つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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千葉雅也『勉強の哲学 来たるべきバカのために』 PART2 (liteバージョン)

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  

 

 

立命館大学准教授の千葉雅也さんの『勉強の哲学 来たるべきバカのために』(文藝春秋)は、自己啓発書の体裁をとった哲学書です。また、ジル・ドゥルーズなどフランス思想を中心とした哲学的思考方法の理論と実践を盛り込んだ学問の入門書でもあります。

 

「勉強」といっても、ここで語られている「勉強」にはあらゆる分野の勉強が含まれるのですが、パターン暗記としての受験勉強ではありません。ですから、高校3年生や中学3年生が受験直前にこの本を読んで、即戦力になるかと言えばそれほど大きな効果はないかもしれません。論理的思考力が身につき、硬い評論系の文章への適性も養われるので現代文の読解力の向上につながり多少得点はアップするかもしれませんが、知識やノウハウが即座に受験に応用できるわけではありません。『勉強の哲学』の内容は、むしろ、その後大学で学ぶ学問、人生におけるさまざまな勉強、単なる記憶から一歩踏み込んだ勉強の方法論にかかわるものです。逆に、小学生・中学生であろうと、個人的に研究発表を行ったり、学園祭でクラスや部活で発表を行ったりする場合には、基本の考えを養う上で、年齢に関係なく、役立つことでしょう。

 

そういう人は、まず「第四章 勉強を有限化する技術」から入るのがよいと思います。

 

インプット論

 

「有限化」が、この本のキーワードの一つになっています。これはやりだしたらキリがない勉強を、どこかでキリをつけるという意味です。本屋へ行っても、図書館へ行っても、たった一つの分野でも、たくさんの本があります。どれから手をつければよいのでしょうか。またネット上にも、その分野に関する無数の情報があります。どれを信じたらよいのでしょうか。

 

趣味的に語るのなら別ですが、どんな年齢であろうと、本格的に勉強したり、研究したりする場合にははっきりしています。

 

1)まずネット上の情報よりも紙の本を優先する

 

 信頼できる著者による紙の書物は、検索して上位にすぐ見つかるようなネットの情報よりも信頼できる。この態度を、勉強を始めるにあたって基本とすべきです。

「まとも」な本を読むことが、勉強の基本である。

 ネットより紙という基準がまずある。一度印刷されると集成できないので、本は基本的に、慎重につくられるものだからです。(pp174-175、本文では斜字体は傍点で強調されています)

 

2)本を選ぶ場合には、入門書→教科書→基本書→一般書→専門書の順に読んでゆく

 

いきなり難しい専門書にチャレンジするのは、気合の入った初心者が行いがちなミスですが、やたらと読むのに時間がかかって得るものが少なく、効率の悪い勉強法です。ですからまずその分野全体の見取り図を大ざっぱに頭に入れるために入門書から始め、アタリをつけるのです。

 

 入門書によって、勉強の範囲を「仮に有限化する」のです。

 専門分野に入る前提として、どのくらいのことを知っておけば「ざっと知っている」ことになるのか、という範囲を把握する。必要なのは、最初の足場の仮固定です。そして、

 入門書は、複数、比較するべきである。p176

 

「仮固定」も本書の大事なキーワードです。いきなりちゃんとした家を、知識や言葉で建てるのではなく、とりあえずキャンプを張るような作業です。仮ですから、いつでも取り壊したり、移動してベターなものに置き換えることが可能です。ツイッターのつぶやきもそうです。とりあえず自分はそう思う、そう感じると言っておく。でも、あとで調べたら、それはまちがった情報だったり、不正確だったりする。するとバツが悪いので黙って削除する、あるいは律儀な人なら訂正を入れ、断って削除したりしますね。仮固定とは、ツイッターのつぶやきのようなもので、これについては著者の『別のしかたで ツイッター哲学』で詳しく書かれています。

 

一冊の入門書では、著者の癖(たとえば自分の専門分野の情報が特に濃かったり、広く認められてはいない自説が紛れ込んだりする)が出たりしますし、何よりも予備知識がない段階ではすべての情報が同じように目に入り、どこが重要であるかわかりません。だから入門書を二冊三冊と読み比べると、重複する記述から、信頼性を吟味したり、情報の重みづけができるようになります。情報の重みづけとは、要するに試験のヤマをかけるのと同じ行為です。

