つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
<< December 2016 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
 
ARCHIVES
RECENT COMMENT
@kamiyamasahiko
MOBILE
qrcode
PROFILE
無料ブログ作成サービス JUGEM
 
川村元気『四月になれば彼女は』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略  ver.2.0

 

 

『四月になれば彼女は』(文藝春秋)は、『世界から猫が消えたら』『億男』につぐ川村元気の三作目の小説である。

 

「四月になれば彼女は」「五月の花嫁」「六月の妹」「七月のプラハ」「八月の嘘」「九月の幽霊」「十月の青空」「十一月の猿」「十二月の子供」「一月のカケラ」「二月の海」「三月の終わりに彼は」―――こんな風に『四月になれば彼女は』は、タイトルが4月より3月まで12の月の名から始まる12の連作からなっている。

 

最初の短編と同じタイトルに、果たしてこの作品全体をカバーするだけの力があるだろうか。

 

『四月になれば彼女は』のタイトルは、サイモン・アンド・ガーファンクルの曲(April Come She Will)から取られているが、その曲の中にも4月だけでなく、5月、6月、7月、8月、9月までの彼女の行動が歌われている。4月彼女はやってきて、5月はいてくれるものの、6月には変化が生じさまよい始め、7月には失踪し、8月には死んでしまう。9月はというと後に残された僕の気持ちが歌われるのである。小説はさらに6つの月を用いて、この物語のアウトラインをなぞっているかのように見える。

 

だから、『四月になれば彼女は』は、この曲の歌詞をモチーフにした恋愛小説ということになるのだろうか。

 

おそらく読者の大半は、『四月になれば彼女は』は、もう一つのタイトルを持っていることに気づくはずである。それは、単なるテーマの域を越えて、通奏低音のように、作品全体を貫いている。

 

あまりにあからさまな二番煎じに見えるので、表には出さなかったこの作品の潜在的なタイトルとは、『世界から恋愛が消えたなら』である。

 

「すっかり消えたらしいよ」

 細い指でパラパラと雑誌のページをめくっていた弥生が、いつの間にか手を止めて赤いワンピースの女の子を見つめていた。

「え?なにが?」

 藤代は、青白く光るスマートフォンの画面から目を上げる。

わたしたちの恋愛

 弥生が雑誌を傾け、見出しを指でなぞる。ウェディングドレス姿の花嫁の写真の上にピンクの文字が躍っている。結婚のリアル。わたしたちの恋愛はどこに消えたのか?

p28

 

恋愛の次に消えるもの、それはたぶんセックスだろう。さらに結婚も消えない保証はない。人類全体の話ではなく、一人一人の個人についていえば、それは『世界から猫が消えたなら』のようなファンタジーではなく、リアルな日常生活の中の話である。

 

「その一瞬が永遠に続くはずだ、というのは幻想ですよ。それなのに、男と女が運命的に出会って恋に落ち、一生の伴侶として愛し合うということが前提になっているのがおかしい。誰と恋愛しても行き着くところは一緒なんです。だから結婚の先のセックスレスだって、当然のことだと思いますけど」

「そんなに絶望的なこと言うなよ」

 藤代は苦笑し、見つめていた右手を握る。手のひらの感触が、遠のいていく。

「絶望でもなんでもありません。現実です。むしろそう考えたほうが、前向きになれると思います。まわりを見回しても、ほとんど恋愛なんてしてないじゃないですか。私みたいにそれが人生にとって重要ではないと思っている人は少なくないはずです」

p98

 

『四月になれば彼女は』は、大学時代写真部の部室で知り合った仲間を中心に展開する。その中心となるのが、医学部3年であった藤代俊と文学部の新入生の伊予田春である。写真部の活動を通じてしだいに親しくなった二人。しかし、それから九年後、医師となった藤代は獣医の坂本弥生との結婚式の段取りに追われる中、海外にいる伊予田より手紙を受け取る。一体、その間に二人に何があったのか。藤代の家族や交際相手、そしてペンタックス大島らかつての写真部のメンバーの現在の生活と過去を辿る中で、いかにみな恋愛を失ってしまったかが執拗なまでに、語られるのである。夫婦はいつしか当初の恋愛感情を失い、セックスレスになる。さらに、藤代の父と母も離婚してしまったのだった。

 

この意味において、『四月になれば彼女は』は反=恋愛小説なのだ。こんな台詞さえある。

 

「手紙なんて古風な子ですね」タスクがグラスを振ると氷が鳴る。「最後に書いたのはいつだっけな……そういう丁寧なやりとり、久しくしてないですよ。純愛ってやつですか?」

