つぶやきコミューン

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ヴァレリー・アファナシェフ『ピアニストは語る』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略

 

 

ヴァレリー・アファナシェフはかつて若くしてエリザベート王妃国際コンクールで優勝したがそこ後、ベルギーへと亡命したピアニストである。その演奏は、ときに音楽界の常識から大きく外れたスローテンポで演奏され、「鬼才」ピアニストと称される一方で、文学や哲学にも精通し、深い考察を含んだ何冊もの著作を著している。『ピアニストは語る』(講談社現代新書)は、日本で行われたアファナシェフへのインタビューによって構成された書物である。

 

その生い立ちとモスクワで受けた音楽教育、その後コンクールでの優勝を経て、西側へ亡命するまでを語った「第一部 人生」と、60歳を過ぎて、現在の音楽観やCD、コンサートで取り組んでいるベートーヴェンのソナタについての考えを語った「第二部 音楽」からなっている。

 

アファナシェフは、両親がともにピアノを弾く家庭に生まれたが、幼いころはさして興味を抱かなかった。音楽的には早熟ではなかったし話すのも遅かったが、五歳のころから本を読み始める。母親からピアノを教わるようになったのは6歳のころであった。その後、母の手にあまるようになると、女性の先生につけようとするが、やはり才能がありすぎるということで、二人して音楽学校に入れようとする。その後の展開が興味深い。

 

それでいくつかの音楽学校のテストを受けたのですが、最初の学校では「だめです。この子は全然ピアノは弾けません。たぶんヴァイオリニストのコースにでしたら入れて差し上げてもいいですが、ピアノは無理です」と言われました。二番目に行った学校では、私は天才で、将来偉大なピアニストになるだろうと言われました。そして三番目の学校では、「ああ、いいですね。この子を入学させましょう。問題ないです」と言われたのです。なんにも特別な評価はありませんでした。

 

結局、三番目の学校に通うことになる。自ら自分は神童ではなかったとアファナシェフは語る。

 

ことの始まりから、最高でも最低でもなく中庸の道を選んでいたのは、後々のことに鑑みればじつに興味深いところです。私は神童ではありませんでした。じつのところ神童は、しばしば大成しないものです。二〇年、三〇年前に勉強したことがまったく無意味だったと言うわけではないですが、私は晩成型だったのです。

 

世界的なピアニストであるエミール・ギレリスに教わる以前、モスクワ音楽院音楽高校で教わった二人ピアノの教師の存在が印象に残ってる。一人は、ルバック。だが、ロシア最高のピアノ教師と思えたルバックからは大きな影響を受けるが、不幸にしてルバックはスキャンダルでその地位を失ってしまう。

 

四年間、通して彼に習っていたら、おそらく私の成長のペースもずっと早かったのでしょうが、不幸にしてそうはなりませんでした。

 

生徒の自由を尊重したルバックに対し、その後師事したザークは厳格であったが、その教えの一部のみを選択的に吸収したとアファナシェフは言う。ザークは、演奏が気に入らないと楽譜に「呪われてあれ」と書くくらい気性が激しかったが、同時にアファナシェフのことを高く評価していた。

 

「私には弟子は一人しかいない。アファナシェフだ。他はゼロだ」。

 

やがてアファナシェフは頭角を現し海外のコンクールで入賞を果たす実力を有するようになるが、同時に西側の世界が、ソ連で伝えられていたのとは全く異なることを知り、亡命したいという気持ちが高まるようになる。しかし、エリザベート王妃国際コンクールを前に、亡命を企てていると密告されるなどの嫌がらせを受けることになる。何とかコンクールに出場、優勝できたものの当局のブラックリストに入ったせいか、何十回とあるはずの演奏会のチャンスも与えられず、何とか国外へ脱出し、亡命することを企てる。しかし、亡命を受け入れてもらうのは容易ではなく、また事前に発覚するとKGBにつかまり精神病院へ送られるかもしれない。悲愴な覚悟での何とか亡命にこぎつけるまでのスリリングな展開は、さながらスパイ映画そのもので、本書の白眉の部分である。これほどまでに亡命に至るまでの経緯や心情がこと細かにピアニスト自らによって語られたことはかつてなかったのではないか。

 

とはいえ、亡命後、事の経緯を細かく語るのではなく、音楽そのもので勝負しようと思ったアファナシェフは、スターとなる機会を逸し、あまり活躍の機会を与えられなかった。レコードや楽譜、書物など物の豊かさこそ圧倒的であったが、西側もまた思い描いたような自由の天国ではなかったのだ。

 

アファナシェフは、プログラムの後でアンコールを何曲も弾く西側のスタイルになじめない。それでは肝心のプログラムの印象が薄まり、アンコールのみが記憶に残ってしまう。そこで次のようなギレルスの例を持ち出すあたりに、アファナシェフの徹底したこだわりが感じられる。

 

 かつてギレリスは、オール・ベートーヴェンプログラムのアンコールとして『月光』を全曲弾きました。ソナタを全曲弾けば、すべてが台無しになることはありません。プログラムにもう一曲、曲を付け加えるだけですから。しかし超絶技巧曲を二曲弾いたら、聴衆はその曲だけを覚えていて、肝心のメインプログラムは忘れます。

 

第一部では、アファナシェフの真骨頂である哲学的な音楽への洞察も控えめであるが、第二部では、他の著作同様、自分の音楽にとって重要なものがなになのか、バッハやベートーヴェンの音楽の本質や、その演奏がいかにあるべきかの考察がいかんなく披歴され、彼が単なる奇をてらった自己主張の強いピアニストではないことが理解できる。その言葉の数々は、音楽愛好家にも、音楽を演奏する者にも深いメッセージを伝えるにちがいない。

 

とりわけ重要なのはハーモニーについての考察だ。メロディーという水平方向の進行に対し、ハーモニーという音楽の垂直性の意義とは、アファナシェフにとってどのようなものだろうか。

 

論理的にというよりも、ハーモニーに沿って多くを聴きとるということが重要です。すると、メロディーそのもが横に延ばされて、時間を拡張したハーモニーなってくる。演奏していると、そのようなことが起こるのです。これを感じることができると、私ではなく、誰かべつの人が演奏しているように思えてくる。コンサートホール自体が演奏している感じです。これは大切な感覚で、そこから自分のすべきことに熟達していくのです。

 

ときにおそろしくスローであると感じるあのテンポも、アファナシェフにとっては曲が、曲のハーモニーが要求していると感じるからに他ならない。

 

しかし、ハーモニーが全体に浸透した、調和のとれた演奏は、名ピアニストにとっても、いつでも得られることのない奇跡であるという。

 

 いかに偉大なピアニストであろうと、舞台の上で、奇跡の訪れを待つより他はないのです。奇跡が起こり得るときと、起こり得ないときがある。ときに軌跡は起こらない、そのことを受け入れ、心に留めておくべきなのです。

 

『ピアニストは語る』には、一人のピアニストの最も印象的な人生のエピソードと、最も深い音楽的考察が凝集されている。すでにファナシェフの演奏に魅了された人にも、その演奏を敬遠してきたひとにとっても、まったくピアニストアファナシェフを知らない人にとっても、ベストの入門書というにふさわしい良書なのである。

 

 

 

 

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