つぶやきコミューン

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堀江貴文『99%の会社はいらない』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略 ver.1.01

 

 

いつの間にか、世界第二の経済大国であった日本は、どんどんと落ち目になっていて、それは企業の業績や経営方針にも致命的な影響を与えている。堀江貴文『99%の会社はいらない』(ベスト新書)は、正確に言えば「99%の現在の日本の会社はいらない」ということになるだろう。どこの会社を選ぶかという問い自体が、すでに罰ゲームのような時代になっているのだ。

 

すべての会社が無意味というのではない。積極的にイノベーションを行い、社会そのものをどんどんと進歩させる会社なら、いくらあっても構わない。だが、日本の現在の会社の99%はイノベーションを潰し、みなが同じことをすることをよしとする宗教団体のような会社である。ただ内部留保ばかり増やして、社会に還元することも、貢献することもないこんな会社の余命はもはや長くない。

 

世の中がIT化が進み、SNSが発達普及するにつれて、会社でなければできないことが少なくなっている。

 

起業や上場がそれ自体勲章のようにもてはやされた時代もあったが、それも過去のものだ。

 

 起業というのは好きなことを仕事にするためのツールであり、その仕事を大きくするためのツールが上場だ。やりたくもないことで起業して、上場させるのがいいなんて僕はこれっぽっちも思っていない。p116

 

会社組織は無駄が多い。その一つは他人を雇うことによる不正のリスクである。大きな組織になればなるほど不正は発見されにくくなり、その結果経済的損失を受けるだけでなく、社会的に指弾を受け、責任をとることを余儀なくされたりする。また、一定の割合でヒューマンエラーが入り込む。とすればむしろAIを積極的に活用して、少数の人間で大きなことをできるように工夫した方がよいだろう。本を売るにしても、今一番頑張っているのは、著者本人であり、次に優秀な書店員である。わざわざ自社で営業を雇わなくても、勝手にやってくれる優秀な人に任せればよいのだ。堀江貴文イノベーション大学校(HIU)に至っては、お金を払っている会員が、この本の仕事までもやってくれるという。

 

どんどんAIに任せてゆける部分は任せてしまう。そうすれば速度も格段にアップする。本は一人で書かなくてもよいし、会議だっていちいち顔を合わさなくても、LINEやスカイプを使えば十分だ。なんと週刊プレイボーイ誌上のひろゆきとの対談連載「なんかヘンだよね…」だって、対面してやってるわけじゃなくて実は755を使ってやっているとびっくりポンな裏話まで公開する。

 

 ひろゆきくんは現在、日本ではなくフランスに住んでいて、それ以外にも世界中の地域を行ったり来たりしている。僕も世界各国を飛び回ることが多いし、対談連載の構成を担当している僕のメルマガ編集者も海外によく行っている。そんな状態で集まって対談をするなんてことは難しい。加えて、連載で扱う題材が時事ネタなのだから、それはもうほぼ不可能と言っても過言ではない。

 なので、この対談ではLINEのグループトークや、コミュニケーションアプリ『755』を利用しているのである。編集者がお題を投稿し、それに対して僕とひろゆきくんがテキストでトークをする。これであればヨーロッパ、東南アジア、アメリカと、日本にいない状態でも、日本の時事ネタを語り合うことができてしまう。もちろん時間にとらわれることもないので、時差も関係ない。p77

 

個人から始めて、最小のメンバーで、やりたいことを実現するにはどうすればいいか。必要なのは最適化、何よりも時間の最適化である。世の中で一番貴重なもの、それは何と言っても時間だからだ。

 

 目的のためのそのプロセスの中で、一番楽な、時間を使わない方法を選択する。これは僕が言っている「最適化・効率化」の話と同じである。p70

 

やりたくないものはツールを使ったり、他人を使ったりして、やりたいことに集中できるような仕組みを組み立てることだ。

 

たいていの著者の場合、同じ話題に関しては同じ回答を十年一日のごとく繰り返すものだが、堀江貴文の場合には、最新のテクノロジーと現在の業務のフィードバックにより、答えが絶えず改善され、進化している。1年前のものだって否定される場合もあるだろう。