「まあ恋愛小説みたいな話にはならないよ」

「そうでしょうね。悲しいけれどそういうストーリーって、現実の恋愛にほとんど関係ないんですよね」

「昔は純愛なんていつでもできると思ってたんだけどな。いまとなれば、それが物語のなかにしかなかったということに気づいたわけで」

「遅くはないんじゃないですか?昔の彼女からラブレターをもらっているわけだし」

pp123-124

 

恋愛感情も、夫婦の性生活も、結婚という制度も、幻想の上に依拠した存在であり、今や消滅の危機にある。その空虚さを露呈させるために、川村元気は、よい料理、よい映画、よい音楽、よい服装、よいインテリア、よい趣味のようなものを、オンパレードさせる。この時代にそれを行うのは、田中康夫の『なんとなくクリスタル』に輪をかけて悪趣味である。それらは、広告代理店や、その他の業者が私たちに望ませるように仕向けたもののコレクションであり、『四月になれば彼女は』は一種の電通小説のようなテイストを帯びている。たとえばこんな感じだ。

 

 エンドロールが流れはじめると、弥生は黙って立ち上がり、厚いガラスの天板が乗ったテーブルの上を片付け出した。藤代はシンクで食器を洗う。弥生がバング&オルフセンのスイッチを入れると、ビル・エヴァンスのピアノが静かに流れる。食べかけのチーズとバゲットが乗ったヒースセラミックの大きい皿、リーデルのワイングラスとシャンパングラス、線の細いシルバーのフォーク。手際の良い共同作業は淀みない。p41

 

まさか、こんな風にブランド名を羅列しながら描写を尽くすことを川村元気が文学的と考えているわけではないだろう。意図した技ではある。ただ、彼自身の映像プロデューサーとしての日々の活動が、広告代理店の営みとも共犯関係を持った世界に属しているために、それらを徹底的に異化するほどではない。男女関係にとどまらず愛情関係一般におけるニヒリズムはしだいに社会の隅々にまで侵食しつつあるさまを川村元気は執拗なまでに描き続ける。

 

もちろん、物語をポジティブにしめくくるために、藤代は失った恋愛そのものを見つけ出そうと努力する。そのためには、心の底に沈めた辛い記憶を掘り起こし、そのとき自らの感情に向かい合う必要があることだろう。

 

人はなぜ恋愛を喪失してしまうのか。それは、人が他人よりも自分のことの方を大切に思うようになってしまったからである。

 

「人間だけが誰かのことを考える動物だから面白いんだよ。他者のことで喜んだり、悲しんだりできる。でも、最近は、人間の方が犬や猫に近づいてきている気もするけど」

「確かに、みんな自分だけが可愛くて仕方がない」

p40

 

人はいっそのこと動物化してしまった方がよいのだろうか。

 

「動物とは性格の不一致とか、価値観の違いでぶつかることもないだろうし、案外いいのかもしれない」

 弥生はひとりごとのように言うと、おしぼりで口を拭いた。

「意思の疎通ができないことが、永遠の愛につながるのかも」

 藤代は眉を下げながら同意した。p180

 

それとも、機械に、AI(人工知能)になった方がよいのだろうか。

 

 果たして、人工知能は愛する人に嫉妬するのだろうか。絶望する黄色いシャツの男と、それを眺める弥生を交互に見ながら藤代は思った。人の過ちを大目に見たり、水に流したりできるのだろうか。

 なぜ人を愛するのか。なぜそれが失われていくのを止めることができないのか。あらゆる賢人が挑んできた未解決の難題。いつか人間を超えた人工知能が、それらに解答を出す日が来るのだろうか。p154

 

恋愛喪失病者の症例報告集のような本書の中に、はたして私たちはこの問題の出口を見つけることができるだろうか。

 

懐疑主義によってすべてを疑うことになったデカルトが、最終的に世界のすべてをコギト(われ思う)の名の元に回収するように、反恋愛小説として始めたはずの『四月になれば彼女は』も、下敷きにした歌詞の強制的な力によって、最終的に恋愛小説として回収される。失われた恋を求めての旅は、最終的に再び見出された恋へと行き着く。他ならぬめぐり来る季節そのものの力によって。そう、3月の次には4月がやってきて、そのときまた彼女は、恋の季節はやってくるだろうと。

 

実のところ、物語のエンディングに大した意味はない。その方が読者が気持ちよく読み終えるだろうというお約束のようなもの、蓮實重彦なら「制度」と言うことだろう。『四月になれば彼女は』は、豊富な材料といやらしいまでのリアリズムを持って、現代の恋愛の(不)可能性について、とことん考えさせるという一点に徹した傑作である。

