つぶやきコミューン

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雨宮まみ×岸政彦『愛と欲望の雑談』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略

 

 

『愛と欲望の雑談』(ミシマ社)は、社会学者岸政彦とライター雨宮まみの二回にわたる対談をまとめたものである。その内容は文字通り雑談であるがゆえに体系だったものではないが、主として煩悩とのつきあい方に関わるものである。

 

この対談は、オーソドックスな社会学的語り口に対する違和感よりスタートする。何よりも、そこには個人的なものがごっそり抜け落ちているのだ。

 

雨宮 私は社会学の、ある一定の傾向のものをざっくりまとめる語り口にすごく抵抗があるんです。学問としての「社会学」とは違うんでしょうけど、いま一般的に流通している「社会学」的な言説の雑さや無神経さがすごくダメで。率直に言って、大嫌いなんです。まとめることも必要なんだということは頭ではわかるんですが、そこから個人的なものがごっそり抜け落ちてしまう。p8

 

社会学的抽象、一般論から抜け落ちる個人的要素を拾い上げているのが、岸政彦の文章なのだと雨宮は付け加えることを忘れない。それこそがこの対談が実現した理由である。

 

社会学的抽象や一般論は、「AはBである」という断言の力をモットーとし、「AはBであるかもしれないがCであるかもしれない」のような逡巡や留保、中途半端さを嫌う。しかし、岸政彦は、個別化された言説に寄り添いながら、そのような地平にとどまり続けようとする。「AはBである」という断定とは、常に何かを、BでないCやDを排除することによって成り立つ。だが、自分がもしもCやDの立場であったなら、たまらないだろうというのである。

 

こうした歯切れのよい言説への志向は、ただ単に社会学の分野を支配するだけでなく、社会全体を、メディアやインターネット、SNSの世界をも支配しているものだろう。目の前の人や現実から乖離した次元で交わされる社会に関する言語は、自然に純化し、極論化する傾向がある。

 

第一の極論化は、欲望のアナーキズムへの志向である。大人しい欲望、政治的に正しい欲望は真の欲望ではないという考え方である。

 

(…)個人的なことなんですけど、僕は「かけがえのない本当の欲望っていうのは社会規範と絶対違犯するはずだ」みたいな考え方がすごく嫌いで、「俺は普通でいいぞ」と思うんですね。政治的に正しい欲望って、本当の欲望じゃない、みたいな考え方があるでしょう。

雨宮 ありますね。アナーキーな欲望のほうが、より本当の欲望だ、という。

p15

 

現在ではそうした欲望の過激さを志向するトレンドは下火になり堅実志向が優勢になっているが、その背景にあるのは第一に学生の貧困化であり、1995年から2005年にかけて大きな転換点があったと思われる。非婚率の上昇の陰にあるのは、就労の非正規化であり、労働条件の悪化である。学校と並ぶ、恋愛の場としての会社へ行ける人が少なくなると、恋愛そのものの成立する可能性も小さくなる。

 

言語による高度なコミュニケーション能力を要する恋愛は、この社会に根づいてはいない。結婚するカップルが、結婚相談所で出会ったことは隠したいという文化の背後には、「言語化すると価値が下がる」という考え方がある。しかし、言語化しないで偶然運命の相手に出会うことは、ほとんどありえないことである。

 

性行動や恋愛行動に対するモチベーションが低下する背景には、日本における見知らぬ人に対する「信頼」がきわめて低いという事実がある。しかし、いつか裏切られるかもしれないというリスクなしに、人を口説き、関係を開始することはできない。

 

(…)「関係開始スキル」って、要するにリスクテイキングなんですよね。フラれるかもしれないけどアタックしてみる、ということでしょう。それが日本人はもともと低い。日本人というか、日本の社会はね。だからお見合いシステムから会社システムに変わったときに、いかに個人が恋愛していくか、ということは、やっぱり難しい問題。pp28-29

 

この社会の中で、その対極にあるといえるのが、大阪のおばちゃんである。すれ違いざま袖が触れ合うだけで、チッと舌打ちする中高年の男性とは対照的に、コミュニケーションへの障壁が極めて低い。そのスキルを身につけられない男性社会はヤバいほどきついという話になる。その行き着く先は、コミュニケーション能力の格差社会なのである。

 

排外主義が生じるのも、その背景にあるのは人に対する恐怖心である。

 

 ヘイトスピーチとかね、他者が怖いからああいう排外主義的なものが出てくるんだと思います。攻撃性というのは、恐怖感の裏返しですね。p34

 

格差を広げてしまうだけの個人の努力ではなく、この社会全体で関係開始スキル、コミュニケーション能力を高めるにはどのような方法があるだろうか。

 

第二の極論化は、不幸やしんどさを競い合おうとするトレンドである。雨宮の本の感想にも、モテないと言っても、結局口説かれてセックスできてるじゃんというような自虐性を期待して裏切られたというものが多い。そこに岸は個人のしんどさの聖化があると言う。社会的マイノリティの人たちのしんどさの極限を見る一方で、それぞれの個人が感じたしんどさをすくい上げる必要もあるのだ。

 

このような形で、個人の感覚から発しながらも、この社会の病める部分の原因を、ピンポイントで探り当ててゆくのが、この対談の流儀である。個人の中でいろいろに生じる感情も、切り捨てられることなく、男性の論理、女性の論理のいずれかに偏することなく、バランスを取りつつジグザグに進む中で、私たちの中で曖昧にされている何かがしだいに明らかにされ、少しずつ風通しのよいものに変わってゆく。『愛と欲望の雑談』は、そんな心地よい読書体験を約束する良書である。

 

関連ページ:

岸政彦『断片的なものの社会学』

 

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