つぶやきコミューン

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あだち充『MIX 9』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略

 

 

あだち充『MIX』は、『タッチ』の明青学園高等部野球部の活躍を描く野球漫画。

 

明青学園野球部は、東東京大会準々決勝まで進出し一躍注目を集めるものの、エース立花投馬の4連投の疲れはたまる一方で、このまま準決勝で東秀高校と対戦しても、三年生のエース三田浩樹相手では、一年生の投馬に勝ち目はないと思われた。

 

明青に残された選択肢は三つ。

1)とりあえず準決勝進出を優先し、投馬を連投させる。この場合、明青が決勝に進出する確率はゼロと勢南の監督西村は予想する。

2)投馬を温存し、他のピッチャーの継投に賭ける。この場合、準々決勝で負けることも覚悟しなくてはならない。

3)キャッチャーの立花走一郎をピッチャーとして投げさせる。この場合、彼の好リードが期待できなくなる。

 

明青の監督大山吾郎が選んだのは?

 

他方、投馬に接近する大山の娘春香が気になる投馬の腹違いの妹音美。淡々とした表情ながら、観察の目をゆるめない。

だが、投馬は春夏の思い出話にも冷淡で、春夏を怒らせる。

 

さらに、健丈高校野球部の赤井智仁が三田の妹亜里沙と会っていたその理由とは?

 

『MIX』は、なかなか『H2』のような四角関係にも『みゆき』のような妹を含む三角関係にもなりきらずラブコメとしてのテンションが上がりきらないのがもどかしい。

 

準々決勝で明青の前に立ちはだかる海旺西高校は投打のバランスの取れた強豪。果たして東秀高校と準決勝で対決することができるだろうか?

 

関連ページ:

あだち充『MIX 8』
あだち充『MIX 7』
あだち充『MIX 6』
あだち充『MIX 5』

あだち充『MIX 4』
あだち充『MIX 3』
 

速水健朗『東京β 更新され続ける都市の物語』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略

 

 

『東京β 更新され続ける都市の物語(筑摩書房)は速水健朗の東京を主題とした都市論的著作である。

 

都市の変化をいかにとらえるべきか。

都市の変化は、単に都市計画や建築物の歴史によってだけではとらえることができない。

都市の変化は、人々がそれぞれのエリアに対して抱くイメージ、そしてそこで生活する人々のライフスタイルと不可分であるからだ。

人々のイメージも、ライフスタイルも時間とともにどんどんと変化し、元の形をとどめることがない。

 

そこで何らかの文化的化石、時代の痕跡をとどめたもの、メディアのアーカイブを援用する必要が出てくる。

 

   震災、戦禍、高度経済成長、バブル経済。消失と乱開発を繰り返してきた東京。東京ほどかつての姿を後世に残していない都市は世界にも例がない。

  だが、かつての東京がどんな場所だったか、そこにどんな生活や文化が存在していたかを振り返る手段はある。さいわいなことに東京を舞台とした映画やドラマ、さらには小説やマンガは数多く存在している。これらの中には、かつての東京がそのまま封じ込められているのだ。p9

 

絶えず更新を続け、一つの完成形を示すことは決してない都市東京の、時間的な、地域的な変化を、速水健朗は、東京という都市を舞台につくられてきた様々なジャンルのフィクションー映画、テレビドラマ、漫画、アニメ、歌謡曲―の中に込められた物語によってとらえようとする。カルチャー、サブカルチャーを問わず、様々なジャンルの物語を召喚することで、現在とは異なる位置づけであった時代によるそれぞれのエリアの特徴も鮮やかに浮かび上がってくるのである。

 

