つぶやきコミューン

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えらいてんちょう『しょぼい起業で生きていく』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略

 

 

えらいてんちょうの噂は、池袋周辺にリサイクルショップ「落穂拾」を立ち上げたころから伝わっていた。イスラーム関係の数多くの書籍を著し、その何冊かはここでもとりあげているイスラーム法学者の中田考が店番をやっているので、面白そうな店だと興味を持ったのである。そこではさまざまなものが百円二百円の安値で置いてあって、無料のものもいくつか置かれていた。さまざまな人が出入りし、勝手に店番したり、昼寝したり、ネットで遊んだり、カップ麺を食べたりしていた。その後、イベントバーエデンがオープンし、あれこれの新宗教のOBを網羅したしたようなイベントを主催したり、さらには学習塾、語学教室まで手を広げているらしかった。さらに京都まで、エデンの支店を出すなど破竹の勢いで、注目しないではいられなかった。

 

通常、ベンチャービジネスは自分一人でコストをかけずに立ち上げるのは簡単にやってのける人がいるが、これを別の人間が再現しようとしても、最初の人間が自然にクリアできるハードルをクリアできなかったりするので、なかなか難しいものがある。けれども、エデン周辺では、割と簡単に権利を譲っては、次々に他の人間が系列店が軌道に乗せていたりする。一体、何があるのだろうか。何か、特別な秘訣があるのではないか。

 

その起業のエッセンスを一冊にまとめたのが、えらいてんちょうの『しょぼい起業で生きていく』(イースト・プレス)である。

 

「しょぼい起業」は、「しょぼくない起業」を対概念として持っている。

 

「しょぼくない起業」とは何か?を定義するするとき、しょぼい起業のやるべきことは自然に見えてくる。

 

「しょぼくない起業」には、体面や常識から来る、無数の無駄が含まれるからである。それらすべての無駄を捨てれば、自然と「しょぼい起業」に近づく。

 

夢を叶えるために綿密な事業計画を作って、銀行で頭を下げて資金を調達しますか?できれば交通の便のいいところにオフィスを借りて、内装工事をして、什器をそろえて、電話を引いて。仕入れ先や取引先に交渉もしなきゃ。あとバイトも雇って。

 

 はい、これら全部いりません。ひとつもいりません。

 

 これらは「しょぼくない起業」です。そちらがやりたい方は、そういう方向けの起業本が世の中に山ほどありますので、てきとうに探して読んでください。「しょぼい起業」は、お金をとにかくかけません。借金も原則しません。そのかわり、なかなかつぶれません。

 

「しょぼい起業」は、コストをかけない。それは何かから差し引くというよりも、ふだん何の気なしにやっている習慣的行為の上に商取引のレイヤーを重ねることから始まる。具体的には、定期券を使い学校へ通学する間に、ある場所で仕入れた物を、別の場所で売りさばくようなやり方でである。

 

基本は、「日常生活で必要なものを作り、余ったぶんを売る」。実家で栽培した野菜があれば通学途中で売りさばけばよいのだ。

 

 このとき、あなたがひとりで埼玉から東京にやって来ればただの移動ですが、空のリュックに家の野菜をいっぱいに詰めて電車に乗り、東京でこの野菜を売ったとしたらどうでしょう。その瞬間、この行為は単なる移動から「輸送」に変わります。埼玉から東京までの輸送コストがまるまる浮くことになるのです。あとは、東京の学校の近くにで野菜を買ってくれる販路さえ探せば、毎日の通学がお金に換わるわけです。

 

これをえらいてんちょうは「生活の資本化」と呼んでいる。

 

野菜をつくるとしても、何を作るかと言えば、ふだん自分が食べているものだ。作った分だけ、支出が減る。さらに余った分があれば売るという発想が基本である。「しょぼくない起業」は一獲千金を目指し、ここで間違ってしまう。いたずらにコストをかけたあげく、大量の在庫を抱えたり、病害虫の被害に耐えられなかったりするのだ。体力もないのに、背伸びした結果悲惨な結果を招いてしまう。

 

「しょぼい起業」とは身の丈に合った、ミニマムな起業である。

 