 

そこから焦らず、時間をかけながら、教科書、基本書、一般書、専門書と進んでゆくのが、勉強の収拾のつかなさを避ける上でよい学習法ということになります。

 

この場合も、それぞれの本が学問の世界で、しっかりと市民権を得て、信頼を獲得している「ちゃんとした本」であることが前提です。

 

3)完全主義を捨てる

 

教科書のような初心者向けに書かれたものでも隅から隅まで理解することは不可能です。その場合、まず事典のように「引く」と考えてしだいに知識を増やし、その分野の輪郭をつかむのがよいやり方です。誰も一冊の本を、隅から隅まで理解することも、語りきることもできませんから、見出しを読むだけでも十分有効な読み方です。

 

 読書と言えば、最初の一文字から最後のマルまで「通読」するものだ、というイメージがあるでしょう。けれども、ちょっと真剣に考えればわかることですが、完璧に一字一句すべて読んでいるかなど確かではないし、通読したにしても、覚えていることは部分的です。p179

 

教師の存在も何のためにあるかと言えば、勉強の際限のなさを有限化するためです。無駄な遠回りをさせない道案内として接するのがよい付き合い方ですが、ウマの合う教師と合わない教師とが生じるのも避けられないことです。教師の分野や方法へのこだわりが自分と似ているかそうでないかによって、スムーズな学習が可能になったり、逆に苦手意識を覚えたりするようになるのです。

 

4)内在的に読む

 

とかく私たちは世間一般の常識や自分の感情によって物事を判断したり、白黒をつけたりしがちです。しかし、学問や科学の世界は、そうした常識に相反する場合もあれば、ずれた言葉の使い方をする場合もあります。学問について書かれた文章を読む場合には、いったんそうした世間の常識や自分の感情のような外的な価値判断を宙づりにして、文章を書かれた通りに読むという作業が必要になってきます。これが内在的に読むということです。

 

決して価値判断が必要ないわけではありません。この人が言っていること、書いていることはよいのか悪いのか、賛成か反対かではなく、何が言いたくて、どのような根拠に基づいてそう言っているのかをまず正しく読み取る必要があるのです。

 

こうすることによって、新しい発想、慣れない考え方も次第に自分の中でなじみ、理解できるようになります。

 

その中で鍵になるのは、対立の関係です。自分の考えと同じかそうでないかではなく、著者が持ち出している概念の間の対立を正しく読み取ることが大事です。

 

5)プロ・モードとアマ・モードを使い分ける

 

他人の考えを理解する場合、完全などないことはすでに語られました。そこで大体のラインを押さえながら、自分なりに言い換えながら理解を進めることになります。これがアマ・モードです。しかし、学問の世界では言いかえが的確で本人の主張と一致することが必要です。したがって、本文中の言葉を抜きだし、自分の理解との間に距離がないことを確認しながら、読み進めてゆく必要があります。これが、プロ・モードです。文章でも引用が重要なのは、書き手が勝手に言っているのではなく、著者の主張を言いかえているにすぎないことを示すためです。

 

アウトプット論

 

ある程度知識のストックができてくると、いきなり本の形は無理としても、レポートや論文の形でそれを表す必要が出てきます。その場合、どのように自分の考えを形にまとめればよいのでしょうか。

 

1)書きながら考える

 

アイデアがまとまってから書くのではいくら時間があっても足りず、締切にも間に合わなくなってしまいます。ここでも所要時間を有限化する必要があります。そのための正解は、書きながら考えることです。

 

 普段から、書くことを思考のプロセスに盛り込む。

 アイデアを出すために書く。アイデアができてから書くのではない。

 アイデアを書くことで出すように努めているうちに、長いものも書けるようになる。p204

 

2)まず箇条書きの形でメモをする

 

