つぶやきコミューン

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落合陽一『超AI時代の生存戦略』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略

 

 

『超AI時代の生存戦略 <2040年代>シンギュラリティに備える34のリスト』(大和書房)は、メディアアーチストで筑波大助教の落合陽一が、人工知能が人間に追いつくシンギュラリティ(技術的特異点)が予想される2040年代までを視野に入れながら、新しい時代の生き方や仕事、研究のスタイルを解説した本である。

 

一見他の類書と同じように見えるが、他の未来予測的な本や記事の粗雑さを逆転させている点が特に重要である。たとえば、機械対人間といった図式。

 

 その上で、持たざるローカルに所属する人々が2040年代の世界をぼんやり想像しながら過ごす余裕があるだろうか?少なくとも日本ローカルに暮らす私たちにはないはずだ。機械との親和性を高めコストとして排除されないようにうまく働くか、機械を使いこなした上で他の人間から職を奪うしかないのだ。この構図は機械対人間ではなく、「人間」と「機械親和性の高い人間」との戦いに他ならないのだから。p23

 

あるいは「クリエイティブ」という言葉の罠。

 

 先に述べたように、「AIはAIとしての仕事を、人間は人間らしいクリエイティブな仕事をすればいい」という論調が僕は嫌いだ。

 この論調は思考停止に過ぎず、クリエイティブという言葉であやふやに誤魔化すことで、行動の指針をぼやかす。つまり、この論調で語る人は、要するに「何をしたらいいかわからない」、ということであって、これは多くの企業担当者も同様の発言をしやすい。pp25-26

 

「クリエイティブ」はAIの対概念ではありえないし、AIを使ったクリエイティビティの可能性が視野に入っていない前時代的なクリシェにすぎないということだ。

 

落合陽一の主張は、キーワードの選択ではなく、キーワードの使い方の方にある。偽の対立は、現実を正しく反映していない。つねに対立は、二項を正しく立てる必要があるし、その対立もかりそめのものであって、移行することによって解消されうるものである。

 

つまり、二項をAとBではなく、AとA+Bとして考えること。

 

いいかえるなら

 

「古典的人間らしさ」VS「デジタルヒューマンらしさ」

 

という基本図式がまず本書全体を支配しており、時代の変化はA→A+Bの変化として現れるのである。

 

同じ発想が、ワークライフバランスにもあてはまる。

 

ワークライフバランスの考えは、ワークとライフを二項対立的にとらえる点において、偽の対立である。その場合、ワークはライフとしての価値を奪われた奴隷の労役とみなされることとなる。

 

ワークライフバランスという図式に落合陽一が置き換えるのは、ワークアズライフ(生活としての仕事)という新しい考え方だ。つまりあらゆる場所で常時世界とつながりながら仕事が可能になった超AI時代において、仕事と生活の双方は大きく重なり合うことになる。

 

 今の社会に即すと、僕はこの言葉にとても違和感をおぼえる。いつでもどこでも情報と繋がり、それゆえにいつでも仕事とプライベートが混在するような世界になった今、ワークがライフでない時点で、言葉が実生活と矛盾しているのではないかと感じるわけだ。単なる労働というものがインターネット以後、時空間を超えてコピーされるようになった今、個人のキャラクターが生活スタイルに根差した労働メソッドが求められている。

 ワークライフバランスは一生をいくつかのサブセットに分けて考えることが可能であるということを許容した言葉であり、常時接続性の高い現代には親和性が低い。(…)

 そこで、なるべくライフとしてのワークにする。つまり、余暇のようにストレスレスな環境で働けるように環境を整えていくということが特に重要である。pp30-31

 

落合陽一において特徴的なロジックは、対立もしくは移行する二つの項は、たとえば人間対機械という純血種間にではなく、人間対(人間+機械)のように、純血種とハイブリッドの間にあるということだ。

 

ストレスレスな世界をどのように構築するかが、本書のテーマの一つとなるだろう。

 

未来は、余暇のように、あるいは趣味のように、ストレスレスに構築されることで、より効率的なものとなるというのが本書の中心的な考え方だ。あえてそれを名づけるなら、「わが道を行く」ブルーオーシャン戦略ということになるだろう。個は、スタンダードを気にすることなしに、つまり他との競争を意識することなしに、個であることに徹することで、価値を獲得する。

 

「みんな違って、みんないい」ということになる。

 

 今まで言われてきた、「自分は自分の道を行く」というのは、競争の上でどういうキャラクターを付けていくかという話だった。

 しかし今、その意味ではまったくなく、これからやらないといけないことは、全員が全員、違う方向に向かってやっていくことを当たり前に思うということだ。つまり、誰も他人の道について気にかけてない、そして自分も気にしていないというマインドセットだ。

