苫米地英人『『21世紀の資本論』の問題点』
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文中敬称略
アメリカで50万部のベストセラーになったトマ・ピケティの『21世紀の資本』は、日本でも大きな話題となり、6千円を近い価格にもかかわらず、売れている。
果たして、この本は何を伝えようとするのか?この本にそれだけの価値があるのだろうか?
いきなり本書にチャレンジするのもリスクが高いという向きには、何冊か紹介書が出て、本屋の店頭に並んでいる。
苫米地英人『『21世紀の資本論』の問題点』(サイゾー)もその一冊の一つである。戦略的に648円と低い価格に抑えてあり、ふだん本を読む習慣のある人なら30分程度もあれば読み切れる小著であるが、驚くほどわかりやすく、明瞭に書かれている。
冒頭にある苫米地氏自らによる要約をそのまま借りることで、『21世紀の資本』の内容も簡単に伝えることができるだろう。
700ページに及ぶ大著の内容がこの数行に要約されるというのである。個々の時代や国のケーススタディに多くの行数が割かれているため膨大に膨れ上がっているだけで、言われていることは至ってシンプルで、r(資本収益率)>g【経済成長率)という一つの数式に収斂することになる。要するに経済活動が進み、働ければ働くほど、格差は広がるということである。この公式自体、別にごく当たり前のことで、何も新しい発見ではないと苫米地氏は言う。そうでなければ誰もわざわざ投資したりなどしないで、自分で働いた方がましだからだ。
そうした上で、著者は『21世紀の資本』の四つの問題点を指摘する。
第一の問題点は、方法論的なものである。この本の中で、ピケティは従来の経済理論における数理モデルを放棄し、歴史学的な記述に終始していることである。
残り三つの問題点は、ピケティの提案に関するものである。
第二の問題点は、ピケティは所得のみならず、資産にも累進的な課税を行うことを提案するが、稼げば稼ぐほどペナルティを課されることは、不公正であるだけでなく、経済活動そのものを沈滞させる結果を招きかねないと苫米地氏は指摘する。たとえば、町中の小さな工場の建物や機材にも容赦なく課税されてしまうことになる。
第三の問題点は、グローバルな課税が不可能であるのみならず、それが実施されるなら一ヶ国が離脱すれば一人り勝ちの状態になり、複数の国家が連携離脱すれば分断のみならず、世界戦争を招きかねず、格差より大きな危機をもたらしかねないということである。
第四の問題点は、ピケティの主張する金融資産への課税そのものが不可能であるということである。現在の経済において、10倍のレバレッジをかけている場合、つまり100万円を自己資金の担保に入れ、1000万円の投資を行っている場合、これは実質800万円の負債でしかない。捕捉できない資金の流れがタックスヘブンに流れ込んだというのはごく少数であり(なぜなら動かないお金は死に金でしかないから)、大半はレバレッジによる負債にすぎない、したがって課税できないということになる。
これに対する批判が、リーマンショック以前の古い経済しか知らない人間の中からあがっているが、それに対する苫米地氏自らの反論があるのでそちらを参照のこと。
http://www.tomabechi.jp/archives/51467961.html
苫米地氏の論評をまとめると、ピケティの『21世紀の資本論』は、実際の商取引に関わったことのない「象牙の塔」にこもりきりの秀才学者が、博識と勤勉精神を発揮して書き上げた労作だが、内容は、わかりきったことを回りくどい手順を踏んだだけであり、そこには科学としての経済学への意志は放棄され、恣意的な歴史的記述に終始するのみで、その提案に至っては、架空の数値に踊らされた上、実行不可能なお花畑であるということになるだろう。
このような学術書としてツッコミどころ満載の本が、ベストセラーとして売れた背景として、格差社会が広がりつつあると言う意識がアメリカ社会に蔓延しているため、本書の内容が実感として「しっくりくる」ためであると苫米地氏は指摘する。
それでも、苫米地氏はKindleで本書を読んだ上で、あえて紙の本を買わないではいられなかった。それは、「インテリアブック」としての魅力であると言う。アメリカでも、多くの人が部屋に知的な雰囲気を漂わせる目的のために購入しているのではないか。
苫米地氏は意味と論理の人であるから、抽象次元での『21世紀の資本』の分析は正しいし、他の学者の主張と大きくずれたものでもない。しかし、本の内容はもっぱら要約される命題によってはかられるものでもない。『21世紀の資本』の価値は、むしろ学術書というよりも、バルザックやユゴーの小説などを含め、様々なジャンルの膨大な文献にあたり、様々な国の、様々な時代の、具体的な経済感覚が直感的にわかるという歴史読み物としての面白さにあるのではないかと思う。『21世紀の資本』は、学問的には大した成果はないが、想像力を喚起する歴史書としてはきわめて魅力的な一冊ということである。
関連ページ:
苫米地英人『苫米地英人の金持ち脳 捨てることから幸せは始まる』
アメリカで50万部のベストセラーになったトマ・ピケティの『21世紀の資本』は、日本でも大きな話題となり、6千円を近い価格にもかかわらず、売れている。
果たして、この本は何を伝えようとするのか?この本にそれだけの価値があるのだろうか?
