つぶやきコミューン

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千葉雅也『メイキング・オブ・勉強の哲学』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略

 

 

『メイキング・オブ・勉強の哲学』は、2017年4月に出版された千葉雅也『勉強の哲学』のメイキング的な著作である(2017年12月現在、電子書籍版しか出版されていないが、2018年1月26日に紙バージョンも発売された。以下のページ表記もこの紙版をベースにしている)。

 

『メイキング・オブ・勉強の哲学』は、

 

第一章 東京大学教養学部(駒場キャンパス)での講演と質疑応答。『勉強の哲学』の執筆背景を示す。

第二章 代官山蔦屋書店での、佐々木敦とのイベント。手書きノート、デジタルノート、アウトラインプロセッサを活用した製作過程の変遷を明らかにする。

第三章 文春オンラインでのインタビュー。子供時代の遊び、欲望年表を詳述する。

 

の三章で構成されている。いずれも、書き言葉ではなく、話し言葉による発信がベースになっている。

 

通常「メイキング」は、映画やアニメなどの製作上の秘話や、制作過程の資料となる映像をまとめたものに用いられる呼称であり、その映画やアニメに関してより多くの事柄を知り、より深く理解したいというファンの欲望に基づいて製作される。つまり、通常作品の外にあるものは、作品成立後は不要な余剰として捨てられるが、ここでは余剰が再びコンテンツとなり、価値を与えられるのである。

 

ここに、本の概念のささやかな転倒、あるいは挑戦が見られる。

 

僕はそもそも、書き方を実験することに興味があります。専門書としての哲学書を書くことも大事な仕事ですが、書き方自体で新しいことをしたいとつねに考えている。フランスの哲学者は、オーソドックスでない本を書くことがしばしばありました。デリダは架空の書簡を書いていたり、バルトは『明るい部屋』という、写真論であり哲学書でありエッセイである本を書いています。僕もそういったいかがわしい本を書きたいのです。 p17

 

『別のしかたで――――ツイッター哲学』同様、この『メイキング・オブ・勉強の哲学』もそのような試みの一つとみなすことができるだろう。

 

『メイキング・オブ・勉強の哲学』の読者の持つ欲望とは、次の三つに分かれるだろう。

1)『勉強の哲学』の内容をよりよく理解したい

2) 著者千葉雅也についてより多くのことを知りたい

3)『勉強の哲学』の作成方法を、自らの論文や研究の参考にしたり、応用したりしたい

 

けれども、この三つは分離することが不可能である。『勉強の哲学』は、それ自体が勉強の方法だけでなく、作成の方法、アウトプットの技術に関する本であるからだ。逆に言えば、製作の過程は、勉強の哲学の実践編である。

 

勉強は、制作へと拡張される、勉強論=制作論なのです。p9

 

また、勉強の見えざるコアとなる「享楽的なこだわり」は、個人の欲望年表に対応している。つまり、千葉雅也に関して、明らかにされる事柄はこの歴史のサンプリングにほかならない。

 

一見外部に位置する『メイキング・オブ・勉強の哲学』は、実はそれ自体が『勉強の哲学』に任意の場所で接合可能な延長体なのである。

 

三つの欲望に沿って、『メイキング・オブ・勉強の哲学』のハイライト部分を紹介してゆきたい。

 

第一の欲望:勉強の哲学の内容をよりよく理解したい

 

『メイキング・オブ・勉強の哲学』の三つの章はいずれも、話し言葉による情報発信をベースとしている。同じ内容であっても、話し言葉による場合には、聞き手の負荷を考慮して、話し手は抽象語の連続を回避しながら、なるべく平易な表現で言いかえようとする。だから、『勉強の哲学』でわからなかった部分も、『メイキング・オブ・勉強の哲学』を読めばわかるということは十分にあるだろう。

 

重要なのは、いくつかのキーワードの解説、パラフレーズ、要約である。

 

たとえば、『勉強の哲学』の基本テーゼである「勉強は変身であり、自己破壊である」とはどういうことか。

 

 一般的には、勉強とは、これまでの自分に新しい知識やスキルが付け加わるような、自己が勉強されるような勉強が「深い勉強」なのです。しかも、外国語を覚えるとか、ある分野の固有名詞を覚えるような「いわゆる勉強」が、実は深い勉強につながっている。自分の殻を打ち破って、新たな生き方へと「変身」するような勉強。この意味で、勉強とは自己破壊なのです。いままでの自分を根本から揺さぶる、ラディカルな勉強=自己破壊。pp19-20

 

実は、『メイキング・オブ・勉強の哲学』の方が、『勉強の哲学』よりもわかりやすい部分が多い。それは単に話し言葉へのパラフレーズのためでなく、『勉強の哲学』では生成の過程であったものが、メイキングでは到達点として俯瞰的、要約的に述べられているからである。

 

同様に、有限化というキーワードも、冒頭でわかりやすく語られている。今は、情報が潤沢に得られる「勉強のユートピアの時代」の時代だからこそ、有限化の技術が重要なのである。

 

 しかし一方では、いまは情報が過剰であって、そのためにかえって勉強の意気がそがれる面もあると思うのです。そこで大事なのが「有限性」の設定です。情報を絞って、「ここまでの範囲でいい」と設定することです。たとえばハイデガーを学ぶ際には、「まずは入門書を三冊だけ読んでみよう」というように有限化する。その範囲で足場を固めることから始める。教師の役割も、まさにそこにあります。教師は、豊富に知識を与えてくれるというよりも、「まずはこのくらいでいい」と、勉強の有限化をしてくれる存在なのです。有限化の装置なのです。p19

