つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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川村元気『四月になれば彼女は』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略  ver.2.0

 

 

『四月になれば彼女は』(文藝春秋)は、『世界から猫が消えたら』『億男』につぐ川村元気の三作目の小説である。

 

「四月になれば彼女は」「五月の花嫁」「六月の妹」「七月のプラハ」「八月の嘘」「九月の幽霊」「十月の青空」「十一月の猿」「十二月の子供」「一月のカケラ」「二月の海」「三月の終わりに彼は」―――こんな風に『四月になれば彼女は』は、タイトルが4月より3月まで12の月の名から始まる12の連作からなっている。

 

最初の短編と同じタイトルに、果たしてこの作品全体をカバーするだけの力があるだろうか。

 

『四月になれば彼女は』のタイトルは、サイモン・アンド・ガーファンクルの曲(April Come She Will)から取られているが、その曲の中にも4月だけでなく、5月、6月、7月、8月、9月までの彼女の行動が歌われている。4月彼女はやってきて、5月はいてくれるものの、6月には変化が生じさまよい始め、7月には失踪し、8月には死んでしまう。9月はというと後に残された僕の気持ちが歌われるのである。小説はさらに6つの月を用いて、この物語のアウトラインをなぞっているかのように見える。

 

だから、『四月になれば彼女は』は、この曲の歌詞をモチーフにした恋愛小説ということになるのだろうか。

 

おそらく読者の大半は、『四月になれば彼女は』は、もう一つのタイトルを持っていることに気づくはずである。それは、単なるテーマの域を越えて、通奏低音のように、作品全体を貫いている。

 

あまりにあからさまな二番煎じに見えるので、表には出さなかったこの作品の潜在的なタイトルとは、『世界から恋愛が消えたなら』である。

 

「すっかり消えたらしいよ」

 細い指でパラパラと雑誌のページをめくっていた弥生が、いつの間にか手を止めて赤いワンピースの女の子を見つめていた。

「え?なにが?」

 藤代は、青白く光るスマートフォンの画面から目を上げる。

わたしたちの恋愛

 弥生が雑誌を傾け、見出しを指でなぞる。ウェディングドレス姿の花嫁の写真の上にピンクの文字が躍っている。結婚のリアル。わたしたちの恋愛はどこに消えたのか?

p28

 

恋愛の次に消えるもの、それはたぶんセックスだろう。さらに結婚も消えない保証はない。人類全体の話ではなく、一人一人の個人についていえば、それは『世界から猫が消えたなら』のようなファンタジーではなく、リアルな日常生活の中の話である。

 

「その一瞬が永遠に続くはずだ、というのは幻想ですよ。それなのに、男と女が運命的に出会って恋に落ち、一生の伴侶として愛し合うということが前提になっているのがおかしい。誰と恋愛しても行き着くところは一緒なんです。だから結婚の先のセックスレスだって、当然のことだと思いますけど」

「そんなに絶望的なこと言うなよ」

 藤代は苦笑し、見つめていた右手を握る。手のひらの感触が、遠のいていく。

「絶望でもなんでもありません。現実です。むしろそう考えたほうが、前向きになれると思います。まわりを見回しても、ほとんど恋愛なんてしてないじゃないですか。私みたいにそれが人生にとって重要ではないと思っている人は少なくないはずです」

p98

 

『四月になれば彼女は』は、大学時代写真部の部室で知り合った仲間を中心に展開する。その中心となるのが、医学部3年であった藤代俊と文学部の新入生の伊予田春である。写真部の活動を通じてしだいに親しくなった二人。しかし、それから九年後、医師となった藤代は獣医の坂本弥生との結婚式の段取りに追われる中、海外にいる伊予田より手紙を受け取る。一体、その間に二人に何があったのか。藤代の家族や交際相手、そしてペンタックス大島らかつての写真部のメンバーの現在の生活と過去を辿る中で、いかにみな恋愛を失ってしまったかが執拗なまでに、語られるのである。夫婦はいつしか当初の恋愛感情を失い、セックスレスになる。さらに、藤代の父と母も離婚してしまったのだった。

 

この意味において、『四月になれば彼女は』は反=恋愛小説なのだ。こんな台詞さえある。

 

「手紙なんて古風な子ですね」タスクがグラスを振ると氷が鳴る。「最後に書いたのはいつだっけな……そういう丁寧なやりとり、久しくしてないですよ。純愛ってやつですか?」