 

この本の中で、特に改善、進化している部分は、とにかく説明が丁寧で、しつこいまでに背中を押す言葉を繰り返していることだ。メルマガ、著書、講演など実際の話の中で、多くのビジネスモデルやビジネスヒントを提示しても、それを実行に移す人はほんの一握りであることを、とりわけ堀江貴文イノベーション大学校を通じて、知ったからだ。

 

だから、ツイッターなら実行できない人に、「それあんたがやってないだけじゃん」とワンセンテンスで片付けるところでも、手順を踏んで読者が抵抗なしに動けるように言葉を尽くしている。

 

 もちろん、そういう気持ちはわからなくもない。僕だって、最初は同じように感じることはある。「この事業は面白そうだけど、とりかかるのは面倒くさそうだな……」と思うことだって山ほどある。でも、そうは思いつつも最終的にはとりあえずやっていることがほとんどだ。p122

 

こう言いながら、自分が億劫だったり面倒に思ったりしたが、でも最終的には参加してよかった例としてタイの水かけ祭り「ソンクラーン」、サバイバルゲーム、ゴルフを挙げたのちに、こう繰り返すのだ。

 

 動き出すというのは、最初は本当に大変だ。面倒くさいことも多い。だから動き出せない人の気持ちも理解できる。

 でも、そこは動き出すしかない。強い意志や気合い、勇気で一歩を踏み出すしかない。p123

 

『99%の会社はいらない』は、これまでの堀江貴文のどの本よりも実践向きに書かれている。かつてないほどのビジネスヒントや、仕事の最適化の方法のオンパレードは知ってはいたけど、そんな使い方をやる人がいたのかと思うことの連続だし、TEDにおけるイノベーターの話やNHKの朝ドラ「あさが来た」でもでてきたファーストペンギンの話など、いろいろなヒントをうまくまとめながら、最後の一行まで読者を行動へと導こうとする情熱がみなぎっている。

 

一人で何かを始めようとすれば、まず家族や友人・知人、会社の人など、ブレーキをかけてくる人が多い。特に楽しいことをそのまま仕事にしようという考えに関しては、9割方反対意見に出会うことだろう。そういった考えに負けずに、逆に打ち砕くための名言の数々も本書には数多く散りばめられている。

 

  行動するのは実は簡単である。バカになればいいのだ。

 

  僕はバカが悪いとは思わない。どんどんバカになって突拍子もない行動を起こす人が増えれば増えるほど、社会全体のイノベーションは活発化する。p207

 

行動するバカになるか、行動しない利口になるか。決めるのはあなたである。

 

関連ページ:

・堀江貴文責任編集『堀江貴文という生き方』
堀江貴文『本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方』
堀江貴文『あえて、レールから外れる。逆転の仕事論』

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柴崎友香『ビリジアン』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略

 

 

子供のころ、絵具や色鉛筆にはじめて聞くような変わった色の名前が並んでいたことを覚えているだろうか。やがてその色はいつしか臙脂色や群青色など、なじみの色の名前になるのだが、そんな風に自然に学習されることのない色もある。ビリジアンもその一つだ。

 

 持ってくるのを忘れた絵の具のことを考えていた。緑色の箱。鉛のチューブの十二色セット。緑色はビリジアンだった。その色だけが知らない言葉だった。ほかでは見たことのない言葉だった。道路と木と箱の緑色にもビリジアンが入っているのか、考えていた。p148

 

