つぶやきコミューン

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柳澤健『1984年のUWF』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略  ver.1.01

 

 

年配の格闘技ファンなら誰しもが記憶しているUWF。タイガーマスクの新日本プロレス離脱ののちに生まれ、佐山聡、前田日明、高田伸彦(延彦)、藤原喜明らの名前とともに記憶されている格闘技界の一大ムーブメントである。しかし、ファンの間でもその位置づけは格闘技とプロレスの中間を、真実とポストトゥルースの間をさまよっている。柳澤健『1984年のUWF』(文藝春秋)は、このUWFの誕生、発展、解体の歴史をたどる中で、UWF評価の問題に決着をつける決定的なドキュメンタリーである。

 

『1984年のUWF』は、中井祐樹の少年時代から始まり、1995年の中井祐樹のヴァ―リトゥード・ジャパンで終わる。あたかも、UWFの誕生とその後の解体と再編のプロセスが、MMA(総合格闘技)が誕生するための布石であったかのような展望のもとに書かれている。増田俊也の『VTJ前夜の中井祐樹』につらなるUWFの歴史を、大河ドラマのように浮き彫りにしてゆくのである。

 

冒頭で登場する中井祐樹は、プロレスラーに憧れた格闘技少年として現れる。学業成績も優秀な優等生で生徒会長にも選ばれた中井は、UWFに行くことを目標にしながら、北海道の中学で柔道部員を相手にシューティングの試合を連日続けてはノートに記録を続けていた。実は、その記述の中に、UWFの問題はすでに凝縮されている。

 

 だが、残念なことがひとつあった。

 試合時間が短すぎるのだ。自分たちの試合は最短で15秒。長くとも数分以内に決着がついてしまう。

 一方、UWFの試合は少なくとも10分以上、長ければ25分を超える。

「やっぱりプロはレベルが高い」と感心したが、そのうちに「試合時間25分」とどうしてもノートに書いてみたくなり、関節技を極めるチャンスをわざと逃すようになった。

 リアルファイトからほんのわずかに逸脱しつつ、北海道のシューティングは順調に試合数を重ねていく。

 ところが、50試合ほど戦った中3の夏に大事件が起こる。中井が繰り出したフライング・ニールキックが相手の腹部にモロに入ってしまい、病院に行く騒ぎになったのだ。pp14-15

 

ここで中井の最初の挫折が来る。シューティングの存続を賭け柔道部顧問の教師と対決し敗れた中井は学校でのシューティングを断念することになる。

 

中井の後を受けて登場するキャラクターは、カール・ゴッチである。ずば抜けた強さを持ちながらも、アメリカで不遇をかこっていたゴッチの苦境を経済的に救ったのは、新日本プロレスでの仕事であった。相手を力でねじ伏せる関節技、サブミッションホールドを磨くのではなく、凶器攻撃や急所攻撃、流血に本場アメリカプロレスの堕落。その中で孤高の道を歩もうとするゴッチの信念を許容する場は、日本以外になかったのだ。

 

アントニオ猪木から依頼されたのは、若手選手のコーチに加え、レスラーとしてリングにあがること、レスラーの招聘の三つだったが、ブッカ―としてのゴッチに猪木は早々に見切りをつけてしまう。実力はあっても華がないレスラーでは客は呼べない。それでもゴッチは新日本プロレスとの関係を断つことはできなかった。

 

 ゴッチに残された役割は、前座レスラー数名のブッキングと、日本の若手レスラーにわずかな期間だけプロレスの基礎を教える臨時トレーラーだけになった。

 カール・ゴッチは大いに不満を抱いたものの、猪木との関係を断つことはできなかった。

 すでにアメリカのマット界にゴッチの居場所はなくなっていた。さらに新日本プロレスから支払われたギャランティがなければ、フロリダ州タンパ郊外の小さな町オデッサに一軒家を購入することは到底不可能だった。ゴッチの生活は、新日本プロレスから得られる収入で成り立っていたのだ。

 アントニオ猪木は、藤波辰己、長州力、藤原喜明、佐山聡、前田日明、高田伸彦などの若いレスラーを、次々にフロリダで暮らすゴッチの元に送り込んだ。p38

 

そして、ゴッチに続いて本書で登場するのが、のちに初代タイガーマスクとなる佐山聡なのである。

 

柔道、ついでアマレスで頭角を現した万能選手の佐山は、1975年7月に新日本プロレスに入門する。そのスパーリングの厳しさに慣れたころにプロレスの勝敗に初めから筋書きがあることを知らされ、純真な佐山は衝撃を受けるのであった。18歳の青年の胸には新しい格闘技の構想が芽生え、猪木もそれに対するサポートを約束したが、佐山がメキシコ、ついでイギリスでも、その華麗な動きで人気選手になるに及んで、約束は反故にされ、タイガーマスクの誕生によって、完全に忘れさられてしまう。

 

佐山の格闘技への志向、新日本プロレスの若手に受け継がれたカール・ゴッチの遺伝子が、UWF誕生の背景には存在する。だが、新日本プロレスでのトレーニング自体が、本来矛盾を抱えたものであることを柳澤は指摘している。練習はガチであり、プロレスの練習は一切やらず、リアルファイトに基づく選手の序列が決まっているのである。