「まあ恋愛小説みたいな話にはならないよ」

「そうでしょうね。悲しいけれどそういうストーリーって、現実の恋愛にほとんど関係ないんですよね」

「昔は純愛なんていつでもできると思ってたんだけどな。いまとなれば、それが物語のなかにしかなかったということに気づいたわけで」

「遅くはないんじゃないですか?昔の彼女からラブレターをもらっているわけだし」

pp123-124

 

恋愛感情も、夫婦の性生活も、結婚という制度も、幻想の上に依拠した存在であり、今や消滅の危機にある。その空虚さを露呈させるために、川村元気は、よい料理、よい映画、よい音楽、よい服装、よいインテリア、よい趣味のようなものを、オンパレードさせる。この時代にそれを行うのは、田中康夫の『なんとなくクリスタル』に輪をかけて悪趣味である。それらは、広告代理店や、その他の業者が私たちに望ませるように仕向けたもののコレクションであり、『四月になれば彼女は』は一種の電通小説のようなテイストを帯びている。たとえばこんな感じだ。

 

 エンドロールが流れはじめると、弥生は黙って立ち上がり、厚いガラスの天板が乗ったテーブルの上を片付け出した。藤代はシンクで食器を洗う。弥生がバング&オルフセンのスイッチを入れると、ビル・エヴァンスのピアノが静かに流れる。食べかけのチーズとバゲットが乗ったヒースセラミックの大きい皿、リーデルのワイングラスとシャンパングラス、線の細いシルバーのフォーク。手際の良い共同作業は淀みない。p41

 

まさか、こんな風にブランド名を羅列しながら描写を尽くすことを川村元気が文学的と考えているわけではないだろう。意図した技ではある。ただ、彼自身の映像プロデューサーとしての日々の活動が、広告代理店の営みとも共犯関係を持った世界に属しているために、それらを徹底的に異化するほどではない。男女関係にとどまらず愛情関係一般におけるニヒリズムはしだいに社会の隅々にまで侵食しつつあるさまを川村元気は執拗なまでに描き続ける。

 

もちろん、物語をポジティブにしめくくるために、藤代は失った恋愛そのものを見つけ出そうと努力する。そのためには、心の底に沈めた辛い記憶を掘り起こし、そのとき自らの感情に向かい合う必要があることだろう。

 

人はなぜ恋愛を喪失してしまうのか。それは、人が他人よりも自分のことの方を大切に思うようになってしまったからである。

 

「人間だけが誰かのことを考える動物だから面白いんだよ。他者のことで喜んだり、悲しんだりできる。でも、最近は、人間の方が犬や猫に近づいてきている気もするけど」

「確かに、みんな自分だけが可愛くて仕方がない」

p40

 

人はいっそのこと動物化してしまった方がよいのだろうか。

 

「動物とは性格の不一致とか、価値観の違いでぶつかることもないだろうし、案外いいのかもしれない」

 弥生はひとりごとのように言うと、おしぼりで口を拭いた。

「意思の疎通ができないことが、永遠の愛につながるのかも」

 藤代は眉を下げながら同意した。p180

 

それとも、機械に、AI(人工知能)になった方がよいのだろうか。

 

 果たして、人工知能は愛する人に嫉妬するのだろうか。絶望する黄色いシャツの男と、それを眺める弥生を交互に見ながら藤代は思った。人の過ちを大目に見たり、水に流したりできるのだろうか。

 なぜ人を愛するのか。なぜそれが失われていくのを止めることができないのか。あらゆる賢人が挑んできた未解決の難題。いつか人間を超えた人工知能が、それらに解答を出す日が来るのだろうか。p154

 

恋愛喪失病者の症例報告集のような本書の中に、はたして私たちはこの問題の出口を見つけることができるだろうか。

 

懐疑主義によってすべてを疑うことになったデカルトが、最終的に世界のすべてをコギト(われ思う)の名の元に回収するように、反恋愛小説として始めたはずの『四月になれば彼女は』も、下敷きにした歌詞の強制的な力によって、最終的に恋愛小説として回収される。失われた恋を求めての旅は、最終的に再び見出された恋へと行き着く。他ならぬめぐり来る季節そのものの力によって。そう、3月の次には4月がやってきて、そのときまた彼女は、恋の季節はやってくるだろうと。

 

実のところ、物語のエンディングに大した意味はない。その方が読者が気持ちよく読み終えるだろうというお約束のようなもの、蓮實重彦なら「制度」と言うことだろう。『四月になれば彼女は』は、豊富な材料といやらしいまでのリアリズムを持って、現代の恋愛の(不)可能性について、とことん考えさせるという一点に徹した傑作である。

 

関連ページ:

川村元気『億男』 
川村元気『世界から猫が消えたなら』

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