つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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海堂尊『アクアマリンの神殿』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略

 


海堂尊『アクアマリンの神殿』(角川書店)は、コールドスリープをテーマとした『モルフェウスの領域』の続編である。主人公は、『チームバチスタの栄光』に続く第二作『ナイチンゲールの沈黙』で登場した佐々木アツシという少年だ。彼は、片目の眼球摘出手術を受けるが、致死性の病気であるレティノプラストーマ(網膜芽腫)は、もう一方の目に転移してしまう。新しい薬が開発されるまでの間の時間稼ぎとして、アツシはコールドスリープに入ったのである。そして、眠りから目覚めた彼は今、コールドスリープの管理人の立場に立っていた。見守る相手は、かつて自分のコールドスリープの管理をしていた日比野涼子。今や、完全に逆転した立場に置かれたアツシだが、慕情に似た気持ちで彼女を見守り続けていたのだった。

一見すると、桜宮サーガの末端に位置する医療小説のように見えるが、この『アクアマリンの神殿』は、ジュブナイルな青春小説。あだち充のボクシング漫画や、米澤穂積の『氷菓』のようなラブコメの要素の強い青春群像劇である。

【あらすじ】
かつて『螺鈿迷宮』で炎上した碧翠院桜宮病院のあった場所に立つ未来医療研究センター。佐々木アツシは今はその住人となりながら、コールドスリープ状態にある女性を見守ることが業務となっていた。その一方で、彼は中高一貫の桜宮学園の中学三年生としての普通の学校生活を送っていた。コールドスリープ中の睡眠学習プログラムによって、アツシは卓越した知能と運動能力を有するようになっていたが、それを隠して普通の成績を収める演技を続けていた。しかし、試験での彼の手抜きを見抜いた女生徒が一人いた。正当派の美少女麻生夏美である。周囲になじまず独自の世界を築いている彼女に、アツシは得体のしれないものを感じる。やがて担任のお気に入りの生徒を向こうに回して、クラス委員長の選挙に立候補、勝利した夏美は、アツシのボクシング仲間である蜂谷一航、アツシに憧れているという文学少女の北原野麦とともに、ドロン同盟を結成することになるのだった。高等部に進級し、周囲からボクシングのシャドーの美しさを認められていたアツシは、東雲高校との対抗戦でリングに上がることになる。その勝敗の行方はいかに。さらにドロン同盟は、夏美の宿敵の日野原奈々との勝負に勝つために、文化祭に備え合宿をする。アツシたちが楽しい学園生活の日々を送る間にも、タイムリミットが迫っていた。その時、日比野涼子はコールドスリープから目覚める。しかし、そこで以前の人格の延長するか、新しい人格を獲得するかは、実はアツシの決断にゆだねられていたのである。複雑に入り組んだコールドスリープのロジックの中で、アツシが最後に選んだ決断とは?

コールドスリープ後の人格選択という倫理的テーマを外枠としながらも、作者の情熱の大半は、部活動や学園祭、クラス委員の選出など、むしろ学校生活を描くことに注がれているように見える。天才肌の少年と体育系の親友、女王キャラの秀才美少女、エキセントリックな勘違い系少女の男女四人を中心に描いた『アクアマリンの神殿』は、実は海堂尊が思いきり羽目を外して書いた唯一無二の学園ラヴコメなのである。

関連ページ:
海堂尊『カレイドスコープの箱庭』
海堂尊『ガンコロリン』
書評 | 23:13 | comments(1) | - | - |
一色まこと『ピアノの森 25』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略



一色まこと『ピアノの森 25』(講談社)は、いよいよ最後の大詰め。最後のファイナリスト、ポーランド期待の星、レフ・シマノフスキの演奏の後、ショパンコンクールの最終審査結果が発表されます。

滑り出しこそスムーズであったシマノフスキのコンチェルト第1番の演奏ですが、第二楽章に入ると、かつて自分の身代わりになるように事故にあって今も昏睡状態が続いている姉のエミリアのことを思い出し、涙で演奏が乱れます。やがて、オーケストラの音の聞こえないトンネル状態に入り込み、演奏を続けることに。聴いて、レフ!!私たちの音を!!オーケストラのメンバーたちの心は叫びます。彼の演奏は再びその輝きを取り戻すことができるのか?第三楽章のクラコヴィアックを弾き終えたのちに彼を待っていたものとは?

