JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略 ver.1.01
辻田真佐憲『空気の検閲 大日本帝国の表現規制』(光文社新書)が扱うのは、大日本帝国下の1928年〜1945年までの検閲である。
なぜ1928年から始まるのか。関東大震災で1923年以前の資料の多くが失われたという物理的理由が大きいが、他にもいくつか理由がある。
帝国日本の検閲は、おもに内務省が実務を担っていた、だが、一九二三年九月の関東大震災で大手町にあった同省の庁舎が火災に遭い、多くの資料が灰燼に帰してしまった。そのため、これ以前の検閲については実態がわかりづらい。
これにたいし、一九二八年以降は格段に見通しがよい。というのも、左翼運動の取り締まりのため、内務省の検閲機構が拡充され、「出版警察網」などさまざまな資料も刊行されて、しかもその多くが今日に残っているからである。
それだけではない。この時期は、検閲体制が動揺し、変化したときにあたる。比較的自由だったエロ・グロ・ナンセンスの時代から、数限りない規制が乱発された日中戦争・太平洋戦争の時代まで。時代の急展開は、検閲の運用にも大きな影響を与えた。また、映画、レコード、放送など新しいメディアが台頭したことや、植民地の独立運動やテロ運動が盛り上がったことも見逃せない。
すなわち、一九二八年から一九四五年までは、帝国日本の検閲が激しく変化し、その様子が資料でもある程度しっかり確認できる時期なのである。pp5-6
本書は、第一部 検閲の動揺、第二部 広がる検閲網 第三部 戦争と検閲の三部構成となっているが、それぞれに以下の二章ずつがあてられている。
第一章 エロ・グロ・ナンセンス対検閲官(一九二八〜一九三一年)
第二章 世間と共振する検閲(一九三二〜一九三六年)
第三章 植民地の独立運動を抑圧せよ(台湾、朝鮮)
第四章 聞く検閲、見る検閲(脚本、映画、放送、レコード)
第五章 日中戦争と忖度の活用(一九三七〜一九四一年)
第六章 太平洋戦争と軍部の介入(一九四一〜一九四五年)
つまり完全な時系列の構成ではなく、第二部の二つの章で海外への広がり、新たなメディアの登場によるジャンルの広がりという形で、時間以外の二つの軸が挿入されているのである。
検閲は、忌むべき存在、恐るべき悪だが、その実態を考える時、同時に面白いものでもあると「はじめに」で辻田は言う。
何と言っても、国家公務員のエリートたちが、毎日大量のわいせつな文書を、目を皿のようにして見なければ、この仕事は成立しないからだ。実際、検閲にあたった官吏の仕事は過酷で、朝から晩まで多くの文書を抱えて検閲にあたった。
一九二八年四月一六日付の『読売新聞』夕刊によれば、ひとりで一日になんと二〇〇種以上の閲覧を強いられていたという。まんべんなく読んでいたわけではないとはいえ、この「閲覧地獄」で神経衰弱になり、病気休職するものが絶えなかった。p28
他方において、検閲官は、誰よりも時代の文化に通じ、時に批評家として一家言を持ち煙たがられることも少なくないという皮肉な結果も生まれたのである。
検閲される出版社の側も、ヤバい部分には伏字を用いたり、あるいは中国語訳で表記するなどの様々な知恵を凝らすが、それをあっさりと見抜くほどに、検閲官の知識レベルは高かったのである。シュニッツラーの『西洋十話』の翻訳の話である。
ただ内務省図書課には、中国語に通じた検閲官がいた。そのため、こうした伏字はただちに見破られた。そして粋な試みとして見逃されもしなかった。「肝心の所、例えば接吻とか抱擁とか或は猥褻行為乃至性交場面とかは支那時文を用いて瞞着」していると喝破され、同署は一九二九年八月十五日付で発禁処分されたのである。p46
検閲にひっかかり、発禁になったりすると、出版社は大きなダメージを負う。いちいちすべての印刷物に目を通すのは大変だという検閲する側との利害の一致を見て、あらかじめお伺いを立てる土壌が生まれるようになる。
出版される本の総数に比べれば、発禁率は極めて少数だった。
それもそのはず、検閲官側も出版人・言論人側も、できるだけ発禁処分を減らそうとしたからである。出版人は赤字を回避したいし、言論人はみずからの見解を公にしたい。また検閲官も山積みの仕事をできるだけ軽減したかった。
