つぶやきコミューン

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高山真『羽生結弦は助走をしない 誰も書かなかったフィギュアの世界』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略  ver.1.02

 

 

ウィンタースポーツの花形、フィギュアスケート。21世紀に入り、その技術はさらに進化し、男子では4回転、女子でも3回転のジャンプが当たり前になっている。そのジャンプの種類も、アクセル、ルッツ、、トウループ、サルコーなど多様化の一途をたどる。そのため、どうしても、私たちはジャンプの難易度や完成度、回数にばかり目を奪われがちである。

 

だが、同じように4回転ジャンプを成功させたとしても、羽生結弦と他の選手の間に、ときに何十点もの開きができてしまうのはなぜなのか?そんなフィギュアスケートの奥の深さを教えてくれるのが、高山真『羽生結弦は助走をしない 誰も書かなかったフィギュアの世界』(集英社新書)だ。

 

 フィギュアスケートの華はジャンプにある。

 

 そうお思いの方も多いでしょうし、実際、得点配分が高いのもジャンプの要素です。羽生結弦ももちろん非常に難しいジャンプを跳んでいますが、私が羽生の演技にまず驚いたのは、「その難しいジャンプに、何を組み合わせているか」ということでした。

 ジャンプの前後に「プラスアルファ」で加えているものが非常に多いのです。

 そしてその「プラスアルファ」は、年々進化する一方です。

 加えてここ4〜5年の羽生には、「フィギュアスケートを見始めたころなら、私には『何気なく滑っている』ようにしか見えなかっただろう部分」にも、どんどん新しい「何か」が見えている。そのたくさんの「何か」が、私をずっと驚かせているのです。

 pp9-10

 

「羽生結弦は助走をしない」とは、ジャンプのための助走に終始することなく、ジャンプの直前までステップやターンなど加点要素となる何らかの動きが組み込まれているということである。

 

キーワードとなるのが「トータルパッケージ」だ。「トータルパッケージ」とは何か?

 

 雑誌「Number」(文藝春秋社)のウェブ版に、2016年11月28日にアップされた記事には、羽生結弦のコーチ、ブライアン・オーサー氏が羽生に「トータルパッケージを大切にしなさい」と伝えていることが記されています。

 海外のフュギュアスケートの中継では、20年以上前から、ジャンプだけでなく、スピン、ステップ、そして全体的なスケーティングの能力と演技面……、すべてにおいて素晴らしいパフォーマンスのことを、解説者や実況者が「トータルパッケージ」とか「コンプリートパッケージ」という表現で褒めています。

p23

 

ジャンプだけで、世界レベルの覇者を決めるような大会を制することはできない。ステップやターンといった全体の動きに対する目を養わない限り、なぜあれだけの得点差ができてしまうのかもわからないし、フィギュアの世界の本当の面白さも味わい尽くすことはできない、そのような視点で本書は書かれている。

 

一見、何でもないような動きにもそれぞれの名前があったり、特徴を記述する言葉がある。トータルパッケージを説明しようとすれば、どうしてもそれらの言葉の連続は避けることができない。フィギュアを目で楽しみながらも用語になれきっていない読者にとっては、暗号文のように思えるかもしれない。そのために、まず冒頭で親切な用語の解説がある。6種類のジャンプのちがいも、シンプルに説明されている。

 

たとえばアクセルの説明。

 

アクセル 唯一の「前向きで踏み切る」ジャンプ。ほかのジャンプは全部「後ろ向きで踏み切る」ジャンプです。ジャンプは必ず後ろ向きに着氷しますから、ほかのジャンプより回転数が半回転多くなります。p14

 

アクセルだけなぜまだ4回転がないのか。それはトリプルアクセルがすでに三回転半であるため、難易度が高くなりすぎてしまうためだとわかる。

 

ルッツ 左足のエッジがアウトサイド(外側)になったとき、右足のトウピック(ブレードの先についているギザギザ部分)をついて跳ぶジャンプ。

フリップ 左足のエッジがインサイド(内側)になったとき、右足のトウピックをついて、跳ぶジャンプ。ルッツとの違いは、「左足のエッジがアウトサイドか、インサイドか。」

p14

 

ジャンプの種類を区別するのは、どのような時に、どの足のどの部分で跳ぶかであるかがわかる。そこでの鍵の一つがインサイドとアウトサイドなのだ。これだけの説明で納得できる人もいればそうでない人もいるだろうが、今はわからないという人には、ネット上には親切な図解入りの解説もあるので困ることはない。大事なのはエッセンスの説明が手短に一カ所にまとまっていることだ。

 

「第2章 「表現力」「芸術性」とは何か」では、「表現力」や「芸術性」と呼ばれてきた「プログラムコンポーネンツ(演技構成点)」の世界を解説する。

 

 対して「プログラムコンポーネンツ」は、次の5つの項目で採点されています。

 

 1 スケーティングスキル(スケート技術)

 2 トランジション(つなぎ)

 3 パフォーマンス(演技)

 4 コンポジション(構成)

 5 インタープリテーション・オブ・ザ・ミュージック(音楽の解釈)

p60

 