巷のコンクールの下馬評では、余りに「規格外」であり、しかも最年少の17歳ということで、一ノ瀬海(いちのせ  かい)の演奏を、別格扱いして、特別賞などを与えることで、入賞からは外されるのではないかとささやかれることしきり。そんな中、審査委員長のアダム・ヤシンスキは、投票結果を公表することで、選考過程から政治性を払拭しようとします。自分の応援するコンテスタントに有利になるように、ライバルとなるコンテスタントに低い評価をつけたことが明らかになるなら、それはその評者に対する不信となってふりかかるというシステムです。

頭を抱える審査員たちに対して、ヤシンスキは、「余計なことは考えず自分が一番良かったと思うピアノを1位とすること」と言うのでした。

いくら素晴らしい演奏をしても、そこに人間の評価が入り込む限り、ボクシングにおけるKO試合のように、最高の演奏に対して最高の評価が与えられるとは限りません。作者が、この作品の中で実現したかった音楽の夢は、単に一ノ瀬海に音楽の頂点へ近づく道を示すだけでなく、そうした人間界の嫌らしい部分を除去した評価システムの実現にもあるようです。

かくして、ポロネーズ賞、マズルカ賞、コンチェルト賞、ソナタ賞の発表に続き、本選の入賞者六人の名前が呼ばれることになります。

果たして、そこに一ノ瀬海の名前はあるのでしょうか。

リアルなストーリーなのか、それとも夢のあるストーリーなのか。作者がどのようなドラマをこの作品で実現しようとしていたのかも明らかになります。

そして、一ノ瀬海の名前にずっと秘めてきた作者のメッセージもこの巻でようやく明らかになるのです。

そう、「ピアニスト 一ノ瀬海」の名前を並べ替えるなら・・・

関連ページ:
一色まこと『ピアノの森  24』 
一色まこと『ピアノの森  23』
辻田真佐憲『日本の軍歌 国民的音楽の歴史』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略 ver. 1.01

 


辻田真佐憲『日本の軍歌 国民的音楽の歴史(幻冬舎新書)は、日本の軍歌の通念を覆す画期的な快著である。

著者は、国や軍部によって作られ、上から押し付けられた軍歌という考え方に与しない。軍歌は、その始まりこそ西洋の音楽を参考に当時のエリートたちによって作られたものであったが、歴史が進み、日清日露の戦争を経る中で、自発的に民間からも湧きあがってきた、官民一体となった一大エンターテイメントであるというのである。

軍歌を、強制された、唾棄すべき、つまらない音楽とする考え方からも、「昔はよかった」的な懐古的もしくは翼賛的な考え方からも距離をとりながら、歌詞と楽曲のクオリティを軸に評価するというニュートラルなスタンスで、著者は軍歌の発生と変化、隆盛と衰退の歴史を辿ろうとする。

遠く遡れば、万葉集や明治維新の「宮さん宮さん」(都風流トコトンヤレ節)のように戦争を歌った詞や楽曲がなかったわけではないが、著者は軍歌の誕生の年を1885年とする。外山正一というのちに東京帝大の総長となる人物が、フランスの「ラ・マルセイエーズ」やドイツの「ラインの護り」を範にしながら、作った「軍歌」こそが軍歌の始まりであると言うのである。

当初は官製の試みにすぎなかった軍歌は、日清戦争を迎える中で、一気に民間へと広がってゆく。その中で、様々な種類の軍歌が生まれた。戦闘の功績を讃えるキャラクター軍歌、戦況を伝えるニュース軍歌など、明治時代に生まれた軍歌は3000曲に上ると言われ、それは日露戦争に至るまで続く。これが第一次軍歌ブームである。

日本人はこのような軍歌をみなで歌い、暗記することで、初めて近代戦争を疑似体験したのだった。
 それは同じニュース=軍歌を共有することで「日本人」というアイデンティティが形作られた瞬間でもあった。エリートの軍歌からわれらの軍歌、つまり「国民の軍歌」へ。「ラ・マルセイエーズ」がフランス革命戦争で「フランス国民の軍歌」となり、「ラインの護り」がライン危機や普仏戦争で「ドイツ国民の軍歌」となったように、日本の軍歌もまた日清戦争を通じて初めて「日本国民の軍歌」となったのである。
p63

