『世界の辺境とハードボイルド室町時代』(集英社インターナショナル)は、世界の辺境を旅するノンフィクション作家高野秀行と日本の中世史を研究する歴史学者で明治大学教授の清水克行のボーダーレスでスリリングな対談である。
ことの発端は、『謎の独立国家 ソマリランド』のような分厚い著作を出しても、ソマリアについて話すべき専門家の不在に苦しんでいた高野が、清水の日本の中世に関する本を読んだところ、ソマリアと室町時代との類似に驚いたことにある。
清水さんの著作を読み、室町時代の日本人と現代のソマリア人があまりに似ていることに驚いた私は、縁あって清水さんご本人と直接お会いする機会を得たのだが、ソマリ人はもとより、アジア・アフリカの辺境全般に過去の日本と共通する部分が多々あるということを発見、あるいは再認識し、ほとんど恍惚状態となった。p4
地球上の辺境へと旅しながら違った習慣や考え方を持った人々と接することと、古文書を読み解くことによって過ぎ去った時代の習慣や考え方を調べることには多くの共通点がある。それは今、ここで生きている私たちの習慣や考え方が当たり前のものではなく、全く別の考えや習慣を持った時代や場所に生きる人がいるのを知ることである。
そして時に、地理的な旅は歴史的な研究に関する新しい考え方を生み出すのにもつながる。
清水(…)それで、大学院生の頃、勝俣さんと初めてお会いしたときに、真っ先に「先生のおっしゃる通り、山賊と関署は裏表の関係にあることに、インドで気づきました」と言ったら、「君もそうか、僕もインドで気づいたんだよ」と言われて、びっくりしました。
高野 歴史学者はみんな、インドで気づく(笑)。p204
この対談は、ソマリアと室町時代の類似点とはどのようなものかから対談はスタートするが、対談の流れは体系的にそれぞれの専門領域を明らかにするというよりは、連想によってトピックからトピックへと話は転がり、何十何百というネタを出して読者を呆然とさせながら最後にまでその勢いが衰える気配がない
・辺境は意外に安全、危険なのは都市
・男性一人の値段はラクダ百頭
・刀は実用に適さない武器
・封建制は文明の中心からの距離が必要
・アフリカではサッカーチームが呪術師を雇う
・ソマリランドでは歌を詠むことが男女のたしなみ
・「ムラ」社会が成立したのは、応仁の乱の前後から
・昔は古米の方が値段が高く、今でも高い国がある
・東日本は金中心、西日本は銀中心の社会だった
・モンゴロイドで髭が濃いのは日本人だけ
・同性愛は戦国時代の文化…
歴史的・地理的な話の展開に劣らず面白いのが、それぞれの仕事を始めるまでの苦労、始めてからの苦労といった、人生のけもの道の話である。とりわけ高野の場合には、若くして矢継ぎ早に著書が出版され気をよくし世間を甘く見たものの、その後は本が売れず自分の選択に懐疑的になったりもした。
高野 なにしろ、「こんなこと、やってていいのか」っていうところから不安が始まるんで(笑)。評価もされないし、本も売れないということは、自分の路線が間違っている可能性が高いわけじゃないですか。ほかに同じようなことをやっている人もいないですからね。p240
清水も学者のなりそめのころは妻子を抱えたまま無職となり、やむをえず女子高の非常勤と予備校講師の掛け持ちをする羽目となった。好きを仕事にした人の運命は、多くの人が身につまされる内容である。
清水 東大で研究員の身分を三年だけ与えられたんですよ。ただ準公務員の扱いなので、アルバイト禁止という条件があって、それまで非常勤でやっていた高校教師とか全部辞めちゃったんですよ、アルバイトを。それで三年たって、どこかの大学の先生にでもなれたらいいなと甘く考えていたら、就職口がなくて、妻と子どもを抱えて、まったくのプータロ―になってしまって。p248
話の時代も語られる国々もあちこち散らばりすぎるために、この本だけで両氏の単著のように、ソマリアについての包括的な知識が身についたり、室町時代の全体像が見えてくるわけではないが、この本の最大の意義は、私たちが遠くの国や離れた時代について持つ固定観念をことごとく覆し、そこからふり返って自分の今住んでいる国、今生きているこの時代の特徴というものをクリアに浮き彫りにすることにある。
高野 僕は、現代日本の方がむしろ特殊であって、アジア・アフリカの辺境や室町時代の日本の方が、世界史的に普遍性を持った社会だったんじゃないかって夢想することがありますよ。
清水 そうだと思います。江戸時代という特殊な時代を経て、その延長線上にあるのが今の日本社会だと考えると。p303
『世界の辺境とハードボイルド室町時代』は、私たちの地理的・歴史的好奇心を満足させてくれるだけでなく、数多くてどこから手をつけてよいかわからない高野秀行の冒険的著作のブックガイドにもなっている快著である。