柴崎友香の小説『ビリジアン』は、小学校から大学入試に至るまでの一人の少女、山田解の断片的な記憶から構成される長編小説である。各断章は時系列にそって配置されているわけではない。つまり、時間は前後に行ったり来たりするということだ。それぞれの断章は、場所と時間が鮮やかな克明さで描写され、そこにいる人々の言葉と行動も描写される。ないのは、人物に関する説明であり、人々の感情である。一瞬の感想が書かれることもあるが、次の行には別の事柄へと文章は移行している。したがって、物語が発生する前段階で、言葉は次の出来事、もしくは場面へとすべり続ける。一種のヌーヴォーロマンのようでもあるが、異なるのは読者が言葉によって提示される出来事を、鮮やかで生き生きとした現在として体験することである。そこには、大阪の港湾地区に近い土地で生まれ育ち、大阪の街々を自らの庭のごとく動く、一人の少女の生活が存在する。あるとき、読者である私たちは、大阪で生まれ育った柴崎友香の思春期の生活を現実の風景で補完しながら、想像してみる。たとえばこんな場面。

 

 学校から、歩いて帰った。学校と家とのあいだには、川があった。川には歩道からまっすぐ渡れる橋はなくて、高速道路の高架下にへばりついたとても長い歩道橋を歩いた。川の両側には、錆びた鉄がたくさんあった。車の形を残していたり、大きな歯車を組み合わせたような形だったり、鉄骨だったり、ドラム缶だったり、ボルトだったりした。どれも、これから使われるものなのか、使い終わって捨てられているのか、区別がつかなかった。

 わたしは反対側からぞろぞろ歩いてくる別の高校の生徒たちと次々にすれ違った。向こうからこっちへ渡ってくる生徒はたくさんいるけど、こっちから向こうへと行くのはほんの数人だけだった。朝は、逆向きに。p134

 

そして、別の時間には、それは私たちを自らの同じような経験をした時代へと連れてゆくのである。だから、小説の向こう側にいるようでいて、いつしかその世界は私たち内面へと折り返さずにはおかないのである。この小説を読んでいるとき、私たちは魔法にかかったような夢見心地に置かれる。

 

私は、これがすべて柴崎友香の記憶の再現から構成されているとは思わない。人物に別の名前をつけ、動かし、描こうとするところで、細部は創造しないと同じだけの解像度を維持できなくなるのである。そこで核となる実際にあったかもしれない出来事は、周囲の世界を新たな言葉で再構成し始めるのだ。スタンダールが、『恋愛論』の中で結晶化作用について述べたように。

 

この記憶の再構成にインデックスとして、大きな役割を果たしているのが色、色の名前である。20ある章のうちで、「黄色の日」、「ピンク」、「赤」、「白い日」、「赤の赤」と5つまでは色の名前が使われている。そして、それぞれのエピソードにおいて、それらの色は一種のドミナントとして、その断章を支配しているのである。

 

冒頭の「黄色い日」もこんな風に始まる。

 

 朝は普通の曇りの日で、白い日ではあるけれど、黄色の日になるとはだれも知らなかった。テレビもなにも言っていなかった。

 小学校への通学路を、わたしは一人で歩いていた。いつも四、五人で誘い合って行っていたのに、黄色の日になぜ一人だったのか、理由はあったと思うが思い出せない。覚えていなくてもいい。どうでもいいことだったと思う。p7

 

何を白い日と呼び、何を黄色い日と呼ぶのか。その問いかけを読者が自らに対して行うときに、すでに感覚をチューニングすることで、柴崎友香の世界へと入り込み、魔法にかかっているのである。

 

数多い色の中でも、頻度からすると緑であるビリジアンよりも赤系統の色に柴崎友香はこだわっているかのように見える。こんなページもある。

 

 空が赤かった。広い空の上から下まで、見渡す限りの全部が、赤かった。夕焼けの橙や桃色じゃなかった。紅の深い赤。真紅、赤、朱、猩々、茜、クリムゾン、カーマイン、バーミリオン、レッド。知る限りの赤色の名前が、押し寄せた。でもどれなのか、わからなかった。p170

 

火の、火事の赤、血の赤。赤は衝撃的な出来事とともにあちこちで出現する。

 

色は、語られざる感情を、一種の情動を外部として表現する。赤は、時に暴力的な出来事を表現するが、殴られたり、蹴られたりというシーンでも、主人公の心は動揺することなく、一種の静謐を湛えている。

 

そのような色こそが、赤の対極にある色、ビリジアンだ。

 