アイデアをいきなりしっかりした文章の形でまとめようとしても行き詰まってしまいます。材料集めにすぎない段階では、メモのかたちで、材料を揃え、出し切る必要があります。余計な飾りを省いた語句の羅列にすることで、全体の見取り図や、他のアイデアとの組み合わせの可能性も見えやすくなるでしょう。

 

3)アプリを使って、アイデアをまとめる

 

ここは千葉さんのオリジナルな部分で、すべての人がやっているわけではありません。まとめが必要ないのではなく、手書きなどアナログな形でまとめている人も多いということです。アプリを使うことの意味は、複数のテーマにわたり散在しがちなメモを一括管理し、自由に編集できるようにするためです。メモツールとしては、千葉さんはEvernoteで関連するSNSや新聞記事をメモと一緒に保存するために用いていますが、メモをまとめ編集するのにアウトライナーを使っていると言います。千葉さんが使っているEvernoteもアウトライナーのWorkFlowyもネットで無料でダウンロード可能です。

 

Evernote

WorkFlowy

 

 長い文章を書くというのは、「ひとまずこの程度でいい」という思考の仮固定が、たくさん積み重なっていくことです。文章を書くとき、何か漠然と大きなことをしようとしているという意識では、身動きがとれなくなるでしょう。小さなタスクに分解する。小さな箇条書きに分解する。一個一個は仮固定でいいのです。仮固定から仮固定へ進んでいく。p211

 

切断の方法

 

第四章のあらましはだいたいこのような内容です。しかし、勉強を有限化する方法がすべて紹介されているわけではありません。「第二章 イロニー、ユーモア、ナンセンス」「第三章 決断ではなく、中断」では、より本質的で、中身に関する有限化の方法が書かれています。

 

イロニーもユーモアも知識が深まり、言葉が自由度を増すプロセスで可能となる思考スキルです。わかりやすく言えば、イロニーとは中二病的発言発想で、ツッコミです。たとえば(以下は本文に書いてない例ですが)、「いい大学へ入って、いい会社へ入って」というような価値観を親が押し付けようとすると、「いい大学へ行ったからと言って、就職が保証されているわけではない。一流大学を出ても何十社も就職試験に落ちていて何の保証にもならないではないか」と子どもがつっこむことは可能です。よしんば「いい会社に」入ったにしても、いつリストラされるかわからない。だから、そんな努力は無駄だというような言い方がイロニーです。逆にユーモアは、ボケに相当し、どんどんとずれた発言を一人進めるやり方です。会社もいいけど、フリーランスもいいね、フリーと言えば弁護士もいいし、漫画家も『ONE PIECE』みたいに売れれば大金持ちになれるのでいい。お金が儲かると言えば俳優や歌手など芸能界もいいかもしれない。こういう風に、言葉から言葉へと連想によって連ねながらずれてゆくのを、千葉さんは拡張的ユーモアと呼んでいます。ナンセンスはと言うと、たとえば「シューカツよりも、トンカツやチキンカツの方がオレは好き」のような言葉遊びの世界のことです。

 

哲学の場合にも真理はどこにあるのか。確かなものを得るために、まずすべてを疑ってかかろうとなります。そうしてすべてを疑った上でも、この疑っている自分だけは確かではないかとデカルトはそこでキリをつけました。それが「われ思う、ゆえにわれあり」という有名な言葉です。しかし、二十世紀になるとその「われ思う」さえも、果たして統一された自我や意識があるのか、疑われる、つまりツッコミを受けるようになります。それが、フロイトに始まる精神分析の流れとなり、フッサールに始まる現象学の流れとなりました。ここで書いた哲学の例は、実は本文のどこにも書いていないのですが、現代思想を語る以上当然前提とされていることです。

 

ツッコミは学問の原動力ですが、どこかでキリをつけなくてはいけません。ボケも、あれもいい、これもいいと様々な問題を遍歴し続けるだけでは、学問になりません。学問を研究するためには、いたずらな深堀りも、連想ゲーム的な研究対象や問題意識のエンドレスな遍歴もキリをつけなくてはいけません。毎日の仕事もどこかで切り上げて寝る必要があるのと同じです。

 

勉強のキリがなくなるのをどうすれば防ぐことができるのか。それが書いてあるのが「第三章 決断ではなく中断」です。

 