いきなり本書にチャレンジするのもリスクが高いという向きには、何冊か紹介書が出て、本屋の店頭に並んでいる。
苫米地英人『『21世紀の資本論』の問題点』(サイゾー)もその一冊の一つである。戦略的に648円と低い価格に抑えてあり、ふだん本を読む習慣のある人なら30分程度もあれば読み切れる小著であるが、驚くほどわかりやすく、明瞭に書かれている。
冒頭にある苫米地氏自らによる要約をそのまま借りることで、『21世紀の資本』の内容も簡単に伝えることができるだろう。
「20ヶ国以上におよぶ主要な国々の『所得と資産』の関係を過去200年にもわたる資料で調べた結果、資本収益率は常に経済成長率を上回ることがわかった。これは、資本主義そのものに経済的格差が広がる要因が内包されていることを意味する。経済的格差を是正するには、資産への累進課税が必要であり、しかもグローバルに課税しなければ意味がない。」p11
700ページに及ぶ大著の内容がこの数行に要約されるというのである。個々の時代や国のケーススタディに多くの行数が割かれているため膨大に膨れ上がっているだけで、言われていることは至ってシンプルで、r(資本収益率)>g【経済成長率)という一つの数式に収斂することになる。要するに経済活動が進み、働ければ働くほど、格差は広がるということである。この公式自体、別にごく当たり前のことで、何も新しい発見ではないと苫米地氏は言う。そうでなければ誰もわざわざ投資したりなどしないで、自分で働いた方がましだからだ。
そうした上で、著者は『21世紀の資本』の四つの問題点を指摘する。
第一の問題点は、方法論的なものである。この本の中で、ピケティは従来の経済理論における数理モデルを放棄し、歴史学的な記述に終始していることである。
問題なのは、先人の経済学者たちが築き上げてきた「経済学からあいまいな要素をできるだけ排除し、誰もが納得するような自然科学的な学問にするための努力」を踏みにじり、経済学を恣意的な「解釈」のフィールドに落とし込んでしまったということです。p30
残り三つの問題点は、ピケティの提案に関するものである。
第二の問題点は、ピケティは所得のみならず、資産にも累進的な課税を行うことを提案するが、稼げば稼ぐほどペナルティを課されることは、不公正であるだけでなく、経済活動そのものを沈滞させる結果を招きかねないと苫米地氏は指摘する。たとえば、町中の小さな工場の建物や機材にも容赦なく課税されてしまうことになる。
第三の問題点は、グローバルな課税が不可能であるのみならず、それが実施されるなら一ヶ国が離脱すれば一人り勝ちの状態になり、複数の国家が連携離脱すれば分断のみならず、世界戦争を招きかねず、格差より大きな危機をもたらしかねないということである。
第四の問題点は、ピケティの主張する金融資産への課税そのものが不可能であるということである。現在の経済において、10倍のレバレッジをかけている場合、つまり100万円を自己資金の担保に入れ、1000万円の投資を行っている場合、これは実質800万円の負債でしかない。捕捉できない資金の流れがタックスヘブンに流れ込んだというのはごく少数であり(なぜなら動かないお金は死に金でしかないから)、大半はレバレッジによる負債にすぎない、したがって課税できないということになる。
これに対する批判が、リーマンショック以前の古い経済しか知らない人間の中からあがっているが、それに対する苫米地氏自らの反論があるのでそちらを参照のこと。
http://www.tomabechi.jp/archives/51467961.html
苫米地氏の論評をまとめると、ピケティの『21世紀の資本論』は、実際の商取引に関わったことのない「象牙の塔」にこもりきりの秀才学者が、博識と勤勉精神を発揮して書き上げた労作だが、内容は、わかりきったことを回りくどい手順を踏んだだけであり、そこには科学としての経済学への意志は放棄され、恣意的な歴史的記述に終始するのみで、その提案に至っては、架空の数値に踊らされた上、実行不可能なお花畑であるということになるだろう。
このような学術書としてツッコミどころ満載の本が、ベストセラーとして売れた背景として、格差社会が広がりつつあると言う意識がアメリカ社会に蔓延しているため、本書の内容が実感として「しっくりくる」ためであると苫米地氏は指摘する。
それでも、苫米地氏はKindleで本書を読んだ上で、あえて紙の本を買わないではいられなかった。それは、「インテリアブック」としての魅力であると言う。アメリカでも、多くの人が部屋に知的な雰囲気を漂わせる目的のために購入しているのではないか。
苫米地氏は意味と論理の人であるから、抽象次元での『21世紀の資本』の分析は正しいし、他の学者の主張と大きくずれたものでもない。しかし、本の内容はもっぱら要約される命題によってはかられるものでもない。『21世紀の資本』の価値は、むしろ学術書というよりも、バルザックやユゴーの小説などを含め、様々なジャンルの膨大な文献にあたり、様々な国の、様々な時代の、具体的な経済感覚が直感的にわかるという歴史読み物としての面白さにあるのではないかと思う。『21世紀の資本』は、学問的には大した成果はないが、想像力を喚起する歴史書としてはきわめて魅力的な一冊ということである。
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