 

同じようにして、イロニーとユーモアのわかりやすい解説がその後に来る。時には、字句的には『勉強の哲学』と同じ表現が用いられる場合もあるが、それでも前後の違った表現やコンテキストの中で、それらの表現を再び見出す時には、より理解できると感じられる。リトルネルロ(反復演奏)により強度化されるのである。

 

第二の欲望:著者千葉雅也についてより多くのことを知りたい

 

第一、三章では、中学高校の欲望年表や、大学での学習史が語られている。私たちが求める情報とは、どの時期でいかなる情報、いかなる固有名詞(人および作品)と接したかということである。新たな情報や固有名詞との遭遇とともにビフォーとアフターが生じる。特に、駒場での授業の印象は強烈であったようだ。

 

 ハイカルチャー主義で、オタクだった僕を、駒場の勉強は柔らかい人間に変身させてくれました。だから勉強は変身だ、という実感があるのです。印象的でいまでも覚えているのは、たとえば久保田晃弘さんが映像作品を見せて、批評を書かせる授業です。教室を突然真っ暗にして、『エヴァンゲリオン』のタイポグラフィーを次々と画面に映し出す。あるいは上野千鶴子さんの江戸の春画の授業。「これから刺激的なものを見せますので、苦手な方は出てください」と毅然と言い放ち、女性が騎乗位でまたがる春画を見せる。それから古代ギリシア哲学が専門の山本巍さんは、ギリシア的な愛とキリスト教の愛を語るのに、当時流行っていたKinKi Kidsの曲から「愛されるより愛したい」というフレーズを引用されていた。

(…)駒場での教養教育によって、僕のハイカルチャー主義は破壊されました。デリダやレヴィナスを学びながら同時にポピュラー文化を受け入れられるようになった。ガリ勉を脱して、ストリートの身体を経由し、深い勉強に入っていったのです。pp26-27

 

千葉雅也が東大の文科三類に在籍したのは1997年から1999年の世紀末のただ中。このころの駒場の雰囲気がよくわかるが、こうした記述は他の著作のどこにも書かれていないことである。さらに、学生とのQ&Aの中でも、過去の生活の様々な部分に光を当てられることだろう。

 

第三の欲望 『勉強の哲学』の作成方法を、自らの論文や研究の参考にしたり、応用したりしたい。

 

第二章の佐々木敦とのトークイベントでは、まさにその作成過程が、逐一保存されたメモ類とともに明らかにされる。三種のメモがある。本の製作のプロセス、あるメモから他のメモへと移行する過程が、これほど克明に記録、公開された例もかつてなかっただろう。

 

 僕はふだん、三種類のノートを並行的に使っています。

 いまお見せしたような手書きのノートと、Evernoteに代表されるデジタルノート、それから先ほど紹介したアウトライン・プロセッサの三つです。これらを行き来しながら作業するのですが、アイデアを爆発的に展開したいときはたいてい手書きのノートを用います。p59

 

どれか特定のメモにこだわる人も多い中、千葉雅也の場合には手書きーデジタルノートーアウトライン・プロセッサの三種が用途によって、次のように使い分けられている。

 

手書きノート:ロジックを四方八方にリゾーム上に展開できる。アイデアが降りてきたときの勢いをそのままに書きつける。

Evernote:連続ツイートのかたちでのツイッターのアイデア出しを保存、アーカイブの作成。

アウトライナー

(総合的な使い方)必要な論理的ステップを箇条書きで書き出し、適切に並べ替える。

(分析的な使い方)行き詰まっている問題に、しっかり直面し、それに自己ツッコミをかけていき、難点をあぶりだしていく。

 

このようなメモからメモへの往還のプロセスが、克明に報告されているのが、第二章なのである。

 

(…)本の執筆というのは、けっこうな数のアイデアノートや草稿を書いては破棄し、書いては破棄しを繰り返す作業であるということをご理解いただけたかと思います。その過程では、偶然性も大きく作用している。最初の計画通りになど進まないし、それでよいのです。p102

 

結局のところ、どのようにインプットし、どのようにアウトプットするかの方法もまた、個人の享楽的こだわり(偏った価値観)と関わっていて、そこに絶対的な正解はない。『勉強の哲学』や『メイキング・オブ・勉強の哲学』が提起する最も重要な問題は、勉強のプロセスや方法そのものを、仮措定から仮措定へとたえず移行する、言語による主体化の問題として、考えることである。

 

 わざとでもいいから区切りを設定することで、自分の主体性が出てくる。というのは、本当の自分なんて結局どこにもないからです。自分自身の主体性の軸、主体性の殻のようなものは、つねにわざとでっちあげるしかないんですね。そして、わざとでっちあげたそれを、こねくり回したり、変形したり、補強したりということをくり返して、人は生きて死んでいくわけですよ。だからそのプロセスを適度に細かく区切ることが、生きて行く知恵であり、かつ、仕事術であると思います。p38

 

フランス人風に言えば、C'est la vie(それが人生だ)ということになるだろう。

 

関連ページ:

千葉雅也『勉強の哲学 来たるべきバカのために』 

 PART2 
千葉雅也監修『哲子の部屋掘 
千葉雅也『別のしかたで ツイッター哲学』 

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