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隈研吾『なぜぼくが新国立競技場をつくるのか』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略

 

 

新国立競技場は、まずコンペで選ばれたザハ・ハディッド案が予算の超過ゆえに修正を加えながらも、再び大幅に予算を超過することとなり、また巨大なキールアーチ部分の建設の難航も予想され、最終的には破棄され、再度大成建設・梓設計・隈研吾建築都市設計事務所JVと、伊東豊雄建築設計事務所・日本設計・竹中工務店・清水建設・大林組JVによるB案の間から選ばれることとなった。2015年12月、僅差で最終的に選ばれたのはA案だった。

 

『なぜぼくが新国立競技場をつくるのか 建築家・隈研吾の覚悟(日経BP社)は、この決定の後に書かれた建築家隈研吾の最初の著作である。厳密に言えば、本書が隈研吾の単著と言えるかどうかは微妙なところである。7つある章のうち第七章は脳科学者茂木健一郎との対話となっていることは帯に謳われているが、その前の第5章は大成建設会長山内隆司への、第6章は梓設計社長杉谷文彦へのインタビューによって構成されているからだ。実は、この構成自体が隈の主張の一端を示す結果となっている。

 

隈研吾は、以前より先輩建築家である槇文彦に共鳴する形で、ザハ・ハディド案に対する違和感を表明していた。しかし、その時点では新国立競技場を自ら手がけることになるとは予想もしていなかった。2015年9月に出版された『建築家・走る』文庫版のあとがきでも、他人事としての炎上案件として、国立競技場の問題を語っているのだから、この間の時間の経過がいかに大きなものであったか、想像に難くない。

 

本書の中で、隈研吾が主張しているのは、大きく言って二つの事柄である。

 

一つは、個人でも組織でもない形で、建築のデザインを調整しながら進めること。建築家がアーティストとして突出するのではなく、環境、景観、予算、世論といったパブリックな要素をすべて統合(インテグレート)する役割を果たすというものである。

 

この考え方は、従来の建築のあり方に反するものであるため、大きな反発を同業者から受けたことを隈は告白している。

 

 ぼくの新国立での仕事の仕方は、アーティストでもないし、組織でもない。たぶん、そこのところが、アーティストという誇りを失いたくない先輩の建築家たちにとっては、最もゆるせないところなのだろうと思う。p207

 

そして、もう一つはコンクリートではなく、主に木材を使って、建築を行うことである。

 こんなふうに言うと少しおおげさに聞こえるかもしれませんが、「コンクリートの時代」を「木の時代」に変えることは自分の使命だと、ぼくは思い始めています。p90

 

コンクリートで、周囲の環境から浮き上がる自己主張の強い建物を建てても、結局のところは五十年もすれば取り壊し建て替えするしかなくなる。コンクリートよりも弱いと考えられがちな木の建築物は、適宜部分を入れ替えてゆけば千年以上の歳月持ちこたえることができることは法隆寺をはじめとする古代の寺社建築が証明している。

 

 今回の新国立競技場では、木だからこそ、長持ちする建築になります。コンクリートと違って、木は部分単位で取り換えることができます。どこかがダメになったら、そこだけ交換していけばいい。新国立の設計では、一つひとつの木材の寸法を意識して小さくしています。木材を小さくすると、交換するときの材料調達も格段に簡単になります。p118

 

この二つの主張は、従来からの隈の持論である「負ける建築」の概念をさらに進めるものであると言えるだろう。


さらに、磯崎新やザハ・ハディッドの建築に対する違和感を、明らかにしたという点でも注目されるべきである。本書の「あとがき」は、隈の書いた文章の中でも、特に切実なものであり、親しかった同業者からの批判がいかにこたえたか、さらには国際的な舞台で連敗を余儀なくされたザハ・ハディドに対するコンプレックスが、さらにはその死の喪失感がいかに大きなものであったかが、ひしひしと伝わってくる。

 

 磯崎新が引いた「アーティストとしての建築家」という路線は、日本の1970年代、80年代を席捲しただけではなく、世界の建築界を変えてしまった。アーティストでない建築家は、すべてダサく感じられる時代がやってきたのである。この新しいアーティスト路線のチャンピオンがザハだった。彼女はその抜群の造形力で、世界中のコンペで勝ちまくった。ぼくは世界のいろいろな場所のコンペで、彼女と対戦した。勝率でいえば、彼女は圧勝だった。

 手が切れそうな白くとがった模型や、航空機用に開発しているソフトで描いた迫力のある完成予想図は、審査員を圧倒し、ぼくらは負け続けた。イスタンブールでも、サルディニアでも、北京でも、台北でも負けた。彼女の方法を、どのようにしたら乗り越えられるかだけを考え続けた。彼女とは別の道を見せなければ、自分の未来はないと感じた。

 その意味で、磯崎とザハがぼくにとって兄と姉であり、アーティストとしての建築家という存在を乗り越えるために、二人をウォッチし続けた。だから、ザハが突然いなくなってしまったことが、衝撃であった。見つめるべきものが亡くなってしまって、最大の壁が消えてしまって、自分だけがさびしく一人、取り残された。はじめて孤独というものを感じた。

pp204-205

 

さらに丹下健三を日本の建築の第一世代、磯崎新、黒川紀章を第二世代、安藤忠雄、伊藤豊雄を第三世代としたとき、自らを第四世代の建築家として位置づけながら、明らかに建築家の自己主張の強い第三世代の建築に対して、異議申し立てを行っているかのように見えるのである。

 

第三世代が売りにしていた組織対個人という構図も今や陳腐なものとなってしまった。


そして、それを決定づけたのが阪神淡路、東日本など数度にわたる震災であった。

 

 震災を体験し、組織対アーティストという構図自体が、すでに退屈であると感じた。組織という枠、しめつけ自体が、かつてほどに固くもないし、頼りにもならない。震災の前で、みんなが虫けらになった。エリート組織人も、天才アーティストも、すべての人が、揺れ続ける大地の上で、ブルブルと震えるただの虫けらになった。組織の中の虫も、個人として発信することができる。逆に組織の中にいない虫でも、何か大きなプロジェクトに関わろうと思ったら、虫を集めてチームを組めばいい。

   組織対アーティストという構図自体が今や意味を失い、実際の状況と乖離した。p207

 

隈研吾は、新国立競技場の建設を通し、従来の建築のあり方を、方法と素材の双方によって、更新しようとしている。一年前はあれほど騒がしかった世の中も、いったん落ち着いているかのように見える。予測による短期的なツッコミの時期は終わったのだろう。これからは新国立競技場は、実際の工事の進捗状況と、出来上がった現物の提示する景観や、ユーティリティーによって長期的に評価される局面へと移行する。その成否は、向こう四年間でほぼ明らかになる。

 

関連ページ:

(隈研吾関連)

隈研吾『建築家、走る』
隈研吾『僕の場所』

(新国立競技場関連)
上杉隆『悪いのは誰だ!新国立競技場』
大野秀敏・槇文彦ほか『新国立競技場、何が問題か』
 

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