戦争が終わると一気に軍歌は下火になり、それが再び隆盛を迎えるのは、1931年の満州事変を待たねばならなかった。この時メディアの果たした役割は大きなものがある。朝日新聞と毎日新聞は、競って軍歌の募集を行い、その賞金は年収の半分に匹敵する莫大なものであった。ビクター、ポリドール、コロンビア、キング、テイチクといったレコードメーカーも、競って軍歌のレコードを売り出し、「露営の歌」は60万枚、「愛国行進曲」は100万枚のヒットとなった。1935年の日本は、実は世界一のレコード大国であり、毎月1万を超える新譜が発表され、レコード製造数も3千万枚に達する勢いであった。ラジオの普及も無視できない。1925年にはわずか5000件にすぎなかったラジオの登録件数が太平洋戦争開戦時の1941年には一気に662万件にまで膨れ上がる。日本放送協会も、積極的に軍歌の生産に名乗りを上げ、出版社では100万部の「キング」という雑誌を擁する講談社主催の「出征兵士を送る歌」の歌詞応募数は12万通を越えた。映画も戦争映画主題歌としての軍歌の普及に大きな役割を果たした。主流となったのはこうして生まれた商業主義による民間主導の軍歌であり、官製の軍歌はむしろ後追いの形であった。その中で、かつてのキャラクター軍歌や、ニュース軍歌に加え、少女軍歌まで生まれた。これが第二次軍歌ブームである。

しかし、戦争が進み、音楽業界が「音楽は軍需品」という錦の御旗にすがって音楽のサバイバルをはかろうとするころにはもはや流れは止めようもなく、やがて洋楽の流れである「高級音楽」も「実用音楽」も「ジャズ」も、軍歌の波の中に呑み込まれてしまう。レコード会社もテイチク(帝国蓄音機)を除き、軒並み改称を余儀なくされる。率先してジャズの輸入をはかった音楽界の人間が、今度は逆にジャズを敵性音楽として排撃する側に回る羽目になるのは、何という歴史の皮肉だろうか。

1885年から1945年までの60年間に作られた軍歌は1万曲に上るとも言われる。終戦とともに軍歌の歴史は終わりを告げる。今日どこかで歌われ続ける軍歌は、形骸化したファッションにすぎず、演奏会が開かれても、その内容は拙くお粗末で、事後には日の丸の旗が捨てられるという光景も著者は目撃する。「軍歌は死んだ」のである。

新たな軍歌は生まれるだろうか。もし生まれるとしたら、それは上から押し付けられた官製の堅苦しいものではなく、商業主義的なメディアと、その音楽のトレンドを支持したり便乗したりする大衆との合作によって生まれるエンタメとしてであり、人気アイドルによって歌われるであろうと著者は予想する。あるいはボーカロイドによって歌われたり、ゲームやアニメと一体した形で登場するかもしれない。

政治と一体化したエンタメには業界にとって蜜のうまみがあるが、同時に自らの文化性をも否定する致命的な毒となりうることも軍歌の歴史は教える。なんら思想的な信念もなく、ただ売れるからという商業的な理由で「嫌中」本や「嫌韓」本を粗製乱発している出版業界の人々にこそ、「転ばぬ先の杖」として本書を勧めたい。また、本書に登場する新聞社やレコード会社、出版社も、過去の歴史に刻んだ自社の足跡からは目を逸らさないでほしいものである。

著者は、単に縦の時間軸のみならず、横の地理的広がりによっても、日本の軍歌をとらえようとする。その中には、ミャンマー国軍の軍歌となったで「軍艦行進曲」、モンゴルで歌われていた「戦友」、北朝鮮の「朝鮮人民革命軍」に変わった「日本海軍」、金正日の愛唱歌であった「ラバウル小唄」などが挙げられる。軍歌の浸透性は、時に国境やイデオロギーの壁さえも乗り越えてしまうほど大きなものであるのだ。

著者の辻田真佐憲は、本書出版後やっと三十歳を迎えたばかりの気鋭の若手である。しかし、本書の内容は若さの勢いに任せた主観的な文章ではなく、膨大な資料にこまめにあたり、軍歌の一つずつを歴史の中に位置づけるという、実証的な手続きを経た手堅い労作である。

簡略ながらも徹底した検証を含んだ論考である本書の後には、日本の軍歌に関する大きな発見は困難であると思われるが、著者にはこの分野の研究を深めるだけでなく、隣接した他分野にも同様の歴史的アプローチで、さらに活躍のフィールドを広げることを期待したい。
 
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