つぶやきコミューン

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堀江貴文『本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略


なぜ堀江貴文の本を読むのか。ホリエモンになるためではない。

より自分らしくなるためだ。

その意味で、『本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方(SB新書)は堀江貴文の中でも、ベストの本である。

第一に物事をよりシンプルに考えるため。

一見難しそうに見える問題でも、単純にしてくれる。

第二には行動へと自分を駆り立てるためだ。

年をとってくると、面倒くさいという気持ちが大きくなって、20代、30代にはやれていたことができなくなる。何らかの言い訳が必ず自分につきまとう。一見もっともらしく見える理屈。それは無意識のうちに蓄積された心の澱(おり)のようなものだ。

そんな心の澱、残りカスを取り除けば、自分の本音が見えてくる。そして、行動への動線も見えてくるのだ。

堀江貴文の考え方は、実存主義の哲学者サルトルに似ている。サルトルもまた、うだうだ考える前に行動してしまえば、それが次の自分になると言った(「実存は本質に先行する」)。そして、無意識のうちに選択しながら、別の世界に生きているような幻想を持つことを「自己欺瞞」と言って攻撃した。堀江貴文もすべてはトレードオフであり、何かを選ぶことは何かを捨てることだと言っている。

それは多分、バカになることに通じる。

心の中で、自分の本音を隠したり潰したりする内なる敵をつくるのが、小利口ということだ。

そういう意味では、バカほど、強いものはない。

本音と行動の間に距離が、タイムラグがないからだ。

そしてチャレンジの場数が、無駄な情報である知識ではなく、体験に即した知恵になる。

人生は限りがある。ベストな生き方をしようとすれば、自分で何でもやることをあきらめる必要がある。他人に任せることができない限り、大きなこともできないし、やりたいことだけをやって生きることもできない。そう、『本音で生きる』の大きな柱の一つは、アウトソーシングの勧めなのだ。

前半は、ほぼ同じこと、本音で生きろ、無駄なプライドを捨てろ、自分への言い訳をするな、ノリが大事と、背中を押すような勢いのある言葉が書いてある。一貫している。一寸のブレもない。

そして、後半は具体的な知恵について、スマホ、ランニング、ギター、ゴルフなどいろいろな分野の話に振り、読者を飽きさせないように書いてある。

それをひとまとめにすれば「最適化」の技術ということになるだろう。

初めてウェブサイトを作った時の話が一番わかりやすく、しかも即役に立つ。

 僕が仕事をする前にあれこれ考えて「この知識も勉強しておかないと、あんな経験を積んでおかないと」などと考えていたら、無駄な知識のために時間を浪費することになっただろう。
 大体、やったこともないことに取り組む時に、どんな知識があれば十分か事前にどうやってわかるというのだ。最初からそんな風にバリアを貼ってしまうから、自分で自分の作った壁にぶつかってしまう。
 何かをする前に勉強をするのではなく、やりたいことをしながら学んでいくことが大事なのだ。
p145-146

引用する例は、この一つで十分だろう。学ぶことの本質を的確にとらえているからだ。

『本音で生きる』のベストの使い方は、読み終えてから何かをやろうとするのではなく(読み終わった瞬間内容の8割は忘れているものだ)、読んでいる途中で書いてある内容を行動に移す、または前からやろうとしていたこと、または新たなチャレンジに向けて、一歩踏み出すことである。

 アイデアの価値は暴落したが、その代わりに重要になったのが実行力だ。アイデアはいくらでも転がっているのだから、あとはやるかやらないかにかかっている。p150

実は、『本音に生きる』には、もう一つ大事なコンテンツがあり、堀江貴文の真骨頂とも言える情報収集の技術に関して、かなり高度なことが書かれている。それこそが、読者だけの楽しみ、特権ということで、これ以上は語らないことにしよう。



  Kindle版

関連ページ:
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森山高至『非常識な建築業界 「どや」建築という病』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略