リサイクルショップを開くなら、ほとんどの家電は無料同然で手に入るし、どんどんよいものに取り換えることも可能だ。その分支出が減り、余りは売りさばいて収入となる。飲食店を開くなら、自分が食べる日々の料理を多めに作り、余りを人に出すという発想である。生きている限り必要なものを自作するか、格安で調達し、それで余った分を売るという発想がつねに基本なのだ。

 

さらに、自分が持っているハイエースがあれば、空いている時間に有料で貸し出せば、ガレージで眠っている車がお金を稼いでくれる。

 

「すでに持っているものを使ってお金を稼ぐ」この行為をえらいてんちょうは「資産の資本化」と呼んでいる。

 

「生活の資本化」+「資産の資本化」が「しょぼい起業」の基本である。

 

リサイクルショップを開くときも、店を借りて住む発想でスタートした。家に住んでも店に住んでも同じように家賃はかかる。だが、店に住めば置いておいたものが売れて、家賃が浮き、月40万円稼げてしまったのである。

 

 私の場合、最初は1円も売り上げる気はなくて、家じゃなくて店を借りたらおもしろいんじゃないの、というノリで借りた店舗なのですが、これがなかなかどうして、謎の売り上げがあるのです。実家から持ってきた服が、100円くらいでバンバン売れます。

 自宅に服を置いておいても売れないのに、店を自宅にしたら服が売れた。家賃の足しになる!と喜んでいたら、訳のわからないものがいっぱい売れて、初月には40万円くらいの売り上げがありました。

 

とはいえ、毎日店を開け、閉めする苦労だけは避けることはできない。

 

決まった時間に、毎日開いていれば必ず人は来る。家と店を別に借りるのではなく、そこそこ人通りのある住宅街に店を借り、そこに住むのである。

 

しかし、売り上げが伸びるには、人の流れがなくてはいけない。人の流れをつくるには、店の中に何人かの人がいることが必要だ。

 

「生活の資本化」「資産の資本化」に続く、この重要な要素にこそ、えらいてんちょうの成功の秘密がある。

 

大手チェーン店のような完全なサービスなど提供できない。

 

結局、自分を商品とするしかないのである。

 

あなた自身が商品です。あなたに会いたいと思う人が来ると、あなたの店はスタバやマックより価値があることになります。そういう人がたくさんいると、自然と店はうまくいきます。

 

実店舗を持つことは社会的ステータスを上げることになるが、地元住民を敵に回して、やってゆけない。

 

「しょぼい謎店舗」においては周りの店や住民、みんなに好かれないとそもそも人がやって来ず、謎の交流も始まりません。

 

あとは、商品や人(つまり客、自分、スタッフ)がつねに動いているか、車が動いているかをチェックするだけである。

 

このとき、無料で人にモノをあげても、無料で車に人を乗せても構わない。適正価格などこだわらない方がよいのだ。

 

コストを極限まで抑える「しょぼい起業」は、基本自分一人で何でもやることが原則だ。

 

だが、無料で人を動かす方法はある。店を、学校のクラブ活動の部室のような一種のコミュニティスペースとして提供すればよいのだ。

 

●人に無料でものをあげる

●ネット環境や寝る場所を提供する

●なんでもいいから何かの会合を開くときの場所として使ってもらう

●お菓子や食事を振る舞う

●むしろ私が無料で相手を手伝いに行く

 

ものを売るついでに空いている店のスペースを、他の目的に使われようと気にしない。それどころか、サービスを提供する。すると、頼まずしてもこのスペースを支えてくれるようになるのだ。

 

 こういう状況になると、不思議と店に遊びに来た暇な人が自発的に店番を始めたりします。ただお茶を飲みに来ていただけの人たちが、なんの指示もしないのに、完全に本人の自由意思でいろいろ店の仕事を始めるのです。すると、その間に店主がどこかへ用足しにに出かけることができるようになります。私の場合、途中から私が一切店番に立たなくても店が回るようになっていました。掃除好きな人が自発的に店を掃除してくれてたり、「これ、俺の友達が欲しいって言ってた」なんて勝手に販路を拡大してくれたりするのです。これを「しょぼい起業」用語では「生活・資産の労働力化」と呼びます。

 

「生活の資本化」+「資産の資本化」+「生活・資産の労働力化」こそが「しょぼい起業」の成功方程式である。

 

