つぶやきコミューン

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茂木健一郎『金持ち脳と貧乏脳』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本



 茂木健一郎氏の『金持ち脳と貧乏脳』(総合法令)は、脳科学の立場からマネーリテラシーを説いた本である。

ツイッターによれば、茂木氏は本に関して来た仕事はすべて受けるし、タイトルは編集者が勝手につけるそうである。だから、この本に関しては実はあまり期待していなかったのである。しかし、読んでみると、思いの他面白く目から鱗の大きな発見があった。

これは凄い名著である。

お金持ちになる秘訣は何だろうか?

ー紙に将来の達成目標を書くこと?
ー靴をぴかぴかに磨くこと?
ー財布を長財布にすること?
ートイレをぴかぴかに磨くこと?
ー信念を持つこと?
ーポジティブシンキングで行動すること?
ー部屋の片づけを徹底すること?
ー好きなことをやり続けること?

いわゆる自己啓発書を見ればこういう成功法則はいくらでも出てくる。しかし、それはそういうことを成功した人が著者および、その知り合いに何人かいるという根拠の上に成り立つ主張にすぎない。本を読んでそれを実行し、成功しなかった人の数は何万人といる。そして、それを実行せずに成功した人も何万人といる。つまり、それらはお金に持ちになる必要条件や十分条件ではなかったということである。

『金持ち脳と貧乏脳』の要となる主張は、最大の必要条件に関わるものである。
 
   お金は脳の安全基地の一部でしかありません。
 やはり人間関係におけるネットワーク、信頼、そして自分のスキル、知識、経験、そういうものがものが総合的に脳の安全基地となって確実性が生まれ、その分、不確実性を積み増すことができる人が、世の中の一流と呼ばれる人やお金持ちに共通する特徴なのです。
p38

ここでの表現は、まだ総花的であるが、もっと第四章まで読むとはっきりする。

お金とは何か?
 
  お金を稼ぐということは「抽象的な報酬」を得ることだと述べましたが、これは非常に重要な社会的行動でもあります。
 この行動とお金を結びつけるものは、やはり人間関係です
 脳科学の知見からは、「お金は人間関係を目に見えるようにしたものである」ということがいえます。
 つまり、人間関係が充実している人にはお金も集まってくるというのが、脳科学者としての私の考え方であります。
p122

堀江貴文氏は竹中平蔵氏の主張を受け、「お金は信用を目に見える形にしたものである」と、著書の中で繰り返し述べているが、それよりも一歩進んでいる。「信用」は抽象であり、具体的なイメージをしにくいが、「人間関係」となるといくつもの人の顔がたちまち目に浮かんでくるはずだ。そして、その上をたどって行き来するお金の姿までイメージできてしまうだろう。

「お金は人間関係を目に見えるようにしたものである」。逆に言えば、お金がない状態とは人間関係が枯れた状態である。個人の歴史を振り返っても、いい時と悪い時を比べてみると、その時の人間関係の良し悪しが如実に反映していることが理解できる。

この命題を受けた続くページは、いわば人間関係資本論のようなものである。

金持ち脳は、人間関係にお金や時間を投資する。貧乏脳は、人間関係に投資しない。その結果、金持ちの周囲には金持ちが集まり、貧乏な人の周囲には貧乏な人が集まるという結果になる。

お金は節約しても、人間関係は節約してはならないと茂木氏は言う。
 
 私の持論は、普段のお金を節約はしても、人間関係まで節約をしてはいけないというものです。
 これは、誰にでもいえることですが、普段どんなに節約していても、人間関係にしっかりお金を使えるかどうかなのです。
 人とのかかわりを節約してしまうことは、その人が本来手に入れることのできるはずのチャンスや幸せまで削ってしまうことになります
p135

貧乏→金持ちの転機には、必ずこの人との出会いへの投資が無意識のうちに行われているはずである。貧乏だから、いい出会いがつくれないという言い訳をしている限り永遠に貧乏のままである。
 
 いくら仕事の能力や才能があったとしても、人間関係を構築できない人はいずれ浮いてしまいます。
 つまり、ビジネスで成功してお金持ちになるためには、人と人との感情が絡む一番難しい人間関係から始めなければいけません。
p137

もちろん、何でも人間関係を増やせばいいわけではない。「つきあう人間を選ぶ」必要がある。
 
 これはどういうことかといえば、自分のためになる人間とつきあうということであり、自分が成長するための人間関係をつくっていくことが大切だということです。p139

社会は、私たちが思った以上にずっと多様である。マーケットをどんなに研究したところで、最後に仕事をもたらし、お金を生み出すのは人とのつながりである。人とのつながりを多様にすることで、ニッチながらも自分に最適な仕事が次々に入ってくるようになる。それが金持ちになる転機である。

負のスパイラルに入った状態から正のスパイラルに移行するためには、新しい人間関係を創出すべく、時間やお金、労力を投資するしかないのである。

『金持ち脳と貧乏脳』は、マネーリテラシーに関する様々な知見を提供してくれるが、そのアルファにしてオメガとなるのはやはり、「お金は人間関係を目に見えるようにしたものである」という基本命題である。著作の仕事を断らないという茂木氏のスタンスは、多様な人間関係を維持し、そのままお金を生み出す秘訣にもなっているのである。

