つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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畠山理仁『黙殺 報じられない”無頼系独立候補”たちの戦い』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略 ver.1.01

 

 

選挙に出馬するために同じ金額の供託金を払ったとしても、すべての候補者がマスメディアによって同じ扱いをされるわけではない。与野党を問わず政党や労組など、大きな後ろ立てのある候補者、タレントやスポーツ選手など知名度の高い候補者のみが、選択的にニュースで報じられ、他の候補者は「泡沫」としてただその氏名と顔写真が伝えられるのみである。

 

売れてなんぼの人気歌手のヒットチャートならそれもよいだろう。だが、税金を用いた公的な選挙においてそれが許されるのだろうか。何よりもおかしいのは、メディアが大きく伝えることによって、選挙の結果は大きく変わるのに、あたかもメディアに左右されない選挙結果があるかのように、新聞やテレビなど大手メディアは報じ続けることである。海外のメディアのように、形式的になってもよいから、法の下での平等、機会均均等を一貫すべきではないのか。

 

このような問題意識のもとで書かれたのが、フリーランスライター畠山理仁『黙殺 報じられない”無頼系独立候補”たちの戦い』(集英社)である。

 

冒頭を飾る候補者は、エキセントリックなパフォーマンスで定評のあるマック赤坂、本名戸並誠。その正体は、京大農学部卒、伊藤忠出身の起業家であり、レアアースでは年商50億をあげたこともあれば、東日本大震災で億単位の寄付をしたこともある。最初は真面目に普通の選挙演説を行ったが、結果は惨憺たるもの。何とか多くの人間に振り向いてもらおうと現在のパフォーマンス路線へとたどりついた。

 

マック赤坂の行くところ、つねに波乱あり。取材にあたる著者も油断は禁物だ。股間にバナナをあてて、10度20度30度とやるのはまだかわいいもので、気を緩めるとパンツを下して一物を露出しかねない。都庁前でのことだった。

 

マックは私の姿を見つけると、マイクを通して声はかけないものの、明らかに私のカメラを意識して踊った。

「参議院選挙に立候補しているマック赤坂です。政治家に隠しことはいけません。そして、私は隠すことは何もありません!」

  マックがカメラの方を向いたので、嫌な予感がした。

  そしてその予感はすぐに的中した。マックはこの言葉に続き、大きな声で叫びながら、勢いよくパンツの股間脇部分を斜めにぐいっと引っぱり、股間のものを出したのだ。p37

 

NHKの政見放送の収録でも同じ行為を行おうとしたが、プロデューサーが美人の女性だったために、実行できなかったという。

 

  マックはひどく後悔していた。途中までは本気で出すつもりだったのに土壇場でひるんでしまったことを。p33

 

マックのパフォーマンスを描く著者の筆致は冴え渡っている。前著『記者会見ゲリラ戦記』やtwitterなどで著者の文章は読み慣れていても、本書を開くまではこれほどまでに文章が上手い人とは思わなかった。本書の冒頭は、書店で立ち読みしていても、思わず唸り、レジまで持ってゆきたくなるほど魅力的である。

 

 男は今日も踊っていた。

 1日に300万人以上が利用する首都・東京のターミナル駅、渋谷。JR、京王、東急、東京メトロの4社9路線が乗り入れる駅前の広場には、誰もが知っている待ち合わせの名所・忠犬ハチ公像がある。多くの人が思い思いに誰かを待つこの場所で、男は今日も一人で踊っていた。

 男は特定の「誰か」を待っているわけではない。目の前を通り過ぎるすべての人の意識が、自分に集まるのを待っていた。男の両手には夜でも多くの人の目を引けるよう、工事現場の交通誘導員が使う赤い誘導灯が握られていた。

 おれを見ろ―――。

 誘導灯を振り回しながら踊る男の口角は、不自然なほど吊り上がっていた。傍目には笑っているようにも見える。しかし、通りすぎる人々を追いかける男の目は笑っていなかった。大きく見開かれた目は、必死に人々を追いかけ、強く叫んでいるように見えた。

p14

 

