つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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堀川アサコ『幻想郵便局』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略



タイトルに惹かれて堀川アサコ『幻想郵便局』(講談社)を買って読んでみた。おそらくファンタジーであろうが、幻想郵便局とはどんなものなのか、何を「幻想」と呼ぶのか、そのコンテンツに興味があったからである。

幻想は空想と同一視されやすいが、「物語」の中の「幻想」は空想とは区別される。たとえば、有名なタレントと恋中におちるとか、ビジネスで成功を収め巨富を得るとかのストーリーを私たちが思い描けば空想であるが、それをそのまま小説にしても、あくまでリアルなストーリーの範疇に収まり、「幻想」と呼ばれることはない。物語の中の「幻想」とは、この世ならぬ世界との遭遇を意味する。その入り口が現実的な郵便局であるという点が気になったのである。何の入り口か?未来と過去の時空間の入り口、別の宇宙への入り口、『不思議の国のアリス』のような全く別世界への入り口…だが、最もありそうなのは、あの世とこの世を結ぶ存在としての郵便局である。

   
[物語冒頭のあらすじ]
安倍アズサは、短大卒業後就職浪人の身であった。そんな彼女にアルバイトの連絡が入った。行き先は、狗山という山の上の登天郵便局。山と言っても、田んぼの中の小高い丘のような山である。自転車で郵便局に向かう途中、美人の女性に郵便局への道を聞かれ、そのまま後ろに乗せて案内する。携帯を忘れたのに気づき、途中のドライブインから電話しようとするが、そこは廃墟となった気味の悪い場所であった。そこで出会った大男が、郵便局長の赤井であった。廃墟となったドライブインは心霊スポットとして有名であったが、郵便局の物置きとして使われていた。赤井は、そこで物探しをしていたのだが、アズサが雇われたのも、特技に「探し物上手」と書いたからであった。

局長の軽トラックが行き着いた先の郵便局は、木造一部二階建て築十年ほどの平凡な建物でアズサをがっかりさせた。局長以外に、ラーメン好きの小池さんみたいな青木、一帯の地主でもある老人の登天、そして姿が見えないがもう一人鬼塚という人が局員として働いているらしかった。

しかし、しだいにアズサは変な様子が気になり始める。「探し物」とは木簡であり、そこには起請文が書かれているという。アズサが自転車に乗せた女性の真理子がそこへ現れるが、よく見ると髪も服も焦げおり、どういうわけか、彼女は郵便局の庭に入れてもらえなかったのである。そしてここでの郵便配達とは、鼎(かなえ)の火の中に郵便を入れることであった。その中に預かった紙幣を燃やしだしたが、その紙幣は実はオモチャであった。色とりどりの花で、この世のものとも言えない美しさの庭には、人々が行列をなしていて、進むうちに風景に溶け入るように消えてしまった。

想像力をめぐらすまでもなく、登場人物の会話の中で、早々に、この郵便局がこの世とあの世の境界にあり、真理子は実は死んだ人であり、この郵便局は生者も死者も呼ばれた人しか来られないことが明らかにされてしまう。

何だ、ポジティブ霊界ものか?とそこで読むのを止めそうになった。ここで言う「ポジティブ霊界物」とは、ホラー小説とは反対に死者の霊の恐ろしさよりも、この世で果たせなかった親しい人とのコミュニケーション不全を、霊の世界が後から補完する形で、人々を幸せにするという類の物語である。要するに、物語をこの世の制約から解放して、あの世の裏技でつじつまを合わせるというご都合主義の物語である。それはしばしば奇蹟を乱発させ、安易なハッピーエンドに流れやすい。また異世界は、そのステイタスをはっきりさせてしまった段階で、この世の不条理の隠喩であることを失ってしまう。あの世的な世界では、主人公は何ら危険を犯すことなく、死者の力を活用して、この世でできないことを可能にしてしまう。それは善意の支配する予定調和の世界であるのが常だ。

