つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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家入一真『さよならインターネット まもなく消えるその「輪郭」について』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略 ver.1.01

 

 

かつてインターネットは、様々な可能性を秘めた希望の地であった。はじめのうちは、原始的な状態からしだいに整いストレスフリーとなる通信環境と日々進化するWeb上のサービスやコンテンツに目を見張り、自らも嬉々としてコンテンツを生み出す側へと回ったものだ。しかし、Web2.0に入ると次第にインターネットは変質し、いつしか炎上や言葉狩りが支配し、現実世界の付属物のようになってしまった。現実に満たされない人々を救済するはずの別世界が、現実と同じような、ときにはより過酷な監視網が支配する世界へと変わってしまったのだ。このまま、私たちはインターネットとつきあい続けて行ってよいのだろうか。家入一真『さよならインターネット まもなく消えるその「輪郭」について』(中公新書ラクレ)は、自ら、ロリポップやJugem、ブクログなど、インターネットのプラットホームを提供し、さらにStudygiftや、BASE、CAMPFIREといったネットを活用した支援システムを提供し時代を先導してきた家入一真のインターネットの中間決算的な書物である。

 

 …)かつてのぼくにとってのインターネットは、いじめに遭い、引きこもったぼくのような人間にとって、極端なことを言えば「聖域」のような存在だった気がします。部屋から出なくとも同じ価値観を持つ人とつながり、存在を認めてもらえる場であって、ある意味で、目の前の社会以上にリアルな場所であって、存在でした。そして多くの人がおそらくそうだったように、既存の価値観や構造がインターネットによって「ぱたぱた」と置き換えられるそのさまに、興奮を覚えた一人だったように思います。

 ただし、今現在あらためて考えてみれば、インターネット上だろうと、現実の世界で大きな声を持つ人がやはり発信力を持ち、行きすぎたつながりは、お互いを見張っているような居心地の悪さや炎上をどこかしこで引き起こすようになりました。

 さらに常時接続や無線接続が当然となり、スマートフォンの登場、そして「Internet of Things(モノのインターネット化)」、いわゆるIoTの流れもあり、インターネットにつながっているかどうかを、自覚しなくなってしまった。その結果として、インターネットそのものの姿はほとんど見えなくなったのかもしれない。そして見えなくなって、インターネットがその輪郭を失った今、上手くは言えないけれども、弱い人たちやマイノリティが守られる「聖域」としての期待からかけ離れた、逃げ場のない、むしろ息苦しい世界になりつつあると感じているのです。pp7-8

 

多くの人が同じような感想をインターネットに抱いているかもしれない。だが、インターネットの黎明期を知らないより若い世代からすれば、「インターネットが大好き」という著者の思いすら、奇妙に思われてしまうのである。

 

 「家入さんは『インターネットが大好き』とよく言うけれど、ぼくにはその意味がわからないんです。なんだか『ハサミが大好き』って言っているみたいで」

 インターネットがハサミ? 一瞬、意味がわかりかねたこの言葉。どうやら彼は「インターネットなんて、ハサミのようにあたりまえに存在するもので、わざわざ賞賛する価値があるような対象ではない」と考え、そうたとえたようです。p3

 

スマホ世代に入り、透明化し、見えない存在になりつつあるインターネットについて、何を今さら語ることがあるだろうかと感じる読者もあるかもしれない。冒頭の「はじめに」の文章を読んだ時には、私もそのように感じた。

 

しかし、読みはじめてみると、インターネットに関する記憶が次々に蘇り、あらためてかつてあった可能性のかたちが、具体的に浮上してくるのである。パソコン通信、スクリーンセーバー、テレホーダイ、2000年問題、「ジオシティーズ」、「セカンドライフ」、Winny開発者の逮捕、ライブドアショック、ステマ騒動、バカッター、その世代を知った人にとってはなつかしい記憶のオンパレード、その時代を知らない人にとっては、新鮮な発見の連続と感じるにちがいない。家入一真の場合、それらの記憶や出来事が、自らの成長と完全に一体化した形で語られる。

 

 ぼく個人のパソコンを手に入れたのは、中学3年生へ進級してから。パソコンを操ることしか取り柄のなかったぼくに、両親が買い与えてくれたPC−9801で、今度はひたすらプログラミングに励むことになります。

 引きこもりからは何とか脱したけれども、やっぱりほとんど学校には行っていなかったので、時間だけはたっぷりありました。プログラム言語も、当時の主流だったBASICやC言語、パスカル言語、Java Scriptなど、可能な限り多くの種類の言語をいじり、パソコンや参考書とにらめっこしながら毎日を過ごしました。

 そんなに夢中になれたのは、イメージをはっきり持って手を動かせば、何でも作ることができるという、その可能性に心酔したからだと思います。15年間生きてきて、初めて心からハマったのがプログラミングでした。

pp37-38

 

単なるライターの文章であれば、事実の羅列になりがちなこのような文章も、家入一真にかかれば、全体の流れや相互の関連がくっきりと浮かびあがってくる。つまりクリアなロジックが記述されているのである。

 

これからのインターネットに対する考えを、今後の時代に合わせて、どのように改めるべきか。そのソリューションを、著者は本書の後半提示しているが、それは家入が繰り返し言及している東浩紀の『弱いつながり ―――検索ワードを探す旅』と基本的な考えは、大きく離れたものではないだろう。とりわけ家入がこだわるのは「偶然」と「孤独」と、そして本屋の重要性である。

 

 確かにぼくを含めた多くの人は、システマチックにアルゴリズムであれこれ解決するような便利な世の中を求めていたけれど、それが向かう先は拡張ではない。むしろテクノロジーは、安全で効率のいい、コンパクトな世界を生み出そうとしています。だから、もしあなたが自分の世界を拡張したいと思ったなら、意識的にインターネットの進む先に逆らう動きをしなければ、それは実現できない。p228

 

インターネットのつながりによって必然的に規定されてしまう「Six Degrees」の外の世界へ。

 

『さよならインターネット』は、タイトルが誤解を与えるようなインターネットへの決別の書ではない。自分にとってのインターネットがどのような存在であったのか、客観的に見直し、今後のインターネットとの付き合い方、距離の取り方を考える上では、ファクトとロジックがよく整理された貴重な一冊である。

 

関連ページ:

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