関連ページ
堀江貴文×茂木健一郎 講演会@三田祭
重松清・茂木健一郎『涙の理由』

書評 | 23:01 | comments(0) | - | - |
スターライトガーデン@東京ミッドタウン
六本木ヒルズ編からの続きです。

恒例となった東京ミッドタウンのスターライトガーデン。



芝生広場いっぱいに28万個のブルーのLEDによるイルミネーションがダイナミックに動きながら、点滅する。

今年はアーチ状のイルミネーションが加わり、より立体的になった。


 
時にイルミネーションは赤く色を変える。



正面から。




photoscape | 00:16 | comments(0) | - | - |
岩井俊二『ヴァンパイア』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略
 僕の名前は、サイモン・ウィリアムズ。先週二十九歳になった。高校教師。生物の教師。趣味は、血を吸うこと。分類的には、ヴァンパイア。
 そもそもヴァンパイアをどう定義するかにもよるのだが、昼間は棺の中で寝ているとか、十字架に触ると皮膚が爛れたり、太陽の光を浴びると灰になってしまうとか、そもそも既に死んでいるとか、そういうのをヴァンパイアと呼ぶなら、僕はその類いではない。けど、血が欲しい、血が飲みたい、飲めるなら浴びるように飲みたい、男の血はいらない、若い女性の血でなくてはならない……こうした人間を何と呼んだらいいのだろう。ヴァンパイアと呼ぶしかないだろう。

(『ヴァンパイア』p11)

 



岩井俊二『ヴァンパイア』(幻冬舎)は、昨年(2012)9月に自作映画『ヴァンパイア』が上映されるに先立って、8月に出版された原作の小説である。

主人公のサイモン・ウィリアムズは高校の生物学の教師。しかし、彼は実はヴァンパイアだった。幼いころより、若い女性の血に魅せられた彼は、いつしか死を望む女性を捜し求めては、殺し、その血をもらい受けることを繰り返す。やがて、彼はインターネットの自殺志願者のサイトにもぐりこみ、そこで出会った女性を獲物に狙い定めるのだった…

十字架を恐れるわけでもなければ、ニンニクが嫌いなわけでもない。日光を浴びて滅びるわけでもないリアルなヴァンパイア。それは、ある意味サイモン自身が語るように、特異な性癖を持ったマイノリティではないのか。

マイノリティは、自らの素性を隠しながらしか、今の社会の中で、生き延びてゆくことができない。そして、悲しいことに、その性癖を変えることはできないのだ。

殺す相手の血を貰い受け、相手の美を永遠に保存する約束をしながら、一人また一人と女たちは死んでゆく。血を奪ってしまえば、相手はもはやこの世にいない。はかないひと時の愛は、いつまで続くのか。

この屈折した愛の行き着く先は?

岩井俊二は、透明な文体で、このピュアな殺人者の魂の告白を、手記の形で描き出す。

あたかも森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』のような性の目覚めと遍歴の中で、しだいに幼いサイモンがヴァンパイアになってゆく過程が浮き彫りにされるのである。

とりわけ、印象的なイメージは昆虫や小さな生物たちに寄生するものたちの描写である。

 寄生虫とは本来宿主の体内に潜み、奥ゆかしく宿主と共存するものだが、レウコクロリディウムにそんなモラルは通じない。日陰を好む奥ゆかしいカタツムリを太陽の当たる場所に連れ出して、眼をはち切れんばかりに膨らませて、カラフルな模様を描かせながら死の舞を踊らせる。もうそこにはカタツムリという『個』の尊厳はない。脳を支配され、別な生き物のように踊る、見るも無残なカタツムリ。もし可視化できるとしたら、僕の姿はあんなだったろう。p33

その中に、深い洞察が、この作品のテーマが秘められているのだろう。

ヴァンパイアの物語は、岩井の中で、若いころからの強迫的なイメージであったようだ。
かつて作った映画の中の登場人物が、この作品の中で同じ名を持って蘇る。

しかし、この作品は、岩井自身の精神の自伝といえるかもしれない。

なぜなら、映画監督、岩井俊二の映像作品は『Love Letter』(酒井美紀&中山美穂)、、『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(奥菜恵)、『四月物語』(松たか子)、『花とアリス』(蒼井優&鈴木杏)のように、若い女性の美しさを、永遠の記憶にとどめた作品の連続であるからだ。ヴァンパイアが吸い取る女性の血とは、若い女優たちの生命の輝きに他ならない。やがて作品の向こう側で、女優たちは年を取り、いつしか結婚し、母親となる。しかし、映画の中の彼女たちは、あたかもサイモンの犠牲者の女性が冷蔵庫の中で、若い美しさをとどめるように、いつまでも少女や若い娘のままであり続けるのである。

岩井俊二にとって、映画を撮ることは、うたかたの若い女性との恋物語のようなものであるだろう。

そして、小説『ヴァンパイア』はその作品群を読み解く秘密の鍵が隠された作品のように見えるのである。

関連サイト:映画『ヴァンパイア』岩井俊二監督 単独インタビュー
書評 | 00:45 | comments(0) | - | - |

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