つぶやきコミューン

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ヤマザキマリ『パスタぎらい』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本     文中敬称略              ver.1.01

 

 

『パスタぎらい』(新潮新書)は、世界を股にかける漫画家ヤマザキマリによる、グローバル食文化論だ。

 

イタリア人と結婚し、イタリアに居を構えているからといって、本書の内容はイタリア料理絶賛というわけではない。

 

むしろ、著者が偏愛する多くの料理は、日本のものである。日本を離れ容易に手に入らなくなったがゆえに、当たり前にそこにあったもののありがたみが初めてわかり恋しくなるもののオンパレード。

 

だが、それは伝統的な和食というよりも、洋食や中華の食材や調理法を取り込んで独自に進化する中で生まれた日本食の数々である。

 

そんなわけで、世界に誇れる日本の味といえば、てんぷらや寿司よりも、まずラーメンがあがるのだ。

 

  海外で生活をしていると、よく日本の人から「お寿司や天ぷらが恋しいでしょう」なんて聞かれるが、正直そんなものよりも圧倒的に食べたくて我慢ができなくなるのはラーメンだ。日本を訪れた海外からの観光客に好まれるのもラーメンだという。うちのイタリアの夫も、日本に暮らした経験のあるポルトガルやブラジルの友人も、ラーメンの話になると恋する乙女のような潤んだ瞳になって、「あれは日本における最高の料理だよ……」と味覚の記憶に酔いしれる。pp39-40

 

世界に日本ほどパンの美味しい国はないとも言う。とりわけ、イタリアのパンのまずさに慣れると、日本のパンの美味しさが一段と引き立つ。

 

実際かつて日本に連れて来た十人のイタリア人のオバさんたちは、日本で最も美味しかったものの一つにパンを挙げていた(ちなみに一番はイタリア料理だった……)。

 とにかく私にとって、世界におけるパン美食国ナンバーワンは日本である。p20

 

スナック菓子の種類の豊富さやおいしさに関しても日本は世界一である。世界にも、こんな風にいろいろな種類の菓子があるのだろうと思いながら旅してみてはじめて気づくのは、それぞれの国のパターンの少なさ。それに比べると、日本のスナックのバリエーションは無限に近い。その多様性を表現する著者の筆致もさえわたる。

 

 ちょっと何かしらしょっぱいものが欲しい、と感じた時の選択肢が、とにかく日本には多いのである。ポテトチップスのようなオーソドックスな定番から、かっぱえびせんやカールのような昭和の高度経済成長期に生まれた膨大な数のスナック類、餅米が原材料のトラディショナルな煎餅やあられ、柿の種。それだけではない。エビやイカなどの海鮮の風味を生かした薄焼き煎餅に豆菓子、魚介類の燻製やチーズ類。じゃがいもを原料にナチュラルな味覚を生かした絶妙な食感のポテト菓子、インスタントラーメンを砕いて味つけしたもの、子供でなくてもたまに頬ばりたくなるうまい棒(特に明太子味)……。思い浮かぶだけ挙げてみたけれどきりがない。しかもそれぞれにいくつものテイストがあることを考えると、日本のスナック菓子の懐の深さを感じさせられる。pp78-79

 

著者が愛するオーソドックスな和食の「伝統」とはかかわりのない日本食の一つとして「洋食」がある。

 

 欧州発祥のはずなのに、紆余曲折あって日本で独特の進化を遂げ、日本でしか食べられないものになった不思議な料理が「洋食」である。明治以降に海外からの来訪者のために作られていたものが、その後独自にアレンジされて、ポークカツレツ、オムレツ、カレーにハヤシライス、シチュー、フライにコロッケといったものに形を変えていく。さらに戦後になると”スパゲッティ・ナポリタン”のような米国系洋食が日本の大衆食として定着するようになるのだが、日本という国がこれだけ多国籍的な食文化になったのも、きっとこうした洋食の影響もあるのだろう。p51

 

そして、「洋食」と言えば、何よりもケチャップの味である。およそイタリア風のスパゲティとは似ても似つかぬ味のケチャップ味のナポリタンを著者は偏愛し、さらにイタリア人学生たちに食べさせようとする食の武勇譚がとりわけ圧巻である。
 

  皿に盛られたオレンジ色のナポリタンを見つめながら、最初は皆絶望的な表情で黙り込んでいたが、私がさっさとそれを口に運び始めると、一人、そしてまた一人と強張らせた表情のまま食べ始め、そのうち一人が「あら、思ったほどマズくない」と一言、周りもそれに同調し始め、最終的には全員皿に盛られた分は全て平らげた。p53

 

好きなものはどの国を旅しようと、可能な限り再現して、人前で食べたり、人に勧めたりするのがヤマザキマリ流である。その結果、大きな騒動になったものの一つにおにぎりがある。フィレンチェからローマに向かう列車の中でのことである。

 

  ところが、このおにぎりを食べ始めた途端、コンパートメントの中が異様な空気に包まれた。海苔から漂うイタリア人には嗅ぎ慣れていないであろう独特な磯臭さのせいもあるのだろうが、彼らには私がむしゃむしゃ頬張っているものが何なのか、一見しただけではわからない様子だった。私の向かいのシートには就学前の小さな男の子と、その隣には彼のお母さんが座っていた。目を細めてじっと私の食べているものを見つめていた男の子が、小さい声(と言っても周りにも聞こえる)で、「ママ、あの人、子供のアタマみたいなもの食べてるよ……」と恐る恐る呟いた。pp64-65

 

こうした国境を越えた食べ方は、末尾に近いシチリアの餃子で、クライマックスを迎える。

 

もちろん、馬肉料理や、牛の胃袋の煮込み「ランプレドット」、手に入れようとして雪山に遭難しそうになったボルチーニ茸、ポルトガルのエッグタルトなど、内外の美味な食べ物も事欠かない。

 

だが、どこかの料理はすべて素晴らしいとかではなく、どこまでも自分の感覚と経験が全てなのである。なんとなれば、著者は、トマトや酸っぱい果物全般も、コーヒーも体質的に受けつけられない体質であるから、まずイタリア料理をまるごと受け入れることからして不可能なのである。さらにイタリアでの貧乏苦学生時代に食べ過ぎたせいで、ナポリタンを除き、パスタすらも受けつけなくなった。初めから異端の刻印がされた胃袋なのだ。

 

日本人が世界に誇るものは、和食そのものというよりも、貪欲に世界中の料理を取り込み、進化させ続ける食への探求心、貪欲さであるとヤマザキマリは言う。

 

やはり「食文化」というカテゴリーに絞れば、日本の”外交能力”は他国に比べて突出している。p185

 

『パスタ嫌い』とわかりやすいのかわかりにくいのかよくわからないタイトルになっている本書だが、そのタイトルを、出版社の枠を取り払って小学館+集英社風に名付け直せば、『国境のない食べ方 ヤマザキ・マリの偏愛グローバル食文化論』ということになるだろう。上に引用したスナック菓子の項にせよ、「和食」の項にせよ、外国語に翻訳しようとすると翻訳者が多大な苦労をしょい込むこと間違いなしの、日本語ならでは世界に一つだけの食文化エッセイなのである。

 

関連ページ:

『ヴィオラ母さん 私を育てた破天荒な母・リョウコ』
『ヤマザキマリの偏愛ルネサンス芸術論』
『国境のない生き方』 
『男性論 ECCE HOMO』

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