JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略
(…)旅を続けていると、ぼんやり眼をやった風景のさらに向こうに、不意に私たちの内部の風景が見えてくることがある。そのとき、私たちは「旅の窓に出会うことになるのだ。その風景の向こうに自分の心の奥をのぞかせてくれる「旅の窓」に。
Kindle版
『旅の窓』(幻冬舎文庫)は、作家沢木耕太郎の紀行文集である。
一枚の写真と、対になる原稿用紙1枚程度の文章、それが80ばかり。
しかし、何とも贅沢な紀行文である。写真が撮られたのはほとんどが海外の場所であるが、おびただしい数の国、場所からなっている。挙げると中国のコロンス島、麗江、浙江省臨海、杭州、桂林、雲南省麗江、広西チワン省自治区、四川省成都、新疆ウイグル自治区、カシュガル、マカオ、香港、ヴェトナムのフエ、ホーチミン、カントー、インドネシアのバリ島、チベット、ネパールのカトマンズ、ヒマラヤ、イギリスのロンドン、フランスのパリ、コートダジュール、ドイツのケルン、フランクフルト、スペインのバルセロナ、アンダルシア、マラガ、バスク地方、ローザンヌ、ポルトガルのナザレ、サンタクルス、イタリアのパルマ、ギリシアのアテネ、イオニア海の島ケルキラ島、アメリカはジョージア州アトランタ、フロリダ州マイアミ、ニュージャージー州、ハワイのオアフ島。キューバのハバナ、ブラジルのヘンレ、サントス、モロッコとサハラ砂漠、オールトラリアのキッッツビュエール、世田谷…
マカオやナルセロナ、麗江など二度三度出てくるものもあるが、ほんの一瞬の光景を表現するために、これだけの場所での記憶が惜しげもなく動員されている。一つ一つの文章は、簡潔ながらも鮮やかなイメージを喚起する名文である。
写真は、たった一本のレンズで、ほぼ一瞬の情景をとらえたものだ。とても鮮やかな発色のフイルムで撮られている。深夜特急の作者ならさぞかし前から世界中で写真を撮り歩いているだろうと思ってしまうが、実はそうでない。旅先で写真を撮るようになったいきさつを沢木は次のように語っている。
かつて私は旅先で写真を撮ることはなかった。『深夜特急』の旅のときは、金が乏しくなったとき高く売るためにカメラを持って行ったが、それ以前も以後も荷物が増えるのがいやで持っていくことがなかった。いまになっては少々もったいなかった気もするが、あるときまでの旅の写真はまったく残っていない。
ところが、一九九〇年になって、この二十世紀最後のミレニアム、十年間をカメラでスケッチしたいと思うようになった。そこでカメラを一台買い求め、外国に行くときはそれを持っていくようになった。(「心の窓 文庫本のために」)
猫や猫、鳥といった動物たちの姿を捉えたものは心を和ませてくれる。
子ども、おばあさん、父と子、スポーツの観客、列車の乗客の一瞬の姿をとらえた画像は、人生の一コマを感じさせ、聞こえない向こう側の声に耳を傾けさせる。
異国を旅する旅人が、まず最初に親しくなるのは子供と老人である。と前にも書いたことがあるような気がする。だから、必然的に旅人が撮る写真は子供と老人のものが多くなる。(「芸術的な皺」)
街角のさりげない風景。
それは静かで、落ち着いた佇まいの町だった。家々の庭に植えられている落葉樹は燃えるように色づいており、空は恐ろしいほど青く澄んでいる。
―――美しいな、この町は何という名前なのだろう。
そのとき、当たり前のことに気がついた。世界に「名もない町」などというものはないということに。(「名もない町」)
海辺や湖、川の風景。
まったく音のない静かなその場所でぼんやりしていると、どこからか真っ白い帆を張った一隻のヨットが、まさに滑るようにやってきて、私の視野に入ってきた。
紺碧の海に、白い帆を張った、ただ一隻のヨット。(「輝く光の中で」)
とりわけ朝の光やマジックアワーと呼ばれる日没前の画像は印象的だ。
夕方の光というのは、どうしてこのように美しいのだろう。すべてが、黄金色の光の中で、神秘的に輝く。
たとえば。
ゆっくりと陽が落ちていくにつれて、港の中の小島に建つ小さな教会の白壁が、薄くピンク色に染まり始める。
(「白壁が紅く染まる頃」)
ほのかに教会を照らすロウソクもグラスを通す光線は、あまりに美しい。
ありがたく呑み始めたが、ふと気がつくと、安物のグラスの中の、安物の白ワインが、窓から入ってきた冬の陽光に刺し貫かれ、これもまたいかにも安物風の白いテーブルの上に輝くような形を作っている。
その美しさに息を呑んだ私は、思わずバッグからカメラを取り出してしまっていた。
(「グラスのきらめき」)
ほんの一瞬の風景を流すことなくキャッチし、言葉へと変換できる卓越した観察眼と表現力のみがなせる業だ。
『旅の窓辺』は心に残り、何度も開きたくなる一冊で、その意味で電子書籍版をタブレットに入れておきたい本だが、実はKindle版は不満な点がある。字が小さくなることを回避するためなのか、縦にしても横にしても、紙のようには、見開きでは表示されないのだ。この本の妙味は、画像と文章を同時に見ることができる点なのに、交互に表示し行ったり来たりしなくてはならず、動線がすっきりしない。そうした意味で、電子書籍はまだ発展途上の未完成の存在と言わねばならない。