つぶやきコミューン

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落合陽一・猪瀬直樹『ニッポン 2021-2050 データから構想を生み出す教養と思考法』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略

 

 

『ニッポン 2021-2050  データから構想を生み出す教養と思考法』(角川書店)は、科学者にしてメディアアーティストの落合陽一と、東京都副知事、都知事の経歴も持つ作家猪瀬直樹の対談である。最近の対談書のトレンドにならい、細かい会話のやりとりよりも、それぞれの発言の主張や論理性を重視し、リーダブルなテキストとして再構成されたものになっている。

 

タイトルの『ニッポン 2021-2050』は、賛成であれ、反対であれ、オリンピックにまつわる諸問題に思考がとらわれすぎて、2021年以降を見通すパースペクティブを大半の日本人が喪失してしまったという落合陽一の危機感より由来している。真に深刻な問題は、オリンピック以降にやってくるのである。

 

「第1章 テクノロジーは社会的課題を解決する」の冒頭で、落合は、この30年間GDPの成長はなく、世界における日本の経済的地位は大きく後退したが、解決すべき諸問題はそのままに取り残されてしまったことを指摘する。その最たる問題は人口減少であろう。それを東京の視点から見ることは、問題の全体を見失う可能性がある。東京都で国の問題を先取りして取り組み、また財政破した夕張市に都の職員を派遣したことのある猪瀬も、地方に行ってはじめて、日本の抱える問題の深刻さが見えてくると同意する。ビジネスでも政治でも、G(グローバル)だけでは不十分で、L(ローカル)な視点が必要なのである。その際、東京と地方の共通のプラットフォームとなるのがテクノロジーである。人口減少は、AI化の時代にはむしろアドバンテージとなりうるが、それでも地方は自治体の収入を増やすか、それとも整理統合により支出を減らしコンパクトシティに向かうかいずれかの道をたどることを余儀なくされる。とりわけ経済圏としての自立が危ぶまれる北海道の問題は深刻である。鉄道や医療に加えて、地方の今一つの大きな問題は、職人の廃業や後継者の不足によって、地方の伝統文化が喪失してしまうことであると落合は警鐘を鳴らす。5G、ブロックチェーンとトークンエコノミーなどのテクノロジーには、地方の諸問題を解決する大きなポテンシャルがあり、それらは自動運転や空き家問題に活路を開くものであるだろう。人口が減少し続ける地方に比べて、都心では待機児童や学校不足など別の問題が生じている。そしてかつての郊外ベッドタウンの高齢化、過疎化も深刻だ。タワーマンションが林立し、人口が集中する都心部と、郊外、地方を別の問題を抱えるブロックとして考える必要がある。

 

「第2章 2021年の日本風景論」で落合は高度経済成長の日本における原風景が、テレビ文化によってつくられた『ドラえもん』の風景、一戸建てに住む親子二世代の家庭、土管のある空き地であると指摘する。その背景にあるのは、均一化された教育と年功序列給与と住宅ローン、マスメディアの存在である。猪瀬も「黒船の世紀」を生き延び「日本」という国の擬制をつくりあげる上で、松と富士山の絵や、「故郷」のような唱歌に代表される風景の果たした役割の大きさを強調する。もしも現在の日本を風景によって再定義するならば、コンビニとショッピングモールやスマホに集約されることになると落合は語る。それは「近代」の極致であり、完成形なのであるが、そこには未来がない。このような風景は、画一性の極致であり、ディズニーランドを生きている戦後日本の姿にそのまま重なると猪瀬も語る。それに対する新たな風景として、落合が提起するのは能とプロジェクションマッピングのように、伝統とテクノロジーを結びつけた世界の創造である。猪瀬は『ミカドの肖像』で取り上げた、ロラン・バルトの中心に空虚があるという東京のイメージに言及しながら、西欧の近代化とは異なる自然観が東京に息づいているが、そこで天皇制のはたした役割は無視することができないと強調する。伝統とモダンが重なり合う都市としての東京のイメージの源泉がそこにある。