そこで、法令に定められていない便宜的な手段が活用された。これがなければ、日本の貧弱な閲覧体制は早々に破綻していただろう。p58
その一つがゲラ刷りの問題となりそうな箇所に線を引いてもらう内閲制度であるが、それも増えすぎて手に負えなくなったため、押収された出版物の問題箇所削除の上返却するという分割還付という新たな仕組みが導入されたのであった。
そこから、表現の自主規制まではほんの一歩であった。
検閲と言っても、さまざまな検閲がある。風俗の攪乱につながるとおぼしき猥褻な文書の検閲もあれば、政治思想の検閲もある。皇室のタブーもあれば、残虐な表現の取り締まりや、友好国の名誉棄損にかかわるものもある。さらには、戦争が始まると軍事機密に関わる表現も取り締まりの対象になる。これらの多種多様な検閲が、それぞれの時代の中で、どのように行われてきたのかを、本書は見事に描き出している。
検閲は、必ずしも、一つの基準で行われるわけではない。たとえば民族自決の思想は、日本国内では問題なしとされたが、朝鮮や台湾では取り締まりの対象となっていたのである。
安寧禁止の検閲基準はたいへん厳しかったため、内地で不問とされた出版物が植民地では発禁処分にされることがあった。民族自決や他国の独立運動にかんする記事はその典型だった。とりわけインドのガンジーやネルーの反英活動は目の敵にされた。p132
時代が進むにつれて、ラジオや映画、レコードなど新しいメディアが台頭し、次第に検閲の対象も広がりを見せる。それに対応しなければならないが、法的根拠は常に遅れ気味であった。本書ではいかにして検閲が、新たなメディアによる表現をもカバーするに至ったのかも語られる。
興味深いのは、映画の検閲官の激務ぶりである。何と言っても、たった十人しかいないのに、西洋物・日本物合わせて年に二万本もの映画を見なくてはいけないのだ。当時の新聞にも「悲鳴をあげる映画検閲官」の記事が載るほどであった。
検閲は、必ずも一つの部局で行われたわけではない。様々な省庁の様々な部署で行われるがゆえに、基準にもばらつきがあり、省庁などの利害もからんで、ときに衝突し合うことがあった。太平洋戦争が勃発し、進むにつれ、内務省の検閲でお咎めなしだったものも、軍部の検閲でひっかかるという事態を招くようになる。その結果、特高警察の苛酷な拷問で四人の犠牲者を出し、改造社と中央公論社が自主解散に追い込まれた横浜事件など、いくつもの悲惨な結果をもたらしたのである。
辻田の前著である『日本の軍歌 国民的音楽の歴史』や、『大本営発表 改竄・捏造・隠蔽の太平洋戦争』ともシンクロしながら、膨大な文書やメディア表現に対する検閲を、「空気の検閲」の名のもとに、本書は見事に一つのパースペクティブのもとにおさめている。
空気の検閲とは何か。法令による機械的な検閲を正規の検閲とすると、アメとムチによるなれ合い的な関係の中で行われるのが非正規の検閲こそが、空気の検閲である。
近代国家の検閲には、正規の検閲と非正規の検閲の両面が存在する。人口に膾炙したミシェル・フーコーのことばを借りれば、前者は法権力、後者は規律権力にわけられるかもしれない。(…)
そのなかでも、帝国日本では非正規の検閲が大きな役割を果たした。これは検閲官の人数が少なく、時代やメディアの激変に法制度がまったく追いついていなかったことなどが要因としてあげられる。そこで検閲官はさまざまな手段を使って、出版人や言論人に空気を読ませ、当局の意向を忖度するように仕向けたのである。このような帝国日本の検閲は、「空気の検閲」ということばで特徴づけられる。p289
重要なのは、戦前・戦中のレジームは終わっても、検閲する側とされる側の忖度の関係が、今もなおこの国の中に残存し、支配しているという事実である。検閲する側と検閲される側のなれ合い、共犯関係が、どのような悲惨な結果をもたらすのか。検閲という行為の多様性と変遷を、時間軸と空間軸の上で、描き出した『空気の検閲』は、辻田真佐憲の最高傑作とも言える名著である。
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