 今、この世界で他人と違うのは当たり前で、他人と違うことをしているから価値がある。もし、他人と競争をしているならば、それはレッドオーシャン(競争の激しい市場)にいるということだ。つまり、競争心を持つというのは、レッドオーシャンの考え方で、そうではなくて一人一人がブルーオーシャン(未開拓な市場)な考え方をしなくてはいけない。p45

 

本書の文体は、語尾こそ「ですます」調であるが、参考文献を完備し、そのレフェランスのシステムの中で、論文的に語っている『魔法の世紀』(但し本書のエピローグの言語は『魔法の世紀』の延長上にある)とも、またロジックを極限まで整理した上で限りなくシンプルにわかりやすく語った『これからの世界をつくる仲間たちへ』とも根本的に違っている。抽象一本ではなく、多様なシーンでの現実の変化を演算することに本書の主眼は置かれているのである。

 

あらかじめ「本書を読む前に」で断っているように、抽象的に概観を語った「プロローグーーーインターネットの身体化から、シンギュラリティ前夜へ」第1章 超AI時代の「生き方」は執筆原稿であるのに対し、第2章 超AI時代の「働き方」第3章 超AI時代の「生活習慣」はインタビューの文字起こしに加筆したもので、まるでTDKのCMの中の落合陽一が、あのフラットな口調でそのまま目の前でしゃべっているような臨場感があり、この語り口も本書の大きな魅力となっている。

 

抽象レベルのロジックと生活や研究の現場の身辺的なもののはざまの中間地帯で、ほとんど即興的に未来を演算しながら語ること、本書の楽しさは、概念によるSFのような未来社会像の組み立てにある。

 

これは、同時に、とりわけ第3章において、日常生活を異化し、笑いをとる結果につながっている。高コレステロール、高タンパク、高油脂なものの中毒性は、氷河期の人類の飢餓時代に脳に組み込まれた記憶に起因するという文脈の中で、

 

 ただ油に絡まって、しょっぱくて、炭水化物が含まれていたら、それはうまいに決まっている。さらにタンパク質が入っていれば最高で、それは焼肉とご飯とか、ラーメンとチャーシューとか、寿司だったら大トロがまさしくそういう系の食べ物だ。ソフトクリームやパフェ、ハンバーガーなども、私たちが遺伝子レベルで好きなものだろう。p149

 

また、「コンプレックスと平均値」に関する部分では、最近の落合の最大のキーワードである「エモい」や「エモさ」(感情の揺れ動き)が使われていてとても興味深い上に、役に立つ。コンプレックスは自らの不可能な目標との差か、他人との差のいずれかから生じる。前者は、できないことはできないのだからできることに集中すればよいだけ、後者は「レッドオーシャン」となるそんな場所で戦わなければよいだけということになる。抽象レベルの未来予測的トレンドの変化を扱っているように見えて、生活密着型の自己啓発書の側面も本書は同時に持っているのである。

 

こうしたゆるい展開のあとで、再び「エピローグ ユビキタス社会からデジタルネイチャーへ」で、落合は『魔法の世紀』の高密度な言説へと回帰する。その中では、まず「ヒト」の再定義が主題となる。ミシェル・フーコーが『言葉と物』で示したように、「人間」という概念自体が近代の発明品にすぎない。そして、今こそその古典的な「人間」の概念が消え去り、進化したテクノロジーと融合した別のものへと変容し、新たなパラダイムを迎えつつあるということだ。その中で、計算機的自然(デジタルネイチャー)を希求する落合の姿勢は一貫している。

 

 魔法の世紀とするか、奴隷の世紀とするか。今私たちに求められていることは、シンギュラリティへの恐怖を掻き立てることなく、人と機械の調和した、そして人間中心主義を超越した計算機的自然の中で、新たな科学分野を模索していくことである。p182

 

一歩先の世界へ、プロトピアへ。ケヴィン・ケリーの言葉を借りながら、落合が描き出す未来像は、クールで明るいが、古典的な「人間らしさ」の概念を捨てることを、私たちに挑発的に、あるいは誘惑的に迫るのである。

 

『超AI時代の生存戦略』は、どの章、どの項目から読むことも可能であるような、落合の著書の中でも特異な本であり、その読み方も、抽出されるエッセンスも、人により異なることだろう。そして、全体を大雑把に消化するよりも、最もシンクロする部分、つまりあなたがエモいと思う部分に注意と努力を集中的に向けることが、あなた自身の生存戦略につながるのではなかろうか。

 

関連ページ:

落合陽一『これからの世界をつくる仲間たちへ』 
落合陽一『魔法の世紀』 

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