JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略
辻田真佐憲の新書本に外れはない。第一に、何らかのネタ本ではなく、自分で膨大な一次情報にあたり、個々の資料に適切な評価を下しながら、オリジナルな形で集約していること。第二に、現在に通じる問題意識と新鮮な切り口を持っていること。第三に、イデオロギー的なバイアスをかけることなく、史料そのものをして語らせ、左右どの立場から見ても、有益なる発見があること。オリジナリティと、同時代性、ニュートラル性の三つを兼ね備えた上、『日本の軍歌』以来かなり短い期間で外れなく、しかもエンタメとしても面白く読ませるヒット作を出し続けているのは、驚異的である。
『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』(幻冬舎新書)は、これまでここで紹介した三冊(『日本の軍歌 国民的音楽の歴史』 『ふしぎな君が代』 『たのしいプロパガンダ』)とは異なる一つの特徴がある。軍歌にせよ、君が代にせよ、プロパガンダにせよ、もとより人の創作物であり、真実性(少なくとも事実性)が強く求められるものではなかった。だから、その歴史を純粋にたどり、特徴的なことやもの推移を記述すればよかった。しかし、大本営発表の場合にはその中身が直接歴史的事実に関わる。そして、ここで問い直されるのは、発表の内容の事実との距離である。したがって、時系列で大本営発表の内容を整理しながら、その時々の実際の戦果と被害を比較するという形をとらざるをえない。さらに、元の大本営発表そのものが、ポジショントークと過大申告による官僚の作文である以上、謎めいた文章の真意を読み取らなければならないために、非常に骨の折れるプロセスである。それを説明過剰にならず、限られたページの中にコンパクトに収めている点もまた素晴らしい。
辻田は、大本営発表を六つの時期に分け、それぞれに1章をあてている。それを見るだけで、大本営発表がいつどのように変わったか、大体の趨勢がわかるはずだ。
第一章 日中戦争と大本営発表の誕生(一九三七年十一月〜一九四一年十二月)
第二章 緒戦の快勝と海軍報道部の全盛(一九四一年十二月〜一九四二年四月)
第三章 「でたらめ」「ねつぞう」への転落(一九四二五月〜一九四三年一月)
第四章 「転進」「玉砕」で敗退を糊塗(一九四三年二月〜一九四三年十二月)
第五章 片言隻句で言い争う陸海軍(一九四四年一月〜一九四四年十月)
第六章 埋めつくす「特攻」「敵機来襲」(一九四四年十一月〜一九四五年八月)
これに加え、総括に一章が充てられている。
第七章 政治と報道の一体化がもたらした悲劇
今日大本営発表は、デタラメのオンパレードの代名詞とされているが、当初はかなり正確に事実を反映させようとしたし、また誤りがあれば修正するだけの余裕もあった。しかし、ミッドウェー海戦、さらにはガダルカナル島の攻防と敗け戦が増えるにつれ、しだいに敵の被害は過大に見積もり、味方の被害は過少に見積もる傾向がひどくなってゆく。有能なパイロットが戦死し失われるにつれ、未熟な若い兵士の報告は、曖昧な上に、周囲の期待が上乗せされてどんどん上方修正されるようになったのである。さらに、敗色が濃厚になると、「転進」や「玉砕」という美辞麗句による言いかえで糊塗しようとしたが、そうした作文にも限界が生じ、ますます事実から遊離したファンタジーの世界へと大本営発表は突入してゆくのである。
連合軍の喪失数は、大本営発表に従えば、空母八十四隻、戦艦四十三隻に及んだ。一見とてつもない数である。日本海軍は、主力艦だけ見れば、たった七隻の損害で敵の百二十七隻を葬ったことになる。ところが、これがまったくのデタラメで、実際には連合軍は、空母十一隻、戦艦四隻しか失っていなかった。戦果は、空母で七十三隻、戦艦で三十九隻も水増しされた。p250
なぜ、このようなことになったのか。一つは最初から最後まで、陸軍と海軍の対立が生じ、互いに秘密主義を貫きながら、プロパガンダにおいて戦果を張り合おうとしたことである。相互の意思疎通がないために、虚報を真に受けて、フィリピンの陸軍部隊が壊滅することさえあった。さらに、不利な戦局を、客観的に分析し、被害を最小にするための判断を責任をもってできる人物がおらず、虚勢を張った精神論で打破することがよいことであるような空気に支配されていた。このため、途中の軌道修正もかなわず、どんどん情報は現実から遊離した方向へ暴走するが、最後には本土に敵機が襲来し、大きな犠牲者を出すに及んで、それも不可能となり、不利な状況は「調査中」とし他方「特攻」をちらつかせ国威発揚をはかることで、誤魔化そうとするが誤魔化せない悲惨の極致で大本営発表は幕を閉じるのである。
(…)「大本営発表は、戦争末期になっても『勝った、勝った』と繰り返した」というイメージは改められねばならない。大本営発表は戦争中盤すでに破綻しており、末期にはもはや「勝った、勝った」とすらいえなくなっていた。大本営発表は、それほどまでに徹底的に破綻していたのである。p247
本書を読んで愕然とするのは、そうした日本軍の組織の問題点が、企業や役所など日本社会のさまざまな組織の中にそのまま残存し、組織としての成果を挙げることを妨げ続けている点である。陸軍と海軍に見られるような縦割り組織の問題点は、そのまま省庁の縦割りとして存在している。さらに、政権とマスコミの関係は、ここ数年それまでのそこそこ緊張感のある距離感を喪失し、しだいに癒着と恫喝による共犯関係へと近づいているように見える。
『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』は、著者が総括している「政治と報道の一体化」に限らず、現在の日本社会がDNAとして抱えてしまった問題点の数々を浮き彫りにしてくれる。戦争は、どのような分野であろうと、情報をおろそかにし、客観的なデータをありのままに集約し、分析することができなければ、さらに不利な局面では、早々に撤退する決断を下し、体勢を立て直すことができなければ、勝利することはできない。だが、不都合な真実よりも景気のよい虚偽の方が好まれる体質が組織において優勢であり続ける限り、その組織は問題を拡大再生産しながら敗北を続けることになるだろう。軍国主義よりも致命的なのは、情報軽視の上にガラスの心理的優位を築きたがるこの国民的空想主義である。それは、あなたの会社や職場を、あなたの学校を、クラブなどあなたの属する団体を、旧態依然のまま支配しているかもしれない。もちろん、そこから逃れ成功するイノベ―ティブな組織も少なくないが、規模が大きくなったり、役所や国がからんだりすると、悪しき遺伝子の方が必ずと言っていいほど支配してしまうのはなぜなのか。
『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』は、私達社会の置かれた身近な問題の数々を思考することを促す。
辻田真佐憲は、時代の鏡を私たちに示すことのできる、真の歴史家なのだ。
関連ページ:
辻田真佐憲『たのしいプロパガンダ』
辻田真佐憲『ふしぎな君が代』
辻田真佐憲『日本の軍歌 国民的音楽の歴史』