つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
<< October 2013 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
 
ARCHIVES
RECENT COMMENT
@kamiyamasahiko
MOBILE
qrcode
PROFILE
無料ブログ作成サービス JUGEM
 
堀江貴文『ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本



『ゼロ』は誰のために書かれたか?

堀江貴文氏の新刊『ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく』(ダイヤモンド社)が話題を呼んでいる。本の発売前に、ネット上で一部が無料で公開され、有料のcakesやメルマガでは全文が紹介されたためだが、特に話題となっているのは、堀江氏の八女での幼少期の時代や父親、母親についてである。

これまで語らなかったことを掘り下げて語る以上、そこには熱い想いが込められているが、堀江氏が本当に伝えたかったのは、ごく単純なことだ。そして、それはすべての人の人生や、仕事、恋愛にあてはまる。ここでは、そのメッセージ一点に絞って紹介したい。

堀江貴文氏の座右の銘ーというわけではないが、よく使う言葉に諸行無常という言葉がある。

物事は絶えず変化し、何一つ同じままでとどまることはない。だから、変化そのものを受け入れて、自分も変わり続けるしかないのだ。

今いる職場もいつしか消える運命にある。今いる職場にいつかいられなくなる日が来る。

それが定年を迎えてならまだいいが、そのずっと手前で来ることも普通にある時代になった。

ライブドア事件で刑事被告人となった堀江貴文氏は、自分が育てた会社を追われ、築いた私財も裁判で持ってゆかれ、懲役刑に処せられて文字通りゼロの存在となった。
 
  たしかに僕は、すべてを失った。
  命がけで育ててきた会社を失い、かけがえのない社員を失い、社会的信用も、資産のほとんども失った。
p20
 
  テレビ局やプロ野球団の買収にまで名乗りを上げた男が、その数年後には独房に閉じ込められ、高齢受刑者の下の世話をしているのだ。誰がどう見ても、これ以上ない凋落ぶりだろう。p21

刑務所に入るのはレアケースかもしれないが、同じような立場は誰の身にも起こりうることだ。今は、恵まれた立場にあり、余裕で人に忠告や助言をしているような人でさえ、一年後には全く逆の立場に置かれることが普通にある時代なのだ。

人間は、なかなか変わることはできない。

本を読んだり、セミナーで講師の話を聞いたりしたくらいでは簡単に変わることはできない。

だが、自ら変わろうとチャレンジするまでもなく、環境が変われば、変わらざるをえない。ピンチは最大のチャンスであるとはこの意味において真実である。変わらなければ生き延びることができないからだ。

自らチャレンジし、変わることができる人はどんどん変わればいいし、環境が変わり、変わらざるをえない人も変わるしかない。堀江貴文氏の『ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく』はそんな人のための本だ。

まだ大学時代で、アルバイトしながらモラトリアムを楽しんでいるが、社会の変化に対して、漠然とした不安を感じていて、何かしなくてはいけない、だが何をしていいかわからないでいる。『ゼロ』はそんな若者のための本でもある。
 
 ギャンブルに明け暮れ、大学を中退し、手近に稼げる塾講師を続け、気がつけば40歳の門を叩く……。違う!僕はこんな人生を送るために東京に出てきたわけじゃない。いますぐ変わらなくきゃいけない。このままでは、一生「このまま」だ。p104

同じような焦りを青年堀江貴文は感じた。そして、このままではまずいと彼も思ったのだ。それがライブドアの前身、オン・ザ・エッヂの起業につながった。

中学や高校生活を送る中で、何のために勉強しているのか、何のために受験するのか、どんな未来が自分に待ち構えているか分からないで悶々としている十代の若者、『ゼロ』はそんな人のために書かれた本でもある。