面倒くさいので、一気に決めてしまえという考え方は、学問をする人間の態度ではありません。選択した瞬間に思考停止しているからです。

 

学問とは基本的に面倒くさいものです。決定的なファイナルアンサーを求めるからいけないのです。どこまでも、とりあえずの結論、仮固定があるのみです。

 

その時に参考になるのは、やはり同じように勉強している人、研究し続けている人の文章や本でしょう。それら信頼できる人の本や言葉との比較によって無限の深堀りはセーブできるでしょう。そして、最後に鍵となるのは自分の無意識的なこだわりです。

 

  自分なりに考えて比較するというのは、信頼できる情報の比較を、ある程度のところで、享楽的に「中断」することである。

  信頼できる情報に自分の享楽を絡めて考えて、「まあこれだろう」と決める。p140

 

では、勉強の対象や問題意識が際限なく広がるのはどうすればいいのでしょうか。連想的にあげられる対象はいくらでも増やせますが、すべてが自分の気に入る対象ではありません。この場合も、個人的に思い入れのあるもの、好きな対象、長い間つきあってきたものが要素として含まれるなら、そうでないものより、対象を絞り込み、仮の足場とするにはよいものであるということになります。

 

勉強や研究の対象、問題意識は、今流行っているからとか、将来性がありそうだからではなく、自分がそれを研究していて楽しくどこまでも蘊蓄を語れるようなものであることが必要です。

 

これが享楽的なこだわりです。自分のこだわり、ものすごく好きとか逆にものすごく嫌いとか、その一見無意味に見えるものの背後にあるものをあぶりだしてゆけばいいのです。

 

しかし、人間、意外に自分のことを知っているようで知りません。自分で自分を正しく精神分析するのは困難です。当たり前すぎるものは意識の裏側に隠れてしまいがちです。それを客観的に可視化する手段として千葉さんが紹介しているのが、時系列でそのときどきに自分のはまったものを書きだしてゆく「欲望年表」です。

 

変身としての勉強

 

勉強や研究を深く進めてゆくには、言葉との新しい関係を打ち立てることが必要です。

 

どのような分野の勉強であろうと、その際用いられる言葉は、他者の考え方が刻印されたある意味洗脳の手段です。そして、長い時間をかけて、それは私たちの脳や心になじみ、自分と切り離すのが困難になっています。しかし、学問すること、深く勉強することで、それまでとは違った言葉との関係が確立されます。つまり言葉との共犯性から解放されることが可能となるのです。

 

しかし、新しい学問、勉強の言葉を習得することで、それまでの言葉、それまでの周囲との関係に齟齬が生じ始めます。

 

深く学べば学ぶほど、この齟齬は大きくなります。新しい分野の知識、言語の習得とともに、それまでの自分、周囲の言語に洗脳された自分とは違った自分が生まれるからです。

 

そのため、勉強すること、学習することは、変身であり、自己破壊なのです。

 

これが、「第一章 勉強と言語 言語偏重の人になる」の基本のテーゼです。

 

いいことばかりではありません。周囲との齟齬を生じ、それまでのノリをなくしてしまうキモい存在、何かを本気で学ぶ人の悲劇的な運命は古今東西繰り返されてきました。それをどのように解消したらよいのでしょうか?

 

千葉雅也さんは、その先にキモさのアク抜きができ、新しいノリを獲得した存在としての「来たるべきバカ」を想定しながら、読者を勉強の世界、学問の世界へと誘います。それまで浮いていた言葉も、パワーアップして強度化されれば、それに耳を傾ける人が増えてくるでしょう。スターウォーズで言えば、フォースを得た状態、これが「来たるべきバカ」です。

 

『勉強の哲学 来るべきバカのために』を一度読んで難しいと思った人は、以上のラフな見取り図を念頭に置いて読み返せば、本文の内容が一層わかりやすくなるのではないでしょうか。

 

関連ページ:

千葉雅也『勉強の哲学 来るべきバカのために』
千葉雅也監修『哲子の部屋掘
千葉雅也『別のしかたで ツイッター哲学』
千葉雅也『動きすぎてはいけない』

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