 

関連ページ:

川村元気『億男』 
川村元気『世界から猫が消えたなら』

ハロルド作石『RiN』 1〜14

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略

 

 

ハロルド作石『RiN』(講談社)(14巻完結)は、漫画家志望の少年伏見紀人が漫画家デビューして活躍するまでを描いたコミックである。

 

漫画家志望の少年が、デビューして活躍するサクセスストーリーとしては、すでに大場つぐみ・小畑健の『バクマン。』がある。

 

『バクマン。』は原作と作画の二人組の話であり、集英社の実在の雑誌『少年ジャンプ』が主な舞台であるのに対し、『RiN』はシングルプレーヤーの話であり、講談社の架空の漫画雑誌『トーラス』を主戦場として描かれるが、それ自体は大きな差別化にはならない。

 

似たような時代設定で、同じ業界の同じような主人公の物語を描くとなると、島本和彦の『アオイホノオ』のように業界の著名人が出てくる自伝的なストーリーとしてまとめるとか、松田奈緒子の『重版出来!』のように主人公を編集者にしてしまうとかなら、別の世界を切り拓くことができるが、漫画少年のサクセスストーリーをフィクションとして描く限りは、業界の仕組みが同じであるために、誰が描いても似たようになってしまう。

 

この差別化こそが、漫画家の腕の見せ所となる。

 

タイトルが示すように、『RiN』を『バクマン。』と大きく区別するのは、ヒロインである少女石堂凛の存在である。

 

離れ島の出身である石堂凛は、冒頭ではアイドル志望の少女として紹介される。『バクマン。』のヒロイン、亜豆美保も声優志望の少女であるが、石堂凛には漫画のジャンルを変えてしまうほどの不思議な能力がある。人の未来がわかったり、死者が見えたりと言ったシャーマン的な能力の持ち主であるのだ。その決定的な一歩は第一巻の沢村叡智賞の授賞式で示されることになる。

 

そして、伏見紀人も石堂凛と同じような過去の時代の夢を見る。それは果たして二人の前世なのか。

 

一方ではリアルな漫画界の競争が描かれる一方で、他方ではあの世的なファンタジーの世界が描かれ、二つの世界が相互に絡みながら二重進行するところに、この作品の醍醐味がある。

 

この世的な女性を代表するように、石堂凛の対局に置かれるのは、伏見のクラスメート本多明日菜。陸上部に属する彼女はショートカットでのびやかな肢体を持った少女である。それに対して、しばしば霊のしわざで気分が悪くなる石堂凛は、長い髪を持った巫女的な存在の美少女である。

 

伏見紀人がしだいに漫画家として活躍するにつれ、明日菜も凛も彼に接近するようになり、紀人の心は二人の間で揺れ動くようになる。その揺れはまさに彼が描く少女の顔に現れてしまうのだ。

 

さまざまな漫画家のライバルも登場するが、その中でも特別な存在が、沢村叡智賞の大賞を得、紀人の一歩先を行くイケメンの天才瀧カイトである。彼もまた紀人や凛と不思議な運命で結ばれていたのだった。

 

中盤では、凛の故郷である島へと舞台が移り、ミステリー仕立てのスリリングな展開となり、凛に迫る男たちの魔の手にハラハラドキドキする。後半には編集者の望む路線に決別し、自らの足で歩き始めた伏見紀人の渾身の作品が、ページを大々的に占拠し、その熱気とスピード感は読者を圧倒する。さらに、それが紀人と凛の前世(?)へとリンクするというサスペンスに満ちた展開に。

 

『RiN』は、『BECK』において一切のファンタジー要素を排したハロルド作石が、パラレルワールド的なストーリー展開によって、新次元を開いた傑作である。

 

万城目学・湊かなえ・小路幸也ほか『みんなの少年探偵団』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略

 

 

『みんなの少年探偵団』(ポプラ文庫)は、5人の作家万城目学湊かなえ小路幸也向井湘吾藤谷治よる江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズのオマージュアンソロジー、2014年11月に単行本として刊行されたものの、待望の文庫化である。

 

時代設定や文体は自由。名探偵明智小五郎とその宿敵怪人二十面相、そして小林芳雄をはじめとする少年探偵団のメンバーが、それぞれのキャラクターを活かしながら、所狭しと活躍を見せる。あの子どものころのわくわくドキドキした気分を再び味わうことのできる好企画である。本編を読むときの楽しみを損ねないように、以下、各作品の前半の設定おおざっぱに紹介し、冒頭の一節のみ掲げる。

 

万城目学の「永遠」は泥棒であるおじいさんに育てられた双子の少年の物語、まだ東京に八本のお化け煙突がありもくもくと煙をあげていた時代の話である。しかし、おじいさんが死んでしまい、二人の少年は隠された宝物を見つけるために暗号を解くことになる。暗号は解けるのか?そして、この少年たちの将来は?