 

 ところが、驚くべきことに、新日本プロレスのレスラーたちは”プロレスの練習”をほとんどしないのだ。新日本プロレスにおける”練習”とは、フィジカルトレーニングとサブミッション・レスリングのスパーリングを意味する。ラリアットを受ける練習も、ロープワークの練習も、ドロップキックの練習もほとんどやらない。

 (…)

 新日本プロレスには、“華麗な技の応酬を繰り返して練習して、完璧なエンターテイメントを観客に提供しよう”という発想がまったくないのである。すべてはアドリブなのだ。

「若いレスラーにはガチ(リアルファイト)を道場でもやらせる。リング上でもやらせる。そうすることで、レスラーはプロレス魂を植えつけられる。pp146-147

 

タイガーマスクの離脱やUWFの誕生の直接のトリガーとなったのは、アントンハイセルの経済的な失敗のしわ寄せに対する不満を、選手たちが爆発させたことだが、アントニオ猪木の遺伝子、カール・ゴッチの遺伝子を受け継ぐことによって生じるリアルファイトへの欲求は、佐山に限らず、多くの若手レスラーに共通のものであった。

 

しかし、最初のUWFが成立した後には、そのルールや、ファイティングスタイル、コスチュームに至るまで、佐山主導で進んだにもかかわらず、自らジムを持ち新たな格闘技を志向する佐山と、他の選手との間の溝はしだいに大きなものとなってゆく。そんな中で、佐山と前田、藤原の決裂がリング上で決定的となり、佐山はUWFを去ることになり、新日本プロレスとの業務提携など、UWFは新たな道を模索せざるをえなくなった。

 

最初前途洋々たる若者たちの立志談のように明るい希望に満ちたものであった『1984年のUWF』が、しだいに苦汁を満ちた世界に変わるのもこのあたりからだ。選手間だけでなく、フロントとの対立。社長の浦田の逮捕やスポンサーの不祥事などに見舞われ、安定路線を長期化することができないまま、UWFは迷走し、解体する。そしてUWFインターとして再生する。だが、『週刊プロレス』というメディアに支えられ、一部ファンの中で、UWF幻想は肥大化する一方で、看板となる前田のトレーニング不足、グレイシー柔術との対決などにより求心力を失ったUWFは再び解体してしまうのである。

 

『1984年のUWF』の中では、柳澤はUWFに限らず新日プロの試合も、前田がUWFののちに結成することになったリングスの試合もどこまでがリアルファイトでどこまでがプロレスであったのか、その境界をはっきりと示している。IWGPにおけるアントニオ猪木のKO劇が、一般紙に報道されることを狙った猪木自身による自作自演の結果であったことさえも。

 

ロープには飛ばない、反則や場外乱闘はしないことで、従来のプロレスとの差別化をはかろうとしたUWFもまた、格闘技志向のプロレスにすぎなかったことが明らかにされてしまう。その指摘は決して新しいものではないが、あちこちの記事で、断片的な記述として読むのと、すべてを編集・総括されたものを大著の中で読むのとではまったく印象は異なる。UWFに対する幻想を曖昧なまま自らのうちに温存させてきた往年のファンにとっては、かなりきつい読書体験となるかもしれない。

 

『1984年のUWF』を貫くのは、本文の最初と最後が佐山の遺伝子を受けついた中井祐樹の記述であるように、あくまでリアルファイトの格闘技誕生を目指す佐山イズムである。その点が、かつての藤原や前田、高田らのファンにとっては心地よくない部分もあるだろう。特に、前田日明に関しては、格闘王ともてはやされたまさにその部分が、外人レスラーの言葉を借りて、プロレス下手、エゴイスティックなファイトスタイルと非難にさらされているのは、一方でその温かさ、漢気を評価するだけではフォローしきれていないと感じるかもしれない。

 

長州力は、UWFが「あっち(格闘技)」と「こっち(プロレス)」のどちらかと問いかけ、「こっち」であるのに「あっち」のふりをしているのがけしからんと憤っていたし、離脱後の佐山の不満も、UWFが自分の確立したスタイルを模倣しリアルファイトを謳いつつプロレスを続けていることに不満をつのらせていた。そういう意味において、『1984年のUWF』は、あくまで「あっち」側から見たUWFの風景であり、真実の一面である。

 

思い入れや偏りのない真実などは存在しないし、面白くもない。『1984年のUWF』は、増田俊也の『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』同様、その偏りを隠すことがなく、しかしその偏りそのものが武器であるような名著である。何よりもそこには南百、何千万という格闘技ファン、プロレスファンの感じたあの1980年代の熱気があり、そしてレスラーたちが、ファンともども見た夢が、その裏側の影、現実ともども、永遠に定着されている。『1984年のUWF』は、リングの上の戦いに自らの青春時代を重ね合わせ、夢や理想を見たかつての若者たちの卒業アルバムにほかならない。

 

関連ページ:

増田俊也『VTJ前夜の中井祐樹』

中井祐樹『希望の格闘技』

増田俊也・中井祐樹『本当の強さとは何か』

 

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