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吉本ばなな『下北沢について』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略

 

 

『下北沢について』は、下北沢について書かれた小説家吉本ばななのエッセイ集である。

 

下北沢という街の紹介というよりも、下北沢との出会い、そこに至るまでの引っ越し、そこで出会った人々や店屋、そしてそのときの家族の風景など、ゆるしばりで下北沢をテーマとした19の文章がおさめられている。あの街に住んだことのある人だけでなく、あの街に訪れたことにある人、あの街を愛する人はみな涙を流さないではいられない宝箱のような思い出がぎっしり詰まった本なのである。

 

ここにまとめられたのは、記憶の一つの層ではない。著者の複数の時間が、同じ場所に上書きされながら折り重なるように層をなしている。

 

中学三年生のとき、私立の学校を受験した後、父といっしょに歩いた下北沢南口の商店街。

 

 当時の南口商店街は今よりもチェーン店が少なく昔ながらの個人商店や喫茶店が多かった。珍しい雑貨店がたくさんあって、いちいち立ち止まって眺めたり、かっこいい内装の喫茶店でお茶を飲んだりした。ただそれだけの思い出だったが、そのにぎやかさは明らかに地元谷中銀座のにぎわいとは違っていた。下北沢のにぎわいは若い人が未来を創るためのものであって、地に足の着いた生活の買い物のための大人のにぎわいではなかった。そこにまた若い私はしびれてしまった。

 父と下町以外の場所を歩くことも、とても珍しいことだった。

 だからだろう、父も旅行しているみたいな気分でちょっと楽しそうだったことを忘れられない。ものすごく歩くのが速い父が、少しのんびりとペースを落として街を散策していた様子は、受験の失敗を忘れさせてしまうような明るいものだった。

(「導かれて」pp12-13)

 

父と歩いたその街で、やがて恋人と別れ、母となった筆者は子供と一緒に歩く。そんな記憶の断片の一切が、スタンダールが『恋愛論』で書いたザルツブルクの小枝のように結晶化され、一つのミクロコスモとなっているのが、この『下北沢について』という本なのだ。

 

 どうしようもないくらいたくさんのいろんな人がここで泣いて、笑って、飲んで、吐いて、夢破れて、恋破れて、あるいは幸せを見つけて、同じようにくりかえしこの道を歩いた。同じようにくりかえしこの道を歩いた。足跡はきっとひとつも消えていない。万智には透明に重なった幽霊みたいに、面影という面影がしみついていて、どんなに風景が変わってもまだ気配として満ちているのだ。(「歩くことで」pp32-33)

 

そして、この本は、読者の中で、直接書かれていないこの街の人や店の思い出のすべてをも喚起しないではおかない。たとえば、「二丁目三番地」というおもちゃ屋、「ピリカタント書店」や「ワンラブブックス」という本屋を、下北を訪れた誰もが訪れたことがあるわけではない。しかし、ある時ものすごく個性的で愛された店が、いつのまにか消えてしまうという思い出は、この街には何百とある。そんな出来事は、地方の町でも同じと思われるかもしれないが、下北沢の場合にははるかに店の数も多く、時間の流れも速い。それだけに、出会いと同時に別れをもまた実感してしまう。下北沢について私たちが語るとき、そこに懐かしさがともなうのは、つねにもはやそこにないもの、そこにいない人の影がつきまとうからだ。

 

 でも、店という名ではあっても個人の中に入っていくあの気持ち……あの自由と狭さとある種の気味悪さ。

 そういうものはもう戻ってこないのだろう。そう思う。

 懐かしいあの店たちの汚さ、ほこりっぽさ、居心地の悪さ。

 なんでこれがここにあるのか? ということに対して答えがない、ものの置き方。

 そういうものはもうきっとこの世からなくなってしまうんだろう。

 さようなら、私の生きた時代。切なくそう思う。(「天使」pp109-110)

 

都市生活のもののあはれを感じさせるのは、何も店の新陳代謝のみではない。家がつくる表情の変化の中にも、移りゆく時間を、そこで過ごす人の人生を感じる。

 

 その頃、近所に大好きな家があった。アロエの大きな鉢が玄関先に置いてあり、大きなゆずの木があって、いっしょうけんめい家を守っている雑種のかわいい犬がいた。まるで昭和の家そのままで、きちんとお母さんが家と庭を守っているのが伝わってくる自営業の大家族のイメージだった。

 やがてお母さんが病に倒れ、犬も天国に行ってしまって、家全体がほんの少し暗くなったのを私はずっと見ていた。

 この間、長い闘病生活を超えて、そのお母さんもなくなられたことを聞いて、ほとんど会ったこともない人なのに、深い悲しみを感じた。

 あのお母さんが創った風景が私たち母子の散歩道にとって、かけがえのない輝きだったことを思い出したのだ。

(「本の神様」pp48-49)

 

この本は、一つの街について書かれているようでいて、実は自らが過ごした時間、時代へのレクイエムでもあるのだ。

 

『下北沢について』は、著者の中の最も奥まった記憶、痛切な記憶の集まりからなっている。はじめにあるのは高校・大学受験時代のもやもやとした想い。

 

 中学三年生のときの私は地元の仲のいい友だちといっしょに都立の高校に生きたかった。遊んでばかりいてまるで勉強していなかったので、私立に受かるための勉強なんて少しもしなかった。

 電車で学校に通うのもめんどうくさいから絶対いやだった。

 私には立派な愛車の「チャリンコ」があり、それで通える範囲外に学校があるなんてありえないと思っていた。

(…)

 私はほんとうになにも勉強していなかったので、全ての大学に落ちた。

そして浪人決定の夜に友だちからもらった願書をだめもとで書いて出してみて、ぎりぎりで間に合ったので受験もできて、そのままなぜか日大芸術学部に受かったのであった。なんで受かったのか今でもよくわからない。(「導かれて」pp5-7)

 

ハードなスケジュールに追われ続けた売れっ子小説家としての日々。

 

財力も人気も体力もあったのに、私はいつも自殺寸前の状態にあったと思う。(「ヒーローズ」p167)

 

そして、いくつもの病と死の予感が周囲に折り重なったころのディープな想い。

 

 父のお見舞いに行き、同じ病院の二棟離れた母のお見舞いに行き、ラーメンかそばをなんとか食べて、また違う場所にある姉の病院に行き、それから自分の内科と耳鼻科に行くなんていう忙しくつらい一日はざらだった。(「天使」p111)

 

時間の流れを止めたり、逆戻りさせたりすることもできないし、親しい人の死を避けることもできない。ただ、前向きに日々を生きてゆくしかないのだという明るい諦念が持てるようになったのも、下北沢で過ごした日々のおかげである。

 

一冊の本をこれほど身近に感じたことも、愛したこともなかった。この街を去った人々や今はもうこの世にいない人々について書かれた文章はあまりに個人的なものであるので、踏み込むこともはばかられるような聖域に属している文章、『下北沢について』は、吉本ばななが書いた最も感動的な本の一つだ。この本は著者の個人的な体験を語っているようで、それをはるかに超えている。なぜなら下北沢を下北沢ならしめているのは、単なる建物や道路の集まりではなく、そこに集まり、そこを歩き、そこに住み、そこで泣いたり笑ったりする無数の人の心の集まりなのだから。そして、この本を読むとき、きっと彼らの心は、著者さえも知らない、無数の物語を奏でるにちがいない。

 

 

関連ページ:

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吉本ばなな『ふなふな船橋』PART2(固有名詞辞典)

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