現金を通さず、代わりの物や、サービスで済ませてしまう半物々交換の経済圏をつくることで、現金の出費は極限まで減らせてしまう。その基本にあるのは、いつも店を開いておく、そして自分ですべてをまかなう、地元や近所の人と仲良くするという覚悟である。その結果、逆にすべてを自分でまかなわなくても、店が回ってゆくという好循環が生じるのである。

 

店主に代わって、店を回してくれる人が何人もいれば、それはサクラの働きもする。店に活気があるように見え、次の客を呼びこむ、呼び水となるのだ。

 

さらに、客を呼び込むにはどうすればよいのか。業者を使って、宣伝広告費にお金をかけるのは愚の骨頂だ。

 

「無料コーナー」を使って、人に物を無料であげるのも、効果的だ。

 

「無料で不要品をあげるなんて意味がない」と思われるかもしれませんが、実はそうじゃありません。そもそもその不要品は利益をあげるためのものではないからです。そのタダのものをもらいに、わざわざ店頭まで足を運んで来てもらう。そのことが大切なのです。

 店の前まで来てもらったらこっちのものです。開いている時間だったら店の中ものぞいてもらえますし、店の掲示物も見てもらえます。そして何よりも「あの店に行くと無料でものがもらえる」という口コミになって、地域のコミュニティに広がっていきます。まさしく無料の広告宣伝そのものです。

 

無料でばらまくといっても、離れた店の外の通りではなく、店の前でやることが最大の宣伝になる。昔流行った駅前で、店名の入ったティッシュを配るのとの大きな違いを考えてみよう。あれこそ「しょぼくない起業」にのみ許された贅沢であって、実は広告業者は確実に儲かる仕組みだが、店が儲かる仕組みではない。原価ゼロ、人件費ゼロ、広告費ゼロで、はるかに有効な広告は可能なのだ。

 

これをさらにSNSでやる方法も本書では紹介してある。まずSNSでバズって人気を集めるようになればいいのである。

 

ブログやツイッターの読者やフォロワーが増えれば、リーチが広がり、商圏も広がる。さらに文字媒体よりも、YouTubeのような動画メディアがこれからは効果的と予測する。動画メディアの中の人になってしまえば、テレビタレントとの区別は実質ないに等しい。小学生の憧れの職業にYouTuberが来る時代なのだ。

 

店が流行り勢いをつけるには、たった一人の生徒が大学に合格しても「快挙!! 合格率100%」のような、多少の大本営発表は必要だ。暇そうにしている店に、客は来ない。忙しそうに振る舞う。まだ、顧客がゼロでも仕事をしてる感を演出する。

 

 そういった大本営発表を繰り返すうちに、実際に依頼が来るようになっていき、その依頼を処理できるようになっていき、その依頼を処理できるようになっていき、本当に仕事で忙しくなり、実際に繁盛している店になる、という寸法です。そういうふうになっているのです。景気が悪いときに景気の悪い顔をしていてはダメです。景気の悪いときこそ、忙しさを演出しましょう。

 なんとなく楽しそう!!  なんとなくすごそう!!  これだけで人は集まってきます。逆に言えば、なんとなくつまんなさそう!! なんとなくダメそう!! それだけで人はその店を舐めて、離れていくのです。

 

『しょぼい起業で生きていく』にまとめられたのは、目新しい理論ではなく、世界中で昔から行われてきた「商い」の基本である。ただ、情報が金に代わる時代に、さまざまな虚飾で飾り立てられ、本質が見えなくなってしまった。それらは、商う人本人ではなく、それに寄生する業者を儲けさせる仕組みである。そうした虚飾、ノイズを、気持ちよいほど断捨離して丸裸にすると、本書ができあがる。

 

『しょぼい起業で生きていく』は、業種を問わず、通用する「商い」の王道が書かれており、誰が読んでも目から鱗が落ちまくり、生活が豊かになるヒント満載の名著である。

 

PS『しょぼい起業で生きていく』はこちらで無料で読むことができます。

https://note.mu/eraitencho/n/n58921a896e60

 

横書き1ページをスクロールし続けるのがつらい方はKindle版がお勧めです。

 

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