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中沢新一『アースダイバー 東京の聖地』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略

 

 

中沢新一の数多い著作の中でも「アースダイバー」シリーズが一番好きだ。

 

そこでは現在の都市の位相と縄文時代より始まるこの国の歴史の中で重層的に織りなされたコンテキストが、不思議な符牒を見せながら、私たちの知らなかった場所の姿が浮かび上がってくるのである。

 

『アースダイバー』『大阪アースダイバー』に次ぐ「アースダイバー」シリーズ第三作は『アースダイバー 東京の聖地』(講談社)だ。ここでは築地市場と明治神宮(および神宮外苑)という社会全体で大きな論争の的となった二つの場所が取り扱われる。

 

だが、比較的歴史の浅いこの二つの場所、とりわけ宗教とのかかわりのない築地市場を「聖地」と呼ぶのはなぜだろうか。

 

築地市場は江戸(東京)湾を埋め立てた土地の上につくられた魚市場であるし、明治神宮にいたっては代々木の荒れ地に植林してできた人工の森につくられた、創建のきわめて新しい神社にすぎない。ある意味ではどちらも、古代的裏面を欠いた非アースダイバー的な場所と言ってよい。

 しかしこのおよそ非アースダイバー的場所に一歩足を踏み入れた私たちは、そこにほかのどんな場所にもまして、日本人の伝統的思考が凝縮されて表現されていることを見出して驚くことになる。まるで白いキャンパスの上に緻密な絵画を描いたように、この二つの場所には、日本人の思考が「聖地」に見出してきた空間の構成原理が、ほとんど純粋な状態で実現されている。東京の地形の裏に貼り付いてきた古代的思考のプログラムが、そこでは自然地形の上にではなく、人工地形の上に、実験室の純粋さをもって表現されているのである。 pp1-2

 

これらの二つの場所はいかにしてできたのかを単純に物理的側面だけでなく、その背後で継承された暗黙知のレベルまで系譜学的に遡りながら、その特性をあぶりだすことがこの『アースダイバー 東京の聖地』のミッションと言えるだろう。

 

「聖地」の条件として中沢が挙げているのは次の三つである。

1.周囲に「結界」がはりめぐらされ、外の世界からは隔絶した原理が支配していること

2.通常都市から隔離された「自然」との間に通路を形成すること

3.生きた人間の活動の場であること

 

中沢に『アースダイバー 東京の聖地』を書かせたのは、現代の「聖地」たるこの二つの場所が危機に瀕しているからである。神宮外苑にあった旧国立競技場は、議論を待たずに取り壊され、跡地に建設予定であったザハ・ハディドによる新国立競技場案は廃案となり、再度コンペをやり直すこととなった。築地市場に関しては、汚染物、耐久性、物流、作業空間、運営費用など多くの解決不能な問題を抱えたまま、豊洲への移転が強行されようとしている。

 

計画されていたこの競技場の建物は、神宮の森を形作ってきた聖地としての構造を無視して、斬新なデザインのみを重視していた。その結果、もしもその案どおりの建物が建てられることになると、聖地の構造には重大な損傷がもたらされることが予想できた。築地市場には、豊洲のガス工場跡地に建てられた新しい市場の建物への移転が進められようとしていた。この豊洲新市場は設計プランと施工にいくつもの重大欠陥を抱えていて、もしも移転が強行されれば、仲卸という重大な機能を担ってきた人々が、消滅に追い込まれる危険性をはらんでいる。それによって、築地市場の聖地としての働きも死んでしまうことになる。pp4-5

 

では、歴史の中で継承されてきた古代以来の暗黙知とはどのようなものなのか?

