つぶやきコミューン

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増田俊也×中井佑樹『本当の強さとは何か』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略  ver.1.01

 いまはノウハウとかはすごくあるし、強くなるドリルとかやり方とかはいっぱいあるので、選手は迷っちゃうと思うんですよ。だけど全部必要なんです、はっきり言って。たとえば僕は柔道の選手に「週何回レスリングやってます?」とかいう質問をよくするんですよね。そうすると、向こうは「え?意味わからないです」って答える。それじゃだめなんです。僕の質問の意図は、柔道の試合で勝ちたいなら、どうしてあらゆる努力をしないんですかっていうこと。できることはすべてやらないとトップには到達できない。(『本当の強さとは何か』pp92-93)

 

 

『本当の強さとは何か』(新潮社)は、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』 『七帝柔道記』の作家増田俊也と格闘技界のレジェンド中井佑樹との対談本である。両者の対談としては中井の著書『希望の格闘技』に収められたものがあるが、本書に収められたものは、一貫したテーマで独自に構成されたもので、あちこちに発表されたものの寄せ集めではない。それだけに、最高に濃い内容となっている。

 

本書のテーマは、何といっても中井佑樹の強さの秘密である。この強さは単にフィジカルな強さだけでなく、精神的な強さでもある。中井佑樹ほど強い精神力を持った人間を他に知らないと増田は言う。

 

 しかも強いだけではなく、謙虚であり、さらにリングを降りたあとも自身の目標を見失わず、それを成し遂げるバランス感覚にもすぐれている。これほど完璧な人間を私は見たことがない。p3

 

ゴールドー戦をこわいと思ったのではないかという板垣恵介に対し、中井は美味しいでしょと返す。続くピットマンとの準決勝も長期戦になり1万人もの観客が電車がなくなり帰れなくなったら世間の注目を浴びるので美味しいとしか考えなかった。常に個人の感情よりも大局観の優先する男なのである。

 

だが、格闘家として中井佑樹が活躍した期間は決して長いものではなかった。ゴルドー戦で右目の視力を失っての総合格闘技からブラジリアン柔術への転向。その後に来る指導者の期間にこそ、中井はより大きなものを達成したのである。格闘界のみならずスポーツ界全体に一石を投じたイノベーターとしての中井の活躍こそが、本書の核となるものだ。柔術の普及を通して、中井は新しいビジネスモデルを確立する。それは代表を派遣してそこに支部を作るという中央集権的モデルではなく、各地に分散した格闘家を交流を通じて拠点として認可してゆくというフラットなネットワーク形成による方法である。これを増田は、ハードとソフトをセットにしてしか売ろうとしなかったアップルではなくソフトだけを売りハードは自由に各メーカーに作らせたウィンドウズのモデルにたとえるのである。

 

どこかに中心がある必要も自分がその中心になる必要もない。

 

こうすることによって、あっという間に、柔術は広まり、最も多くの技術書や技術DVDが発行されるジャンルとなった。

 

さらに、柔術の技術によって、本家の柔道にはたらきかけ、進化させようとする無私の努力も中井佑樹ならではである。

 

というのも、今の柔道は様々な意味で、曲がり角に差しかかっているからである。

 

一つは柔術の強さが知られることで、かつてのように簡単に勝つことができると豪語するような柔道家がいなくなったこと、技術が知悉されることによる側面は当然存在するが、メンタル面の自己評価が下がってしまうと、やはりよい結果は望めない。

 

他方、世界の柔道家たちはボーダーレスに柔術の技術を取り入れようとするため、日本の柔道家には技術的な盲点が生じるようになっている。松本薫がブラジルの選手に腕挫ぎ逆十字をとられたことは象徴的である。さらに国際式のルール変更で下半身をつかめなくなり、日本の柔道はガラパゴス化し、それはトップクラスの選手の戦績にも影響を与えている。

 

また人材育成の面でも、長い間日本のスポーツ界を支えてきた中学・高校の部活動モデルが、すでに柔道では崩壊しかかっていることがあげげられる。これは単に講堂館柔道に限らず、七帝柔道の世界にも及び、このままでは「もって十年」と増田は危機感をつのらせる。

 

中学以上の部活モデルのどこが問題かと言えば、入り口のレベルが高すぎるため、新たに始めてその道を目指そうとする人間に門を閉ざしがちな点である。この点で七帝柔道は白帯から始めても努力次第で高校までのトップアスリートと互角に戦えるというアドバンテージがあるが、中井の目指す町道場モデルでは、トップをめざすことと楽しさの共存、チャンピオンと初心者が同じ場所で練習することをめざすのである。練習時点の優劣にこだわる部活モデルは、多くの時間を費やしている割に、新しい技の習得がしにくい。そのため、フィジカルなパワーは大いに強化されるが、技のレパートリーが少なく、特に寝技で不利になる傾向がある。

 

立ち位置において誰よりも自由である中井は、さまざまな問題に関して自由な意見を披露する。たとえば護身術の問題。合気道であれ、柔道であれ、二三ヶ月習っただけで、非力な女性が屈強な男性に勝てるような護身術はほとんど存在しない。女子柔道のトップクラスの選手でさえ、90キロ、100キロあるアメリカ人の男性を撃退する自信がないと言う。それなのに一夜漬けの護身術が有効な幻想をふりまくことの罪深さ。さらに、武器の使用を想定しない護身術など無意味とも言う。

 

 あとまやかしだと思うのは、格闘技の護身術といっても自分が武器を持つのではないということですよね。徒手には限界があるわけで、武器術を扱わないと武道ではないんですよ。これは僕の武道論に対する答えで、武器術が入らないものが武道であるわけがない。武道というのは武器があってのものだから。だから笑止千万なんですよ。p162

 

ついには、護身とは何か、何が可能かという根本的な問題にゆきつくのである。少なくとも若い頃に養った基礎体力があれば、それは喧嘩での優位につながるだろうし、加齢にかかわらず体力をなるべく高いレベルで保つことは無駄ではないのである。

 

昔と今とを比べてどちらが強いという問いには、中井のみならず増田も辟易している。『木村政彦はなぜ力道山がを殺さなかったのか』が木村最強説を解いているようで、実は力道山に軍配をあげていることも正しく理解されていないし、そうした議論から卒業する年齢に来ていると増田は言う。

 

どこかで書いたけど、あのとき木村先生も力道山も30代の若者だった。でも俺はいま50歳だ。だから若者たちがいつまでも若いときの喧嘩で憎み合っているのを「もういいだろう。俺がぜんぶ受け止めるから」っておさめる立場にあるんだよね。それがあの本なんだよ。p170

 

ここで二人が論じている問題は、今後日本の格闘技界のみならずスポーツ界全体が直面する問題でもある。これからの格闘技の問題点を整理し俯瞰するという意味でも、加齢にかかわらず自らのフィジカルな強さを保つという意味でも、本書は格闘界の人間のみならず、一般の読者にも多くのことを考えさせ、変化を促す起爆剤となりうる良書なのである。

 

関連ページ:

増田俊也編『肉体の鎮魂歌』
増田俊也『VTJ前夜の中井祐樹』
増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』
増田俊也『七帝柔道記』

中井佑樹『希望の格闘技』

 

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