 

「第3章 統治構造を変えるポリテック」ではテクノロジーによる政治改革の可能性が語られる。冒頭で、猪瀬は戦前、戦後で政治は変わっていないことを指摘する。そこで支配するのは内輪の論理、秘密主義であり、森友学園の文書改竄問題でも明らかなように、そうした統治構造の本質はいささかも変わっていない。縦割り行政や、省庁の隙間など「デッドロック」となった日本の統治構造の諸問題をどのように解決すべきか。落合陽一は、小泉進次郎の提言を受けて、政治の課題をテクノロジーによって解決する「ポリテック」を提唱する。猪瀬は、この動きを、著書の『昭和16年の敗戦』の中で語られた、若手官僚が終戦の四年前に、日本の敗戦までのプロセスをあらかじめ正確にシュミレーションを行ったことにたとえ、官僚のサボタージュなどの抵抗勢力にぶつかることも予測しながらエールを送る。官僚の作文である霞ヶ関文学には、数値とデータをもって対峙する必要があると過去の経験から語るのである。落合は、電力問題の向かう方向性として、送配電システムのAI化やエネルギーの地産地消を示しながら、一企業が扱う許容範囲を超えてしまった原発を電力会社から切り離し、国に返納すべきと主張する。

 

「第4章 構想力は歴史意識から生まれる」では今後の日本人に求められる能力が語られる。次の時代のビジョンを得るのに必要なのは、歴史や統計データに精通すること、論理的な日本語力、そして文理を問わない教養であると落合は言う。歴史や統計データを知ることなしに未来の予測は可能ではない。自動翻訳の進化によって外国語のニーズは弱まり、論理的な言語を形成できる能力が重要となる。さらに従来のリベラルアーツに、プログラムなどメカニカルアーツの素養を加える必要があるだろう。官僚のような仕事はAIによって取って代わられる。重要なのは、ビジョンを示す「言葉の力」である。欧米の近代化とは異なるグローバリズムとその中における日本の役割を探求する上でも、言葉の力の重要性を猪瀬も強調する。最後に落合は、自分や主体など人間概念の内へ内へと向かう「近代的な人間らしさ」に、コンピュータテクノロジーとともに人間概念を拡張し続ける「デジタルヒューマン」を対置する。コンピュータにモチベーションはないし、リスクをとることもできない。リスクをとって人と違うことが言える人間こそがイノベーションの時代には求められるのだ。
 

『ニッポン 2021-2050』は、大雑把に言えば、落合陽一の『日本再興戦略』のいくつかの章で語られたビジョンに、『ミカドの肖像』『昭和16年夏の敗戦』『日本国の研究』『言葉の力』など猪瀬直樹の主著のエッセンスを接合したような内容の本である。大きな問題意識を共有しながら、世代もフィールドもコンピュータリテラシーも異なる二人の視点のはざまで、新たな時代のビジョン、必要な能力が明示される。もちろん両者がカバーできる分野での議論であるため、日本が抱える諸問題すべてが扱われているわけではなく、財政、経済、外交、防衛、環境など語られざる大きな空白が本書の外部には広がっているが、ここで言及されている問題は、一種のケーススタディであり、重要なのは「データから構想を生み出す教養と思考法」という副題がサジェストするように、落合陽一自らが体現する、絶えず異分野の問題を思考し続ける挑戦の精神と方法である。ある分野の専門性と、歴史に学ぶ謙虚さ、データを読み取り分析する力、論理的思考力さえあれば、どのような分野でもその分野の専門家も傾聴させ、社会的に実装可能な独自のビジョンを提示することが可能であるということである。歴史をふまえた著作内容の社会的実装で多くの経験を積み、成果をあげてきた猪瀬直樹を対談相手として本書が作られたのもそのためである。

 

 

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