つぶやきコミューン

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柴崎友香『その街の今は』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略 ver.1.01

 

 

柴崎友香『その街の今は』(新潮文庫)は大阪を舞台とした小説である。主人公の歌ちゃんは、28歳。務めていた会社が倒産し失業、次の職場も見つからず、カフェでバイトをしている。実家は大阪市内のマンションの10階だが、両親が愛媛で料理屋を開きたいとの希望から、この場所もいつまでもいられるわけではなかった。さらに交際していた男性も、結婚してしまう。そんな時期に合コンの帰り道に知り合った三歳年下の良太郎としだいに親しくなってゆく。歌ちゃんと良太郎が意気投合したのは、古い大阪の写真だった。なぜか歌ちゃんは、本屋で売っていた昔の絵葉書の中に知らない大阪の風景を見つけて以来、自分がいない時代の大阪の写真を様々な場所で見つけては、心躍らせるようになる。そして、良太郎はその写真入手の最有力ルートでもあったのだ。それでも、周囲からつきあっているとみなされることには抵抗がある歌ちゃんなのだ。

 

柴崎友香の他の多くの作品同様、『その街の今は』の登場人物は、呼び名のルールがまちまちである。智佐、良太郎のように名だけで呼ばれる人、百田さん鷺沼さんのようにさん付けで呼ばれる人、えっちゃん里依ちゃんのようにちゃんづけで呼ばれる人。しかも、同じような呼び方のニュアンスは、性別や年齢によって微妙に異なる。それらの名前は、ネーミングの統一性がないかのように見えて、実は私たちの日常の習慣そのもの、相手に対する心の距離を忠実に反映している呼び方であり、私たちから見える心の風景の一部をなしている。

 

人生の中で、人が見える風景が変わるのは、進学を除くと、三つある。一つは棲み処が変わる引っ越し、一つは仕事が変わる転職、そしてもう一つは交際相手が変わることだ。それによってそれまでなじみの風景から遠ざかり、新しい風景が目の前に現れる。歌ちゃんはこの三つを同時に経験しようとしている。『その街の今は』を、単に大阪の街の変化を描いたエッセイでなく、小説たらしめているのも、この巧みな状況設定ゆえにである。いわば、次の住処も、次の職場も、次の交際相手も決まらない宙ぶらりんの状態で、変化そのものに敏感になっている。そこから見えてくるのが、これまで住んできた大阪という街の変化なのである。

 

かつて働いていた職場はもはや存在しない。しかし、そこで働いていた自分がいた。

かつて交際し、その人の家に何度か外泊したことがある男性は、今は別の女性の夫である。だが、その男に抱かれた自分がいた。

これまでずっと住んでいた家から、自分はもうじき離れなければならない。そのとき、自分は一体どこに住むのだろう。

 

今はない職場を思う気持ちも、不倫の関係なんかまっぴらだと今は距離を置きたい男性に対する複雑な想いも、そして住み慣れた実家を離れる惜別の思いも、作中では抑制的で、多くが語られることがない。そして、その自己への禁忌を埋め合わせるように、歌ちゃんを夢中にさせるのが、今はもはや存在しない大阪の写真なのだ。

 

 戦争が終わってしばらくの間は、米軍が写真を撮っていた。昭和二十二年から二十三年にかけて撮られた心斎橋は、道の区画は今とほとんど変わっていなかった。道頓堀川があり御堂筋と心斎橋筋があり、規則正しく真っ直ぐな道路が交差していた。だけど、今と同じとわかる建物は、大丸とそごうしかなかった。それ以外は、背の低い、急場しのぎに次々に建てられたような家屋の黒い屋根が連なり、それから焼け跡の空き地もまだ残っていて、畝に見える黒い点々は野菜の葉らしかった。その地面には、ところどころクレーターのように凹んだ部分があって、爆弾がこの場所に落ちたのだということを、わたしはそのとき初めて実感した。実感と言うか、それまではたいてい白黒の写真や映像で見るその世界を、時代劇みたいな別の世界のようにしか思えなかったのが、急に、今自分のいる世界とつながって、穴だらけだった地面の上を歩いているのだと感じられた。pp50-51

 

2006年9月に単行本として出版されたこの小説の中で登場する大阪の地名は、心斎橋や道頓堀など、ミナミが中心の大阪市内の場所であり、常にその風景がめまぐるしく変わりつつある場所である。ソニータワーも、キリンプラザもはやなく、繰り返し登場する心斎橋の大丸も取り壊しが決まったばかりである。同じ場所にある阪急百貨店ももはや同じ建物ではなく、大阪駅はまるで別の存在に姿を変えてしまった。作中で現在となっている風景が、すでに過去の大阪となっている。過去の変化をとらえ、それを思考させる作品であるがゆえに、その後に生じた街の変化をもまた思考させる生きている作品、それが大阪の街を愛する人の必読書『その街の今は』なのである。

 

関連ページ:

柴崎友香『ビリジアン』
柴崎友香『パノララ』
倉方俊輔・柴崎友香『大阪建築 みる・あるく・かたる』
柴崎友香『春の庭』

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