著者高山真が優れているのは、単なるスケート技術だけでなく、クラシックだけでなく、ポップスや映画音楽など多岐にわたる、プログラムで使用される音楽にも精通している点である。音楽性スケートの技術と音楽性の渾然一体となった解説を行うのは、容易なことではない。その長所がいかんなく発揮されるのは、「第3章 羽生弓弦の名プログラム ここがすごい」だ。ここには2010年のジュニア選手権以来の羽生の進化の足跡が時系列で克明に記録されている。

 

たとえば2017年のオータムクラシック ショートプログラムにおけるショパンの「バラード第一番」について。

 

●コンビネーションジャンプのための助走にあたる漕ぎから、すでに曲の音符と足さばきがピッタリ一致している。

 助走に続くコネクティングステップは、エッジを動かすことで成り立つステップに対してはピアノの短い音、エッジを動かないからこそ成立するイーグルに対しては長めに伸びる音を合わせている。

 単に「曲のイメージ」だけではなく「音符やリズム」にまで厳密にエッジワークを合わせているわけです。これが、「この曲を選んだ必然性」や「この曲で滑る意味」を、非常にクリアに主張していると思います。

p35

 

だからといって、本書は羽生結弦一辺倒の本ではないし、頑張れニッポン的な身贔屓の本でもない。国籍や年齢、性別にかかわりなく、素晴らしい選手は素晴らしいと徹底したフェアネスの精神が貫かれている。「第四章 平昌オリンピックのシングルスケーターはここがすごい」では、羽生のライバルとなるハビエル・フェルナンデス、パトリック・チャン、ネイサン・チェンや宇野昌摩、女子ではメダル候補のエフゲニア・メドベージェワや、ケイトリン・オズモンド、そして宮原知子などの有力選手のそれぞれの個性や長所が同じ熱量の愛情をもって解説されるのである。

 

なぜフィギュアスケートが好きなのかという問いに、著者は採点競技であるからと答えている。機械的に自動的に順位が決まる競技ではなく、人の評価によって決まる採点競技、そこには他のさまざまな職業にも通じる、人間的なルールの厳しさがある。

 

 タイムや距離といった「絶対値」を競うのでも、テニスのように「ポイント」を競うのでもなく、審判たちがつけた「評価点」によって、順位が決まるもの。

 採点競技において、好きな選手のスコアが伸びないことにやきもきしたり、釈然としない気持ちを抱くファンがいるのも自然なことだと思います。私自身、伊藤みどりの現役時代に、「なんでここまでの気持ちになるんだろう」と自分でも不思議に思うほど、釈然としない気持ちばかり味わってきました。ただ、その気持ちは、カルガリーオリンピックのフリー(1988 Olymppics FS)が終わった瞬間の、会場の屋根が抜けるほどの大歓声で、美しく成仏しました。pp240-241

 

自らもライターという、同じように他人からの評価を受ける立場にあるからこそ、スケーターからさまざまな「気づき」や「エネルギー」を受けることができるのだと。

 

今著者が選手に望むのは。誰が何位内に入賞するといった感情ではなく、ただすべての選手の現役時代の、そして現役引退後の健康のみである。

 

 極限まで自分を追い込むのがスポーツの定め。どのスポーツにおいても、ケガをまったくしないまま競技生活を続けていける人はいないでしょう。それはもちろんわかっていますが、それならそれで、せめて誰もが納得できるコンディションでオリンピックを迎えてほしい。

  そして、競技生活を終えた後の、長い長い第二の人生を万全のコンディションで迎えてほしいのです。

p243

 

世界のトップレベルのスケーターの中には、引退後大きな身体的ハンディを負うこととなった選手もいる。日本でも、羽生結弦、田中刑事、山本草太、宮原知子、白石優奈、三原舞依など、多くの有力選手が怪我や病気と戦いながら選手生活を続けてきた。そこまで自分を追い込んでの努力に対して持ちうる感情はリスペクト以外ありえないのだ。

 

 羽生結弦だけでなく、世界中のすべての選手が「もっと密度の濃い演技を!」と自分に課している。

「もっと助走のないいジャンプを」

「もっと助走のないプログラムを」

 と、一瞬一瞬、自分を追い込んでいる。

 この本で紹介した選手の中には、平昌オリンピックに出られない選手もいます。しかし、選手たちが、「オリンピック」という、もっとも高いバーを跳び越すために人生を丸ごと懸けておこなってきた「助走」が、無駄になることは決してない。

 選手ひとりひとりが心に描く「助走のない演技」。そんな、高いバーを跳び越すために彼ら、彼女たちが身を削ってきた「助走」の一歩一歩に、傷などつくはずがない。

 私は常にそう信じています。

p247

 

『羽生結弦は助走をしない』は、著者高山真の38年間にわたるフィギュアスケートへの熱い想いが凝結した最強のフィギュアスケートの案内書なのである。

 

 Kindle版

 

『羽生結弦は助走をしない〜羽生結弦を語り足りない〜』Kindle版(無料)新書未収録のコラム3本とエッセイを収録。

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