つぶやきコミューン

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又吉直樹『夜を乗り越える』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略  ver.1.01

 

 

自らの文学的経験を語ったエッセイ集である『夜を乗り越える』(小学館よしもと新書)は、又吉直樹の一番新しい本です(2017年1月現在)。これまでも、文学との出会いに関しては、『第二図書係補佐』や『東京百景』の中で語ってきましたが、今回は初めて自らの創作活動のこと、そして小説『火花』の世間の受け取り方に関して、自らの思いのたけを語っています。

 

特に自分よりもお笑いをやっている時間が短く、バイトをやっていることが多いお笑いの仲間から「文化人」と呼ばれることに関しては、神経質にならざるをえないと言います。

 

 芸人という呼称にこだわっているのではありません。たとえ僕の文筆活動が文化人というカテゴリーに属するとしても、「文化人」と誰かが僕を呼ぶ時、そこには僕が日常的に行っている芸人としてのライブ活動などを無効化したいという思惑が潜んでいるような気がしてならないのです。聞いている人の脳内で、「文化人」という言葉は自動的に「芸人の癖に文化人気取り」と変換されてしまうのです。pp80-81

 

本書の中で、又吉は可能な限り、小説や文学に無関心な人にも言葉が届くように、言葉をかみくだき、本音を伝えようとしています。お笑いのネタは、その当たり外れがリアルタイムで伝わってきます。伝わる伝わらないが肌で感じられる現場にいつも身を置いているために、伝わることにどこまでもこだわらずにはいられないのです。

 

  僕は、小説もお笑いも一緒だと思っていました。小説に捧げているエネルギーは、笑いとしても通用すると思っていました。p79


他の作家の作品を紹介する場合でも、小難しい批評の言葉ではなく、同じ等身大の人間の感性でとらえた感想を中心にまとめるようにしています。そんなわけで、文学について語った他のどんな本にもまして、又吉直樹にとって近代文学がどのようなものであるかも、彼の文学に対する情熱や愛も、生々しく伝わってくるのです。

 

『夜を乗り越える』の大半のページは、自らの文章や作品よりも、自分が敬愛してやまない作家たちの作品にあてられています。近代文学の巨匠、まず誰よりも太宰治と芥川龍之介、さらに夏目漱石や谷崎潤一郎、三島由紀夫や織田作之助、上林暁といった文学史を飾る有名作家について語り、さらに古井由吉、町田康、西可奈子、中村文則といった同時代を生きる作家たちの作品に関して、書き手の意識を投影しながら、愛情をもって語ります。特に西可奈子の『サラバ!』は『火花』を書くきっかけになったと言い,

中村文則の『何もかも憂鬱な夜に』は、夜を乗り越える一冊とまで言います。

 

『サラバ!』を読んで『火花』を書こうと思いました。『サラバ!』を読んで、余計な雑念を払えました。p252

 

 太宰の章で、「夜を乗り越える」ということを書きました。この小説は誰かにとっての、夜を乗り越えるための一冊になり得るかもしれません。少なくとも僕は、これであと二年は生きられると思いました。別に死のうなんて思っていなかったのにそう思いました。p266

 

又吉直樹が文学を語る時の最大のポイントは、たとえば太宰治の『人間失格』の場合のように、共感、つまり自分も同じような経験を感じながらも、言葉にできずにいたが、それを言葉にしてくれたという思いです。そして、三島由紀夫の『午後の曳航』場合のように、第二には自分がそれまで感じたことのないような新しい経験や感覚の世界へと案内してくれたという新しい感覚の発見が来るのです。感覚の確認だけでは自閉的になってしまうので、感覚の発見という要素でバランスをとる必要があるのです。

 

 芥川龍之介の『トロッコ』を読んだ時も状況は違うのに、かつて似たような恐怖を自分も感じたことを思い出しました。太宰治の『人間失格』を読んだ時も共感する部分が多かった。本を読むことによって感覚を確認できるんです。

 本を読んで一番好きなのがこの感覚の確認―――共感の部分です。それに加えて本の魅力のもうひとつに感覚の発見というものがあると思います。本を読むことによって、これまで自分が持っていなかった新しい感覚が発見できることです。p115

 

人は生きる中で、さまざまな悩みや苦しみに出会い、時にはそのために自らの命を絶つ者もいます。太宰治も、芥川龍之介も、最後は自殺という形でこの世を去りました。いったいどのような経験を直前にしていたら、太宰治は死なずに済んだのか、太宰の作品を読みながら又吉直樹は思いをめぐらせずにはいられません。

 

 あの夜、六月十三日さえ乗り切っていたら、「全部嘘でした」ができたかもしれない。それが五回目の自殺未遂になっていたかもしれない。でもいろいろ整いすぎたんでしょうか。ふたりは、その夜はどうすることもできなかったのかもしれません。

 その夜を乗り越えないと駄目なんです。pp194-195

 

『夜を乗り越える』は、まさに夜な夜な襲い来る数々の煩悩、悩み、苦しみの果てに、死に至ることなく、無事に翌朝を迎えるという意味のタイトルです。このような苦しみを、はたして自己啓発書のようなものを読んで乗り越えることができるだろうか。むしろ個人の悩み苦しみを赤裸々につづった近代文学の小説作品によってこそ人は救われるのではないのか。そんな風に又吉直樹は思わずにはいられないのです。

 

 早くゴールに辿りつくことはできない。前向き思考の本に書いてある安易な答えに飛びついても、誰も結果に責任は取ってくれません。小説の主人公は迷っている。答えを出そうと必死になっている。僕たちもそれを辿る。そして考える。

 本の中に答えはない。答えは自分の中にしかない。僕はそう考えています。p232

 

村上春樹や吉本ばななを読んで育った世代の多くは、もっと軽やかに、クールかつポップに文学をとらえるかもしれませんが、又吉直樹は近代文学を教科書的に、つまり人間の生死の問題、喜怒哀楽の赤裸々な表現として、とらえようとしています。ひょっとすると、彼こそは最後の近代文学者なのかもしれません。

 

『夜を乗り越える』は、又吉直樹の、文学に託した、魂の告白録なのです。

 

関連ページ:

又吉直樹『東京百景』
  又吉直樹『東京百景』PART2(地名辞典)
又吉直樹『第二図書係補佐』 
又吉直樹『火花』

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