つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
<< May 2015 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
 
ARCHIVES
RECENT COMMENT
@kamiyamasahiko
MOBILE
qrcode
PROFILE
無料ブログ作成サービス JUGEM
 
松井優征『暗殺教室 14』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略



松井優征『暗殺教室』も14巻、いよいよ後半に入ってきました。

14巻に出てくるのは、学園祭と二学期の期末試験です。もともと殺せんせーによって地球が破壊されるまでの時間の猶予は、翌年3月までの時間しかありません。さらに3年E組の生徒は、二学期末試験の機会を逃すと、このまま卒業し、学園から追い出されるしかないのです。

椚ヶ丘中学校の連絡掲示板にはこんな言葉が。

補足事項
〇E組生徒が本校舎に復帰できる期限は
 二学期終了時までとする。
 それまでに復帰資格を得られなかった生徒、
 復帰申請を行わなかった生徒は、
 E組で卒業ののち、外部生徒になるものとする。

さらに、連載中の少年ジャンプでは殺せんせーの正体やら誕生の謎まで、明かされています。この14巻にも、そのヒントになるコマが一つありますね。57pのある女性との会話シーンがそれです。

ガラスのようなつい立を挟んで、研究所のような場所で、白衣の女性がシルエットになった人影に話しかけています。悲劇的なラブロマンの匂いプンプンですね。

今日を…
あながた
生まれた日に
しませんか?

回想する殺せんせーのモノローグは

あなたが私に
くれた「縁」を…
私は
上手く繋げて
いるでしょうか

というものです。3年E組との「縁」は、この女性が殺せんせーになる前の元の男性に与えた「縁」ということになりそうです。

さて、学園祭では、3年E組は山の上の辺鄙な教室というハンディをしょいながら、3年A組相手に戦うことになります。メニューの、どんぐりつけ麺とは?

やって来る客はと言えば、京都で修学旅行の際痛い目に遭わされた学ランの高校生たちに、潮田渚を女の子と勘違いしたユウジ。他方、3年A組のイベントカフェは圧倒的な盛り上がりを見せるのでした。

そして、期末試験では理事長の浅野学峯がじきじきに指導する3年A組相手に、殺せんせー率いるE組は頂上決戦を挑むことになります。その陰には、理事長と息子の学年一の優等生浅野学秀との不和があり、3年E組潰しを息子に任せられなくなった彼は、直接教壇に立つことになったのです。

周囲の生徒も、理事長と殺せんせーとの意外な類似点に気づき始めたようです。

―理事長先生と
殺せんせーってさ
なんかちょっと
似てるよね
―どこが?
―2人とも…
異常な力持ってんのに
普通に先生やってるとこ

続く15巻では、理事長がこのような考え方の持ち主になった経緯も語られることでしょう。

ちょうどそのころ、息子の浅野学秀が赤羽業(カルマ)に持ちかけたある依頼とは?

学園祭の、そして期末試験の勝負の行方はいかに?

どのような展開になろうと、翌年3月には、終わるしかない『暗殺教室』。毎回楽しい展開の連続でしたが、これからいよいよ悲劇のトーンを帯びたクライマックスに入ることになりそうです。
黒柳徹子『トットひとり』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本  ver.1.01    文中敬称略 



物心ついたころより、すでに黒柳徹子はスターであり、シーンを変えながら、今も現役で活躍し続けている。「徹子の部屋」も30年間続き、今なおその記録を伸ばし続けている。超絶技巧的な舌の回りこそ、衰えは隠せないものの、30年前とさして変わらぬイメージを維持し続けているのは奇跡と言ってよいだろう。

しかし、自分自身はどんなに若々しい気持ちでいて、心身ともに若さをキープしようと、ひとは長生きすればするほど、死別する友人や知人は増えてくる。自分よりも年上の先輩は当然かもしれないが、同年代や年下の仲間まで先立たれるなら、一層の孤独を感じないではいられない。

  二〇一一年の秋の初めに、杉浦直樹さんが死んだ。これで、私の芸能界における<家族>は、本当に、みんな、いなくなってしまった。芸能界での家族というのは、母さんと呼んでいた沢村貞子さん、兄ちゃんの渥美清さん、お姉ちゃんの山岡久乃さん、そして、セイ兄ちゃんと呼んでいた杉浦さん、これで全部。p287

黒柳徹子『トットひとり』(新潮社)は、ほぼ60年にわたり芸能界の最前線に立ち活躍し続けてきた著者の出会いと別れの物語を中心に綴った、いわばレクイエム的なエッセイ集である。向田邦子、森繁久彌、渥美清、沢村貞子、杉浦直樹、井上ひさし、つかこうへい…彼女が家族のように、接してきた人たちの多くは、私たちにとってもただ物でない人たち、国民的大スターである。語られて初めて、私たちの心の中の空白の大きさに気づくような人たちなのだ。

