つぶやきコミューン

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園子温『受け入れない』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略

 

 

『受け入れない』(中経出版)は、映画監督園子温の詩集&エッセイ集である。各章の冒頭にかなり長い詩があり、その後に同じテーマで具体的に踏み込んだエッセイがある。詩は感覚的にアピールできるように、「オレ」という一人称を使って書かれていて、エッセイは知的に理解されるように、「僕」と「ですます調」で丁寧にわかりやすく書かれている。感覚と知性の双方に訴えるように、『受け入れない』は詩とエッセイのハイブリッドによって構成されているのである。

 

園子温にとって詩とは、単なる映画監督の余技ではなく、表現の原点である。というのも、映画を作り始めるずっと前、十代のころからすでに園子温は詩を作り、賞を獲得し、それなりの評価を得ていたからである。

 

 そして20歳の頃、『現代詩手帖』の新人賞を取れなかったらもう続けないと決めていました。

 最後の候補2人のうちの1人でしたが、選者の方の「園子温がデビューするにはまだ早い」という一言で終わってしまった。きっとあのとき選ばれていたら、まだ詩人としてやっていたんだと思います。そう考えるとすごい運命です。

(「歌のために読みこんだ現代詩大全集」)

 

句読点のない詩と、句読点のあるエッセイを通じて、園子温が伝えるメッセージはきわめて明晰だ。家庭の、学校の、会社の、社会一般の、空気や既成概念、道徳や正義に順応することなしに、自分本来の価値の尺度、自分本来の感覚を持って、生き抜き、表現することへの呼びかけである。

 

私たちが生まれ、学校に通うころには、私たちは自分の絵ではなく、先生がよいと思う絵、「いい絵」を描くようにいつのまにか仕向けられる。こうして、自分本来の欲望とは似て非なるものをいつしか信じるようになるのだ。それは「仮面」であって、私たちの素顔そのものではない。しかしいつしかそれを素顔だと信じ、演じるようになる。

 

「自分の素顔は怖い

他人と違うから」

かつてその恐怖からおまえは

自分の素顔を裏切った

仮面をかぶり他人になりすました

(「オレが17歳の頃は」)

 

その前の原点、素顔の自分に戻ることが必要なのだ。

 

詩人であれ、映画監督であれ、めざすものは自由であること、自由であり続けること以外にない。しかし、私たちが自由でないのは、誰か他の人のせいではなく、自分自身で枠をはめ、自主規制しているからである。

 

世の中には、自主規制でいっぱいだ。

 

 風刺漫画は売上げにつながっていません。それと同時に言論の自由を行使していいのかみんな迷ってしまっている。言論の自由は一応あることになっていますが、その自由を誰も行使しなくなってきています。

 自主規制を勝手にやっているのです。

(「自粛ルールでみずから自由を殺していく日本」)

 

テレビ局も、映画も、漫画も自分で勝手に規制して、自粛ルールで自分を縛っている。

 

モラルと言う名の規制、それは「境界」がどこにあるのかわからないので、みんなで「境界」に近づかないようにする。すると、わけのわからない「境界」はどんどん増殖し、ますます身動きがとれなくなる。

 

同じように、この国で独り歩きする規範となっているのが「普通」という言葉だ。

 

 普通とはどういうことかというと自由がほしくない状態です。

(形成される「普通」と変化)

 

「普通」は自分のまわりの環境を軸につくられるが、あなたと私の「普通」は違う。「普通」であることによって世界とつながっていられるというのは幻想だ。

 

日本人が自分は普通だと思っているすべてを突き崩さないと、社会も芸術も変わりません。日本人が考えている普通を疑ってかからないと、物事が動かないんです。(同上)

 

要するに、みんなもやもやとした霧のようなモラルへの順応主義者なのだ。

 

この国をおおう巨きな霧の正体は

みなが思い切って自分の言いたいことを言わないからだ

(「モヤモヤモラル」)

 

匿名の性の中で、他人の迷惑を考えろといった正義が独り歩きする。迷惑は犯罪じゃないのに、いつの間にか犯罪のように語られ、死刑がふさわしいと言い出す人も出てくる。

 

正義があるとしたらおまえの内奥の声だ

それ以外におまえの全体を包む声はない

今のおまえの匿名性は

時代の霧と同調する順応性にすぎない

(同上)

 

問題なのは、こうした園子温の言葉も、読者から見ると他人の言葉にすぎない。そこにこの本の逆説的な部分がある。

 

他人の言葉を無視しろ

他人を理解するな

他人は他人だ

(同上)

 

園子温の言葉は、つねにダブルバインド的である。つまり、その意味が理解されるやいなや、それは読者が一体化することを拒絶する。その言葉もまた自分に到達するための方便にすぎないということになる。

 

かっこよい誰かのイメージをなぞらえるのではなく、ちっぽけな素顔の自分に向かい合い、表現すること。『受け入れない』には、現在の日本の映画の問題点や、園子温の映画の作り方についても書いてあるが、とことんつきつめると、このメッセージしかないのである。

 

まだオマエが、美術の時間にいい絵とは、

こういうものだと先生に説明される前の

オマエの絵

まだオマエが、誰かにこういうものがいい人生なんだと言われる前の

オマエの正体

オマエの本当の声

オマエの本当の言葉

思い出せ

オマエが

だれだったかを

(同上)

 

一言で表すならば、それはBe yourself(自分自身たれ)ということなのだ。

 

関連ページ:

園子温『けもの道を笑って歩け』
園子温『非道に生きる』

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