『ビリジアン』は、柴崎友香という言葉の絵師が、思春期の様々な出来事を、いくつものキャンバスに描いた連作の絵のようなものである。もっぱら小説に物語(ストーリー)を求める人には、『ビリジアン』は、アンドレイ・タルコフスキーの映画のように、ときに退屈で、苦痛をともなう作品であるかもしれない。それを楽しむことができるためには、心の技術が必要である。パネルクイズのように次々に表示される20のエピソードを、入れ替えたり、つなげたりして、再構成するうちに、深い迷路へと読者は入り込んでゆく。その中には、無数の細やかな感情が、青春の疼きが、胸の痛みが、渇望が、溶け込むように描き込まれている。そして、その感情という渡し舟を通じて、読者の時間と作者の時間は、川の両側に立ったまま、つながりあうのである。

 

関連ページ:

柴崎友香『パノララ』
倉片俊輔・柴崎友香『大阪建築 みる・あるく・かたる』
柴崎友香『春の庭』

書評 | 02:43 | comments(0) | - | - |
隈研吾『なぜぼくが新国立競技場をつくるのか』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略

 

 

新国立競技場は、まずコンペで選ばれたザハ・ハディッド案が予算の超過ゆえに修正を加えながらも、再び大幅に予算を超過することとなり、また巨大なキールアーチ部分の建設の難航も予想され、最終的には破棄され、再度大成建設・梓設計・隈研吾建築都市設計事務所JVと、伊東豊雄建築設計事務所・日本設計・竹中工務店・清水建設・大林組JVによるB案の間から選ばれることとなった。2015年12月、僅差で最終的に選ばれたのはA案だった。

 

『なぜぼくが新国立競技場をつくるのか 建築家・隈研吾の覚悟(日経BP社)は、この決定の後に書かれた建築家隈研吾の最初の著作である。厳密に言えば、本書が隈研吾の単著と言えるかどうかは微妙なところである。7つある章のうち第七章は脳科学者茂木健一郎との対話となっていることは帯に謳われているが、その前の第5章は大成建設会長山内隆司への、第6章は梓設計社長杉谷文彦へのインタビューによって構成されているからだ。実は、この構成自体が隈の主張の一端を示す結果となっている。

 

隈研吾は、以前より先輩建築家である槇文彦に共鳴する形で、ザハ・ハディド案に対する違和感を表明していた。しかし、その時点では新国立競技場を自ら手がけることになるとは予想もしていなかった。2015年9月に出版された『建築家・走る』文庫版のあとがきでも、他人事としての炎上案件として、国立競技場の問題を語っているのだから、この間の時間の経過がいかに大きなものであったか、想像に難くない。

 

本書の中で、隈研吾が主張しているのは、大きく言って二つの事柄である。

 

一つは、個人でも組織でもない形で、建築のデザインを調整しながら進めること。建築家がアーティストとして突出するのではなく、環境、景観、予算、世論といったパブリックな要素をすべて統合(インテグレート)する役割を果たすというものである。

 

この考え方は、従来の建築のあり方に反するものであるため、大きな反発を同業者から受けたことを隈は告白している。

 

 ぼくの新国立での仕事の仕方は、アーティストでもないし、組織でもない。たぶん、そこのところが、アーティストという誇りを失いたくない先輩の建築家たちにとっては、最もゆるせないところなのだろうと思う。p207

 

そして、もう一つはコンクリートではなく、主に木材を使って、建築を行うことである。

 こんなふうに言うと少しおおげさに聞こえるかもしれませんが、「コンクリートの時代」を「木の時代」に変えることは自分の使命だと、ぼくは思い始めています。p90

 

コンクリートで、周囲の環境から浮き上がる自己主張の強い建物を建てても、結局のところは五十年もすれば取り壊し建て替えするしかなくなる。コンクリートよりも弱いと考えられがちな木の建築物は、適宜部分を入れ替えてゆけば千年以上の歳月持ちこたえることができることは法隆寺をはじめとする古代の寺社建築が証明している。

 

