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落合陽一『日本再興戦略』 

JUGEMテーマ:自分が読んだ本   文中敬称略  ver.2.0

 

 

『日本再興戦略』は、科学者であり、メディアアーティストでもある落合陽一がのできるだけ多くの人を対象に、自らの知見を結集させながら、多くの問題が山積し曲がり角にさしかかった日本の進むべき道を、わかりやすく語った希望の書です。

 

もちろん、日本のすべての問題を一冊で片付けることは不可能です。『日本再興戦略』の中で、落合陽一は自らが設定した三つの軸(戦略)を中心に語っています。

 

一つはピクシーダストインダストリーズという企業の経営者としての軸、もう一つはコンピューターテクノロジーを駆使したメディアアーティストとしての軸、そして筑波大准教授、学長補佐という研究者、教員としての軸です。

 

堀江貴文同様、世界をまたにかけて活躍する落合陽一が、あえて「日本」というフレームにとどまりつつ語るのはなぜでしょうか。

 

一つは研究者、教員としての立場にあるでしょう。ポスドク問題でも明らかなように、日本の研究者は、非情に厳しい立場にあります。その中で、落合陽一は、快適な学術研究のコミュニティを築くための努力や工夫をいくつも行っています。

 

 僕自身、戦略を提言するだけでなく、自ら新しい産学連携のスタイルに挑戦し、日本再興戦略を体現していきます。

 その第1弾として、僕は2015年にピクシーダストテクノロジーズという、僕の研究を社会実装するためのベンチャーを起業し、2017年10月には6・4億円の出資を受けました。

 そして第2弾として、2017年の12月1日に、僕は筑波大学の助教を辞めました。それと同時に、筑波大学内に「デジタルネイチャー推進戦略研究基盤」を設立し、基盤長・准教授に就任しました。

 これは僕なりの日本の大学再興のための挑戦です。国立大学の教員という安定した地位をいったん捨てて、国立大学の中に自らが経営する研究室をつくったのです。国立大学から給料をもらうのではなく、自分で企業などからお金を集めてきて、自分の会社から自分に給料を払うというシステムに変えました。これは日本の国立大学において初めての試みです。

pp246-247

 

ぬるま湯的な国立大学の環境の中に、ベンチャーの血を入れ、同時に研究の自由度を高める試みです。

 

個別の教員の努力によらず、快適な研究環境が日本全体にゆきわたるように社会そのものがアップデートされることがまず重要なのです。

 

もう一つは、日本の持つ大きな可能性、潜在能力です。高度経済成長まで順調に発揮されてきたその能力は、システムのアップデートに失敗し、時代遅れとなってしまいました。それがさまざまな社会問題として表面化しているといえます。それらを解決するためには、元の社会システム自体を、歴史の中で精査し、時代の流れに最適化できるようにアップデートしなくてはいけません。そうすることで、同じような問題を抱えた国の先行モデルとなりながら、優位に立つことができるのです。

 

このような問題意識のもとで書かれた『日本再興戦略』がめざすものは、「脱近代」による日本のアップデート。そのコアとなるのは東洋的な自然とコンピュータテクノロジーとの融合です。

 

まず「第1章 欧米とは何か」そして「第2章 日本とは何か」の流れを整理してみましょう。

 

日本がこれまで発展してきた体制の基礎は、大化の改新以来の官僚制と天皇制の二元的な支配体制でした。

 

明治時代には、さらに「欧米」モデルの近代化による体制変革が行われました。しかし、この「欧米」という概念が曲者です。それぞれに異なり、時に相反するヨーロッパやアメリカのシステムを折衷的に導入した結果、今や機能不全の状態に陥ってしまっています。かつての発展の原因が、今や阻害要因となっているのです。

 

 そもそも、「欧米」というものは存在しません。欧州と米国はまったくの別物です。欧州と米国が一緒だと思っている西洋人は誰もいません。「欧米」とはユートピア(どこにもない場所)であり、日本人の心の中にしかないものです。まずは、この日本人の頭の中にあるバイアスを確認しないと、日本の再興戦略を考えることはできません。p30

 

「欧米」の幻想とあわせて、排すべきものとして近代的な「個人」の概念があります。

 

バラバラに分断した上で、しっかりした社会を構成する主役となればよかったのですが、責任意識の低い日本人は主体的に市民社会を形成することができず、それまでセイフティネットとして存在した共同体のつながりを破壊するだけに終わってしまいました。

 

