JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略 ver.1.11
大童澄瞳『映像研には手を出すな!』は、高校の映像研という名のアニメ作成集団の活動を描いたコミックである。
(『映像研には手を出すな! 1』p2)
見るからに昭和レトロなダンジョンの気配漂う芝浜高校。ここでの三人の女子の出会いから物語は始まる。
アニメの設定に命を賭けるヲタクの権化のような浅草みどり。
両親が芸能人で、自らもカリスマ読モの水崎ツバメはキャラクターの演技にこだわりを見せる。
そして暴走する浅草や水崎を予算や時間の限られた現実へと引き戻しながら、全体をコントロールするリアリストの金森さやか。
映像研メンバーは、2巻の間、増えもしなければ減りもしない。そして、増やそうという意志もないし、それに加わろうという奇特な人物も今のところ出てこない。周囲の想像を接するほどに、あまりに発想や行動力がぶっとんでいるのである。
驚くのは、大童澄瞳の絵である。コミックというよりも、アニメーションのコミカライズのように、クリアで克明なディテールを持ったセッティングの中、個性豊かなキャラクターが、あらゆるアングルから捉えられ、動いて見えるのだ。
通常、漫画の背景は、映画の書き割りのように、平面的もしくは断片的に人物の背後に割り振られる。同じ対象物が繰り返しさまざまなアングルからとらえられることはめったにない。しかし、『映像研には手を出すな!』では3DのCGのように空間造形がしっかりと行われ、透視図的なパースペクティブの中を所狭しと登場人物たちが駆け回るのだ。
(『映像研には手を出すな! 1』p50)
はじめの数ページを見た人は、この作者は絵が下手なのだと勘違いするかもしれないが、それは第一にキャラクターの顔のパーツを記号化してリアルにいたずらに近づけないこと、そして背景も手描き感を残すために、定規を使った直線を避けフリーハンドで描くことにこだわっているためである。
そこから、体温の感じられるレトロな味わいのあるタッチが生まれる。
明暗や色の表現もトーンを使わず、墨や絵の具の濃淡だけで、仕上げているように見えるし(実際にはデジタル作画)、背景その他にも塗りムラのある水彩画のテイストをわざと残している。
人物の動き、指先に至るまで、一つとして同じポーズがなく、観察眼の鋭さを物語っている。紋切り型のポーズや動きではなく、場面と個性の必然性から導き出された仕草。芝居が細かいのである。
すべては天才のなせる技だ。
『映像研には手を出すな!』では、三人がアニメの設定に没頭し始めると、ロケットや大型ロボットなど実物大となった妄想の世界の中に、彼女たちは入り込んでしまう。もともとの学園の世界自体が、水辺の軍艦島のような楽しいダンジョンとなっているため、どこまでが現実で、どこまでが想像かわからなくなるシュールな世界だ。
特に、ロボットやロケットでは、作者の蘊蓄の深さが、絵と言葉によってディープな解説が加えられ、そのヲタク度の半端なさが白日のもとにさらされる。
たとえばロケットの打ち上げシーンに関して
ロケットから出る大量の白煙が回転しつつ外側に広がって、位置によっては煙が塊になって揺れる!!
ランチパッド周辺の白煙はWSSSによる放水をロケットが気化させた水蒸気が凝結した湯気の割合も多いんじゃよ
WSSSSというーーーーーー
望遠カメラの揺れ!
で傾いて、噴射ガスとロケットの角度が垂直じゃなくなる!
煙も常に流されていく!
傾きは大事ですな。
(『映像研には手を出すな!2』)
といった島本和彦『アオイホノオ』に登場するDAICON FILM(ダイコンフイルム)さながらの芸の細かさが画像付きで解説されるのである。
こうしたディープなヲタク表現がエンドレスに続く。
学園物でありながらも部活動以外の授業などの時間は描かれることがない。あるのは、生徒会や教師との折衝、ロボット研など他の部活とのコラボ、そして発表の機会のみ。永遠の夏休みだ。
『映像研には手を出すな!』は、一見単純な絵に見えて、実はきわめて高度ないくつものことを達成してしまっている凄い作品、2018年一押しの漫画なのである。
Kindle版