つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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桜木紫乃『ホテルローヤル』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略



桜木紫乃『ホテルローヤル』
(集英社)は、2013年の第149回直木賞受賞作である。毎年2人から4人の直木賞受賞作が出るが、ほとんど作品は記憶に残ることなく、水面に浮かぶあぶくのように浮かんでは消えてゆく。その中で、『ホテルローヤル』は一際異彩を放つ傑作である。

どこが新しいのか?作品の主人公がホテルローヤルという建物である点だ。

もちろん、漱石の『吾輩は猫である』のように、一人称でホテルが語り出すというのではない。

『ホテルローヤル』は、「シャッターチャンス」「本日開店」「エッチ屋」、「バブルバス」、「せんせえ」「星を見ていた」「ギフト」という七つの物語からなっているが、それぞれに違った時間のホテルをー誕生から、店じまい、廃墟になるまでー違った視点から語っているのである。つまりそのホテルをつくった人、それを受け継いだ人、働く人、それを利用する人といった人々の視点を借りて、間接的にホテルの一生が語られるのである。

「ホテルローヤル」といってどんなホテルを思い浮かべるだろうか?

ここに登場するのは、夜になると赤いネオンサインも鮮やかな、昭和臭のするラブホテルなのである。それだけに、そこには色濃く人々の、とりわけカップルの愛憎が渦巻く空間である。そして、その背後にそれぞれの人の、赤裸々な人生模様が浮かび上がる。

『ホテルローヤル』は、精密に組み立てられたジグソーパズルのようなものだ。同じ出来事の記憶が、異なる人の視点から、違った言葉で語られる。別々の物語の中の断章と断章の遠近法の中で、決して辿り着くことのできない場所の歴史の全体が、イリュージョンのように、浮かび上がるしかけなのである。

やがてホテルは、消え去り、後に残る無常観。

私たちの家、学校、病院、商業施設、役所、駅…すべて人が作り、生活する場所は、このような無常の歴史を持っているはずである。『ホテルローヤル』に描かれたのは一つの例にすぎないが、それは一例を超えて、多くの人生を、そして似たり寄ったり運命をたどる多くの場所を表現した傑作なのである。
危険地報道を考えるジャーナリストの会・編『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略     ver.101



危険地報道を考えるジャーナリストの会・編『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか −取材現場からの自己検証』(集英社新書)は、戦場を取材対象とするジャーナリストや写真家10人の現場の声を集め、わざわざ戦火の中に赴いてまで行う取材の意義を総括・再検討したものである。

寄稿者は以下の10人である(登場順)。
石丸次郎(アジアプレス大阪オフィス代表)
川上康徳(中東ジャーナリスト、元朝日新聞記者)
横田徹(報道カメラマン)
玉本英子(アジアプレス大阪オフィス)
及川仁(共同通信社ニュースセンター副センター長)
内藤正彦(テレビ朝日ニュースセンター編集長)
高世仁(「ジン・ネット」代表)
綿井健陽(映像ジャーナリスト・映画監督)
高橋邦典(写真家)
土井敏邦(フリージャーナリスト)

21世紀になってもシリアやイラク、アフガニスタンなど戦火は収まらず、日々死者が増えてゆき、様々な国々の利害の対立の中、平和が訪れる気配すら見えない。戦場を取材する記者やカメラマンのニーズも高まる一方で、国内にはそのような危険地へとわざわざ取材に赴くことの意義を問いただしたり、非難する声さえ高まっている。

 多くの市民は、ジャーナリストが現場に入り危険な思いをしながら取材した情報を日常的に享受しているはずだ。普段はその仕事に対して賞賛や感謝などすることもないのに、いざ彼らが拘束されようものなら、「自分が勝手に危険な場所にいったのだから、国民に迷惑をかけるな」と批難し、切り捨てる。職務に対する本来の「自己責任」の意味を取り違えた、ただのバッシングであるにもかかわらず、これが一般にまかり通ってしまうところに日本社会の闇の深さを感じずにはいられない。(高橋邦典「米国メディアの危険地報道ー日本との相違」p216)

かつての戦場ジャーナリストがヒーローであって疑われることのなかった時代、たとえ本人が戦場で殉職することがあろうと、勇気ある生き方の範として讃えられた時代は去った。大手メディアも社員を戦場へと派遣することは止め、フリーランスに取材を任せることが増えつつある。それも責任問題になるので初めから企画することはできないという。

そして、不幸にしてジャーナリストが戦場で取材中に死ぬようなことがあった場合、本人の人格や言動にツッコミどころが少ない場合には、今日でも悲劇のヒーロー・ヒロインとしてもてはやされる場合もあるが、その時には彼(女)らが命を捧げて報じようとした現地の人々の悲惨な生活や膨大な死者の数は棚上げにされ、本末転倒の状態になってしまうのである。

 戦争の死者とは、一義的には、そこで暮らしている地元の人たちだ。彼らが最も被害を受け、彼らこそが理不尽かつ不条理な死を強いられる。それを追うジャーナリストやカメラマンの死の「物語」だけが語り継がれて、市民や住民の死が顧みられないのだとすれば、それは順序が逆だ。(綿井健陽「戦争報道を続けるためにー過去の事例から学ぶこと」p179)