 

「第一部 アースダイバー築地市場」では、三輪山の麓の大市の成立まで遡りながら、今宮の漁民の京都への供御人としての進出、大阪の魚河岸の出現、大阪の佃村・大和田村の漁民の佃島への移住、江戸時代の魚の物流競争、関東大震災を契機に日本橋から築地への魚市場の移転などを経て、現在に至るまでの魚河岸文化の発展の歴史を、たどり直している。

 

  たとえば今日の築地市場で、大きな存在感をもって活動し続けているのは、「仲卸」と呼ばれる人たちである。この仲卸がつくり上げているネットワークが、築地市場をじっさいに動かしているといっても、過言ではない。その仲卸システムは、日本橋魚河岸で形成された仲買人制度から発達してきたもので、それが明治維新、関東大震災に続く築地への移転、東京大空襲、敗戦をへても、本質を変えずに生き続けてきた。p76

 

築地市場が建設されるにあたっては、豊洲市場のように魚河岸のノウハウを持たない建築技師たちの机上の空論の陥ることがないように、国内外での綿密なリサーチが行われたことも語られている。

 

この建物の設計のために、東京市は震災の翌年にははやくも、欧米に設計技師や建築技師からなる一行を派遣して、近代的な市場の状況を視察させている。ミラノ、ミュンヘン、フランクフルト・アム・マイン、ライプチッヒ、ニューヨークのブロンクス市場などを視察してまわり、市場の構造や取引の仕組みなどを、ていねいに観察してまわった。

 帰国してからは、魚類部を担当する技師も、青果部を担当する技師も、それぞれの部の問屋や仲買人を集めて、彼らからの要望をていねいに聞き取り、日本人が最適と考える空間の配置や動線を、このモダンな建築の中に、上手に収納できるやり方を暗中模索した。欧米の市場は合理的によく設計されていたが、そのままでは日本人の仕事場には適さない。技師たちは、たんなる西洋のモノマネでない建物を作り出そうとしていた。pp101-102

 

世界に類をみない築地市場の価値を支えている仲卸は、効率第一のグローバリゼーション的発想の物流センター的な発想とは真逆の存在である。効率第一の物流センターには、多種多様な魚や、その調理法の蓄積という暗黙知がない。それゆえ、安価に平均的なレベルの魚が入手できる代わりに、質の低下を余儀なくされるのである。

 

  海外の物流センターには、築地市場の仲卸にあたる職人がいない。いたとしてもその数も能力も限られていて、築地市場のように七百人を超える味覚職人を揃えることなどとうていできない。

 こうした物流センター化した市場では、平均的な食材は簡単に手にいれることができるが、平均値を超えた逸品は、なかなか手に入らなくなっている。そのためフランスでもイタリアでも、以前に比べると、味覚の水準が低下したと嘆く食通が多くなった。

 ところが築地市場には、おびただしい数の仲卸という味の「目利き」たちがいて、寿司屋や料亭向きの高級魚からスーパーで売る平均値の食材まで、相手の必要に応じた食材を、適確に選んで売ってくれるのだ。p121

 

豊洲移転によって失われるものは、単に築地市場の使い勝手のよさ、物流の効率のよさだけでなく、この中間機構が維持し続けている食文化の伝統や味覚の文化であると中沢は主張するのである。

 

「第二部 アースダイバー明治神宮」では、第一にその場所の管理方法において、古墳が参照されていることが強調される。また明治神宮とその外苑という構成に関しては、伊勢神宮の内宮と外宮がモデルとされていることは明らかだが、その背後に秘められた思想とは、構成原理とはどのようなものなのか。

 

明治天皇が崩御したとき、その墓所を京都にとられた東京は、明治天皇を祀る神社を東京につくろうとした。それが明治神宮の始まりである。神道のカミの存在は、聖所の建物よりも、建物を取り巻く森によって表現される。その造営にあたって参照されたのが、古墳の森であった。神宮の森の設計を任された造園技師の上原敬二は、仁徳天皇陵の調査を許され、その照葉樹林をモデルにしようと考える。その後押しをしたのが、宮内省陵頭の山口鋭之介であった。山口によれば、ほとんど放置された陵墓ときれいに清掃管理された陵墓では、前者の方が植物は良い状態を保っていた。ずぼらは真面目にまさるのである。

 

  山口博士は、神宮の森の管理方法は、自由放任を旨とすべきことを、上原技師に教えた。樹林の中には絶対に人を入れない、落ち葉を掃き集めたり焼いたりせず、ごく自然に樹下にためておく。この教えは、明治神宮の森の管理原理として採用され、今日に至っている。p164

 