「第一章 東京湾岸の日常」では、戦後の核家族化に輪をかけるような晴海団地に建設された高層アパートを舞台とした映画『しとやかな獣』(1962)、東雲を舞台とした森田芳光監督映画『家族ゲーム』(1983)、さらには清洲橋周辺の高層マンションの住人を主人公とするテレビドラマ『男女7人夏物語』(1986)、千住周辺のタワーマンションを舞台とした宮部みゆきのミステリー『理由』(1998)と、有明を舞台とした黒澤清監督の映画『叫』(2007)へとたどる中で、家族の解体のプロセスと、都市が抱える不安の変質をとらえようとする。さらに豊洲のタワーマンションを舞台とした桐野夏生の小説『ハピネス』(2007連載開始)や羽海野チカのコミック『3月のライオン』(2007-) では、いったん解体された家族の再生や、その後に来るものの希望が語られる。

 

 月島・佃といった地域を主とした「古い下町の匂いの残る場所」としての東京と、「新しい開発後」の東京が混在した「新しい東京」という舞台で、羽海野チカは、新しい時代の都市的な「家族像」が生まれるストーリーを紡いだのだ。p95

 

「第二章 副都心の系譜」では、発展途上の西新宿を舞台として描いた『太陽にほえろ!』(1972スタート)と、都市博の中止で、当時はまだぺんぺん草の生える空き地が目立ったお台場を舞台とした『踊る大走査線』(1997スタート)を対比しながら、それぞれの街の発展の過程をライブ感覚でとらえようとする。

 

 二つのドラマの間には、二五年の歳月がある。権力や暴力を行使する存在である刑事の描かれ方も、民主的になった。また、社会の有り様も変化した。

 だが、ここで注目するのは、刑事たちが活躍する背景として描かれる街の変化である。この刑事ドラマの舞台は、新宿、お台場というどちらも制作当時「副都心」として発展が期待された場所なのだ。p99

 

「第三章 東京のランドマーク変遷史」では、1890年に完成した浅草12階までさかのぼりながら、千住にあった「お化け煙突」(1926-1962)を経て、ランドマークが東京タワーから東京スカイツリーへとバトンタッチされる過程を、電化時代、電波時代の趨勢の中でとらえようとするのである。

 

 過去の栄光である東京タワーと未知の時代の入り口に立つツリーが並存する光景とは、まだ過去を切断できずにいる日本の現状の風景かもしれない。pp169-170

 

「第四章 水運都市・東京」では、島田荘司のミステリー『火刑都市』(1986)、さらには劇場版アニメの『機動警察パトレイバ―』(1989)や映画『釣りバカ日誌』第一作(1988)の中にみられる、高速道路の下に埋もれてしまった水の都江戸を美化するノスタルジックな視点をとりあげる。

 

「第五章 接続点としての新橋」では、文明開化の時期に帝都の玄関口として脚光を浴びた新橋の、戦前は花街、戦後は闇市の街としてのそれからと、一大メディア都市として発展した「汐留シオサイト」を一つのパースペクティブのもとにとらえようとする。

 

「第六章 空の玄関・羽田空港の今昔」では、1931年の開港から、戦後米軍による接収と、1951年の国内線、2010年の国際線の再開に至る過程を、石原裕次郎主演の映画『紅の翼』(1958)や加山雄三の『若大将シリーズ』(1961-)にみられる羽田の過去のイメージをたどりながらとらえ、さらに海から上陸する『ゴジラ』(1954)から空から現れる『ガメラ』(1965)への変化の中に、東京の発展を読み取ってゆく。

 

私たちの心の中の東京は、実は単に東京で過ごした経験に基づいたものではなく、それを舞台とした多くのフィクションの層、さらにそこで起きた多くの事件や出来事のニュースの層によってかたちづくられている。それゆえ、『東京β』は、中心のない聖地巡礼の書物とも言えるだろう。本書は、東京を舞台とした過去の作品を通して、過去の東京のすがたに迫ろうとする試みであるが、同時に東京という街を入り口として、映画やテレビ、小説やコミックやアニメなどのさまざまな作品案内にもなるという二重の楽しみに満ちた書物なのだ。

 

関連ページ:

速水健朗『東京どこに住む? 住所格差と人生格差』
速水健朗『フード左翼とフード右翼』
速水健朗『1995年』

書評 | 12:04 | comments(0) | - | - |
森本梢子『高台家の人々』1〜5

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略

 