 個人の持つ意味を理解していないのに、西洋輸入の「個人」ばかりを目指すようになってしまったのです。今では、長屋もないし、団地も減りました。隣の人に醤油を借りることもなくなってしまいました。過去の状態が理想状態であるとは言いませんが、我々は過度に分断されるようになった。そしていつのまにか日本人がバラバラになってしまったのです。p36

 

何かのコミュニティが必要なことは明らかです。日本のムラ社会は閉鎖的な性格が多々ありますが、これをより開放的で、多元的な共同体へとアップデートする必要があるのです。

 

  これからの日本に大事なのは、いろんなコミュニティがあって、複数のコミュニティに所属しつつ、そのコミュニティを自由に変えられることです。p44

 

西洋的な分割の発想は、ワークとライフを分けながら、現在では両者のバランスをとるという考えになっていますが、そもそも生活と労働をわけて考えること自体が東洋的ではありません。

 

「ワークアズライフ」というと言うと、新自由主義的なワーカホリックな考えと誤解されやすいのですが、農村での生活がそうであるように、ストレスなく、仕事のオンとオフが溶け合った状態のことなのです。

 

 日本人は、古来、生活の一部として仕事をしていました。先に述べた百姓という言葉は、農耕主体の社会において100の細かい別々の仕事をしているという意味です。東洋的には、ずっと仕事の中にいながら生きている、そしてそれがストレスなく生活と一致しているのが美しい。むしろオンとオフを切り分けたら、世界は幸せな状態ではなくなるのです。p41

 

あまりに巨大になりすぎて、機能不全に陥った日本という官僚中心の国家が向かうべきなのは、地方分権的なブロックチェーン的国家です。本来の日本は、中央集権的ではなく、出雲と大和の共存の神話が暗示するように、地方分権的な性格を持った国家でした。そしてその特性が、最も発揮されたのが奈良時代以前と江戸時代でした。

 

生産の様式も、大規模な工場型の生産から、スピード型の生産、ダイバーシティ的生産へと変わってゆく必要があります。そのモデルとしては、シリコンバレーやシンガポール、深圳などを考えればよいでしょう。

 

「欧米」と並んで、もう一つ警戒すべき言葉として「グローバル」があります。しかし、発信する中身もなしに英語力だけ身につけたところで、そうした人材は今後AIによる自動翻訳により淘汰されることでしょう。

 

  発信する内容もないのに、英語を学んでも意味はありません。むしろ、グローバル人材という言葉が広がったことで、グローバルに話ができるトコロテンみたいな人(右から左へ流すだけの人)が増えただけで、その分、実はコミュニケーションスピードが遅くなっています。英語だけできて中身のない人を雇うくらいなら、プロの同時通訳に任せたほうが正確です。pp60-61

 

ローカルがあり、そこから発信する内容、メッセージ、コンテンツがあってこそ、グローバルは意味を持つのです。

 

日本の歴史の中で、モデルとなりうるものを探すなら、江戸時代の「士農工商」があります。

 

秀吉的世界は中央集権的で自由経済的な海外覇権主義でしたが、徳川的世界は、それとは対照的に、非中央集権で、地方分権的な内需中心の鎖国主義でした。徳川的世界からは、大いに学ぶものがあるのです。

 

  大きく分類すると、士は政策決定者・産業創造者・官僚で、農は一般生産・一般業務従事者で、工がアーティストや専門家で、商が金融商品や会計を扱うビジネスパーソンです。より詳しく見ていくと、「士」は政策を決定する政治家や官僚、新しいことを考える学者など、クリエイティブクラスです。江戸時代には、武士が蘭学を始めたりして、新しいジャンルをつくっていました。そうしたイノベーションを起こしたり、制度設計をしたりする人が士です。p76

 

今はこれが逆転してホワイトカラーが上位に来るような職業観になっています。しかし、農や工は価値を生み出しますが、商たとえば銀行員は価値を世の中に生みだすことはありません。

 

アーティストや科学者といったクリエイティブクラスがもっと上位に来るような社会へと変わってゆかねばならないのです。

 

日本的な「工」の世界では、技術と美の概念が混然一体となって溶け合っています。これもまたクリエイティブクラスということができるでしょう。

 

モデルとすべきなのは江戸時代の「百姓」という考えです。本書でたびたび用いられる「百姓」という言葉は、は農作業に専従する人ではなく、様々な職業に、同時並行的に従事する人を指すのです。

 