堀江氏はこう答えるだろう。

  
 無駄に終わる知識はあるかもしれないが、周囲の大人を説得し、自分で自分の道を切りひらく最強のツールは、勉強なのだ。p78

掛け算の前に足し算、そして努力

頭でわかってはいても、人は簡単に変われない。簡単にチャレンジできない。せっかくのチャンスが目の前に訪れているのに、どうして人は一歩踏み出せないのだろうか。

それは、自信のなさによるものだと堀江氏は言う。自信のなさはどこから来るのか、ひとえに経験の不足から来ると、自らの大学時代を振り返りながら堀江氏は言う。

一人っ子で姉妹がなく、中高一貫の男子校で6年間を過ごし、その間も電車ではなく自転車通学だった堀江氏に女の子と話す機会はなかった。だから、共学の東京大学に進学しても、女の子とどう話していいかわからなかったと、今からは信じがたいエピソードを披露する。
 
 僕は、女の子の前で挙動不審になっていた。キョドりまくっていた。目を合わせることさもできず、声をかけられても逃げるように立ち去っていた。自分が女の子とまともに話せるような日が来るとは、想像もつかなかった。p93
 
 
 たとえばビジネスでも、転職したいとか、社内で新規事業を起こしたいとか、起業をしたい」といった希望を持ちながらも、なかなか行動に移せない人がいる。
 そういう人は、僕が女の子にキョドっていたように、仕事や人生に怖じ気づいているのだ。仕事にキョドり、人生にキョドっているのだ。
 仕事と目を合わせることができず、大きなチャンスからは逃げ回り、人生に向き合うと頭が真っ白になる。けれど同時に、仕事や人生と仲良くなることを強く願っている。どう振る舞えばいいかわからず、あたふたしている。まさに、女の子を前にしてキョドっているオタク少年と同じだ。
 仕事でも人生でも、もちろん異性関係でも、キョドってしまうのは、性格の問題ではない。ましてや、ルックスなど関係ないし、学歴や収入、社会的な地位とも関係ない。これはひとえに「経験」の問題なのである。
p94

誰でもアウェイの世界に足を踏み込むには勇気がいる。最初はオドオドしながら経験の数を増やすしかないのである。
 
 経験とは、経過した時間ではなく、自らが足を踏み出した歩数によってカウントされていくのである。p95

『ゼロ』の一番大きなメッセージも、これと直結している。みんな色々な本を読んだり、セミナーの話を聞いたりして、楽をして結果を出そうとしている。掛け算ばかり覚えようとしているが、ゼロに何をかけようとゼロのままである。
 
 人が新しい一歩を踏み出そうとするとき、次のステップに進もうとするとき、そのスタートラインにおいては、誰もが等しくゼロなのだ。
 つまり、「掛け算の答え」を求めているあなたは、いま、「ゼロ」なのである。
 そしてゼロになにを掛けたところで、ゼロのままだ。物事の出発点は「掛け算」ではなく、必ず「足し算」でなければならない。まずはゼロとしての自分に、小さなイチを足す。小さな地道な一歩を踏み出す。ほんとうの成功とは、そこからはじまるのだ。
pp18-19

このメッセージを実行しない限り、この本の他の内容をしっかり頭に入れたところで無意味であろう。堀江氏の今までの本の中での反省点は、「掛け算によるショートカット」を強調しすぎた点にあると言う。しかし、その前提にある足し算、ひたすら経験を積むことにより自信が持てるようになるプロセスが抜けている人は、いくらショートカットを学んでも成功にたどりつくことはできない。

掛け算する「カッコいいオレ」の以前に、足し算しながら挙動不審の状態から徐々に抜け出てゆく段階抜きには、誰も自らの望む世界で成功できない。

堀江氏が過去の泣いたり、キョドったり、「カッコ悪い」等身大のオレを、この本の中で洗いざらいぶちまけている理由もそこにある。

人は新しい世界では、いつもゼロからのスタートであり、そこから一見しょぼく、地味なイチを足して、足して、足し続けるしかないである。

「足し算」同様、堀江氏がこれまでの著書や言動の中で軽視していたのは、「努力」という言葉の重みである。なぜなら、物事に夢中になって没頭している間、人は努力を努力とは感じず、それを当たり前のことだと感じているからである。しかし、この当たり前のプロセスを抜かして、成功にたどりつけると考えてしまう人もいる。だから『ゼロ』の中では、視点を客観化しながら、説明し直す必要を感じたわけだ。