 

 満月なのに空はすっかり雲に隠れ、風ばかりが強い夜に、ぼくらは町に到着した。丸一日も汽車に乗って、ぼくらを一軒の長屋の前まで連れてきた伯父さんは、玄関から出てきた猿股姿のおじいさんに一度頭を下げ、茶封筒を渡すと、「じゃあな、達者にやれよ」と言って去っていった。残されたぼくらはおじいさんの前に立ち、自己紹介した。

「フンッ、名前を聞いただけじゃ、どっちがどっちやら、さっぱりわからん」

p7

 

湊かなえ「少女探偵団」は、体操が得意な少女の話。山口県の海辺の町に祖父母を訪ねたカスミは、祖母の口からかつて彼女も体操の選手であったこと、そして夏休みに小林芳雄という少年と出会った話を聞くのであった。ホテル竜宮館のお宝を狙う二十面相とのたたかいが語られる。

 

 小学生最後の夏休み、八月の最終週、わたしは山口県の海辺の町に住む、母方の祖父母の家を訪れました。両親は共働きで忙しく、一人で新幹線に乗ってきたわたしを、二人が駅まで迎えに来てくれました。

「カスミちゃんがここに来るのは何年ぶりだろうねえ。関門海峡、覚えているかい? お盆はすぎたけど、今年はくらげが少ないらしから、まだまだ海水浴が楽しめる。沙耶や謙太もカスミちゃんと海に行くんだって張り切っているぞ。砂浜でバク転を見せてもらうんだってな」

p67

 

小路幸也「東京の探偵たち」の舞台となるのは1974年の東京。母親が吸血鬼によって血を吸われ、子どもが行方不明になる怪事件に音をあげた一人の探偵は、ババアと呼ばれる女性から、麹町の「ヨシオちゃん」を訪ねるようにと言われる。彼が見た「ヨシオちゃん」の姿は?そして事件の真相は?

 

「吸血鬼?」

 目ん玉ひんむいて驚いた。

 そりゃ驚くよな。で、その後に笑った。

 まぁ、笑うよな。

「何を言ってるのあなた」

「はぁ」

p111

 

向井湘吾「指数犬」の主人公となるのは、野呂一平と井上一郎という二人の少年探偵団のメンバーだ。二人は怪しい老人に声をかけられ、「魔法の犬」を譲り受ける。この魔法の犬というのは、一晩で倍に増えるというものであった。本当に犬は増え続けるのだろうか。そして、老人の正体は?

 

「ダメだ。こちらの道も、もう犬でいっぱいだ」

 人通りの絶えた、物寂しい町はずれ。壁から顔を突き出して様子をうかがい、一人の少年がささやいた。「引き返そう。別の道をさがさないと」

p151

 

そして藤谷治「解散二十面相」は、すぐに逃げるのを知りながら、二十面相をつかまえては万歳三唱を行う明智小五郎と少年探偵団のおめでたさに飽き飽きした二十面は、ついに二十面相を辞めると言い出すのである。

 

 憎い二十面相を見事つかまえた明智小五郎と少年探偵団は、思わず快哉を叫びました。

「明智探偵、ばんざーい。」

「少林団長、ばんざーい。」

「少年探偵団、ばんざーい。」

「ばかじゃないか、あいつら。」

 パトカーの中でその大声を聞いた二十面相は、思わず呟きました。p193

 

江戸川乱歩そっくりの語り口で、藤谷治が挑むのは作者のおめでたさまであげつらう一種のメタフィクションである。

 

いかがだろうか。各作家の個性と、乱歩の世界の魅力が混然一体となり、新しい少年探偵団の魅力が広がっているように感じないだろうか。『みんなの少年探偵団』はかつての少年探偵団シリーズのファンの必読書だが、いきなり江戸川乱歩のシリーズに入るには敷居が高いと感じる人にも、格好の入門書となっている。

 

PS「みんなの少年探偵団」はシリーズ化され、第二弾有栖川有栖・歌野晶午、大崎梢、坂木司、平山夢明による『みんなの少年探偵団2』以降続刊中である。

 

関連ページ:

万城目学『バベル九朔』
万城目学『ザ・万字固め』
万城目学『悟浄出立』
万城目学『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』
万城目学『とっぴんぱらりの風太郎』

書評 | 21:31 | comments(0) | - | - |

(C) 2024 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.