つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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西野亮廣『魔法のコンパス 道なき道の歩き方』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略  ver.1.02

 

 

仕事をしている人は誰もみなビジネスマン(またはビジネスウーマン)である。お笑い芸人もそうだが、多くの人はその自覚なしに毎日を過ごしている。要するに、みなと同じようにしていれば間違いないというわけだ。高度成長期はそれでよかっただろう。だが、日本経済が慢性的なデフレとなり、社会にも、マスコミにもお金が回らなくなった時代には、お笑い芸人も、ビジネスマン同様、みなと同じことをやっていては生きのびることはできない。積極的に頭を使い、やるべきこととやるべきでないことを考え抜かねばならないのである。

 

キングコング西野亮廣は、お笑いをはじめてビジネスとして考えた人ではないが、はじめてお笑いをビジネスとして方法的に考え抜き、それを定式化した人であり、『魔法のコンパス 道なき道の歩き方』(主婦と生活社)は、その試行錯誤の記録である。

 

西野亮廣は、「ひな壇芸人」であることをやめることより独自の歩みをスタートした。それを当然と考える周囲の流れに対し、感情的に反発して逆張りの道を歩んだわけではない。そこにやるべきメリットが見つからないと考えたからやめたまでである。西野のすべての行動には、論理的な根拠があり、合理的な推論とそれを愚直に実行する行動力によって裏打ちされている。

 

 飄々とした表情で「ひな壇」に座っているタレントさんは、0コンマ何秒を争う居合抜きの達人のような人ばかりで、皆、とんでもない才能。

 そんな中、僕の「ひな壇」の戦績はというと、デビュー当時から連戦連敗。まるで白星が付かなかった。向いてなかったんだよね。

「それでも、その中で努力しろよ」と叱られたらそれまでなんだけど、10点ぐらいの能力を60点に伸ばしたところで、プロの世界の60点は需要に繋がらない。

 需要が無ければ0点と一緒だ。

 ならば、「ひな壇」の能力は10点どころか0点でいいから、その能力を伸ばす時間を、どこかに埋まっている自分の70点の能力を120点まで伸ばす作業に回そうと思った。p52

 

さらにひな壇芸人の世界がもうじき終焉を迎えるという読みもある。ひな壇芸人は実は薄型テレビ大型化の時代の産物なのだ。

 

 薄型テレビが急激に普及し、テレビ画面の面積が拡大した。そうなってくると、登場人物が多くないと画面がスカスカになって据わり(バランス)が悪くなる。

 その時に、「ひな壇」という、そもそもメチャクチャ面白い仕組みがマッチしたというわけ。pp55-56

 

今の若い子は、大きな画面のテレビではなく、小さな画面のスマホでテレビ番組を観ているから登場人物の多いひな壇は見にくい。人物も一人か二人がベストではないか。

 

「ひな壇芸人」の世界は将来性のないレッドオーシャンであり、どこか別の「ブルーオーシャン」で勝負した方が自分にはメリットがあると西野は考えたのである。

 

西野が影響を受けた本として、藤原和博の『必ず食える1%の人になる方法』が紹介されている。その中の自分をレアカード化する方法として、「誰でも1万時間かければ『100人に一人』になれる」という1万時間の方法が紹介されているが、100人に1人程度では食えるようにはならない。だからもう一分野に1万時間を投じろというのである。

 

 最初に1万時間を投じたAという分野で1位を目指すのではなく、新たに1万時間を投じて「100人に1人」になったBと掛け合わせて、「100分の1×100分の1=1万分の1」になれ、と。p95

 

でも、藤原和博の本はそこにとどまらずさらに第三の分野に1万時間投じて、「100万分の1」の人になれと言う。A、B、C三つの分野を結んでできた三角形の面積が、その人物の需要なのだ。だからA,B,Cの分野は、互いに離れているほど三角形の面積が広くなるのでよいということになる。

 

西野にとってAが「お笑い」とすれば、Bは「アート」であり、Cは「学校」や「町づくり」である。お笑い芸人のマルチな活動としては小説『火花』で芥川賞を受賞した又吉直樹が思い浮かぶが、Cが「小説」では、AやBからの距離が近く、面積はあまり広がらないのであまりおいしくないと西野はあらかじめ考えているのである。

 

こんな発想で、様々な社会的な問題も「問い」として考えると、それに対する「答え」も自然に見えてくる。問いの下には、自分に何ができるかのヒントが埋まっている。たとえば、渋谷のハロウィンのゴミの問題。ゴミをモラルの問題とし、持ち帰れと呼びかけても何の面白みはない。だが、ゴミの片づけから新たなイベントをつくりあげればどうだろうか。

 

 ハロウィンの夜に街を徘徊するのはオバケだ。そのオバケが、バカみたいな量のゴミを残していく。このオバケの残骸を退治するのは彼等しかない。

 オバケ退治のプロ集団『ゴーストバスターズ』である。

 というわけで、「ハロウィンの翌朝6時に、ゴーストバスターズのコスプレをして、ハチ公前に集合。ゴミ拾いしようぜ」とツイッターで呼びかけてみた。pp65-66

 

その結果、ゴミを集めるだけでなく、ゴミを使った巨大なトラッシュアート『ゴミの木』まで作ってしまう。単なるゴミ拾いなら−をゼロにしただけだが、それを楽しいイベントやアートという、プラスに変える方法を考え出し行動に結びつけたのである。

 

本来は、一芸人のサバイバルの方法として考えたものが、単に別の分野で活躍するだけでなく、社会を変化するまでの広がりを見せてゆく。その想定外の広がりはとても感動的だ。通常のビジネス書は、どれもが同じような題目を並べてほとんど新しい刺激になることはなくなってしまったが、この本の新鮮さはすべて西野の実体験で書かれている点である。

 

  ちなみに路上で色紙に名言を書いて売っている、相田みつをのコピペみたいなヤツが嫌いです。僕は体験談しか信用しないのです。p34

 

この本には、一人のお笑い芸人が、人生を賭けて考え抜いた数々の知恵、たとえば他と差別化しながらオンリーワンとして生き延びる方法、マイナスをプラスに変える方法、それまでない場所にお金の流れを作り出す方法がこれでもかと書かれている。そうして気づかされるのは、まだ私たちは十分に考えていないということであり、あるいはせっかく考えた結果思いついたアイデアを実行していないということだ。つまり、手詰まりに見えるような状況であっても、多くの改善の余地があることを気づかせてくれる。

 

『魔法のコンパス 道なき道の歩き方』は、常識の網の目の不自由さより私たちを解放し、再び新たな一歩を踏み出すことを促さずにはおかない、希望の書物なのである。

 

 

<西野亮廣の本>

絵本

Dr.インクの星空キネマ(2009)

ジップ&キャンディ ロボットたちのクリスマス(2010)

オルゴールワールド(2012)

えんとつ町のプペル(2016)

 

小説

グッド・コマーシャル(2010)

 

エッセイ

嫌われ西野、ニューヨークへ行く(2013)

 

 

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