自然に内在する「知性」を信じる思想を体現したのが神宮の森である。そこに近代日本が実現しようとしてできなかった理想の表現がある。

 

西欧型の近代では、人工は一方的に自然に勝り、一方的に自然を管理し、搾取する。人工と自然を分離した上で、人工のプログラムを使って、自然を調査することが科学であると、信じられていいる。

 ところが日本型の近代では、人工と自然は分離できない。人間は自然に包摂され、自然の内臓する地球的な知性が、人工の中に深く入り込んでくる。そういう人工と自然のハイブリッドの基礎の上に、別の形をした近代をつくる。そこでは経済も社会も文化も、西欧型近代とは別のものが生まれるだろう。p172

 

しかし、これとは別のもう一つの思想が神宮には秘められている。「隠れる」ことを原理とする明治神宮内苑の森と美術館やスポーツ施設など「見せる」ことを原理とする神宮外苑の二重構造である。

 

伊勢神宮の内宮と外宮の二重構造をモデルとしながらも、明治神宮のコンセプトは異なる集団の別々の神を外と内の二元論で統合するという伊勢神宮の原理とは異なるものである。内部に向かって閉じている内苑(幽)と世界史の現実に向けて開かれている外苑(顕)という二重構造である。

 

 二つの空間は、このように互いにさかさまの原理でつくられ、その二つの異質な空間が、南北二本の連絡通路でつながれている。明治神宮は矛盾したものを統合する原理でできている。p180

 

これを隠れたものが、現れてくる「ミアレ」の原理によって中沢はまとめようとするのである。

 

 内苑の幽から外苑の顕へ。隠された状態から顕現された状態へ。神話から歴史へ。このミアレの構造を空間で表現したのが、明治神宮の二元論である。p185

 

さらに『アースダイバー 東京の聖地』では、第一部と第二部の末尾を、「みんなの市場をめざして」「B案の思想」と題し、新国立競技場のB案の作成者でもあった建築家の伊藤豊雄との対談がしめくくるという構成になっている。

 

伊東 (…)近代化によって、そこに蓄積されてきた歴史が消えてしまうということは、築地や外苑に限らず、至る所で開発されるたびに起こっています。その場所が独自に継承してきた意味が失われて、均質化された、世界中どこにでもある場所に置き換わっていく、僕はふだんからこのことを非常に嘆かわしく思っています。(みんなの市場をめざして、p138)

 

とりわけ、「B案の思想」の中の中沢の次の言葉は、本書にこめられたメッセージを要約していると言えよう。

 

中沢 (…)内苑は深い森に覆われることによって、自然の奥、日本的原理の奥に隠れていこうとし、外苑は世界性とモダニズムに向かって大胆に自分を開いていこうとしている。この二つの原理が一つに結びついて、明治という時代の精神が形成されていました。ところが戦後の日本人は、この自分の内側に閉じていこうとする内苑的原理の部分とのつながりを、断ち切ってしまいました。

  そこの部分との通路をふさいでしまっておいて、あとからそこに「日本的なるもの」の記号を貼りつけてごまかしている。そんなふうにして一度断ち切られてしまった内苑と外苑を、もういちどつなぎあわせて、明治神宮という空間の全体構造を復元してみると、そこにはほんものの日本的創造性の原理が立ち上がってくるのではないか、そんなふうに考えたのです。

(B案の思想、p217)

 

けれでも、『アースダイバー 東京の聖地』は、単なる議論のための難解なロジックの本ではない。それぞれ対談の前には、現在の築地や明治神宮を感じされる大森克己の見事な写真がコンパクトに収められているし、何よりも本文の間に挿入された新旧多くの写真や地図、イラスト、図は、一連の議論の中で見失われがちなものが何かを、クリアなかたちで体感させてくれる。

 

A案である隈研吾による新国立競技場によって、どの程度までに、神宮本来の思想が継承され、あるいは破壊されるのか。新たな豊洲市場が、正常に機能するものなのか、それとも築地へのリターンを余儀なくされるほど致命的なものなのか。この国の未来に向けた議論のたたき台としても、必読の一冊である。

 

関連ページ:

中沢新一『大阪アースダイバー』(1)

中沢新一『大阪アースダイバー』(2)

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