JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略
山口つばさのコミック『ブルーピリオド』1〜3(以下続刊)は、ある日突然絵画の道に目覚めた高校生の美大へのチャレンジストーリーである。ブルーピリオドのタイトルは、パブロ・ピカソの「青の時代」(1901-1904)から来ているが、同時に青春時代の内にほとばしるほの暗い情熱の世界をも表している。
矢口八虎(やぐちやとら)は高校二年生。茶髪のヤンキーでありながらも、学力は優秀で、友達にも恵まれ、周囲の好感度も高いリア充の高校生活を送っていた。けれどもテストの得点アップも人付き合いの円滑さも、すべてが周囲に合わせ、褒められるためのもので、そこに自分で選んだ価値観はなかった。
ヤンキー仲間とサッカーの試合を観ても、心に残るのは虚しさだった。
そんな八虎の生活を変えたのが、美術との出会いだった。
うっかり美術の教室に落とした煙草の箱を取りに行ったときに見た美術部員の大きな絵に何か惹かれるものを感じ、それを見とがめた女装男子の友人、ユカこと鮎川龍二につっかかるうちに、顔を出した美術の女性教師佐伯に言われた言葉が、心にひっかかるものを感じた。
矢口さんは周りに少し気を遣いすぎるところがあるように見えます
私はね
世間的な価値じゃなくて君にとって価値があるものが知りたいんです
美術の授業は寝ていて構いません
でも「私の好きな風景」まだ手つけてないでしょう?
矢口さんがみんなに言いたい景色を教えてください
八虎は、本気で課題の絵を描こうと思う。彼が描いたのは早朝の渋谷の風景だった。
どうしたら あの
眠い空気の中の
少し眩しいような
でも静かで渋谷じゃないみたいな
一日の始まりのような
これから眠りにつくような
青い世界
その青い絵に込めたメッセージが教師や友人に伝わったことで、不覚にも八虎は涙を流してしまう。
その時生まれて初めて
ちゃんと人と会話できた気がした
このことをきっかけに、八虎は美術部に入部し、美大進学をめざすようになる。
教師の与えた課題を次々にクリアして、急に上達するようになる。
けれども、美大進学はお金がかかる。家庭に余裕のない八虎が目指したのは、最難関競争率二十倍の東京芸術大学だったのだ。
かくして、遠近法、鉛筆の削り方一つ知らない龍二の、絵画三昧の毎日が始まる。
最大の難関は、絵はあくまでも趣味で、普通の大学へ進学すると信じて疑わない母親の説得だった。
遅れてきた美大志望生を主人公にすることで、『ブルーピリオド』は絵画のいろは、美大受験の基礎知識といったものを、一つ一つ八虎に習得させる中で、絵画に疎い読者でも、しだい絵のいろやこの世界の内部事情に通じるようになる。
そして、龍二や予備校で知り合った高橋世田介など、八虎よりも先を行く優れた才能の持ち主たちのそれぞれの蹉跌をも同時に描きながら、読者は、この世界の厳しさ、奥深さを知ることになるのである。とりわけ、登場する他のどの女子よりも際立って美しい女装男子鮎川龍二は、八虎以上にキャラ立ちして魅力的である。
芸大受験物では、主人公との比較上、多くの学生の作例を示す必要がでてくる。個性の異なる才能の絵を一人で描くには限界があるため、多くの芸大生が動員され、作例を提供し、それが作品世界の奥行きにつながっている。
『ブルーピリオド』は、単に芸大志望の学生だけでなく、クリエイティブな世界に惹かれる人、絵画に詳しくなりたい人、人生の岐路に立ち進路に迷う人、それぞれに豊富な考える材料を提供し、前に進む力を与えてくれる傑作コミックである。