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國分功一郎・互盛央『いつもそばには本があった。』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略

 

 

國分功一郎・互盛央『いつもそばには本があった。』(講談社選書メチエ)は、哲学者國分功一郎と出版社勤務で編集の仕事を行いつつ、自らも現代思想関係の著書を持つ互盛央のリレー形式のエッセイである。本書は、互による「まえかぎ」、國分による「あとがき」と、交互に往復書簡的に織りなされるそれぞれ8本ずつ計16本のエッセイからなっている。

 

そこで語られるのは、もっぱら自らが出会った本、思想関係の本の記憶である。

 

けれども、単なるものとしての本の記憶ではない。ある時代の文化事情、出版・翻訳事情の中での、本の記憶なのである。それは、その時代に活躍した海外の思想家、日本の紹介者の記憶とも不可分である。

 

互盛央が「まえがき」で、最初に取り上げているのは、浪人時代に出会った丸山圭三郎の『ソシュールの思想』である。

 

 もちろん『ソシュールの思想』という書物をめぐるこの記憶のネットワークをもっているのは私だけである。話題になり、たくさん売れもしたこの本を手にした人は数多いだろう。その数だけ、この本をめぐる記憶はありうるし、実際あるだろう。そうすると私の記憶は孤立したもののように思えてくるが、私のネットワークに友人や指導教官と話をした記憶が含まれているように、一冊の本を介して複数のネットワークが交錯し、その網の目が複雑になったり、予想外の広がりにつながっていることに気づかされたりすることもある。しかも、その交錯は私が実際知っている人ばかりか、著者である丸山圭三郎という人や、そこで論じられているソシュールという人―――つまり、すでにこの世を去って会うことのかなわない人とのあいだにも生じうるのだ。(互「まえがき」pp6-7)

 

本との出会いだけでなく、その出会いの前後の状況などを含めた観念連合、記憶のネットワークを再現することが本書の目的の一つである。

 

すでに物故した作者、思想家の場合、どの時代でも同じように思えるかもしれないが、実際にはその時代によって、取り上げられ方も出版事情も、まるで異なる。現在思想が現在よりもはるかに大きな存在であり、毎月のように、新しい翻訳書が出版されていた時代があったのだ。若い読者にとっては、こうした異なる時代の息吹を知ることにつながり、かつて経験したことのある読者には、過去へと扉を開くタイムマシンの働きをすることだろう。

 

 一方、フランスに目を転じると、「構造主義の四天王」と称された人たちのうち、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコー、ロラン・バルトはすでにこの世になく、クロード・レヴィ=ストロースだけが伝説上の人物のように君臨していた。最前線で活躍していたのは(…)、むしろ「ポスト構造主義」と呼ばれる思想を展開していた人たちである。その代表が、ジャン・フランソワ・リオタールやジュリア・クリステヴァ、そして國分さんにとって重要な二人の思想家ジャック・デリダとジル・ドゥルーズであり、一九九二年にはここに挙げた四人の全員が存命だった。

 今になって思うと、デリダやドゥルーズの新刊が出るという情報に接したり、デリダやドゥルーズの次の著作はどんな内容になるのだろうと期待したりすることができるというのは、なんと贅沢だったのだろう。(互「言語から出発する」pp20-21)

 

本書には、ソシュールや、ドゥルーズ、デリダだけでなく、柄谷行人、ジョン・アガンペン、ロラン・バルト、豊崎光一、宮沢淳、フロイト、ジャック・ラカン、ハンナ・アレントなど多くの出会いが語られている。書物との出会いは個人的なものだが、複数の人間によって共有されることが可能な時代の経験でもある。

 

華やかな現代思想のスターたちを、はじめからすべて受け入れたわけではなかった。初めはどことなく、いけすかない感じ、それがある時点で肯定的な評価に変わることもある。

 

國分功一郎にとってのハンナ・アレントがまさにそうだった。

 

 私が大学生だった一九九〇年代半ば、アレントはちょうど人気が出始めたころだった。私がそれを強く意識していたのは、政治学科の学生だったからかもしれない。アレントは政治学において盛んに論じられていた。そして私は、そこで論じられているアレントに強い反発を抱いていた。

 マルクスをここまでケチョンケチョンに叩いている彼女を政治学者が積極的に評価することの意味が全然わからなかた。単に彼らも反マルクス主義だったのだろうか。そして何より、アレントの重要概念、「公的空間」がやたらと持ち上げられていることが全く理解できなかった。それはほとんど「お行儀よく振る舞え」という程度のものに思えた。(國分「実存主義と人文学」pp80-81)

 