 
 努力という言葉には、どうしても古くさくて説教じみた匂いがつきまとう。できれば僕だって使いたくない。でも、挑戦と成功の間をつなぐ架け橋は、努力しかない。その作業に没頭し、ハマッていくしかないのである。
 努力の重要性を説くなんて、ホリエモンらしくないだろう。
 地道な足し算の積み重ねなんて、ホリエモンには似合わないだろう。
 けれど、これが真っさらな「堀江貴文」の姿なのだ。
p187

ゼロをイチにする段階でやってはならないことが一つある。それは他人の足を引っ張ることだ。そんなことをしてもゼロは、ゼロのままである。一時の溜飲を下げるために、自分の貴重な時間を犠牲にしてはならない。
 
 他者を羨ましいと思う気持ちがあるのなら、その人の足を引っぱるのではなく、自分で一歩を踏み出そう。他者を引きずり下ろすのではなく、自分が這い上がろう。先行く他者にブレーキをかけるのではなく、自分がアクセルを踏もう。
 成功者をバッシングするのか、それとも称賛するのか。
 これは「嫉妬心」と「向上心」の分かれ道であり、ゼロにイチを足せるかどうかの試金石である。
p227

本との出会いは、チャンスのなせる業である。『ゼロ』の中には、他にも様々なメッセージがあるが、以上のテーマに絞ったのは、私が今同じような人生のターニングポイントに立っているからだ。レビューの形をとっているけれども、実は自分自身に必要だと感じていることを書き出しているのである。

『ゼロ』は、人生の様々な岐路において、役に立つ本だ。自分以外にも、今必要としていると感じる人の顔が何人も浮かぶ。だから、その中の一番大事なメッセージは、こうしてダイジェストのかたちで伝えたいと思うのだ。

最後に、もう一つ気に入った言葉があったので紹介しよう。
 
「あなたの夢はなんですか?」
以前は照れくさくて口にできなかったけど、いまなら言える気がする。
僕は、みんなとつながり、みんなと笑顔を分かち合いたい。
p230


   Kindle版
 


堀江貴文の本レビュー
堀江貴文『ネットがつながらなかったので仕方なく本を1000冊読んで考えた そしたら意外に役立った』
『お金はいつも正しい』
『堀江貴文の言葉』
『金持ちになる方法あるけれど、金持ちになって君どうするの?』 PART2
『刑務所なう。シーズン2』


書評 | 20:46 | comments(2) | - | - |
会田誠『青春と変態』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本 

 

 


『青春と変態』(ちくま文庫)は、今をときめく画家、会田誠氏が1993年、20代のころ書いた小説です。これがABC出版より刊行されたのが1996年。さらに新装版が出たのは2008年、2013年10月に文庫になりました。

主人公は、会田誠という名前の高校生です。作品自体が、この会田誠君の手記となっています。

1991年3月29日、会田誠君は、今まさにバスに乗り込んだところです。清和女子高と合同でスキーに行くのです。彼の在籍する北高は、共学なのですが、一人を除いて、めぼしい女の子がいません。その一人久保さんは、とびきりの美人ですが、でも女の子にはモテモテの藤田というステディな相手がいるので、とりつくしまがないと男子の多くは思っています。

だから男子の目は自然に、清和女子の女の子の方に向かいます。その中で、湯山さんというきれいな女の子がいて、会田誠君と、文学の話を時折交わすことより「文学カップル」として噂になります。目立った長所のない会田君は、自分が噂の相手になることを怪訝に思いますが、相手の態度を見て、満更でもない気分になってゆきます。

ここまでは、ごく普通の青春小説のようであります。

でも、17歳の会田誠君は「変態」なのです。手記の中で、三島由紀夫の『仮面の告白』のように自らの変態ぶりを洗いざらいぶちまけるだけでなく、なんとその変態ぶりを現在進行形でこの手記の中に記録していくと言うのです。