仕事の間、著者が彼女の部屋に入りびたりだった向田邦子、最後まで「ねえ、一回どう?」と言い続けた森繁久彌、著者がお兄ちゃんと呼んだ渥美清、お母さんと呼んだ沢村貞子、その最後の言葉がありありと読者の心に突き刺さる。

 森繁さんは私の手を握ったまま、「ねえ、一回どう?」と言った。いちばん最初、「パノラマ劇場」のセットでそう言われてから、気がつくと、もう四十年以上もたっていた。「今度ね」と私が言うと、「君は、『今度ね、今度ね』とずっと言い続けてて。シワクチャになってからじゃ、いやですよ」と言った。「私だっていやですよ」そう言うと、私は素早く森繁さんのそばから離れた。これが森繁さんとの最後の会話になった。p106

 私は、最後に兄ちゃんが、私の留守電に入れてくれたメッセージを思い出した。「お嬢さん、お元気のようですね。私は、もうダメです。お嬢さんは元気でいて下さい」。私は、少し、かすれた兄ちゃんの、この声が、最後になるなんて思ってもいなかった。
 (…)
 私は、しばらく台所に立ったままでいた。もし、母さんが元気なら、このことを伝えれば、母さんらしい、独特のなぐさめかたを、してくれるだろう。母さんも、よく一緒に仕事した兄ちゃんだから。(母さん、兄ちゃんが死んじゃったんだって)。でも、死にかけている母さんには、言えない!と思った。これほど、つらいことも、そうない、と私は思いながら、黙って、ベッドにもどった。

pp131-132

一つ一つの文章が、その人たちの個性をリアルに伝え、細やかな愛情の数々、感情の機微が迫ってくる。文章は自然体でありながら、ある人のことを伝える文章は他の人のことを伝える文章とははっきり違い区別される。著者とその人との親密な距離感、独自の空気感の中で書かれているからだ。

『トットひとり』は、単に逝去した著名人との楽しい思い出やを悲しい別れをつづった文章ではなく、テレビでの仕事を続ける中での著者の様々な転機の記録でもある。そして、私たちがよく知っている、あるいはかろうじて記憶に残っている番組の知られざる裏も明かされる。

「ザ・ベストテン」をやるまでの久米宏は海の中に飛び込むような仕事もしたこと、番組をやる条件とは、決してランキングに嘘をつかないこと、呼べない場合にはごめんなさいと正直に謝ること、マイクのほつれを解こうとして、画面に映るはずがないと著者が床に這いつくばったこと、番組が続かなくなったのは曲が長くなりすぎたためなど、今だからこそ紹介できる秘話がてんこ盛りである。

テレビが始まったころはみんな台詞を覚えようとせず、何らかのカンニングペーパーをそれぞれに用意するのだが、森繁久彌は堂々たるもので、弟子に座敷のついたてに全部の台詞を書かせていた。坂道でもNHKのスタッフがずらりと大きな紙を持って並んでいたが、それでも森繁演じる坂田三吉の台詞に、感動して泣く人が続出したというから、やはり大物は違うのである。

また「ふしぎ発見!」では事前にネタを教わり予習を済ませて正答率が高まりすぎたため、次第に教えてもらえなくなり、こんな一幕もあったと言う。

 普段は事務所の人に図書館へ行ってもらうのだが、たまに自分で、都心の大きな図書館へ行って、予習勉強用の本を借りることがある。ある日、私があるテーマの本棚に手を出したら、すぐそばで、バサッ!と大きな本を落とした人がいた。若い女性が、私を見ていた。私が図書館にいるのがそんなに珍しいのかな、と思って、なんとなくその場を離れたのだけど、なんと彼女は「ふしぎ発見!」の問題作成チームの一員だったのだ。慌てて、みんなに、
「ダメです!黒柳さん、私が出題のヒントにした本に手をかけていました!」

と報告した(私は問題作成の人たちを知らない)。
p244

NHK朝の連続テレビ小説「繭子ひとり」では、田舎者のお手伝いさん田口ケイという役柄でメークも服装もがらりと変えたため、誰も黒柳徹子と気づかなかったこと。

さらに、タマネギ頭の流行に触れながら、その中に飴玉を隠して子役の俳優を驚かせたエピソードも明かす。

 目を丸くしたといえば、「こども店長」をやってた加藤清史郎君が「徹子の部屋」にゲストで来た時、突然、「黒柳さん、頭の中にアメ入ってるって、本当ですか?」と、あの子どもらしい澄み切った声で聞いた。「あら、どうだったかしら、今日は」と言いながら、後頭部からグリーンの紙に包んだアメをだしたら、「ありがとうございます」と言って受け取りながら、なかば硬直したようにびっくりしていた。「あ、そうだ。もう一つは入っているから、これ妹さんにあげて」とピンクの紙に包んだアメを出して渡したら、彼は、両手に一つずつ持ちながら本当に驚いたらしく、しばらくフリーズ状態になっていた。p237