『幻想郵便局』にも生者と死者のコミュニケーションをはかる「いい話」的な部分はあるが、著者はその道を取り続けることはない。ミステリーの要素、悪の要素が導入される。真理子は、複数の男性と交際し、その結果殺されることとなったが、事件は未解決のままである。後ろから絞め殺されたため、犯人が誰かわからず、たたることさえできないのである。そして、他にも殺された女性がいて、犯人はアズサの近くにいるようだ。霊界の都合で動く郵便局自体、アズサにとってリスクはないが、この世の人間の都合は別である。もう一つの争いの種がある。登天郵便局は、古い社であった狗山比女神社を取り壊した跡地に作られたのであり、狗山比女と郵便局は地権争いのただ中にあり、気性の激しい女神によって郵便局は以前ひどい目にあったことがあり、どうやら「探し物」もそれにからんだものであるらしいのだ。つまり、霊界の都合、人間の都合、神界の都合、それぞれにバラバラに動き、三つ巴の先の読めない展開となる。これによって、郵便局とアズサの予定調和の世界は崩され、後半物語が加速する原動力となっている。

一体誰が真理子を殺したのか?郵便局と狗山比女の争いの行方は?

『幻想郵便局』が、『千と千尋の神隠し』同様、二つの世界を行き来する中での、自分探しの物語をベースにしながらも、それを超える魅力を持っているのは、<悪>と<神>という善意の世界を相対化する二つの原理を物語の仕組みの中に備えているからである。

PS『幻想郵便局』の中で隣町にあるとされる、同じような働きを持った映画館を描いた続編が『幻想映画館』(単行本の『幻想電氣館』を改題)



書評 | 23:36 | comments(0) | - | - |
松田奈緒子『重版出来! 3』
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それを決めるのはキミじゃないよ。
キミに決められるのはただひとつ。
目指すか 目指さないか。
キミはどうしたいの?
(『重版出来!3』p54-55)



コミック雑誌『バイブス』の編集者の日常を描いた松田奈緒子『重版出来!』も3巻まで来ました。第1巻が黒沢の編集者としてのスタート、第2巻がベテラン漫画家の人生の明暗と悲哀を描いたものでしたが、この第3巻は新人の発掘と育成がテーマです。

編集部へ原稿を持ち込む若者たち、ある者は無口に、ある者は横柄に、ある者は緊張して、編集者に臨みます。果たして、バイブスでのデビューに成功するのは誰でしょうか?

多少マナーが悪くてもコミュニケーション能力に難ありでも、努力する姿勢が見えればいいんだよ、漫画家志望なんだから。作品さえ面白きゃ。

よく持ち込みの新人が、目の前で原稿を読まれて恥ずかしいとか緊張して編集者を見られないって言うけど…一番最初の読者である編集者が、自分の作品を読んでどんな反応をするか、自分の描いたもので勝負しようってんだから、気にするのが当たり前だろ。

恥ずかしいとか、緊張するとか、条件はみんな一緒だよ。
それでも見てくる奴はしっかり見てくる。

本気で上手くなりたいと思ってる新人はしっかり見てくるし、そういう奴は必ず伸びる。
p21


そんな自論を披瀝するベテラン編集者五百旗頭(いそきべ)の様子を脇から見ながら、自分も新人を育ててみたいと願う黒沢ですが、さっそく有望な新人を見逃す失態。

そして新たに二人の新人を育てようと燃えるのでした。

一人は中田伯(なかたはく)。絵はド下手ながらも、その雰囲気は他に代えがたいものがあり、漫画の見せ方も知っている。いくら天性の才能を持っているとは言え、この絵で雑誌に載せられるのか?編集長の出した判断は?

一人は、東江絹(あがりえきぬ)。女子大の漫画研究会に籍を置く彼女は、母親の反対を押し切って大学を一年休学しても漫画家になりたいと燃えるのですが、絵は完成の域に達しているものの、物語やキャラクターに安定性を欠き、ゆっくり育てようとする黒沢との間に、しだいに溝ができて始めます。そんな彼女の前に現れたのが、同じ「バイブス」編集部の安井。新人を自分の手柄のために使い捨てにするため、「ツブシの安井」とあだ名される彼は、原作者をつけ、さっさと東江をデビューさせようとします。

はたして、どちらのやり方が正しいのか。そして、東江のとった選択は?