國分がアレントを評価するようになったきっかけは、一つは状況の変化に強いられてであるが、もう一つはアレントを「政治学者」ではなく「実存主義」の哲学者として見るようになったためである。

 

 アレントにあるのは実存主義である。アレントはこの実存主義によってこそ、人間に迫ることができた。彼女の中で実存主義と政治学が独特の仕方で組み合わさっていて、それが、本人は何と言おうとも、彼女を哲学者たらしめているのだ。

(國分「実存主義と人文学」pp80-84)

 

書物との出会いにおいて重要なのは、著者の存在だけではない。ときには、編集者の存在こそが、時代のトレンドの仕掛け人として重要な役割を果たす場合がある。中でも、豊崎光一のいくつもの著書や訳書を世に送り出した中野幹隆の存在は忘れることができない。

 

 本書で何度も話題になってきた雑誌『現代思想』が一九七三年に創刊された際に編集長を務めた中野は、二年後の一九七五年には青土社から朝日出版社に移る。同年、雑誌『エピステーメー』を創刊して、やはり編集者になった。この雑誌の臨時増刊として一九七七年に登場したのが『千のプラトー』の「序」にあたる『リゾーム』であり(一九七八年に単行本として再刊)、これは一七年後の一九九四年に全訳が刊行されるまで、日本語で読める唯一の『千のプラトー』のテクストであり続けた。

 その一方で、中野は雑誌と連動させるべく、一九七六年には「エピステーメー叢書」を立ち上げている。その一冊として一九七八年に刊行されたのが『外の思考』にほかならない。ついでに言うと、同じ叢書では、ドゥルーズの本格的な単著としては最初の著作『ヒュームあるいは人間的自然』が一九八〇年に出ていて、これはちょうど二〇年後の二〇〇〇年に『経験論と主体性』と改題されて河出書房新社から再刊されている。(互「余白を消去してはならない」pp59-60)

 

中野幹隆の歩みは、そのまま日本におけるポストモダンの輸入の歩みであり、本書に記されたその足跡をたどるとき、『創世記』の記述を見るようなめまいさえ覚えてしまうのである。

 

本書は、ただ単に書物の思い出話、本の記憶のネットワークにとどまるわけではない。一群の書物との出会いの中で浮かび上がってきたいくつもの重要な問題も同時に取り上げている。その中で、最も重要と思われるのが、資本主義と徴税、および国家の問題である。

 

 当時日本でも大変人気であった『千のプラトー』の中で、ドゥルーズとガタリは、貨幣は交換や商業の要求から生まれたのではなく、税の徴収から生まれるのだとはっきり述べている。(國分「単に国家権力を批判するのでなく」p40)

 

当時は主流から離れていたこの考え方だが、税を徴収する主体としての国家の問題をスルーしてしまうと、資本主義は純粋な交換と差異の体系となり、市場原理主義者の資本主義像に酷似してしまう。このような資本主義理解は「牧歌的」である。

 

 ドゥルーズ=ガタリの資本主義論は、「牧歌的」資本主義論への批判だったのだ。

(國分「単に国家権力を批判するのでなく」p40)

 

次の局面、「全体主義的縮減」こそは、現代の社会に顕著な特徴であり、それを「国家からの自由」とした日本の論壇での誤解はその後も長く尾を引いた、一種の悲喜劇である。それを的確に指摘したのが、萱野稔人の論文「全体主義的縮減]だったのだ。

 

 全体主義的な傾向が強まると、国家は資本の価値維持や外的部門の均衡に関わる公理だけを保持し、住民の生存条件や権利に関わる公理は積極的に廃棄しようとする。これがドゥルーズ=ガタリの言う全体主義的縮減で、萱野の論文のタイトルはそこから取られている。ドゥルーズ=ガタリは税の徴収という観点から出発して資本主義を定義し、その上で「全体主義的縮減」を、つまりは公理の縮減を批判的に論じたわけである。

 ところが、一九八〇年代以降の日本の言説空間では、公理の縮減がなぜか「国家からの自由」と見なされた、と萱野は指摘している。公理の縮減はなぜそのように受けとめられたのだろうか?当時は、国家の活動範囲が狭まることが自由の拡大につながると考えられていたからである。(國分「単に国家権力を批判するのでなく」p42)

 

こうした指摘は、現代思想が社会の最重要問題を適切に分析し、定式化可能であることを示すものであろう。

 

『いつもそばには本があった。』は、単なる書物との出会いのアルバムではなく、それらの書物を通じて、時代の表層から忘却されがちな問題と再遭遇するための時間の中の旅である。そこには、忘れてはならないいくつもの書物、何十人もの著者、いくつもの問題が、私たちの思考のミッシングリングとして眠っているのである。

 

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関連ページ:

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