要に応じ以前のかたちに戻ることもできる。

それは学習能力を持っていて、徐々にかたちを似せたものの能力を獲得することができる。

 

そんな風にして、何かに似せたそれは一体何なのか?

そんな風にして、人間そっくりになったそれは人間なのか、そうでないのか?

 

『聲の形』の大今良時の新作『不滅のあなたへ』はそんな得体のしれない存在を主人公としている。

 

それははじめ球だった。

ただの球ではない

ありとあらゆるものの姿を写しとり 変化することができる

私は”それ”をこの地に投げ入れ 観察することにした

 

こんな風にして『不滅のあなたへ』は始まる。この”私”は一体何なのか。神なのか、宇宙人なのか、それ以上の説明はない。

 

それはしばらく石の姿になってすごした

暖かくなると今度はコケを写しとった

やがてこの地に雪が降り始めた一匹のレッシオオカミが南方から現れ

力尽きるとーーーー

それはオオカミの姿となった

 

これが、ほとんど神話のような物語の始まりである。

 

それはジョアンと呼ばれる。かつて飼っていた少年のもとに帰るといつのまにか姿を似せたオオカミになりすまし続けることになる。

 

少年は、一人ぼっちだ。かつてこの場所に大勢の人がいたが、どこかへと旅立ってしまった。少年は、ジョアンと呼ばれるそれとともに彼らの跡をたどろうとする。しかし、その旅路の途中で、少年を悲劇が襲う。

 

はじめての仲間を失ったそれは、少年に姿を変え、それの冒険が始まる。

 

おおよそかつて見たことのない物語。不死の生命体の変身譚。はたしてそれは変身したものの世界に溶け込むことができるのか。

それとも、排除され、恐れられる敵となってしまうのか。

それは人とコミュニケーションが可能なのか。

そして、それに居場所は、安住の地は与えられるのか。

今後、いかなる冒険をそれは行い、そしてその結果としていかなる進化をとげることになるのか。

 

もしかすると、手塚治虫の『火の鳥』のような壮大なスケールの傑作となるのか。そんな期待をさえかきたててやまないのが、『聲の形』で行った問いを、さらに種を超えて、より根源的なかたちで問いかけようとする『不滅のあなたへ』なのである。

 

恩田陸『蜜蜂と遠雷』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略

 

 

第156回直木賞受賞作恩田陸『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)は、ピアノコンクールを舞台にした青春群像である。

 

物語の台風の目となるのが、風間塵。まだ十六歳のあどけなさを残す少年だが、海外の巨匠のお墨付きの途方もない音楽性を持った「天才」として紹介される。さらに、彼の家は養蜂業を営んでおり、家にはピアノを持っていないといった噂が都市伝説のように広がってゆく。

 

けれども、風間塵の存在は、あくまでコンテスタントの中の主要人物の一人として、他の若手ピアニストと同等に扱われる。誰が主人公という風に重点化されることはないのである。

 

その中でも、ヒロイン的存在が、栄伝亜夜、天才少女として華々しくデビューし、内外のコンテストを制覇、さらにオーケストラとの共演まで重ねたアイドルでありながら、身内の不幸もあって13歳にして突然ピアノが弾けなくなり、表舞台から消えていたが、二十歳の今、このコンクールに再起を賭けようとする。

 

他方、成熟したピアニストとして現れるのが、父親がフランス人、母親がペルーの日系三世で、ジュリアード音楽院に学ぶマサル・カルロス・レヴィ・アナトール。完璧な演奏技術だけでなく、さまざまな楽器もたしなみ、総合的な音楽性も抜群のスターである。だが、亜夜とは浅からぬ因縁があった。

 

こうした華々しい人間とのコントラストを浮き立たせるように、コンクールの年齢制限ぎりぎりで、妻子持ち28歳のサラリーマンピアニスト高島明石も登場する。何曲を弾きこなすのに、「天才」たちの何倍も練習しなくてはいけない人間なりの苦悩や望みを彼は体現するのである。

 

さらに、コンクールの審査を務める指導者世代のピアニスト嵯峨三枝子ナサニエル・シルヴァーバーグや、それを伝えようとするメディアの人間仁科雅美といった人々を加え、実は十名程度の主要人物のやりとりや心情描写によって、この『蜜蜂と遠雷』は織りなされてゆくのである。

 

舞台となるのは、芳ヶ江国際ピアノコンクール。芳ヶ江は、海辺の都市、企業城下町であり、楽器の町、鰻が名物であるからおそらくは浜松あたりをモデルにした架空の都市であろう。小説世界を現実から引き離し設定の自由度を高めたり、モデル問題で要らぬ詮索を回避するために、架空の都市、架空のコンクールにしたのであろう。

 

物語は、一次予選、二次予選、三次予選、本選という形で進んでゆく。そのたびにコンテスタントはふるいにかけられる。四人のピアニストが均等に扱われるのは、その選考過程で、誰が勝ち残るかとの予想をつきにくくするためでもある。当然、選に漏れるピアニストも出てくるであろう。明暗が分かれる。そのためには、最初から特定のピアニスト中心に展開するわけにはゆかないのだ。

 

正直言うと、一次予選のころの演奏の描写は、形容詞による評価中心で、物足りなく感じてしまう。けれども、読み進めるにしたがってそれが、意識的に抑制し、セーブされたものであることがわかってくる。中盤に出てくる、宮沢賢治の詩をモチーフにしたオリジナルな課題曲『修羅と春』あたりから個々の音楽の内部にふみこんだ濃厚な描写がほとばしるようになり、三次予選、本選では爆発的なクライマックスを迎えることになる。    

 

そのプロセスにおいて、しだいに表に出てくるのは、誰が何位となるかといった勝負ではなく、むしろ演奏者間の相互作用、ケミストリーである。型破りな風間塵という少年が、二酸化マンガンのような触媒となって、他のピアニストたちの内面へと働きかけ、彼等を一層自由にし、進化させてゆくのである。そこでの主眼は、まさにコミュニケーションとしての音楽である。

 

しかし、風間塵は、コンクールの枠にはまらない存在であり、規定違反をおかすときが出てくるかもしれない。

 

そのとき、審査員たちはどう彼を扱うのか、まさにその度量が、はかられる。

 

恩田陸は、ピアノコンクールというイベントを、外的な仕組みからではなく、複数のピアニストたちの対話と内面の独白の積み重ねによって綿密に、かつダイナミックに描きあげる。何という力業。

 

そして、その中で浮かび上がってくるテーマは、自由に音楽することの喜び、音楽賛歌である。

 

『夜のピクニック』から十二年、恩田陸はいまや巨匠の風格を漂わせる小説家となった。『蜜蜂と遠雷』は、まさにその証明である。

 

PS 以上の文章は、紙のバージョンによるものだが、2段組み507ページの紙の書籍と、電子版とでは大きな違いがある。まず電子版の場合にはいくらページを増やしても厚みに影響しないので、一段組となっている。また冒頭にある目次とコンクールの課題曲の一覧は、紙バージョンで横書きになっているが、電子版ではすべて縦書きに変更されている。

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