世界的にも新聞など大手メディアはかつてほどの潤沢な予算を持ちえなくなり、ジャーナリストの仕事が経済的に困難になる一方で、ジャーナリストを殺害や誘拐のターゲットとする武装組織も増え、従来の取材方法で危険を回避することができなくなっている。この国における戦争報道の現状は、国民全体が世界に対する好奇心を失い、海外へと旅行しない引きこもり状態へと向かう中、かつて以上に難しく、多くの問題を抱えるようになっているのである。

ロイターやAPなどの欧米の通信社に任せてしまえばよいとの声もある。そうした記事を買うことでも記事は可能である。わざわざ戦場に日本人を送って取材することの意味が一体どこにあるのだろうか?

一つには、自衛隊が派遣されたサマワのように、日本の利害が強くからむ地域には欧米のメディアもそれほど熱心に報じるわけではない地域に特化することである。このような地域の詳細な報道は全国民的な関心事である一方で、戦闘行為の被害であれ、加害であれ、法的な正当性や被害の責任問題が生じるがゆえに、政府が報じられることを忌避する地域でもある。

 サマワでの検証取材によって、自衛隊がサマワで行った復興事業の多くが、ずさんな欠陥工事だという事がわかった。(川上康徳「紛争地を抱える中東の事実を見る目の役割」P49)

 こうした情報の空白は、国策を誤らせることにもつながる。情報の入りにくい「危険地」を取材するジャーナリストをもつことは、国民の利益、すなわち真の意味での「国益」につながっていると言えるのではないか。(高世仁「危険地取材をテレビ局に売り込む」p166)

さらに、日本人の感覚に合った報道内容や報道方法の選択は、日本人にしかできない部分もあるだろう。

戦場での報道の必要性を訴える声がある。戦争の悲惨さや残虐行為を世界に伝え、抑止する唯一の力がジャーナリズムであるという現地の人々もいる。

葬儀用の幕の中に座っていると、後ろにいる50代くらいのおばあちゃんが突然私の背中を突いてきた。
「わざわざ日本からこんな危険なところに来てくれてありがとう」
ふさぎこんでいたので、アラビア語と片言の英語に恐縮してしまった。
「感謝されることなどしていないし、私にはそんな力ないです」
 私がそう返すと、パレスチナのおばあちゃんは両目を大きく開いて頭を左右に振った。
「なに言ってるの?あなたが日本語で日本の人たちにこのひどい状況を伝えてくれることは私たちにはとても重要なのよ」
 その時の私には、目が覚めるような言葉だった。
(内藤正彦「テレビの「危険地取材」はどう変わったか」pp130-131)

その一方で、自分たちの利益を満たしながらも、何ら平和につながっていないという現地の人々もいる。代わりに伝えること、訴えることに正当な理由はあるのか。

 私はパレスチナで取材するとき、被害者の住民からこんな言葉を投げつけられたことがある。「お前たちは、私たちの悲劇を取材し撮影してテレビ局や雑誌に売って金儲けをする。お前のようなジャーナリストがこれまでもたくさん来て、たくさん撮影していったが、それで私たちの生活がよくなったか?何も変わらないじゃないか。お前たちは私たちの悲劇を食い物に”ハゲタカ”だ」と。(土井敏邦「危険地報道とジャーナリスト」pp232-233)

ジャーナリストは、好き好んで危険な地域へと赴くわけではない。だが、必要な場所には出かけなければならない。可能な限りリスクを回避し、ほぼ安全との感触を得ながら出かけるわけだが、予定通りに動けない場合もある。急な事態の変化もある。

 治安状況は刻々と変わる。いま安定しているからといって、徐々によくなるとは限らない。突発的な事件が起きると、今日安全だった場所も翌日には戦闘地域となっていることもある。その空気を敏感に感じとり、的確に判断していかねばならないのが紛争地取材の難しさである。(玉本英子「戦場の人々を見つめるまなざし」p83)

そして戦火以外の交通事故などによって死傷する場合も劣らず多い。そんなわけで、本書の中では、多くの殉職者の名前がある。直前に制止したにもかかわらず、取材に向かってしまった仲間の死に対する口惜しさもあちこちに書かれている。

「バグダッド南方で日本人ジャーナリストが襲撃され、死亡したとの情報がある。外務省邦人保護課からだ」
「橋田さんと小川さんであることを直感した。「なぜ2人を止められなかったのか」「もう少し別の話しをしていれば説得できたのではないのか」。2人を思いとどまらせることができなかったのは、これまでの記者人生の最大の痛恨事だ。
(及川仁「通信社の記者は、最後まで残って取材を続ける」pp111-112)

そして、いかにして、戦火の犠牲にならないかその方法が子細に検討される。自分が無事なだけでは十分ではない。通訳や運転手など現地での取材協力者の生命をいかに守るかの知恵も、今日では求められるようになっているのである。