スキー合宿の宿には、会田誠君の変態活動にもってこいの場所があり、次第に経験を積むことで、彼は大きな戦果を収めることになります。

通常、物語の女性主人公や副主人公は、きれいな女の子は神話化されたまま、悲劇に遭うのですが、そんな文学一般のタブーを『青春と変態』はやすやすと超えてしまいます。

会田君はなんと…

前編は変態日記のような内容なのですが、主人公の会田誠君は実のところ純情な高校生で、まだ女性も知りません。指一本触れていないのです。あくまで、空想の世界が肥大してしまったがために、そうした異常行動に走ったのですが、噂を立てられた女子高一の美人、湯山さんとしだいに接近してゆきます。

おいしい状況が、スキーの中で重なるにつれ、彼はとうとう彼女に恋をしてしまい、一連の変態生活からも足を洗おうと決心するのでした。

しかし、純情素朴なラブストーリーの流れになるかと思われたまさにその時…

内容は具体的な描写をはばかられる超変態の世界なのに、純情な青春小説で爽やかな読後感があります。文章によどみがなく、全体が隅々まで見通せるような見事なつくりです。場所の描写も人の描写もビジュアルで、隅々までクリアに描かれています。美しいものは美しく描くことによって、主人公の変態ぶりが一層引き立つ仕掛けになっているのです。全体を一枚の巨大画にできそうな内容ですが、さすがの会田画伯もこれをそのまま、絵として公開することはできないでしょう。それくらい過激な描写が続きます。手記そのものが、爆弾になるエンディングも秀逸です。『青春と変態』は、十代の若者の悶々と屈折した世界を、一抹の悲哀を交えながらも、明るく軽やかに描き切った青春小説の傑作なのです。

 


 

書評 | 01:39 | comments(0) | - | - |
小山宙哉『宇宙兄弟 22』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本 



いったん成人し、地位のできた人を変えるのは難しい。

ミスをしないことをモットーに仕事を進めてきたNASAのマネジャー、ウォルター・ゲイツ

ISS(国際宇宙ステーション)廃止反対の署名を集めた南波六太たちだが、予算削減の金額が半分にも達していないからと、ゲイツはそれをはねつけようとする。

NASAとJAXA合わせて5812人の署名。それさえも、無意味であったのか。

本来反対署名を集めることが、六太たちのミッション選抜への条件であった以上、もはや彼らジョーカーズが、月へのミッションにつくことも絶望的であると思われた。

そんな折、ゲイツは昔なじみのバー、アウトプット・タヴァーンを訪ねる。16年ぶりのことだった。

店主のオーウェン・パーカーは、かつてNASAの職員で、ゲイツの一年先輩であったが、抜擢した部下の不祥事の責任をとり、左遷され、その後NASAを退き、今はこの酒場を営んでいるのだった。羨望の対象だったパーカーの失墜を見て、ゲイツは自分はそうなりたくはないと思うようになったのだ。

「一度たりともミスはしてはならない」と私はその想いだけで生きてきた

そう語るゲイツに対して、ウォルターは

肝心なのは―なぜ君がこの店へやって来たかだ

と、すべてを見抜いたかのような言葉を口にする。

思い出すためだろ?

本当の自分を

その夜を境を、ゲイツの行動に変化が生じた。メンバーのうち二人が大々的にメディアで取り上げられ、六太のグループにも追い風が吹き始める。

ISSの計画は存続するのか、そして六太のグループは月に行くことができるのか。

物語は、いよいよ終盤にさしかかった印象を受ける。

それは『宇宙兄弟』の前半、六太とともに最終選考を争ったメンバーが次々に登場することにによってである。それもずっと夢に近づいた形で。

長い物語の中で張られ読者の中でも忘れられかけた伏線が、次々につながり蘇ってゆく。部分の状況の中に閉じ込められたような展開の後で、物語の全体を再度知らされると、急に目の前に視界が開ける高台に立ったかのように、ほっと解放されたような気分になる。『宇宙兄弟 22』はそのような巻である。

関連ページ:
小山宙哉『宇宙兄弟 21』
小山宙哉『宇宙兄弟 心のノート』

      Kindle版


書評 | 22:25 | comments(0) | - | - |

(C) 2024 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.