「どや建築」とは何か?周囲の歴史性や景観との調和を顧みず、建築家のオリジナリティ幻想のままに建てられた「イタイ」設計デザインの建築である。このような建築は、無理な建築構造を志向するがゆえに、居住性や耐久性をも犠牲にしていることが多い。したがって、完成後もさまざまな問題が時間とともに生じる。要するに、使い勝手が悪く、時には地獄のような空間になってしまい、さらに本来壊れるべきでない時期から、外観や内装の破損が生じ始める。しかし、真の問題は、こうした問題建築を手掛けた建築家が、様々な問題発覚の後にも、自然に淘汰されることもなく、そのまま生きのびてしまう建築界の体質そのものにある。

このような建築業界の体質・構造にメスを入れたのが、建築エコノミスト森山高至『非常識な建築業界 「どや建築」という病』(光文社新書)である。新国立競技場の白紙撤回問題こそは、まさに「どや建築」の問題の全方位的な表面化であったと言えるだろう。そこで生じたのは、単にコストや工事の期間の範囲内で建物を建てることの物理的不可能性ではない。現実に手がけている工事の全体像を誰一人完全に把握することなしに、ネックとなっている様々な業界の利権全部入りの初期設定が覆されることもなく、無理な工事が進められようとしたガバナンスの不在そのものにある。

そして、ずっと小さなスケールではあるが、ほぼ同じようなことが日本の津々浦々で起こりつつある。第一には、建築業界によるデザイン至上主義があるが、建築家の多くは、デザイン分野の訓練を受けたことがない、理数系のオタクであり、審美的なレベルが高くない。つまり素晴らしいと信じて、醜い建築を量産してしまう危険性があるということである。オリジナリティを追求しているはずが、同じような黒か白かグレーの箱しか作れない発想の貧困もある。また、周囲の自然的・文化的環境との調和で、建物をつくるという発想が希薄で(それを謳ったとしても勘違いになりがちだ)、建築物単体の意匠を考えてしまう傾向がある。そうしてできあがるのは、全体としては何の統一性もない、てんでばらばらの自己主張を行う醜い街並み、都市景観である。それを業界全体が許容してきた点に問題の半分はあったと言えるだろう。

他方ではもう一つの問題が生じつつある。それは高齢化にともない、建築現場を支えてきた職人も、全体をまとめる現場監督の数も少なくなりつつある点である。それによって、それまで生じえなかったような問題が生じつつある。さらに、労働者派遣法の改正とあいまって、従来一心同体となって日本の建築を支えてきた元請け、下請け相互の信頼関係が崩壊しつつある。要するに、中の人たちがサラリーマン化して、自社や自分の部署のリスク回避、責任逃れを図る方向へ動き始めたということである。これを端的に表したのが、横浜の傾斜マンションの問題である。

 

 

短期的な利益を追求するばかりで長期的な人材教育をおろそかにし、人材の流動化という流行りの労働思想に乗ってしまった結果、多くの現場では工期に追われ、工事費用にも余裕がなくなり、建設工事のクオリティは目に見えて下がっています。横浜のマンション傾斜問題も、まさにそうした状態が行き着いた先で、起こるべくして起こった事件だったのです。p190


醜い、圧迫感を与える、周囲とマッチしないといった外観的な「どや」問題以上に深刻なのは、住みにくい、使いにくい、クソ暑いといった利用者に不利益をもたらす内部空間的な「どや」問題であり、さらに雨漏りがする、壁がはがれる、傾き始める、要するに建物として完全な形のまま本来の寿命を保てないという構造的な「どや」問題である。本書は、そうした諸問題の根源がどこにあるか考察するのに多くの手がかりを与えてくれる。

建築におけるデザインの価値を否定するわけではない。調和を乱すもの、醜いものも、オリジナルであれば貴い、えらいという発想が時代遅れなのだ。

「どや」建築とは、要するに幼稚な美意識の建築である。少なくとも公的な施設においては、伝統的な建築の長所、価値というものをすべて押さえた上で、周囲の自然環境や文化的歴史的環境との調和を目指した、住みやすい建築、使いやすい施設であることを必須とする、成熟した建築の美意識と倫理が確立されなければならない。そのためには、建築の美醜、アメニティや使い勝手のよさを、密室化した業界の外から評価するシステムも必要であるだろう。さらに、建築教育そのものが、一方においては内外の建築の歴史を知悉した教養や美的なアートの素養の訓練と、他方においては現場施工の技術的な常識を身につけることまで含めたホーリスティックな建築志向を持ったものへと生まれ変わることが求められる時期に来ているのではなかろうか。

