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出口治明・半藤一利『世界史としての日本史』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略

 

 

出口治明・半藤一利『世界史としての日本史』(小学館新書)は世界史の圧倒的教養を誇るライフネット生命会長・出口治明と『日本のいちばん長い日』などで知られる日本近現代史を掘り下げる作家、半藤一利の対談である。

 

ここで提示されているのは、「日本は特別な国という思い込みを捨てろ」「なぜ戦争の歴史から目を背けるのか」「アメリカを通してしか世界を見ないのは危険だ」といったものの見方である。その中で指摘されている誤りは、日本の国の中から見える風景や価値観のみから、日本史をとらえてしまうことによる。

 

逆に、より大きなマクロの視野を持って、世界史の流れの中で、日本史で記述される出来事を改めてとらえようとすると、それまで見えなかった出来事の相関関係が見えてきて、歴史の真相が浮かび上がってくるのである。

 

そもそも自分の国を特別だと思う考え自体が、実は東アジアの国に共通した考え方で、日本独自のものではなく、そのルーツは中国の中華思想から来ていると出口治明は言う。

 

出口 自国は特別である、特殊であるという意識は、実は東アジアの各国に特徴的な現象で、その底流にあるのが「中華思想」だと僕は思っています。

 

歴史をたどるなら、西安に都があった西周の時代の交易のあり方(「威信財交易)にあると言う。周が滅びた後、西周の王様からもらった青銅器を地方の王侯は失業した周の金文職人の手を借りて読もうとする。すると、そこには周の国の美化された歴史が書かれてあり、それに地方の王侯は圧倒されたところから中華思想は生まれたらしい。

 

 現実に文王や武王の治世がそれほど素晴らしかったわけではないのですが、漢字の魔力によって、地方の王侯たちは「周という国は特別だ、周の人は貴種だ。それにひきかえオレたちは」と勝手に思い込んでしまって生まれたのが中華思想だったんです。中華とは周の都の周辺を指す言葉です。これと同じ現象が東アジアでも起きます。周と地方の王侯との関係が、中国の皇帝と日本をはじめとした周辺国の君主との関係にまで広がり、漢字のおかげで、中国は偉いということになってしまったのです。

 

日本という国が成立したのは、6、7世紀のころ。それ以後、中国に後れまいと『日本書紀』など史書を編纂し、さらに服装や家具まで合わせようとする。一種の鹿鳴館政策である。「天皇」という称号が使われるようになったのも、その時期のことである。逆に唐が滅びると、一気にそれまでの唐かぶれの慣習がすたれ、一気に国風文化が開花する。

 

 それから200年ほど経つと唐は滅びてしまうので、日本はやれやれもう、唐は怖くなくなったと思い、「こんな暑苦しい国で、乗馬服なんか着てられない、もっとゆったりした着物を着よう」「机と椅子よりも、畳に寝っころがって、涼みたい」となって、国風文化といわれる、ゆったりした文化が生まれてくるのです。

 

このように、中華思想という話題から、日本の国風文化の成立事情まで、一つの流れとして説明されると、高校の日本史の時間に聞いただけでは釈然としなかった事情も納得される。

 

歴史は、バラバラのピースではなく、隣り合ったピースが相互にからみ合った、ジグソーパズルのようなものである。その周辺のピースを決めることなしに、小さなピースの中の模様だけにらんでみても、真実はわからないのだ。

 

同様に、

・モンゴル軍にとって元寇は、ならず者を国内で悪ささせないための失業対策であった。

・薩長よりも徳川幕府の考え方の方が先進的だった。

・リットン調査団の報告書は、日本にとっては権益を認める有利なものでそれを呑んでいたらその後の流れは変わっていた。

といった歴史の真相が一つずつチェックされてゆく。

 

誤った歴史の見方として、自虐史観と自尊史観の双方を出口治明は挙げる。日本が全て悪かったとする自虐史観と、日本はすべて正しいとする自尊史観は、実は表裏一体であり、いずれも正しい歴史認識とは言えない。

 

出口 戦後の日本特殊論は、「日本はここがおかしい」「世界に遅れている」などと、はやりの言葉を使えば、自虐的に語るものが多かったのですが、今は逆で、「日本の技術はこんなにすごい」とか、「日本の歴史は素晴らしい」とか、自尊の方向に向かうものが多くなりました。

 これを自虐史観との対比で、自尊史観と呼ぶとすれば、自尊史観は自虐史観の裏返しにすぎないと思います。

 

自尊史観と自虐史観が同根であるのは、そのベースに劣等感があるという点が共通している。具体的には、大戦では軍事大国で負け、戦後は経済大国でまた負けたという二回の敗北が影を落としているのである。いずれも、客観的なデータを裏付けに持たない点も共通している。

 

出口(…)どんな国でも、長所はたくさんあり、短所もたくさんあるので、片方の短所を引き合いに出して、もう片方の長所を褒めるのは簡単なことで、どこの国でもできるんです。だけど、そういった話のほとんどは、必ずしも数字やファクトに裏付けられていなくて、単に「私はそう思う」と言っているにすぎないと思います。

 

本書の中で両氏が提案しているのは、善悪の価値判断から離れ、歴史を、原因と結果の因果関係の中で評価する、リアリズムによってとらえ直すことである。

 

本書でも「世界に真の勇気はただ一つしかない。世界をあるがままに見ることである。そしてそれを愛することである」というロマン・ロランの言葉が引用される。

 

本書の末尾では、世界史を考える上での必読書がそれぞれ数冊あげらているが、興味深いことにその中心となっているのがスターリンとヒットラーである。

 

半藤 第二次世界大戦を理解するうえで一番大事な人間は、ヒトラーとスターリンです。この二人を理解しないと、第二次大戦は見えてこない。

 

日本では、日中戦争は日本と中国だけ、ノモンハン事件は日本とソ連だけで語ったりしがちだが、その背後で暗躍し、世界史の流れを決めていたのがこの二人だったと言うのである。

 

リアルな歴史認識を持つことは、身びいきな感情や劣等感を刺激されるためになかなか難しい部分もある。しかし、経済であれ、戦争であれ、誤った事実認識の至る先は失敗と敗北しかない。そのために必要なのが、記述が日本国内にとどまらない世界史全体の流れを理解することであり、歴史書を読むことの最大の意義なのである。

 

関連ページ:

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