つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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羽海野チカ『3月のライオン 9』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略



(以下のまとめは、具体的な展開についてはぼかしているものの、物語の核心に関してはネタバレの内容ですので、ご注意ください)

羽海野チカ『3月のライオン』は家族を交通事故で失った天涯孤独な少年棋士、桐山零の棋士としての活躍と、月島・佃島をモデルにした三月町で生活する川本家の三姉妹、あかりひなたモモとの交流を描いたハートウォーミングなコミックです。

第9巻の前半は、高校2年生になった桐山零が、中学三年生となったひなたの高校受験をサポートする話が中心です。ひなたの苦手とする数学を教えながらも、棋士としての勝利を一歩ずつ重ねてゆく零。中学でいじめにあい高校に夢を見つけることができないでいるひなたを、零は自分の通う駒橋高校の将棋科学部のメンバーと、三姉妹ともども過ごすことを計画するのでした。その結果、ひなたはある決心をしたのでした。

他方、ひなたの憧れる同級生、野球部の高橋勇介が高知の高校へと進学することを、零の口からひなたは知らされます。

その瞬間のひなたの曇った表情を零は見逃しませんでした。頑張ってきたひなたの努力に水をさしてしまった自分の愚かさと、対象が自分でないことの悔しさの入り混じった感情。

ひなたにとって、それは今までいくつも続いた悲しい別離の再来でした。

四国かぁ 遠いなぁ

ちほちゃんの岩手も
―遠いなぁ

お母さんも
おばあちゃんも

お父さんも

いつもそうだ

当たり前の明日が
当たり前に
やって来て

ずっと いつまでも
普通に会えるんだって
思っちゃって…

ーそしてびっくりするんだ…

いつも いつも
こんな風に…


しかし、試験の前日になり、熱でうなされる中で、零の存在の大きさにも気づくひなたでした。

消えていくもの ばかりじゃない

それを ぜったいに

忘れては いけないんだ


零と三姉妹の関係は、不思議な関係です。たとえ、ひなたと零が二人きりで一夜を同じ屋根の下で過ごしたとしても、誰も疑うことがありません。

だって 桐山くんですもの

とあかりは言います。

大丈夫 
だって… 坊主だぜ?

ないない 何もおこりゃしねーって


三姉妹の祖父の相米次も言います。

でも、零はひなたのことを好きじゃないのと言う叔母の美咲に対し、あかりは

うん スキだと思う

でね 私の事も好きなの

―でね モモの事も大好きなの


目にだって 入れちゃえるくらい


零にとって、一気に失ってしまった両親と妹の三人の空白を埋める「家族」としての存在が川本姉妹でした。そして、両親のいない三姉妹にとっても零の存在はまず「家族」。

一足飛びにそこに行っちゃうとね

「恋」なんてもろいものに戻すのは
至難の技だねえ…


美咲もようやく納得したようです。この巻の前半は、いわばこれまでの関係を、作者が登場人物の声を借りて、整理してるようなもの。それは読者が感じ取ったままの微妙な関係のであり、そこから一歩もどちらの方向にもまだ歩みだしてはいないという確認なのです。

第9巻の後半は、零の棋士としての活躍は描かれず、仲間の棋士たちのトンネル状態が描かれます。上へゆくほど、相手の実力も筋金入りとなり、数少ないポジションを競い合うことになるから、当然です。

B級1組の横溝七段は、「死神」、「厄病神」と疎まれる滑川(なめりかわ)七段と対戦し、どん底へと落とされ、努力に努力を重ねてきた中で、宿敵の宗谷名人と対決した土橋九段もまた…

そのあげくに、彼らが見出したのは単なる闇の世界だったのでしょうか。

『3月のライオン』第9巻では、若者たちにとって明るい春の訪れと、非情な棋士たちの地位決定の季節が、見事なまでに対照的な二つの世界となって描かれているのです。



↑こちらは限定版のニャーしょうぎ付
書評 | 20:14 | comments(0) | - | - |
[13/09/22] マーチエキュート神田万世橋
9月14日にオープンしたマーチエキュート神田万世橋

旧万世橋駅(のちに交通博物館)の遺構を活用した商業施設である。

万世橋1

二階部分に通じる1912階段。1912年の万世橋駅創建時に造られた階段をリニューアル。

他に鉄道博物館の新館建設時に作られた1935階段もある。

万世橋2


1912階段は左に折れると、二階のカフェと2013プラットホームに通じる。

万世橋3










ガラス張りの2013プラットホームからは線路越しに秋葉原方面を望むことができる。

万世橋4





神田川沿いのオープンデッキから見た万世橋の夜景。但し、通行できるのは、ショップ沿いの部分のみで、飲食店が入る部分は今のところ通行不能になっている。

万世橋5













関連リンク
マーチエキュート神田万世橋について

旧万世橋駅がオシャレ系商業施設としてオープン(AKIBA PC Hotline!)
photoscape | 00:18 | comments(0) | - | - |
戸塚たくす・阿久井真『ゼクレアトル 4』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略



1.何かと話題の戸塚たくす・阿久井真『ゼクレアトル〜神マンガ戦記〜』(小学館)もいよいよ第4巻に入りました。

仙界の漫画家、ゼクレアトルによっていつのまにか自分が漫画の主人公になっていることを知らされた平凡な中学生、山越カン太(やまごしかんた)は魔王軍の手先とヒーローとして戦うことになってしまいます。その前に現れた頼もしい先輩である御大師封真(おだいしふうま)の協力を得て、エゼル部を結成。次第に精神を物質化する技術を習得し、いよいよという時、自宅に帰ってみると、封真がエゼルによってつくりだした土偶のようなズンシィクゥヨから声が聞こえ、その口の中に現れたのは、飛行機事故で死んだと思っていた父と母の顔でした。仲間を得た希望と信頼を裏切られたことに気づいたカン太は…というのが第三巻までのあらすじでした。