 今回の新国立競技場では、木だからこそ、長持ちする建築になります。コンクリートと違って、木は部分単位で取り換えることができます。どこかがダメになったら、そこだけ交換していけばいい。新国立の設計では、一つひとつの木材の寸法を意識して小さくしています。木材を小さくすると、交換するときの材料調達も格段に簡単になります。p118

 

この二つの主張は、従来からの隈の持論である「負ける建築」の概念をさらに進めるものであると言えるだろう。


さらに、磯崎新やザハ・ハディッドの建築に対する違和感を、明らかにしたという点でも注目されるべきである。本書の「あとがき」は、隈の書いた文章の中でも、特に切実なものであり、親しかった同業者からの批判がいかにこたえたか、さらには国際的な舞台で連敗を余儀なくされたザハ・ハディドに対するコンプレックスが、さらにはその死の喪失感がいかに大きなものであったかが、ひしひしと伝わってくる。

 

 磯崎新が引いた「アーティストとしての建築家」という路線は、日本の1970年代、80年代を席捲しただけではなく、世界の建築界を変えてしまった。アーティストでない建築家は、すべてダサく感じられる時代がやってきたのである。この新しいアーティスト路線のチャンピオンがザハだった。彼女はその抜群の造形力で、世界中のコンペで勝ちまくった。ぼくは世界のいろいろな場所のコンペで、彼女と対戦した。勝率でいえば、彼女は圧勝だった。

 手が切れそうな白くとがった模型や、航空機用に開発しているソフトで描いた迫力のある完成予想図は、審査員を圧倒し、ぼくらは負け続けた。イスタンブールでも、サルディニアでも、北京でも、台北でも負けた。彼女の方法を、どのようにしたら乗り越えられるかだけを考え続けた。彼女とは別の道を見せなければ、自分の未来はないと感じた。

 その意味で、磯崎とザハがぼくにとって兄と姉であり、アーティストとしての建築家という存在を乗り越えるために、二人をウォッチし続けた。だから、ザハが突然いなくなってしまったことが、衝撃であった。見つめるべきものが亡くなってしまって、最大の壁が消えてしまって、自分だけがさびしく一人、取り残された。はじめて孤独というものを感じた。

pp204-205

 

さらに丹下健三を日本の建築の第一世代、磯崎新、黒川紀章を第二世代、安藤忠雄、伊藤豊雄を第三世代としたとき、自らを第四世代の建築家として位置づけながら、明らかに建築家の自己主張の強い第三世代の建築に対して、異議申し立てを行っているかのように見えるのである。

 

第三世代が売りにしていた組織対個人という構図も今や陳腐なものとなってしまった。


そして、それを決定づけたのが阪神淡路、東日本など数度にわたる震災であった。

 

 震災を体験し、組織対アーティストという構図自体が、すでに退屈であると感じた。組織という枠、しめつけ自体が、かつてほどに固くもないし、頼りにもならない。震災の前で、みんなが虫けらになった。エリート組織人も、天才アーティストも、すべての人が、揺れ続ける大地の上で、ブルブルと震えるただの虫けらになった。組織の中の虫も、個人として発信することができる。逆に組織の中にいない虫でも、何か大きなプロジェクトに関わろうと思ったら、虫を集めてチームを組めばいい。

   組織対アーティストという構図自体が今や意味を失い、実際の状況と乖離した。p207

 

隈研吾は、新国立競技場の建設を通し、従来の建築のあり方を、方法と素材の双方によって、更新しようとしている。一年前はあれほど騒がしかった世の中も、いったん落ち着いているかのように見える。予測による短期的なツッコミの時期は終わったのだろう。これからは新国立競技場は、実際の工事の進捗状況と、出来上がった現物の提示する景観や、ユーティリティーによって長期的に評価される局面へと移行する。その成否は、向こう四年間でほぼ明らかになる。

 

関連ページ:

(隈研吾関連)

隈研吾『建築家、走る』
隈研吾『僕の場所』

(新国立競技場関連)
上杉隆『悪いのは誰だ!新国立競技場』
大野秀敏・槇文彦ほか『新国立競技場、何が問題か』
 

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