価値を生み出すことがない職業が人気の上位に来るこのような職業観念は、多分にテレビをはじめとするマスメディアによる洗脳によってもたらされたものです。

 

トレンディドラマは、結婚式、婚約指輪へと消費をかりたて、不倫への幻想を肥大化させました。

 

さらに、年収の金額で人をランク付けするような拝金主義を育てることとなったのです。

 

メディアの洗脳による拝金主義や「普通」意識が跋扈するいびつな「現代」を脱するために必要なのは、文化や美意識であり、何よりも教育の力です。

 

「第3章 テクノロジーは世界をどう変えるか」「4章 日本再興のグランドデザイン」では、落合陽一が主導するデジタルネイチャーの世界が、いかに日本社会の中でそのポテンシャルを発揮することができるかが、語られます。

 

特に日本社会を変える上で大きな役割を果たすと期待されるのが、タイムラグが1ミリ秒まで短縮される次世代通信システムの5Gです。これによって、オンラインの自動運転や、リアルタイム中継も、触覚伝達による医療や介護への応用も可能になります。

 

落合陽一の世界を理解する上で最大のキーワード、「デジタルネイチャー(計算機自然)」とはどのようなものでしょうか。

 

 これから2025年、2030年に向けて、世界は「デジタルネイチャー(計算機自然)」へ向かっていくはずです。この「デジタルネイチャー」こそが僕が未来を考える上でのキーワードです。

 「デジタルネイチャー」とは何かという定義をお伝えすると、ユビキタスの後ミックスドリアリティ(現実空間と仮想空間が融合する「複合現実」)を超えて、人、Bot、物質、バーチャルの区別がつかなくなる世界のことです。そして、計算機が遍在する世界において再解釈される「自然」に適合した世界の世界観を含むものです。pp133-134

 

たとえば従来の日本の論壇では、左右いずれの立場からも少子高齢化をいかに解決するかという風に問題が立てられてきましたが、落合陽一は違います。デジタルネイチャーが社会全体に偏在化するこれからの時代には、少子高齢化はイノベーションを行い、社会がアップデートするための追い風でしかないとするのです。

 

   社会システムの中で、少子高齢化と人口減少についてはテクノロジーで対処していくことができるので、何の問題もありません。むしろ人口増加のほうが大変です。人が増えている状況で機械化を進めていったら「打ち壊し運動」が始まります。我々は人口減少を嘆くどころか、「運よく減少してくれてありがとう」と感謝すべきなのです。p156

 

ロボットや自動運転と並び、日本再興の鍵となる技術と落合陽一が考えるのは、ブロックチェーンとそれにより実現可能なトークンエコノミーです。

 

 今、日本に必要なのは、民主主義を地方自治重視にアップデートする、あらゆる地域の主体の参加意識をもう一度地方に戻すことです。投票のルールも政治のやり方も、全国一律ではなく、各地で決めていけばいいのです。地方自治を推進するときに、必ず問題になるのが財源です。今の日本は、中央政府が現金を集めて、地方に地方交付税交付金としてまく形です。地方の主な税収は住民税と固定資産税くらいしかなく、財政的な自由度が高くありません。

 そこで新たな収入を生むカギになるのがトークンエコノミーです。地方自治体そのものをトークン化して、ICOすればいいのです。わかりやすい例でいうと、沖縄県が沖縄トークンを発行すればいいのです。pp170-171

 

ICO(イニシャル・コイン・オファリング、仮想通貨の発行による資金調達)というトークンエコノミーの導入により、自力での資金調達が可能になると、大きく地方自治も進化してゆくはずです。

 

『日本再興戦略』の意義は、実は個々のソリューションの是非ではありません。デジタルネイチャーの概念を基軸としながら、それが切り拓く新しい議論の地平そのものにこそ価値があるのです。

 

少子高齢化をどう解消するかでしかなかった問題の立て方に対し、このようにすれば少子高齢化は日本にとってのアドバンテージとなりうるという可能性を提示するのです。

 

あるいは多くの人からは投機の対象としかみなされていない、トークンエコノミーによって、地方分権によるコミュニティ再生の切り札とする発想など、スキャンダラスな枝葉の問題で、テクノロジーの本来のポテンシャルが毀損されがちな歪んだフェーズの軌道修正を行っています。

 

「第5章 政治(国防・外交・民主主義・リーダー)」では今後の国防のあり方、外交の方向性、自律分散型への民主主義のアップデートなどを、独自の観点から提言しています。また、特定分野には強いが、弱点があり、共感力の高さで勝負する未来型のリーダー像をリーダー2.0と呼んでいます。