書評 | 14:18 | comments(1) | - | - |
森博嗣『作家の収支』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本   文中敬称略
 

『F』に関していえば、ノベルスで約1400万円、文庫で4700万円の印税であり、この1作で、合計6000万円以上をいただいている。この作品は18万字くらいだったので、執筆に30時間以上かかっている。ゲラ校正などを含むと、60時間ほどが制作時間になる(最初なので時間がかかった)。時給にすると100万円だ。ただし、すぐに得られるわけではない。20年かかってこれだけを稼ぎ出したのである(今後もまたもう少し稼ぐことになるだろう)。

 



作家の印税は大体10パーセントであることはよく知られた事実だが、それ以外に原稿の相場はいくらか、新聞に小説を連載するといくらになるのか、対談本で何人もの人が話した場合印税はどのように配分されるのか、サイン会は金になるのか、小説が外国語へと翻訳された場合にはどうなるのか、テレビアニメ化や映画化された場合には支払いはどうなるのか、さらにそれにより本の売り上げはどう変わるのかーーーこうした誰もが疑問に抱く問いに対して、ことごとく具体的な数字を挙げながら答えたのが、19年間に280冊の本を出し、作家森博嗣(もりひろし)の『作家の収支』(幻冬舎新書)である。

森博嗣には2010年に出版された『小説家という職業』があるが、こちらではどの程度の本の数が出て、どの程度稼げたかといった大雑把な話しかしていないし、作家へのなり方や小説の文体などの創作論、編集者や慣習など業界の内部事情、電子書籍の登場による将来的な変化など総花的な内容であった。『作家の収支』では、最後にインターネットと電子書籍の時代の本の未来展望こそ一段と踏み込んで語られているものの、ほぼお金の話に終始している。『小説家という職業』がどうすれば作家になれるかが重点であるとすれば、『作家の収支』は、作家はどれくらい儲かるかが重点になっているのである。

著者の場合、そもそも本を読むのが特に好きというわけでなく、初めから金儲けのために小説を書くのだと公言している。そして、元国立大学工学部の教授らしく(作家デビュー後十年間は大学の仕事を続けていた)ドライに本の売り上げ部数や印税の総額といった数値を一種のデータとして集約し、分析している。文学への思い入れがあれば、なかなかこうはいかなかっただろう。

 この本に、これから客観的事実を書く。それらを僕自身がどう評価しているかは、なるべく書かないつもりだが、トータルとして、特に、それで満足しているわけでもなく、また不満を持っているのでもない。仕事をして、その報酬を得たというだけのことである。幸運に恵まれたのか、それとも労力に見合った結果なのかも評価するつもりは全然ない。そんな評価をする必要がそもそも僕にはないので、余計なことに頭を使いたくないのである。

本書にまとめられた収入の中には、たとえば本の帯に推薦文を書くといくらか、学校の入試問題に採用されるといくらかなど、ものすごくトリビアなものもあり、話のネタとしても尽きることがない。他方において、作家の支出に関しては、人件費を使わなければ税控除をとるにも困るほどにあっさりした扱いである。

今は、ウェブなどでちょっとしたきっかけで作家になる人も少なくないが、そこから多方面に活動が広がった場合、収支決済が煩雑になって収拾がつかなくなることもあるだろう。初めからこれはやる、これはやらないと戦略を決めておかないととんでもないことになることもある。そんな転ばぬ先の杖としても、本書は重宝するはずである。

作家をめざす人に対しては、小説家としてデビューするためにも、職業作家として長く生活してゆくためにも、他人の小説やノウハウ本も読むのは無駄であり、ただ時を置かずに小説を書いて書いて書きまくること、それしかないというのが著者の主張である。将来的な予想としては、これから出版業界は大変な時代になるが、作家のニーズは失われることはない、作家は、誰でも何の用意なしに、すぐ明日からでも始められる仕事ではあるが、それだけに競争は熾烈で、何らかの個性、新しさをひねりだせないと、サバイバルは厳しいだろうということになる。
書評 | 10:02 | comments(0) | - | - |

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