JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略
本来動物としての人間は、裸足で野原や山の凹凸のある地面をかけめぐる存在であり、それに適応した身体のつくりをしていた。しかし、現代の人間は、平らに舗装された地面を、靴を履いて歩き移動することに慣れている。家の中も、板の間であれ、畳であれ、基本的に凹凸のない平らな平面を歩く。本来不規則な地面を歩くための身体は、人工の規則的な平面の移動には適していない。全方位的に動かすことが前提の骨格や筋肉のごく一部のみを発達させ、それゆえに故障が生じやすくなってしまう。
平直行の『カラダのすべてが動き出す!“筋絡調整術” 筋肉を連動させて、全身を一気に動かす術』(BABジャパン)は、古流の柔術”柳生心眼流”の動きに学びながら、平らな地面での靴を履いた生活によって失われた人間本来の動きを取り戻すためのエクササイズ「サムライメソッドやわらぎ」の基礎理論と実践の紹介書である。
平直行は、板垣恵介描く『グラップラー刃牙』の主人公範馬刃牙のモデルとなった元格闘家である。宮城県の多賀城市に生まれ育ち、ついで仙台市へ引っ越した後、新しい団地の近くの森や野原をかけめぐるような生活をしていた平は、中3のころプロレスラーにあこがれ、自然の中で様々なトレーニングを行う。その後シュートボクシングの世界に身を投じ、頭角を現し、その自由なファイティングスタイルとあいまって、人気を集めるようになる。刃牙シリーズの作者板垣の目に止まったのもこのころだった。当時平は格闘技だけで生活することなど思いもよらず、「すき家」などの飲食チェーンを展開するゼンショーグループで、コックの仕事をするアルバイトで生活費を稼いでいた。そのころまでは特に身体が不調をきたすこともなく、順調に強くなっていた。しかし、総合格闘技に転じるころ、正社員として雇われ、背広を着て靴を履くような生活を送り始めると、身体の調子が崩れ始め、回復できなまま引退に至る。その原因に気づいたのは、時間をかけて身体の変調から回復してからのことだった。
毎日靴を履いて会社で過ごす。たったこれだけで体に異変が起きるのだ。普通の人ならこんな事はないのだろう。小さな頃から自然の中で遊んで、身体中をなるべく自然に近い感覚で動かし鍛えた10代。上京してプロを目指して、そしてプロの格闘家としてメインを務めた時代。私は毎日アルバイトでコックをやっていた。コックの時代にはサンダルを履いてキッチンを駆け回っていた。キッチンは濡れて滑ったりする。当時の店は忙しいから、キッチンを駆け回るようにサンダル履きで仕事をして、それからジムに行って練習する。シュートボクシングは裸足で試合を行うから練習も裸足。上京してからずっと、一日のほとんどを裸足で過ごしていたのだ。現代の暮らしとは少し違った暮らしは、少し違った体を知らずうちに私にくれていたのだろう。そこからのギャップが、私の体に異変を生じさせたのだ。
とにかく人生で初めて革靴を履いてスーツを着て会社に出かける毎日を私は過ごした。そのうちに体に異変が起きた。首や腰が怪我をした訳でもないのに変なのだ。やがて変な感じは痛みに変わり、よく動かない状態になった。当時の総合格闘技はシューズを履いてレガースを付けて試合をした。だから練習も裸足でなくシューズを履いてやった。それまで裸足でやっていた練習のすべてをシューズを履いてやった。pp67-68
人工の平らな地面で靴を履くような生活に慣れると、本来の人間の動物的な動きは失われてしまうし、偏った筋肉や骨格のみを動かし、鍛える近代のスポーツ的なトレーニング法によっては、取り戻すことはできず、多くの場合かえって故障を引き起こしてしまうのである。
本来の人間の運動能力は、現在の私たちよりもはるかに優れたものであった。古武術には、その本来の動きのヒントが残されている。そこでの鍵となるのが螺旋の動きである。螺旋の動きによって、骨や筋肉がつながって同時に動き出すと、そうでない動きよりも自由になり、力が発揮できるようになる。なぜ、螺旋なのか。
自分の体をロボットのように直線的にイメージしてしまっている人は少なくないのではないかと思う。しかし、それは大きな誤りだ。筋肉は“螺旋状に”付いている。だから人の体は“螺旋”に動くようにできている。それが自然なのだ。p16