 

「第6章 教育」では、落合は新しい時代を生きる上で必須の能力として、ポートフォリオマネジメントと金融投資能力を挙げています。ポートフォリオマネジメントとは、落合自身の例をあげれば、教員での給与だけで研究費をまかなうのは不可能なので、著作・講演による収入や、自ら経営する企業の資金を注入することで研究費不足を補うといったやり方です。

 

  つまり、これからの時代は、複数の職業を持った上で、どの職業をコストセンター(コストがかさむ部門)とするか、どの職業をプロフィットセンター(利益を多く生む部門)とするかをマネジメントしないといけません。p205

 

SNS上で拡散した落合陽一流の他動力が語られるのもこの文脈においてでです。

 

  タコつぼにならないようにするためのコツは明確です。横に展開していけばいいのです。ひとつの専門性でトップレベルに上り詰めれば、他の分野のトップ人材にも会えるようになります。

  ただし、むやみに横展開すればいいわけではありません。横との交流は、トップ・オブ・トップに会えるようにならないとあまり意味がないですから、まずは一個の専門性を掘り下げて名を上げたほうがいいのです。p207

 

また、月曜日はピアノ、火曜日は数学、水曜日は公文式といった自らの幼少時の教育環境を例に挙げながら、デジタルネイチャーの時代には、幼稚園や保育所より、個人や少人数での教育の方が、より低コストになる可能性を示唆します。

 

「第7章 会社・仕事・コミュニティ」では、「ワークアズライフ」について詳述しながら、「男女のフェアな扱い」や「年功序列との決別」など今後の労働の方向性を提示します。最後に提言されるのは、「近代的人間らしさ」に代わる「デジタルヒューマンらしさ」。わらしべ長者のように、めぐってきたチャンスを逃さず、逐次的に動き続けることが重要なのです。

 

そして「おわりに:日本再興は教育から始まる」には教育者落合陽一の、熱いメッセージが込められています。

 

『日本再興戦略』は、多くの人々に読まれることで、無数の小さな変化を周辺に生みだし、さまざまな職業の人に働きかけ、次のステージへと日本がアップデートするきっかけをつくることのできる一冊、バタフライ効果によって新たな世界を生み出すことのできる魔法の書物なのです。

 

 Kindle版

 

関連ページ:

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書評 | 16:11 | comments(1) | - | - |
コメント
from: 小田 令   2018/02/03 12:16 PM
落合陽一さんのツイートからこちらに辿り着きました。流れるような書評、有り難く拝読しました。
既存の枠組みを多方面でアップデートしようとの落合さんのご提言とそれを敷衍する貴方のご意見に、大いに共感しました。問題意識が攻撃へと向かいがちな昨今、脇目を振らずに解決の模索へと突き進む落合さんは、希望であり、普遍的なロールモデルでしょう。
「日本再考戦略」はダウンロードしただけですが、ますます楽しみになりました。
今後もどうぞ良い本をご紹介ください。

些末なことですが、「農や工は価値を生み出しますが、商たとえば銀行員は価値を世の中に生みだすことはありません」とのご意見について、持論を述べさせてください。
ファイナンスの教科書に銀行の機能が複数書かれていることはご承知のとおりで、資金余剰者と資金需要者とをマッチングさせる機能、資金需要者が申告する需要額が適正か判断する評価機能、需要者のパフォーマンスをモニターする機能、資金のプールを作ることで余剰者-需要者間のロットや期間の差異を調整する機能、決済機能…等々が挙げられています。
上記のような"中間介在者"としての機能は、まさに今後アップデートされていく対象なのでしょうが、少なくとも現時点では、無価値とは言えないのでは無いでしょうか。
日本の銀行は、護送船団方式によって組織が旧態依然なことや、セキュリティ面から分業制が徹底していることから、個々の銀行員が価値を生んでいるようには見えませんが、組織総体では確かに価値を生んでいると思います。
第一次・第二次産業が生む価値と第三次産業が生む価値に差があることは同感で、これは、伝統的な付加価値の概念で説明できる気がします。そのエビデンスを集めていますが、現状の開示制度では付加価値計算に必要な情報が不十分で、時間がかかる見込です。

長々と失礼しました。
第三次産業が適切にアップデートされたらいいな、との思いによるものですので、どうぞご容赦ください。
(当方、銀行員でも商社マンでもございません。念の為)
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