第3巻のもう一つのテーマは、単行本デビューの決まった漫画家の前に現れるカバーの色やデザインの決定事情、そして装丁のコストなど。

重版がかかるようにするためには、赤が出ないようにコストを抑える必要がある、コミック売り場で平積みにされた時、その月出るコミックの中で目立つ色にする、カバー選びはプロだけでなくふだんコミックを読まない若者の意見を参考に決定するなど、同じコミック業界を描いた大場つぐみ・小畑健『バクマン。』にも描かれていない出版界の細かい裏事情は初耳のことも多く、興味深く読ませます。

晴れてデビューまでこぎつけた新人、デビュー目前のスランプにあがき続け悶々とする者、アシスタントの下積みをひたすら続ける予備軍・・・それぞれ新人の人生の選択と、そこに託する編集者や営業、装丁担当者の熱い思いが交錯する万華鏡のような人間模様、それが『重版出来! 3』の魅力なのです。

関連ページ:

松田奈緒子『重版出来! 2』
松田奈緒子『重版出来! 1』

書評 | 09:40 | comments(0) | - | - |
海堂尊『カレイドスコープの箱庭』

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海堂尊『カレイドスコープの箱庭』(宝島社)は、バチスタシリーズの最終章という触れ込みになっている。バチスタシリーズ=桜宮サーガ(海堂尊の医療小説)ではないところがミソである。というのも、桜宮サーガは、バチスタシリーズの宝島社を筆頭に、新潮社、講談社、角川書店、朝日新聞出版社、文藝春秋、東京創元社、理論社と実に多くの出版社から出ているからである。


だから、「最後の」とキャッチコピーのついた本を買った直後に、また別の出版社から「最後の」との触れ込みの海堂作品を書店で目にすることになる。

おそらく各出版社の編集者によるものであろうが、海堂尊の「最後の」商法にご用心である。

『カレイドスコープの箱庭』の冒頭で、田口公平は人生の頂点にいる。アメリカ屈指の大学、マサチューセッツ大学での講演を終え、満場の喝采を浴びたばかりであった。背後には、巨大な彼自身のポスターが貼られ、世界的知性との対決をも何とか乗り切ったばかりである。そして、こう漏らすのだ。「思えば遠くへ来たもんだ。」

不定愁訴外来という日陰部署の責任者で昼行灯に甘んじていた田口公平は、バチスタ・スキャンダルでリスクマネジメント委員会委員長の重責を果たして以来、病院長の高階より、次々に大役を押し付けられる。Aiセンターセンター長に、電子カルテ導入検討委員会委員長。ついには院長代行まで任されそうになる。そして、講師のままではまずかろうと慮った周囲によって、准教授に昇進したばかりである。アメリカでの講演もAiセンターのセンター長としての仕事であった。さらに、次にはAi標準化国際会議の責任者まで果たすことになっていた。そんなころ、降ってわいたようなトラブルが、東城大学付属病院に発生する。肺癌手術で死亡した患者に対し、病理の誤診ではないかとの内部告発があったのである。事務長の三船によれば、検体取り違えの可能性もあると言う。高階は、田口に電子カルテ導入検討委員会委員長として、内部調査の実施を依頼する。調査の結果、病理医の牛崎の誤診の可能性が高まった。それは東城大の瓦解させかねないものであった。というのも、速くて正確な診断で定評のあった牛崎は、東城大学の病理を一身で支えていた存在であったからだ。そんなころ、厚生労働省の火喰い鳥の異名をとるあの男、白鳥圭輔が現れた。彼は、どうやらこの事件の背後に不審な影をかぎつけたらしい。

かくして、田口&白鳥の名コンビの復活によって、東城大の危機は救えるかというのが、『カレイドスコープの箱庭』のテーマである。最終章らしく、オールスターの顔見世興行的なシーンも用意されている。カレイドスコープ(万華鏡)は白鳥の小道具として登場するが、同時に病理検査室の精緻だがシンプルな検査の仕組みを、カレイドスコープに見立てたのが、このタイトルの由縁である。

関連ページ:
海堂尊『ガンコロリン』
書評 | 23:42 | comments(0) | - | - |

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