『トットひとり』を読むとき、生まれてから今日に至るまで実に多くの時間を著者と共有していたことに気づく。そして、実に多くの喜びや悲しみ、笑いと涙を。『トットひとり』は、著者黒柳徹子にとってのみならず、私たち読者にとっても、過去の様々な時間へとタイムスリップし、時間の路地へと分け入る旅、「失われた時を求めて」なのである。
東野圭吾『ラプラスの魔女』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本    文中敬称略


 

東野圭吾『ラプラスの魔女』(角川書店)は、科学知識に基づいた緻密なロジックで作品世界を完結させる東野圭吾の作品としては、異色のミステリである。何と言っても、ほとんど超能力のように見える何かが作品の主題になっているからである。

『ラプラスの魔女』というタイトルは、ラプラスの悪魔(またはラプラスの魔)という言葉に基づいている。ラプラスは18世紀末から19世紀初頭にかけて活躍したフランスの数学者であり、物理学者・天文学者だが、決定論の世界の帰着する先を次のように定式化した人物である。

 

 「もし、この世に存在するすべての原子の現在位置と運動量を把握する知性が存在するならば、その存在は、物理学を用いることでこれらの原子の時間的変化を計算できるだろうから、未来の状態がどうなるかを完全に予知できる―」p342


もしもそのような知性が存在するなら、極論すればある時ある場所で火山の噴火や津波や土砂崩れなどの自然災害が起こることが予想できるなら、その時間、その場所に待ち合わせて相手を誘えば(そして自分はその場所に行くタイミングを遅らせれば)、相手を死に至らしめることが可能である。しかも警察はそれを不慮の事故として処理するしかないから、自らの手を汚すことなしに、完全犯罪による殺人が可能ということになる。『ラプラスの魔女』というタイトルが暗示するのは、そのような知性が登場するミステリの世界であり、その知性の持ち主が女性であることを意味する。

作品の冒頭で登場するのは、羽原円華(うはらまどか)という少女の話である。彼女は母親美奈の実家のある北海道で母親ともども竜巻にあってしまう。次の章は、数年後、「数理学研究所」へと呼び出され、羽原円華のガードを依頼された元警官の男、武尾徹から見る彼女の姿である。彼女はいくつもの不思議な出来事を引き起こす。それは風船や紙飛行機を思った通りに飛ばすというものにすぎなかったが、川に流された帽子が戻ってきたり雨が降り止むことを予言したりと不思議な出来事が相次ぐことによって不気味さを感じるようになった。次の章では、ある温泉宿で散歩に出かけたカップルの夫水城義郎が妻千佐都が忘れ物を取りに帰った間に、硫化水素ガス中毒で死ぬ。麻布北警察所の中岡佑二の元には、財産目当てで結婚した年の離れた妻に、息子が殺されるかもしれないとの告発の手紙が男の母親より寄せられたばかりであった。地本の警察の依頼で事故の調査を行った地球化学者の青江修介は、現地で円華と出会う。さらに彼の元を訪ねる刑事の中岡、次第に事件の隠れた真相があるのではといぶかしく思い始める。もしも、硫化水素ガスの流れを操ることができるなら、犯行は可能だが、そんなことは物理的にありえない。だが、本当に不可能なのか。

さらに別の温泉宿でも同じ死因で人が死ぬ。二つの場所は300キロメートルも離れているが、二つの事件の間につながりはあるのか、それとも単なる偶然にすぎないのか。

 

その二カ所の場所でも羽浦円華の姿が見られた。とすれば彼女の仕業なのだろうか。だが、彼女のような能力の持ち主が一人でないとしたら…

二つの事件の死者が映像関係者ということで、そこから共通点を探すうちに、別の人物とその家族に訪れた悲劇に青江はたどりつく。そこでも再び現れる硫化水素ガスの存在。いつしか硫化水素の迷宮の中に、青江はさまよいこむのであった。

ラプラスの悪魔のような存在は、現在の法律上では、超能力や呪いによる犯罪同様に処罰が不可能な存在である。法律は超能力や神のような知性といった非科学的な存在を認めることができないからだ。それだけに、結末の部分も歯切れが悪いものにならざるをえない。事件は解明されても、もやもやとしたものが残ってしまう。それを回避する方法もあったはずなのだが、著者はその方法を取ってはいない。そういう意味で、途中までは引き込まれるように読み耽るが、倫理的な落としどころには達しておらず、ややカタルシスの弱い作品と言えよう。最近の東野作品では、刑事が主人公の場合を除き、真実の解明のみが探偵役の使命で、その裁きには一切関わらないといった方向性が顕著になっているのである。

関連ページ:
東野圭吾『マスカレード・イブ』
東野圭吾『祈りの幕が下りる時』
東野圭吾『夢幻花』

書評 | 17:52 | comments(0) | - | - |

(C) 2024 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.