 

『ごくせん』の森本梢子の最新コミック『高台家の人々』は、今最も面白いコミックの一つである。何をもって面白いかというと、要するに笑えるコミック、笑わないではいられないコミックの一点である。間違っても、電車の中で読み出してはいけない、周囲から変な人だと思われるだろうし、昼休みといえども仕事場で読み出してはいけない、夜中に自宅で読み出すのも、同居人がいる場合にははばかられるコミックである。要するに、黙って笑うレベルで済まず、声をたてて笑わずにはいられず必ず人に悟られてしまうコミックなのだ。

 

私の場合、最初1、2話の無料試し読みをしたら、まんまとはまって即座に読める電子書籍版の1〜4巻をダウンロードし、第5巻は電子書籍版はまだ出ておらず8月まで待たないといけないらしいので、待ち切れずに紙で購入して即座に完読してしまったのである。

 

さて、どこがおかしいか、面白いかと言うと、何よりもキャラクター設定の妙から生じる。

 

ぱっとしない普通のOLの平野木絵が、会社で出会った高台光正は、黒い髪、青い目の美形の貴公子であり、会社に着任して以来女子社員の人気を一心に集めていた。しかし、木絵は光正に見初められ、食事に誘われるようになる。まるでシンデレラのような出来事に本人も周囲も唖然とするが、光正の心はゆるぎない。

 

実は、彼は他人の考えている心がたちどころにわかるテレパスだった。エレベーターで一緒になったときに、自然に彼女の心を読んでしまい、そのグリムやアンデルセンのおとぎ話のような、時にアラビアンナイトになり、ハリーポッターのキャラクターまで登場する彼女の妄想の世界を見て、ついふき出すうち、彼女のことを好きになってしまったというわけだ。なんとなく気づきだし、そんな能力があればいいのにという木絵に対して、光正は言う。

 

他人の本音なんて知らない方がいいって

 

相手の嫌な面を思い知らされて

傷付いたり がっかりすることも多いんじゃない?

 

きっと他人と深く関わるのが

怖くなるよ

 

恋愛にも臆病になる…

多分

 

(『高台家の人々 1』)

 

他人の心を読み取ることができるのは、光正だけではなかった。光正の妹の茂子も、弟の和正も同じ能力を持ち、それゆえ同じように他人の心の醜い部分を毎日読み取らざるをえないという宿命を持っていた。だから、彼らもなぜ兄が不似合いな木絵を恋人に選んだ理由も痛いほどわかり、木絵の癒しの力に魅了され、たちまちのうちに彼女を好きになってしまうである。

 

呪いにも似たこの能力は、代々高台家の人々を苦しめてきた。心の中の醜さを露呈せず、自分の能力を打ち明けて、去らないような相手に巡り合うことは奇跡にも似た出会いなのである。そんな風にして、2巻では光正の祖父高台茂正と心を読む能力を持った祖母アン・ペドラーの出会いが、さらに3巻では高台茂正ジュニアと母親由布子の出会いが語られる。

 

兄弟姉妹の理解は得られても、能力を持たず、厳しい母親由布子は、家柄の違いも手伝って、地味でさえない木絵を拒絶しようとする。だが、そこで茂子や和正たちも一計を案じ、何とか木絵の得難い魅力を母親に理解してもらうべく奔走するのである。

 

そんなこんなで、何とか由布子の理解も取りつけた木絵は、晴れて光正との結婚を許されて…というのがこの5巻の内容である。

 

果たして、木絵は晴れて高台寺家の人々になることができるのだろうか。

 

『高台家の人々』の魅力は、オーソドックスな恋愛心理ドラマに、メルヘンチックな妄想世界のギャグを加味して、その毒を緩和するハートウォーミングな流れにある。そのためには、現実と妄想という二つの異なる世界を交互に描く、画力の魔法が必要である。『高台家の人々』の成功は、森本梢子のこの魔法の勝利なのだ。

 

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