音声が全くないにもかかわらず、マック赤坂の存在感が鮮やかに浮かび上がる。卓越した表現力は、ちいさな表情の変化を逃さない鋭い観察眼に裏づけられている。


もちろん、取り上げられるのは マック赤坂だけではない。かつての労働大臣の山口敏夫や、サラ金に借金をして、都知事選への供託金を準備した関口安弘、立候補締め切りの午後5時0分に届けを出した内藤久遠、ステージ4の癌にもかかわらず出馬した金子博など、個性豊かな多くの候補者の様子が描かれる。理不尽さへの怒りも、燃え尽きることなき政治の情熱もマックと変わることはない。有力候補者と同じ行為を行いながらも、「泡沫候補」扱いされてしまい、票の数もなかなか伸びない。真面目に公約を訴えても、なかなか伝わらない。彼らの姿には、どこかしら哀愁が漂う。そして、その人間的な、あまりに人間的な姿に読者はつい微笑んでしまうのである。

 

 

著者畠山理仁は、フリーランスのライター。2010年には順調に扶桑社新書より『記者会見ゲリラ戦記』を出版、その後上杉隆を暫定代表とする自由報道協会に参加するが、上杉の代表辞任後、空中分解寸前の自由報道協会の残務処理を一身に引き受ける羽目となった。メルマガを出しても上杉ほどの読者数は得られず、資金的にも行き詰まる。その後数年間は単著の執筆もなく本の構成などの編集的な仕事や、さまざまなアルバイトを行うなど取材費の捻出にも苦労した。その一部は本文中にも書かれている。

 

  当時、私はライターの収入だけでは家族の生活が支えられず、アルバイトをするなどしてなんとか生活をやりくりしていた。金銭的に余裕がなかった私は、これ以上の調査を断念した。p172

 

どのような苦労をしようと、それが文章につながらなければライターとして意味はないが、畠山理仁の場合にはそれがよい形で文章に現れている。どこかで重なり合う著者と候補者の姿。こちらもゲリラなら、向こうもまたゲリラであり、無頼系独立候補の選挙活動の記録はまさにゲリラ戦記だ。『黙殺』の最大の魅力は、その共感力あふれる文章である。

 

特定の候補者への肩入れは、公正さを欠くゆえにできないという建前を貫こうとしながらも、忘れ物を選挙管理委員会に連絡したり、身寄りのない候補者について警察からの問い合わせの連絡を受けたりと、何かと世話をやく立場に置かれてしまう。非常識な候補者に迷惑をかけられながらも、付き合うことをやめず、忍耐強く取材を続ける著者のまなざしに温かいものを感じずにはいられないのだ。

 

ただ、個性豊かな人間像、小説より奇なりのドラマの連続という読み物としての面白さゆえに、これからどうすべきなのかという政治的な問題提起力が弱くなったようにも感じられる。選挙に関しては、有力候補とその他の候補で格差報道を行っている元凶の新聞社でさえ、本書に高評価の書評を載せてしまうところにこの国の自由さと同時に救いがたさもある。それによって新聞社の社説や、テレビ番組のキャスターが、ではわれわれだけでも、政党などの後ろ盾のある有力候補や著名人候補と「泡沫」と呼ばれてきた無名の候補を、徹底した公平さのもとで報じようではないかと宣言したり、記者クラブ全体に呼びかけたりような事態は、今のところ生じていない。

 

『黙殺』で開高健ノンフィクション賞を得た賞金も、著者はここ数年の取材のための借金の返済で消えてしまったという。『黙殺』は、メディアでも、書店でも大きく扱われるようになったが、理不尽な社会の仕組みに疑問を投げかけながら、読者に訴えかける中で少しずつ世の中を変えてゆく、そんなライター本来の役割を果たすことができるスタートラインに、畠山理仁はようやく立ったばかりなのである。

 

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