『ジャーナリストはなぜ「戦場」に行くのか』は、これら戦争報道の多岐にわたる問題に対する、それぞれの取材経験にもとづいた総括であり、一つの統一された結論を出すというよりも、多くの考える材料を読者に提供し、考えさせる一冊となっている。


高野秀行×清水克行『世界の辺境とハードボイルド室町時代』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略

『世界の辺境とハードボイルド室町時代』(集英社インターナショナル)は、世界の辺境を旅するノンフィクション作家高野秀行と日本の中世史を研究する歴史学者で明治大学教授の清水克行のボーダーレスでスリリングな対談である。

ことの発端は、『謎の独立国家 ソマリランド』のような分厚い著作を出しても、ソマリアについて話すべき専門家の不在に苦しんでいた高野が、清水の日本の中世に関する本を読んだところ、ソマリアと室町時代との類似に驚いたことにある。

 

 清水さんの著作を読み、室町時代の日本人と現代のソマリア人があまりに似ていることに驚いた私は、縁あって清水さんご本人と直接お会いする機会を得たのだが、ソマリ人はもとより、アジア・アフリカの辺境全般に過去の日本と共通する部分が多々あるということを発見、あるいは再認識し、ほとんど恍惚状態となった。p4


地球上の辺境へと旅しながら違った習慣や考え方を持った人々と接することと、古文書を読み解くことによって過ぎ去った時代の習慣や考え方を調べることには多くの共通点がある。それは今、ここで生きている私たちの習慣や考え方が当たり前のものではなく、全く別の考えや習慣を持った時代や場所に生きる人がいるのを知ることである。

そして時に、地理的な旅は歴史的な研究に関する新しい考え方を生み出すのにもつながる。

 

 

清水(…)それで、大学院生の頃、勝俣さんと初めてお会いしたときに、真っ先に「先生のおっしゃる通り、山賊と関署は裏表の関係にあることに、インドで気づきました」と言ったら、「君もそうか、僕もインドで気づいたんだよ」と言われて、びっくりしました。
高野 歴史学者はみんな、インドで気づく(笑)。p204


この対談は、ソマリアと室町時代の類似点とはどのようなものかから対談はスタートするが、対談の流れは体系的にそれぞれの専門領域を明らかにするというよりは、連想によってトピックからトピックへと話は転がり、何十何百というネタを出して読者を呆然とさせながら最後にまでその勢いが衰える気配がない

・辺境は意外に安全、危険なのは都市
・男性一人の値段はラクダ百頭
・刀は実用に適さない武器
・封建制は文明の中心からの距離が必要
・アフリカではサッカーチームが呪術師を雇う
・ソマリランドでは歌を詠むことが男女のたしなみ
・「ムラ」社会が成立したのは、応仁の乱の前後から
・昔は古米の方が値段が高く、今でも高い国がある
・東日本は金中心、西日本は銀中心の社会だった
・モンゴロイドで髭が濃いのは日本人だけ
・同性愛は戦国時代の文化…

歴史的・地理的な話の展開に劣らず面白いのが、それぞれの仕事を始めるまでの苦労、始めてからの苦労といった、人生のけもの道の話である。とりわけ高野の場合には、若くして矢継ぎ早に著書が出版され気をよくし世間を甘く見たものの、その後は本が売れず自分の選択に懐疑的になったりもした。

 

高野 なにしろ、「こんなこと、やってていいのか」っていうところから不安が始まるんで(笑)。評価もされないし、本も売れないということは、自分の路線が間違っている可能性が高いわけじゃないですか。ほかに同じようなことをやっている人もいないですからね。p240


清水も学者のなりそめのころは妻子を抱えたまま無職となり、やむをえず女子高の非常勤と予備校講師の掛け持ちをする羽目となった。好きを仕事にした人の運命は、多くの人が身につまされる内容である。

 

清水 東大で研究員の身分を三年だけ与えられたんですよ。ただ準公務員の扱いなので、アルバイト禁止という条件があって、それまで非常勤でやっていた高校教師とか全部辞めちゃったんですよ、アルバイトを。それで三年たって、どこかの大学の先生にでもなれたらいいなと甘く考えていたら、就職口がなくて、妻と子どもを抱えて、まったくのプータロ―になってしまって。p248


話の時代も語られる国々もあちこち散らばりすぎるために、この本だけで両氏の単著のように、ソマリアについての包括的な知識が身についたり、室町時代の全体像が見えてくるわけではないが、この本の最大の意義は、私たちが遠くの国や離れた時代について持つ固定観念をことごとく覆し、そこからふり返って自分の今住んでいる国、今生きているこの時代の特徴というものをクリアに浮き彫りにすることにある。

 

高野 僕は、現代日本の方がむしろ特殊であって、アジア・アフリカの辺境や室町時代の日本の方が、世界史的に普遍性を持った社会だったんじゃないかって夢想することがありますよ。
清水 そうだと思います。江戸時代という特殊な時代を経て、その延長線上にあるのが今の日本社会だと考えると。p303


『世界の辺境とハードボイルド室町時代』は、私たちの地理的・歴史的好奇心を満足させてくれるだけでなく、数多くてどこから手をつけてよいかわからない高野秀行の冒険的著作のブックガイドにもなっている快著である。

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