失意に暮れ、立ち上がる気力を失ったカン太を励ますのは、彼の姉、山越まころ

彼女もまた仙界由来の力を持ち、「仙界サンデー」を読む中で、自分たちが置かれたストーリーを知り、封真の正体に気づいた一人でした。
カン太がこの世界に生まれるよりも前に、何作もの漫画の中で生まれては死ぬ人生をやり返したことのある封真は、ゼクレアトルにより自分以外に主人公が生まれたことを知らされ、そこからカン太と封真の対決が不可避な運命として浮かび上がってきます。

陰の主人公と陽の主人公とは一体?

あくまでこの世界での自由を選ぼうとするカン太に対し、仙界への反逆を企てる封真。

考えを内に秘めながら、そんな二人の動向をほくそ笑みながら見守るゼクレアトル。

二人の対決は避けることができないのか。そして、エゼル部の仲間たちの動向は?

2. Web上で複数のコミックを発表し、それを投票で競わせながら盛り上げ、順次単行本化するというのが裏サンデーのシステムですが、その中で『ゼクレアトル』は苦戦を強いられました。

Web上での人気やPVに比べ、書店での単行本の売り上げが伸びないという現象。その結果、この4巻の後半より、当初の展開を短縮したストーリー展開になっているようです。Web上で発表するのも、原作の戸塚たくすによるネーム段階の絵となり、阿久井真による完成画は単行本までお預け。

こうした不本意な展開になったのには、二つの理由があると私は思います。

メタ漫画としての比類のない特質を持った『ゼクレアトル』ですが、そこにはある弱点も長所と表裏一体のものと共存していました。

『ゼクレアトル』は、言ってみれば物語とその批評を、別の物語のもとで一体化するという試みです。第一の物語である「主人公カン太」は、一種のバトルものの王道ストーリーであろうとするのですが、登場人物の行動は仙界のゼクレアトル自身を含む漫画家たちによって、解説され、批評されてしまいます。つまり、読者は肝太たちの行動を自由に解釈したり、感情移入したりする行為を抑制されてしまうわけです。この第4巻でもゼクレアトルと仲間の漫画家であるエビレイエスシによって、姉の登場を「サポーター」として位置づけるようなシナリオ論が戦わされます。

つねに作者による批評的言語にさらされるがゆえに、キャラクターの行動の解釈の自由度の少ない漫画になってしまう。これが『ゼクレアトル』の致命的な欠点です。王道物とは次に何が来るか分からない冒険譚であり、登場人物に対する感情移入による読者の一体化が妨げられると、次を読むまで落ち着かないので読者は本屋へ走らざるをえないという物語の衝動的な力も弱まるのです。その意味では、瞬間的な笑いの感覚に訴えた当初のラブコメ的設定の方が、まだ相性がよかったかもしれません。

類似のメタ漫画である大場つぐみ・小畑健『BAKUMAN。』では、メタレベルにある主人公たちの『少年ジャンプ』におけるサバイバルゲームが、作者や読者の参加する目の前の雑誌そのものという強烈なリアリティによって支えられていました。これはいわば、大家ゆえに許された反則すれすれの離れ業です。しかし、『ゼクレアトル』では、裏サンデーにおける投票システムという仕組みが反映されているとは言え、クッションを置いた仙界の絵空事の世界です。ですから、メタ次元における読者の興味は、どちらかというと世界の仕組みの理解のような知的パズル謎解きの方へと流れてしまいます。

『ゼクレアトル』は王道漫画と、その批評行為をバランスよく一つの作品に収めたと言えますが、それは作者の側の論理であって、読者サイドとしては、王道漫画としての魅力は弱く、血的なパズル目的の読者が主流となり、1+1=2の効果をあげるには至らなかったというべきでしょう。

『ゼクレアトル』のもう一つの弱点は、裏サンデーのリアル書店における販売力の弱さです。表の少年サンデーでは、連載漫画の新刊は一つの本屋で何十部と平積みされて置かれますが、裏サンデーのコミックは、全国展開している近くの大手書店を見ても、大体棚差しで、一店舗一部きりです。誰かが買ってしまうとその本屋では、店頭で見かけることがないという現実。これを越えるには、読者の側の絶対的熱量が必要です。同じ裏サンデーで抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げたサンドロビッチヤバ子だろめおん『ケンガンアシュラ』は重版され、この熱量に達しつつあります。これはシンプルなバトル漫画ゆえの強みだと思います。

戸塚たくすの世界を創りだす想像力は天才的だと思いますが、それを多くの読者が認知するにはまだまだ時間が必要でしょう。『ゼクレアトル』のエンディングは、裏サンデーのサイトで今でも読むことができますが、続く5巻では阿久井真による完成画となります。阿久井の恵によって、戸塚のネームにはない端正さと萌えの力が加わります。戸塚が想像力の限界に挑んだその結末が、阿久井によってどのようにパワーアップして目の前に現れるか、その再ー創造の日を今から楽しみでしかたありません。

裏サンデー『ゼクレアトル〜神マンガ戦記〜』

関連ページ:
戸塚たくす・阿久井真『ゼクレアトル 3』
戸塚たくす・阿久井真『ゼクレアトル 2』


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