たとえば、立った姿勢で手をまっすぐできるだけ上に上げてげみる。目いっぱい上げたつもりでも、その後いったん下した腕をひねりながら上げるとさらに上の位置まで手の先は到達する。これは単に腕だけでなく、背中の骨や筋肉が同時につながって動き出すことによるものであるという。
腕のひねり、腰のひねりによる螺旋の動きをさまざまな動作の中に取り入れることで、それまで動かなかった筋肉や骨を動かし、しだいに人間本来の動きを少しずつ取り戻してゆくというのが、「サムライメソッドやわらぎ」である。
螺旋状の動きにより、それまで動かさなかった筋肉や骨をつなげて動かす(それぞれのつながりを筋絡、骨絡という)ことによって調子の悪くなった部分が回復してゆく。しかし、失われたすべての運動を回復できたわけではないので、さらに別の運動を加えることでだんだん本来のあるべき姿へと戻ってゆくのである。
そして、これらの理論によって、さまざまな格闘技の効果的な技の秘密も解明される。たとえばムエタイの蹴り。
ムエタイは史上最強の立ち技とも呼ばれるが、その蹴りを武術的に観察してみると面白い事に気が付く。ムエタイの蹴りの軸足は上手く螺旋を生かす角度になっている。そのまま上に伸びながら体全体で蹴るのだ。体で蹴れとムエタイでは言われ、蹴り足の力を抜く事が要求される。また、太い足はムエタイでは駄目な脚と言われる。余計な運動をして足に筋肉を付け過ぎると螺旋が機能しなくなる、ということかもしれない。足の螺旋を活かして上に伸びるようにして蹴ると、螺旋が体幹と繋がって体全体をぶつけるような重く鋭い蹴りになる。P173
あるいはボクシングにおける短いパンチの連打の練習。
ボクシングの試合前に選手はよくこんな動きをする。腕を伸ばさないでアッパーのような形で素早く連打する。シャドーボクシングで自分を追い込む時にも同じような動きをする。パンチは手で打っても効かないので体全体で打つようにするのがボクシングのパンチだ。手だけで打つパンチは手打ちと呼ばれ、疲れて手打ちになるとトレーナーから「おい手打ちになってきたぞ。」と注意される。
腕を伸ばさないでやるのには大きな理由がある。腕を曲げて使いにくくした上でパンチのスピードを上げると体の奥からパンチを出せるようになるのだ。pp173-175
そこにもすべて螺旋の動きによって、骨や筋肉を繋げることにより効果を最大化する知恵が含まれているのである。
もちろん、本書の内容は格闘家やアスリートのみに向けられたものではなく、広く一般の人に向けられ書かれたものであり、腕を上げながら体をひねったり、片足をひねりながら浮かせたり、横になった姿勢で腕や足をひねりながら動かしたりと、ごく一部の例外を除き、ほとんど難しい動きは含まれていない。それでいて身体が忘れていたような角度への動きであるために、確実な効果が実感できる。
スポーツをすることによって、本来身体は健康になるはずなのに、アスファルトの地面でのランニングがそうであるように、平面や直線などの動きはかえって人間の身体に歪な負荷をかけることで故障につながりやすい。そうしたスポーツによる故障、あるいは日常生活の中での肩や腰、膝の故障をかかえた人にも、普通に四十肩、五十肩に悩んでいる人にも、この「サムライメソッドやわらぎ」は効果的であることだろう。ただ、一見同じように見える姿勢をとっても、ひねりのプロセスが正しく行われないと効果がないなど、本だけでその内容を伝えることには困難な部分もある。それを補う目的で販売されているDVDを活用したり、一部Youtube上にアップされている動画(サムライメソッドやわらぎチャンネルなど)を参照することで、ずっと個人でも一層練習しやすくなることだろう。
平直行のこの方法は、袋小路に陥ってしまっている西洋的なトレーニング理論の盲点を見事に補完するものだろう。両者が融合合体するところに新たなトレーニング方法も発展するだろうし、裸足で凸凹の地面をめぐるような(凹凸を利用したクライミング競技のポルタリングでさえ靴を履いて行っている)、もっと野生に近い新たなスポーツ競技の創出も可能ではないだろうか。